第四十三話 筺底を這う病魔
勧誘申請が来ていない。届いていない。
それが意味するところはすなわち、マシロが転移者でないということだ。
NPC。眼前の白い少女は、町にいるのと同じ、心も感情もない機械めいた彼らと同様の——
「いや。いやいや待て、マシロがNPC? おかしいだろ。マシロは町の奴らと違ってちゃんと考えて話すし、自分で行動できる」
違う。
シリディーナで見かけるNPCたちとマシロには、大きな隔たりがある。
確かにマシロも少々感情の読めないところがあるが、それでも対話はしっかりできるし、明らかな心を持っている。人間じゃないなんてとても思えない。
広場の案内役、宿のお婆さん、防具屋の店主、他にも何人かのNPCを町中で見てきたアレンだが、そのすべてはあからさまに『人ではない』と認識できるものだった。
目は虚ろで表情もぎこちなく、全体的に取って付けたような、人を模倣した別物という雰囲気が隠しきれていない。会話も必ずどこかで破綻してしまう。
「う、うん。私もマシロがNPCだとは思えないわ。話しててそんな感じはまったくしないもの」
「そうだね。そこは少なくともただのNPCではないだろう。町の人たちとは完全に別だ」
「しかし現に勧誘申請は届かなかった。これは否定できない」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。頭がこんがらがってきた……」
マシロには確かな自我がある。だが勧誘申請はマシロがNPCであることを示す。
NPCであるなら転移は行われておらず、転移者でも転移直後でもないだろう。
(NPCならばプレイヤーIDを持たないことにも合点がいく……なら記憶喪失はなんだ? それにNPCにしては見た目が派手っつうか、端正すぎる気がする)
NPCはどれも普通、平凡な容姿をしている。少なくとも真っ白い髪や金色の目をしている者は見たことがない。
余計にわけがわからなくなったようにすら思える。彼女の正体は一体——
「駄目だっ、思考が追い付かない。肝心なところは謎のままだ」
「容姿、ユニークスキルを有していることからして町のNPCとは造られた目的が……記憶……後天的に……いや、推察が過ぎるか」
さしものユウも結論を出しあぐねているのか、難しい顔でぶつぶつと呟いている。
そう、NPCだとするのならユニークスキルがあるのも不可解だ。ひょっとするとわからないだけで、NPCも皆データ上はユニークスキルがあるのかもしれないが……彼らがわざわざそんな能力を有していても持ち腐れだろう。パターンをなぞるだけのゲームAIなのだから。
広義的にはゲームAIも人工知能だ。だがマシロがもしNPCだとしても、他のNPCとは知能的な完成度に雲泥の差がある。最低限の柔軟性はあるにしろ一般的なNPCに積まれているのは俗に言うキャラクターAI、単一的な行動を担う特化型人工知能だが、マシロのそれは明らかにNPCの枠組みを超えている。
対話に違和感はなく、判断も人そのもの。仮にこれがAIならば汎用人工知能——現代でも未だあと一歩のところで実現していないとされる、『強いAI』だ。
「……情報は増えたけど。結局、明確な答えは出なさそうだな。悪いなマシロ、色々混乱させちまったか? でも、マシロはマシロだ。それは揺らがない」
自身がNPCだとして。思考・行動のすべてがAIによるアルゴリズムの結果でしかないと言われたとき、なにを思うのだろう。
不安や恐怖。それに類するものかもしれない。
だが極論、そんなことは深く考えても無駄だ。どうしようもないことだし、人間だって言ってみれば電気信号で動く肉の塊でしかない。
キメラの世界に落とされたアレンたちとて、自身が現実に存在する本人のコピー体、情報で編まれたクローンでないという保証はどこにもないのだ。もっと突き詰めれば、元いた現実と呼ぶ世界さえプログラムされた仮想世界かもしれない。
要は考え出せば、疑い出せばキリのないことだ。哲学ではないが、肝心なのはそこにある確かな自我を揺るがぬものとして認識することではないだろうか。
「ん……へいき。マシロがNPCでも、そうでなくとも、ここにいるのは事実」
「そ、そうだ。俺がなにか言うまでもなかったみたいだな」
マシロはなんでもなさそうに、変わらない表情のままだ。今話していたことの意味がまるきり理解できないほど愚鈍な子ではない。
なにも言わずとも、確固たる自己を認識できているらしい。聡い上に強い子だ。
「マシロは強いわね。でもなにかあっても、私たちがついてるわ」
リーザも同じ感想を抱いたようだ。白い髪を梳かすように、その頭になでなでと触れる。マシロは少しだけくすぐったそうな顔をした。
「今考えられるのはこのくらいかな。ま、わかったことが増えただけ一歩前進じゃない? 僕も正直、勧誘申請はほぼ勘だったから驚いた。けど、これ以上の収穫はなさそうだねぇ」
「ですね。マシロさんについてこちらもなにかわかったら伝えます。なにぶん前例のないことなので難しいかもしれませんが」
「うん、アレンちゃんたちもそれでいいかな?」
「……とりあえずちゃん付けはやめてもらいたいけども」
アレンとリーザは顔を見合わせ、頷きを返す。マシロも特に言いたいことはなさそうだ。
整理すると、マシロは記憶がなく、ユニークスキルを有しながらも非転移者の性質を持ち、プレイヤーIDを持たず、稀有な容姿で、レベル1の初期状態でバベルのロビーに倒れていた。
……あまりにちぐはぐで、情報同士が相反しているようにも思える。また帰って改めて考えてみるにしても、どんな結論を出そうにも推測ありきになってしまうのは確実だ。
この場はこのくらいにしておくべきか。なにせ、議題はまだあるのだから。
「では、話させてもらうよ」
声色を僅かに低く、レイブンが口を開く。そもそもアレンたちがここに来たのは、彼に呼ばれたからだ。本題はむしろここから始まる。
レイブンという男の真剣さがそうさせるのか、部屋の雰囲気は一瞬にして張り詰めた。緊張が漂い、アレンも自然と集中して口を噤む。
「まずは改めて謝罪を。一昨日の、バニットさんの件はすべてこちらの落ち度だ。彼の心を見抜き、行動を未然に防ぐのが団長たる僕の責任だった」
そう言うと、レイブンは深々と頭を下げた。
「レイブンが悪いわけじゃないだろ。あのバニットって奴が勝手にしたことだ」
「……ええ。本人が突発的に起こしたことなら、仕方がないことだわ」
「すまない。そう言ってもらえると……救われる」
なおも重い面持ちをしながらも、ゆっくりと顔を上げる。そこには建前や形式だけのものではなく、本心からの申し訳なさがにじみ出ていると思えた。
だが、先日彼も口にしていたように、こうも大きな<ギルド>という組織の隅々まで目を配ることは難しい。特に団員の思想、心情まで知ることなどほぼ不可能だろう。未然に防ぐなんてのはあまりに理想論だ。
「なんだか、この前と逆だな」
「え?」
「この前の。マグナの件で呼ばれた時」
マグナが起こした凶行をアレンが謝罪し、レイブンが許した。
同じようにこの部屋でだ。もう随分と前のことにも思えるが、まだそう時間は経っていない。バベル攻略やバニットのこと、さらにマシロを見つけたりと多くのことが起きすぎたせいだろう。
「……確かにそうだね。はは、立場が逆転してしまった」
「まずはってことは、まだなにかあるんだろ? 話してくれ」
「ああ。ここからが本題だ。<ギルド>と、昨日ユウさんにも話したことだが……二人は、<エルピス>の名に聞き覚えは?」
「エル……なに?」
神妙に告げられた名。しかし頭の中をいくら模索しようとも、特に思い至るものはない。現実世界でもキメラでも特に耳にしたことはない言葉だ。
隣を見ると、リーザも聞いたことはないらしく、ふるふると首を振っていた。記憶のないマシロは言わずもがなだ。
「……念のため確認したけれど、まあそうだろう。彼らのことは混乱を防ぐため一般にはまだ伏せてある。時間の問題な気もするが」
「なんなんだそのエルピスって。ギルドか?」
「ギルド機能を使っているかはわからないけど、組織であることは間違いない。平たく言えば、我々<ギルド>や<泰平騎士団>と敵対する組織だ」
「敵対? なんのために」
「元の世界に帰ることを拒否する、言わばキメラ残留派だ。これについては裏も取れた」
「こ、ここでずっと暮らすってことか⁉ そんな滅茶苦茶な……第一、それならそれで<ギルド>たちと敵対する理由は——」
——なくはない。
アレンには信じがたいことだが、本当にこのデスゲームに留まろうとするのであれば、バベルを登頂せんとする<ギルド>の目的は妨害しなければならない事項だ。なにせ、結局のところバベルを越えた先になにが起こるかはわかっていない。
大多数の予想通り、いわゆるゲームクリアによるエンディングがもたらされ、現実へ戻るのだとすれば。選択の余地がなければ、全転移者がその結末を受けることになる。
しかし、そうではないかもしれない。
そもそもバベルはゲームクリアやエンディングのような元の世界に帰る手立てとはなにひとつ関係ないかもしれないし、関係あったとしても帰る帰らないは個人で選択できるかもしれない。
そう、『かもしれない』だ。ヒントのないこの悪辣な世界では、どちらの可能性も同様に考えられる。ならば——
「……万が一、バベルの登頂で強制的に転移者たち全員が現実へ帰還されるとして。それを阻止するために動いている、ってことか」
「そ、そんな……仮定の、もしもの理由で<ギルド>と敵対してるってこと⁉」
「理解が早くて助かる。その通り、まだ本格的に争っているわけではないが……おそらく向こうも数はそう多くないんだろう。ただ、既に彼らは姿を現している。君たちの前にも」
人数に関してはそもそも<ギルド>が最大手だ。そしてバベル攻略の邪魔立てをするのであれば、間違いなく<泰平騎士団>も協力し出す。人的な差から、どんな組織であっても正面からの抗争で勝ち目はないはず。
「既にって、もしかしてバニットのことか?」
「そうだ。……おそらくは、アレンさんの知り合いだったマグナという男も」
「なっ……⁉」
マグナもまた、その胡乱な組織の一員だったと言う。バニットのことはすぐに直感的に予想が付いたが、それにはアレンも口を開けて言葉を詰まらせた。
マグナ本人はそんなこと一言も口にしていない。まさに寝耳に水、驚愕するべきことだが、そう言われてみれば腑に落ちる部分もある。
(……いやでも言われてみれば、明言はしていなかったが……)
マグナの目的はキメラを支配することだった。人を撃つことに快楽を見出し、ゆくゆくは<ギルド>や<泰平騎士団>とも事を構える……そんな風なことを口走っていた。
いくらマグナがプロのFPSプレイヤー、狙撃の達人であっても、一人でこの町を相手取るのは無謀が過ぎる。仲間、同志がいたはずなのだ。それがその<エルピス>なのであれば得心が行く。
バニットに関しては、<ギルド>にスパイとして潜ませていたのだろうか? ともあれ先日の一件は彼の個人的な暴走だろう。
そして、さっきレイブンは<エルピス>がキメラ残留派であることに対し『裏が取れた』と明言した。
話に出てきた<エルピス>のメンバー二人の内、マグナはもう死んでいる。口が利けるのは一昨日レイブンが引き取ったバニットのみ。
間違いなく、バニットから言質を取ったのだ。簡単に口を割るはずがない。ならば、強引な手段を以って。
……おっかない。リーザはそこまで気が付いていないようだったが、アレンは手の内が僅かに汗ばむのを感じた。




