第四十二話 ノン・プレイヤー
朝。ゲーマーの不摂生な生活リズムも近頃ではすっかり整い、嬉しいやら物足りないやら。現実時代当たり前のようにしていた、連日夜更かししてのFPSが恋しく思いながら目を覚ますと、アレンはベッドから身を起こした。
「ふわぁ……朝かあ」
目じりに涙を浮かべつつ、伸びをする。
これだけ長期間マウスを握らなかったことなどあっただろうか。いや、ない。
(……元の世界に戻っても、エイムぐだぐだになってそうだなぁ)
寝ぼけた頭でそんなことを思う。
一日サボっただけでもマウス・キーボードによるキャラコン(注釈:キャラクターコントロール)やエイムは案外衰えるものだ。だからこそ、用事がある日でも三十分程度はゲームをプレイし、勘を忘れないようにするのがアレンの常でありプロ意識だった。
これだけ間を開けてしまえば、きっと腕も落ちていることだろう。元の世界に戻ったら一から練習し直しだ。
——マグナがいない今、チームメンバーが揃うことはないのに?
「くそっ」
頭を過る思考を振り払い、ベッドから降りる。
ネガティブなことを考えてしまえば、心が弱る。弱気は動きを委縮させて立ち回りを鈍らせる。
「……顔でも洗って、下に降りる準備だ」
洗面台に立つ。鏡に映る顔はいつもと変わらない。
少し寝ぐせのついた、長くさらさらの金の髪。くるりとカールするまつ毛に引き立てられる、美しい海のような碧色の丸い瞳。肌は白く、柔らかな線の頬にはほのかな赤みが差す。生活の規則正しさからか、この世界に来る前よりも顔色はいい気がした。
(元の世界の顔、ね)
少なくとも、鏡の国にいる自分は普段通りだ。
普段と同じ顔立ち。すっかり見慣れ、自然とそう感じてしまう。だがその『普段』は、ここ最近だけのものだ。
元の顔はどんなだっただろう。思い出せないわけではない。ないが、しかし正確に浮かぶかと言われれば、脳裏に浮かぶその面はどこか精彩を欠いているように思えた。
ディテールが粗く、ぼんやりとしていて、解像度が低い。アンチエイリアスを強くかけすぎたみたいに輪郭がはっきりしない。
この形を、十八年心を宿してきた体を完全に思い出せなくなるまで、あとどのくらいだろうか。
もしも、ずっとこのままだったら——
不安な気持ちごと無理やりに水へ流すように、アレンは顔を強く洗った。
*
「やあやあようこそ、呼んだのはこちらなのにわざわざ来てもらって悪いね。で、その子は……」
朝食を摂ってアレンたちが向かったのは、<ギルド>のギルドハウス。その団長室だ。以前、ジークと訪れてバベル攻略に参加すると約束して以来になる。
昨日ユウに伝えてもらった通り、皆でレイブンのもとへ足を運んだわけだ。
ユウとアレン、そしてリーザ。さらに彼女の後ろに隠れるようにして半身を窺わせる、白い髪の少女。マシロを見てレイブンは目を止めた。
「……誰と誰の子ども?」
「そのくだりはもういいんだよ……!」
ユウと似たようなことを言われる。後輩だからだろうか。だとすればよくない影響を受けてるな、とアレンは苦々しく思った。
どう考えてもこの三人の子ではないだろうに。時間的にも関係的にもありえない、色々と無理がある。
「う、意図せず天丼になっちゃったか。でも、真面目な話しようって時にいきなりお子さん連れてこられた僕の驚きもわかってほしいな」
「そこは悪かったよ。ちゃんと説明する……けど先にレイブンの方から話してもらったほうがいいか?」
「いや、いい。重要ではあるけど、急を要するものじゃないし焦っても仕方がないことだ。まあとにかく、僕も気になるしアレンさんから頼む」
「わかった」
そう言うのなら、渋る理由もない。むしろ早く意見を聞いてみたいから助かるくらいだ。
ユウにしたのと同じように、マシロについて説明する。バベルのロビーで倒れていた、記憶を失った白い少女のことを。
その間レイブンは興味深そうに耳を傾け——特に、ステータスウィンドウを開いても名前が無かったという部分は「なんだって?」と驚きを露わに眉を寄せていた。
「それで、俺はマシロが転移直後じゃないかと踏んだんだけど、ユウは……」
「おっと。その辺はマシロちゃんにはショッキングかもしれないね、ただの推測で不安にさせるのも酷だ」
「あ。そうだな、すまん……マシロ、ちょっと外へ——」
「ううん。マシロも……ワタシも、聞きたい」
「——。そうか?」
その反応は少々意外だった。あまり自分から意見を言うことはなかったが、マシロははっきりとこの場に残ることを口にした。
口数は少なくとも、その確固な意思は目に見て取れる。本人が聞きたいと主張する以上、そうさせるべきだろうか。
「ワタシには、なにもない、から……自分につながることはなんだって知りたい。それが不確かな情報でも」
「なるほどね。マシロちゃんがそう言うならいいんだけどさ、キツかったらいつでも言いなよ」
「……ん」
ユウの言葉にマシロは小さく、しかししっかりと頷く。
なにもない。彼女の言う通り、空っぽの記憶を埋めるものがあるのならそれを求めるのは当然かもしれない。現在とは過去の積み重ねなのだから。
「なら、僕の見解を話してしまうけれど——」
今度はユウが、昨日アレンが聞いたのと同じことを語る。
『監禁説』。どこかに囚われ、町へ出ることが叶わなかったという説だ。
昨日は同時に『非転移説』——もともと転移してきたのではない、と常識破りかつ意味不明なことも軽く述べていたが、まだ今はそこまで言わないようだ。
「拘束されていた、か。マシロさん、一応訊いておくけどなにか心当たりは?」
「……ううん……あるような、ないような……はっきりしない。ごめん」
「いや、仕方がないことだ。記憶喪失なのだから」
レイブンは子ども相手でもさん付けで話すらしい。教師みたいだ。
「さて、団長サマは話を聞いてどう思ったかな?」
「うーん……正直に言わせてもらうなら、まるで見当もつかないですね。なにせあまりに前例がなさすぎる」
「やっぱりレイブンでも、IDのない転移者は見たことがないのか?」
「そうだね、アレンさん。この半年でそんな話を聞いたことはない。アレンさんのように姿が転移に際して変わるのも、だけど」
これは空振りだろうか。しかし当てが外れたのだとしても、それだけこの件が特異な出来事すぎたということだろう。
<ギルド>の団長、レイブンなら……と思ったが、新たな情報を得ることはできないか。そうアレンが思った矢先、ユウは笑みを張り付けながら案を一つ投げかける。
「じゃ、ちょっと試したいことあるんだけど、協力してくれていい?」
「……まあ、そう来ると思いましたよユウさん」
「ハハハ、団長サマにはお見通しだったみたいだね」
「そのためにこの話をしたんですよね? わかってますよ、勧誘申請でしょう」
はあ、と椅子に体を預けたままため息を漏らすレイブン。
勧誘申請? とは何の話だろうか。
疑問符を浮かべるアレンたちをよそに、ユウとレイブンは意図を理解し合っている。
「どういうことだ? 俺たちにもわかるように言ってくれ」
なので、アレンは説明を求めた。
レイブンは「ああ、もちろんだ」と前置いて、椅子に浅く座り直す。金に染めた髪が少し揺れた。
「勧誘申請とは文字通り、ギルドへの加入を求める勧誘機能だ。念じた相手にポップアップウィンドウで出てくる」
「? どうしてそこでギルドが出てくるんだ、それじゃあマシロが<ギルド>に入っちまうんじゃ……」
「いいや、もちろん強制のものじゃない。送られた側はイエスかノーで好きな方を選べるから、ノーを選択してしまえばいい」
「それは……そうだろうけど、ならわざわざ勧誘申請を送る意味なくないか?」
「そうだね、普通は」
ずい。とユウが横からしたり顔で寄ってくる。いかにも説明したげな表情だ。
レイブンもそれを見て取り、苦笑しながら続きを譲る。
「フフ——この場合、勧誘申請を送れるか否かに意味と意義があるのさ。なにせマシロちゃんはイレギュラー、普通の転移者でないのは確実だ」
自慢げな解説も、しかしアレンが理解しきるには及ばない。
未だ疑問は湯水のように溢れてくる。入らないことが確定している申請を送ることに、一体どういう理由があるというのか。
「回りくどい説明はいい。はっきり言ってくれ」
「案外鈍いねぇアレンちゃんも。マシロちゃんは普通の転移者じゃない。そうだろ?」
「ま、まあそりゃあ……色々特殊だろうけど」
「ならば、普通でないのなら、マシロちゃんは何だと思う?」
「え?」
それは、正体不明を正体不明のままにすることを良しとしない、一歩進んだ問いだった。
発想の歩幅がアレンよりも大きい。しかしなんとか追いつこうと頭を回し、前提条件を吟味し、積み木のように思考を重ねる。
「ヒント。ギルドへの勧誘申請を送ることができるのは、転移者だけだ」
「……それは、つまり」
勧誘申請は転移者にのみ送信可能。
では逆に、この世界に転移者でない者がどれだけ存在する?
決まっている。転移者以外に動くものなど、ただ二つ。
モンスター。
それと、NPCだ。
「つまり……マシロが、NPCだってことか……⁉」
「ええっ⁉ どういうこと⁉」
隣でリーザが瞠目し、口に手を当てて驚く。どうしてそんな結論に至るのかまるでわからないという風だ。
動くものと言えば厳密には鳥なんかも見かけるので、探せば普通の動物なんかもいるのかもしれないが。モンスター以外にも。
ともかく、ユウが言わんとしているのはこういうことだ。
「もしも勧誘申請が送信できなければ……マシロは転移者じゃなくNPCだと、そう言いたいわけだ」
「ご明察。まさかモンスターではないだろうからねぇ。意表を突いて人型モンスターの線も考えたけど、まっ、ウィンドウとか開けるし知性も高いしでそれはないだろう」
「……お前の発想がイカれてるって思うの、これで何度目だろうな」
相変わらず突飛なことを考える。
が、もしもマシロがNPCならば、ユウの説を大きく補強する事実だ。
着想の原点はきっとプレイヤーIDが無いことだろう。プレイヤーIDが存在しないのであれば、そもそもプレイヤーではない。……目で見たことを疑うような思考だ。
監禁、とは少し違うかもしれないが、NPCであれば、バベルやキメラのことに詳しくない環境下にいてもそう不思議ではない。
そして、『非転移説』。
こちらはもう、マシロがNPCだと仮定して練っていたのだろう。もし事実ならその通りだ。NPCならば転移もなにもあるまい。最初から、初めからこの偽りの世界にいたことになる。
「それでレイブン。申請の方は?」
「……既に、送っています」
既に勧誘申請を送っている。その言葉に、全員がマシロの方を見る。
それが正しく送られて来ているのなら、アレンたちと同じく転移者。そうでなければNPCということになる。
マシロは集められた視線にややぎょっとしながらも、
「来て……ない。なにも」
僅かに目を逸らし、そう、結果を短く口にした。




