第四話 示された光明
見慣れぬ町中を移動するため、地理どころかこの世の常識もわかりかねるアレンに、リーザは文字通り手を貸してくれた。
「えっと……」
ひょっとすると、傍から見れば姉妹かなにかにも見えるかもしれない。夕暮れの街中を、リーザの柔らかな手に惹かれながらトコトコと歩く。
歩くにつれ、少しずつ家屋や店屋が多く並び始める。
(よくある中世……とか、近世寄りな世界観か?)
アレンは自他ともに認める浅学で歴史など詳しくはないが、街中の風景は比較的綺麗だ。下水道なんかも通っていると思われる。となれば、おそらくは近世辺りのはず。
とはいえ三つ目の恐竜が闊歩するようなゲーム世界だ。あまり厳密な時代考証も無意味かもしれない。
そして、そんな細かいことよりも、だ。
「? どうしたのアレンちゃん。お腹空いた? トイレが近い? どっちにしろ、今は我慢してちょうだいね」
こうして手を繋いで歩くリーザの、致命的な誤解をどう解くかのほうがはるかに重要だった。
歩きながら名前を——本名ではなくハンドルネームを告げ、軽く自己紹介をしても彼女の勘違いを正すことはできなかった。完全に俺っ子幼女だと思われている。
「いや、そうじゃなくて、その」
「……もしかしてまた、私の日本語おかしくなってる? うーん、ロシア暮らしが長かったから、まだちょっとだけ拙くて」
「そこは問題ないんだけどさ。俺……」
実は男だ。とは、少々切り出しづらいものがある。
完全に機を逸してしまった。
ここまで手を引いてもらって、本当は十八歳の男だとは言いだしづらい。今まで女の子のふりをしていたのかと言われればなにも言い返せない。
だがしかし、このまま親切心を裏切り続けるような真似も気が引ける。
(……俺はプロゲーミングチーム<デタミネーション>所属のプロゲーマーだ! 人道にもとる行いをすれば、チームの名に傷がつく……! よし、言うぞっ!)
アレンは心中で精いっぱいに自分を鼓舞し、意を決して切り出そうとした。
「あの、実は俺」
「さ、宿に着いたわ! ここが結構穴場でお得スポット——あれ、なにか言いかけてた?」
「あっなんでもないです」
タイミングが悪い。致命的に機を逃した。疑問符を浮かべたリーザの顔から目を逸らし、前を向く。
すると、日本語で「黄金の鉄の塊亭」と書かれた木の看板が目に入った。
(……どんな名前だよ)
周りの建物に比べれば少しこじんまりとして見えるのは、その風情ゆえだろうか。石造建築の建物が多く並ぶ中、ここだけは完全な木造ではないにしろ、枠組みに大きく丈夫そうな角材を使っている。和風とも違うのだが、どこか馴染みやすそうな意匠だ。
あるいは長い月日を思わせる、いい意味で小綺麗でない壁や柱材がそうさせるのかもしれない。
繋いでいた手がほどけ、リーザは塗装の剥げが目立つ金属のノブに手を掛けた。
「あ。待ってくれ、そもそも俺お金持ってないんだけど」
「だいじょーぶ、転移したてってことは所持品はボーナスウェポンだけでしょ? わかってるわかってる、一日分くらいなら奢ったげるわ」
「ボーナス……?」
ぱちっとウインクをして、リーザは扉を押し開けた。
ボーナスウェポンと言われても、とんと覚えがない。感謝を告げるより先に疑問が頭をもたげ、その間に中へと入ったリーザを慌ててアレンは追いかけた。
「おかえりなさいませ」
「とりあえず一日分、この子に」
「わかりました」
カウンターにいたのは、真っすぐな目をしたお婆さんだった。リーザの銀髪とは異なる、加齢により後天的に色素が薄まったと見える束ねられた白い髪。顔には人のよさそうな笑いジワが浮かんでいるが、表情そのものは遊びのない真顔そのものだ。
現実世界であれば定年は迎えてそうな見た目だったが、年齢を感じさせないすらすらとした話し方をする。
リーザはお金を取り出すでもなく、何もない空間を指で触れるように動かした。
「……?」
「さ、行きましょ。部屋は二階だから」
金色の鍵を受け取ると、アレンの低い背をぽんと叩く。
今ので手続きが済んだのだろうか。またしても疑問が続く。が、それを解消する前に、また別の事柄がアレンの情緒を刺激した。
(……今の婆さんもNPC、か)
真っすぐな目は、感情のない無機質な瞳。すらすらとした話し方は、抑揚がなく機械的。
そこには形に沿った、確かな人の心が欠けている。
気味が悪い——と、率直に口に出すのは憚られた。見た目は完璧に同じ人間だ。
だが、不気味の谷。
人を模しても模しきれぬ、出来損ないのロボットを目にしたときと同種の、恐怖心に似た感慨が胸をついたことだけは、どうにも否定できなかった。
「よし、中も同じみたいね……ま、わかんないことあったら何でも聞いてくれていいよ。私、向かいの部屋だから」
「ありがとう。その、言い遅れたけど本当に助かったよ。お金も今度ちゃんと返すから」
「小さいのにしっかりしてるね、アレンちゃんは。別にいーのに……でも珍しい。思えば私、アレンちゃんくらいの子をここで見たの初めてかも。もちろんNPCは抜きでね?」
「そう、なのか?」
「うん。なにせ、ある程度のゲーマーしか転移されないっぽいから」
「——」
ゲーマーしか転移されない。
その言葉は、アレン以外にもこのゲーム世界に飛ばされた人間が多数いることを暗に示していた。
迷惑ついでだ。アレンはこの年下の——今の体では年上なのだろうが——美しい銀髪の彼女に、消化できてない疑問をぶつけることにした。
「リーザはその、転移ってことは……現実世界から来たんだよな。俺と同じで」
「そうだよ。NPC以外の人は、みんなそう」
「その割に、リーザはなんていうか、この世界が似合う容姿をしているよな。幻想的っていうかさ」
「幻想的……」
「あ、いや、悪い意味じゃないんだ。非現実な綺麗さ、みたいな」
「ふふ、わかってる。ありがと、そんなこと初めて言われちゃった」
足りない語彙を動員して必死に言葉を探すと、リーザは年相応の裏表のない晴々とした顔ではにかんだ。
しかし、アレンの本題はそこではない。リーザが綺麗な容姿をしているのは本当だが、なにも彼女を口説くためにそれを褒めたのではないし、今の幼女ボディで女性を誘ったところで乗って来るのはごく一部——同性愛と小児性愛を兼ね備えたレアな人種のみだろう。それをわざわざ否定しようとはアレンも思わないが、別に求めていない。
「言いたいことはわかるよ。私、ハーフだから。さっきもロシアに暮らしてたって言ったでしょ?」
「え——ぁ、そういえば言ってた、ような」
誤解を解くのに苦心していて意識の外に置いていたが、そういえばそんなことも言っていた。
「だけど、アレンちゃんだってそうじゃないの? そのカワイイお顔、どう見たって日本の血だけではないでしょ。純血か、少なくともハーフ辺りじゃない?」
「……まあ、そうと言えばそうなんだけど。でも俺は、元々こんな体じゃなかった。さっき、数時間前に森で目覚めるまでは」
森で目覚める前の、最後の記憶。
いつもの部屋でいつものゲームを真剣にプレイし、眠りについたあの日のアレンは、確かに男の体で、男の声だった。
それが今では金髪碧眼、電車料金子どもでも通用しそうな幼女ボディになってしまった。
リーザは驚愕に目を見開き、一歩後ずさった。信じられない、まさか——と心中の思いが、語るまでもなくありありと様子に現れている。
その想像を肯定することで、なにを言われるのだろう。
恐ろしくはあったが、それでもこれ以上、彼女の親切を裏切らないためにそうしなければならない。
「森で? ううん、それより元の体じゃないって……その口調、もしかして」
「ああ。……俺は男だ。ついでに言えば十八歳。中卒の職業プロゲーマー、ゲーム以外に取り柄のない人種だよ」
表情が凍り付き、困惑が場を支配する。……まだ、すぐに暴言を吐かれないだけマシだ。
これでは幼子に対する親切心を利用したも同然だ。後になって実は男で、手を引いてもらうような年でもないのだと打ち明けるのは卑怯ですらある。
少なくともアレンはそう認識し、だからこそいかなる批判も罵倒も甘んじて受けるのがせめてもの責任だと思った。
リーザの顔から目を逸らさず、困惑が氷解されて言葉が出てくるのを待つ。
「プ、プロゲーマー……⁉ すごいね、アレンちゃんっ」
——だが、彼女の口から発せられたのはそんな賞賛じみた驚きだった。
「え、ぁあ。ありがとう……」
「あっ、アレンくんが正しいのかな? プロゲーマーの人とかってこの世界でも中々いないのよ! うわーすごいなー、ジャンルは? 何のプロゲーマー?」
「FPS……オーバーストライクってゲームなんだけど……って、そんなことより、怒らないのか?」
「いいわよそんなの! 思えばちょっともじもじしてたし、言うタイミング窺ってたんでしょ? だけど……現実世界と別の姿になってるっていうのはちょっと、一度も聞いたことないわね」
「そ、そうか」
リーザはごくあっさりと、当然のことのようにアレンの欺瞞を許した。
確かに望んでしたことではなかったが、結果的に騙すような結果になったのは事実だ。それだけに罵られるくらいは覚悟の上だったが、彼女はそんな想定よりもずっと寛容な人物だった。
そして、やはりこのゲーム世界に転移する際に体が変化するのは普通ではないらしい。
「他にもいっぱいいるんだな。このゲーム世界への転移者は……」
プロゲーマーは中々いないと、リーザはそう言った。
つまり裏を返せば、他にもいなくはないということだ。ならば、
(……みんながいる可能性もある、ってわけだ)
同じチームで画面の内外問わず肩を並べてきた仲間——<デタミネーション>のオーバーストライク部門。そのメンバーたちがアレンと同じように、この世界にいるのかもしれない。
未だに状況は暗雲に包まれ、この世界のこともこれからの指針も不明瞭なままだが、そう思うと少しだけ光明の見える思いだった。