幕間の二 密談は水と魚のように
「いやぁーゴメンゴメン、ほんとはもうちょい早く戻る予定だったんだけどさあ、荒野の町の方が気になっちゃってね、遅れちゃった」
「……開口一番に言い訳とは相変わらずですね。しかもノックくらいしたらどうです」
ガチャッと勢いよく団長室のドアを開け、勝手知ったる様子で中へ入ってきたユウに、レイブンは眉をひそめながら応えた。
朝の九時ごろ。キメラ随一の人員を誇るギルドの本拠地にも、まだ人はそう集まっていない時間帯だ。それに今日はバベルを攻略する日でもない。
ユウは「まあまあ」と笑って誤魔化し——あるいは誤魔化す気があったのかさえ怪しい適当さだったが——ソファへ勝手に背を預ける。
そんな勝手ぶりに、もはや突っ込んだとて無意味だと理解しているのだろう。レイブンはため息を一つ吐くと、諦めた表情で早々本題に入った。
「未踏地域、どうでしたか?」
「駄目だったよ、うん。ダルナ山岳地帯の先は僕個人じゃ厳しい。火竜なんかもいて、あからさまにモンスターたちも凶暴だ」
「そうですか……ユウさんで無理なら、もう正攻法で行くしかなさそうですね」
「人を邪道の代表みたいに言わないでくれる? ま、そんでこれが一応の戦利品」
インベントリから紫色の、手のひら大の水晶めいた石を取り出すと、ユウはそれをぽいっと机の方へ投げた。
「っと……これは、アイテムですか」
レイブンはそれをなんとか受け取り、しげしげと見つめる。美しい紫色の宝玉。だが、それだけだ。
「たぶん、ただの換金アイテムだけどさ。一応渡しとくよ、ノゾミちゃんの鑑定スキルならなにか見えるかもしれないし。やっぱり金にするしか使い道がないのなら、そうしてくれればいいさ」
「……すみません、助かります。その時は<ギルド>の資金に充てさせてもらいます」
「なあに、どうせ現実世界に帰ればここの通貨なんて尻すら拭けないユメマボロシだよ。それで、僕がいない間になにかあった?」
「——はい。鼠が出ました」
「ネズミ?」
窓からの朝日を背にしつつ、神妙に頷く。その反応にユウは首を傾げつつも、口元を微かに引き締めた。
「ええ。町を蝕む、毒を持った鼠です。名を、<エルピス>」
「……聞こうか、詳しく」
「先日のゲーム内イベントにおいて我が<ギルド>と<泰平騎士団>の団員を殺害した、アレンさんと既知の間であったマグナという男がいたのですが、彼もおそらくは<エルピス>の一員と見ています。彼はアレンさんが倒してくれましたが。そして……」
ユウは背を伸ばし、座り直しながら先を促す。
「現在幽閉中のバニットさん。彼も、おそらくは。彼に訊くのはこれからですがね。幸い、マグナとは違ってまだ息がありますから。話ができる」
「……穏やかじゃないねえ。ていうかなんなの、その<エルピス>って。先にそっち教えてくれない?」
「詳しいことは掴めていません。が、我々<ギルド>に反抗する組織と思われます。ひょっとすると、<泰平騎士団>にも」
「——。なるほど、なら狙いは簡単だ」
「え?」
あっけなくそう言い放つユウに、レイブンは思わず口を開けた。
麗らかな日差しが、彼の金の髪を照らし出す。今のアレンとは違い地毛ではない。この世界にも一応、染毛剤はあるのだ。十中八九どこかのゲームから剥いだ要素だと思われた。
「え、じゃないよ。私怨でないのなら目的は一つじゃないか」
「一つ……と言うと」
「おいおいしっかりしてくれよ後輩。君たち<ギルド>の主な仕事はバベル攻略。その目的は?」
「現実世界に帰る……ことです。まさか」
「それを妨害するっていうんだから、要は帰りたくないんでしょ」
現実世界への帰還を目的とする<ギルド>。その目論見を妨害する者がいるとすれば、彼らの目的もまたそれに反するもののはずだ。単純にして当然の帰結だった。
「……なるほど、盲点でした」
「ハハ、元の世界に前途の希望たっぷりの谷岡君には考えにくかったかなぁ?」
「ちょっ、本名はやめてくださいよユウさん!」
「いいじゃないの、僕のことだって本名で呼んでるんだからさあ」
「それは、ユウさんが本名そのものを活動名義にしていたからで……」
ここではない世界からずっと見慣れた、人を食った表情。なにを言ってものれんのように受け流すその態度に、レイブンは怒る気力もなくして言い止めた。
「で。だったら団長さん的には、疑わしきは手元に置いておきたいんじゃないかな? あの二人のことも」
「……鋭いですね。先のゲーム内イベントについては今知ったばかりでしょうに。その通りです、しかし断られてしまいました」
「アレンちゃんとリーザちゃん。ぶっちゃけ、二人がその<エルピス>である可能性は?」
「低いと思います。特にアレンさんは怪しいところはありますが、件のことが壮大な自演だとは考えにくい。八割がたは白でしょう」
「つまり、二割は疑ってるってわけね」
「言葉の裏を掻かないでいただきたい……が、そういうことになりますね」
アレン。彼女——彼については、知り合って直後のユウにも不審な点は多く見て取れる。
まず、中身が男なのに外見が少女なのがもう意味不明だ。しかも転移先はシリディーナではなく、やや離れた迷いの森ときた。
(……ま、これだけなら単なるバグの一言でギリギリ片付くか)
レイブンの視点で、最も懸念する点はやはりその、マグナとかいう男と既知であったことだろう。敵の味方は、間違いなく敵なのだから。
転移して間もないというのも、時期が悪い。キメラが生まれて約半年、彼の転移は遅すぎた。不信感を抱かせるには十分すぎるくらいに。
本当はずっと前からキメラにいたのではないか? そう疑念を持つのは、疑い始めてしまえばすぐのことだ。
プロゲーマー、それも殺人特化のFPSジャンル。それだけでも敵に回った際の脅威度はキメラ随一なのだ。団を率い、バベル攻略を担うレイブンにしてみれば警戒せざるを得ない。
「なるほど、そうだね。僕も帰ってきたわけだし……アレンちゃんのことは僕が見ておくよ。こうなると思って上手く付け込んだんだ。個人的にも彼には興味を惹かれていてね」
「……ロリコンですか? ユウさん、僕もあなたの言動にはそれなりに慣れましたが、流石にそれは——」
「いやそういうんじゃなくてね? 違うよ?」
両手の拘束を、戸惑いなく手首ごと吹き飛ばす胆力。
ショックで気が飛んでもおかしくない痛みを自ら選択したアレンに、ユウは一種の親近感じみたものを覚えた。それに職業も、ジャンルこそ違えど同じだ。
ユウは自らの精神性の異常さを自覚している。
普通、正常、健常、一般。そういったノーマルの枠組みから逸脱した、自らの曲げられぬ根幹を客観的に理解し、その上で肯定している。
そしてあの金髪少女の彼には、似た異常さを感じ取った。
そもそもプロゲーマーなど、なるのも続けるのも言ってはなんだが平均的な精神性ではどだい無理だ。もちろん例外もあればジャンルにもよるし、環境次第だが。
「……<エルピス>、か。元の世界帰ろうとせず、この箱庭にこそ希望を見出した者たち。半年も経てば、まあそういう連中が出てくるのも当然っちゃ当然、必然だよねえ」
——しかし、筺底の希望とは、いかにもな名前を付けたものだ。
幾千もの試合によって磨かれ、彼をカードのトッププレイヤーへと押し上げた勘が囁く。
間もなく状況が動き出す。あるいは、もうすでに。
仮想の箱庭を渦巻く激動の気配、その足音を耳元に感じながら、ユウはいつものように口角をうっすらと上げた。




