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第三十七話 汝の隣人

——ああ、この目だ。

 胸を優しく貫く、杭のような瞳。

 瞬間のことだったから記憶に留めないようにしていた。あの手の拘束を手首ごと爆破して断ち切ったときに向けられた、心配と憐憫とが半々に込められた目。

 この目に見つめられると、心臓を撫でられるような妙な気分になる。


「それでもやらないと……リーザも俺も危険だったろ。あとユウも」

「そうね、アレンがああしてくれなかったら危なかった。それに今朝、浮遊島で象のモンスターに踏みつけられそうになったのを助けてくれたのもそう。どっちもアレンのおかげで無事で済んだし、本当に感謝してる。ありがとう」


 率直な感謝の言葉とともに、リーザは一度軽く頭を下げた。

 それにアレンはなにか言おうとしたが、すぐに上げられた彼女の顔はまだ熱を失っておらず、また同じ目を向けてくる。


「そのうえで言わせてもらうわ。自分を爆破するスキルの使い方なんて、はっきりいって普通じゃない。あんなことを続けていたらあなたはきっと壊れてしまう。心が軋んでも、必要に迫られれば選択してしまうから」

「……忠告は肝に銘じるよ。やりすぎて死なないように気を付ける」


 しかし似たことはユウもやっている。自傷かそうでないかの違いはあるが、どちらも被弾を前提としたスキルの使い方、戦略の立て方だ。

 むしろ悲鳴一つ上げず、表情一つ変えないユウの方がよほどにおかしい。彼女の言い分を借りるのなら、普通ではない。

 だから、このままでも平気のはず——

 不意に、テーブル越しに腕が伸ばされる。身を乗り出したリーザは、アレンの手をぎゅっと掴んだ。


「目を逸らそうとしないで。私を見て。……死ぬっていうのは、HPがゼロになることだけじゃない」

「なにを……」


 小さな、しかしアレンのものよりも少しだけ大きく、温かい手のひらが包む。

 近づいた距離で、一言一句を逃させないように、意識を背けさせないようにと目と目を合わせながら。


「——マグナが消えた傷はきっと、まだあなたの中に強く残ってる。それを無視しようとしないで。心が壊れれば、体が無事でも、HPが残ってても人は死ぬの」

「……マグナ、さんの」


 それは、胸の底に置いた重い蓋を引きはがすには十分な指摘だった。

 正確にはマグナが消えた傷ではない。

 マグナを殺した傷、だ。

 この手で撃って命を奪った。現実世界からの縁を断ち切り、戦友とも呼ぶべき苦楽を共にした仲間を銃で撃ち抜いて、無残にも塵へ変えた。言い逃れの余地なく、人を殺したのだ。

 忘れられるはずがない。夢に見ては目を覚まし、瞼の裏に最期が浮かぶ。気を抜けば泣いて喚きたくなるくらいに、あれだけでこの世界には最低最悪の思いしかない。


「俺は……だけど、元の世界に帰らないと。約束もしたんだ」

「知ってるよ。あの日聞いたもの」

「ボーナスウェポンがない俺は、そのぶんユニークスキルを活かさないと」

「過度に自分を痛めつけるようなやり方はやめてほしい。そんな風に傷つくアレン、私も見てられない」

「……っ」


 心を覆う殻が、浴びせられる言葉に剥がされていく。転移して今日に至るまで、胸の底に沈めてきた思いが渦を巻き、喉の奥から溢れそうになる。

 不安や悲しみ、諦めといった、深海に似た色の青い感情たち。


「いいよ。吐き出して」


 それをリーザは、真っ直ぐな笑みで許容した。

 胸が詰まり、自然と涙が目にたまる。体の芯がじんと熱い。

 保っていた強がりがほどけていく。前を向かねばと心に科していた責任感が和らぐ。

 弱音を許す彼女の言葉に、喉からでかかっていたものは零れるように漏れていった。


「……つらい」


 最初に湧き出たのはそんな一言で、これが堰を切った。


「ここに来てから、つらいことばかりだ」


 いきなり見知らぬ地で目覚めさせられて、住み慣れた家が、親愛する両親が恋しくて仕方がない。

 少女の体であることが、時折ひどく不安になる。生まれてからずっとともに成長してきたはずの肉体、それを喪失したことが精神を強く乱す。もっと言えば、精神——心の存在すら疑りたくなってくる。


「家に帰りたい。住み慣れた部屋で安心して過ごしたい。こんなわけのわからない世界で、人や化け物と戦う生活なんてしたくない」


 ここは異世界であり、それ以前にゲーム世界だ。仮想の世界。ならば、そこに在る意識もまた仮想なのではないか。

 考えないようにしても、ふとした拍子に頭を過る。

 自分は偽物スワンプマン、データに形作られた人格なのではないか……と。本物の自分は今頃、なにも変わらず現実世界で過ごしているのではないか。

 仮にそうだとするのなら、元の世界に帰るだの、元の体に戻るだのちゃんちゃらおかしい。

 世界も、自分すらも信用できない。すべてに確証がない。それが怖くて、不安で、嫌で仕方がない。

 そして、なにより——


「……人を撃つのも、撃たれるのももう嫌だ……」


 この手で殺した、マグナの最期が瞼を離れてくれない。

 命を奪い、塵へと返す感覚。キメラ特有の非現実的な現象ながらも、殺人の感覚はこれ以上ないほどのリアリティがある。

 それを今日、また犯しかけた。

 あの時とは違う、冷たい怒りが体を動かし、制止さえなければバニットのことを殺していた。間違いなく、無残に銃弾で塵にしていた。

 そのことが恐ろしい。あそこで留まっていなければ、冷静になり、立ち返ったときに必ず後悔する。

 ゲームばかりしてきたただの十八の男に、命の十字架を二つも背負えるものか。おかしくなるに決まっている。


「うん。どっちも痛いよね、体と、心が」

「そうだ……そうなんだ。体が痛いと、心まで裂けそうになる。俺は……俺はあくまで、画面の中で人を撃ってきただけなんだよ……こんなの、知らない」


 プロゲーマーとしての矜持。それが保ってきた精神の糸は、既に限界を迎えていた。

 だって、こんなのはFPSじゃない。

 画面の外にいるのとは差が大きすぎる。化け物と戦うのは専門外だし、実際に相対するのは怖くて怖くて仕方がない。命を懸けたデスゲームなんて論外だ。


「なんで……ゲームなのに痛覚があるんだよ。俺はあと何回、痛みに耐えなくちゃいけないんだ」

「痛いのも、嫌だよね」

「嫌なんてもんじゃない。引きこもってゲームするのだけが取り柄の俺が、人と戦うなんて慣れてるはずがないんだ。ましてや、自分で自分を爆破なんて」

「わたしとそんなに歳も違わないのにアレンはがんばってるわ。本当に、心の底からそう思う」


 気づけば、熱が頬を伝いだしていた。溢れた涙はとめどなく流れ、ぽろぽろと落ちていく。

 溜め込んできた暗い感情は、いくらでも胸の奥底から掻き出せた。


「ボーナスウェポンだってないんだ! 俺にあるのはちょっと上手な銃の腕と、自傷しなくちゃまともに使えないスキルだけ! こんなので、どうして人よりもがんばらなくちゃいけないんだ……!」

「うん。アレンがいつも銃の練習してるの、知ってるよ。ボーナスウェポンがないぶん、弱点を絶対に撃てるようにって」

「そんなの付け焼き刃でしかなかった! 今日のバベル攻略みたいに、敵が強くなってくればどうしても武器のスペック差が浮き彫りになる。俺じゃダメージがろくに通らない。俺じゃ駄目なんだ!」


 ボーナスウェポンもなく、スキルも使い勝手が悪い。

 前提としての状況が悪すぎる。ゲームクリアを目指してバベル攻略に向かうのも、アレンよりよっぽど適任の人間がいくらでもいるはずだ。

 マグナを倒すのも、誰かが代わってくれればよかった。心情的にもそうだが、レベルや武器による実力差の面で、他の誰かならもっと簡単に勝つことができたはずだ。

 ジークでもいい。レイブンでもいい。ノゾミでもいい。


「だったらもう、がんばるのやめる?」

「——やめない」


 やめない。

 その言葉だけは、頭でなにか思うより先に口が喋っていた。


「うん、そうだよね。アレンはそれでもがんばっちゃう人だから」

「なんで、俺」

「アレンは逃げて——道を変えても、立ち止まることだけはしない人だから。痛くても辛くても、ゴールに向かうことだけはやめない。そうでしょ?」

「…………ああ。そう、かもしれない。そうだ」


 そうだ。現に、誰かに任せることはできた。

 でも、そうしなかったのは自分が負うべきだと判断したからだ。仲間であるからこそ、マグナをこの手で止めるのだと。そう誰にともなく誓ったからだ。

 なにもしなければどれだけ楽だろう。

 町のこと、ゲーム内イベント、バベルのこと、仲間のこと、リーザのこと、自分のこと。

 全部投げ捨てて、大事なことは<泰平騎士団>や<ギルド>に丸投げしてしまえばいい。そうすれば楽だし、事実そうしている人もいる。これも一つの選択だ。そうしてしまえばいい。

 そんなことできるはずがない。


「約束もしたし……元の世界に帰る手段があるなら、俺も全力で取り組まないと」


 ここが仮想世界で、この意識が偽物なのだとしても。本物である可能性が一パーセントでもあるのならそれに縋らなくてはならない。

 約束が、縁が、矜持が、想いが、責務が、そうしろと心の灯に告げている。


「なにがあってもあなたは前に進む。でも、心の痛みを顧みないひとだから」


 握られた手に微かな力が籠る。温かな熱が、氷を溶かすように伝わってくる。


「弱音も泣き言も私が聞く。心が折れないように、そうして私に吐き出してほしい」

「……リーザは……どうして、そこまでしてくれるんだ」

「え?」


 呆然とした、うわごとのような問い。

 リーザは心底意外で仕方がない、といった風にぽかんと口を開く。そして、いつものように小さく笑った。


「ばか。そんなの、私がアレンの友達だからに決まってるじゃない」

「とも、だち」

「今更そうじゃないなんて言わせないんだから。アレンが私を助けてくれたように、アレンが苦しんでいたら私があなたを助けたい。友達だから、そんなの当然でしょ」

「……そっか。ああ、友達だな、俺たち。ここで出会った友達だ」


 この世界は——キメラは過酷で、最悪のデスゲームだ。元の世界に戻れるなら今すぐそうする。ここで日常や、かけがえのない仲間を失った。

 しかし、ならばここで得たものが無いのかと問われればそれは否だ。

 リーザだけではない。ジークやレイブン、ノゾミ、ポラリスたちに、ユウ。多くの人と出会い、縁を築けたことは間違っても悪いことではないはずだ。


「元の世界に帰ろうって思ってるのはアレンだけじゃないし、焦らなくても大丈夫。一緒に行こう、これからも」

「そうだな……ちょっと、焦ってたのかもしれない。俺」


 繋いだ手を離し、椅子の背もたれに体を預けて息を吐く。肩が軽い。散々弱音を聞いてもらい、胸のつかえが取れた気分だった。

 一人で先走って死んでも周囲を悲しませるだけだ。元の世界に帰るためならばどんな苦痛も厭わないが、リーザに心配を掛けることはしたくない。

 どの道自分一人だけで現実へ帰るわけにもいかない。友人を頼って、こなせることからこなすべきだ。それが今のアレンが出した結論だった。


 状況はなに一つ変わらないが、それでも再確認できたことは無駄ではないだろう。

 なんだか、最近はリーザに話を聞いてもらってばかりな気がする。弱いところばかりを見せていて少し気恥ずかしい。こんな少女のナリで、男としての意地も見栄もあったものではないかもしれないが。


「うん。すっかり泣き止んで、すっきりした?」

「……したよ、おかげさまで」


 見た目はどうあれ、この歳で泣くところなんて見られたくはなかったが。


「だけど、さっきアレンが<ギルド>には入らないって言ってたの、私に気を遣った? アレンの目的は現実世界に戻ることなんだから、私のことなんて気にせず入ってくれてもいいのよ?」

「ん、いや……そうじゃないんだ。いや、それもあるけど」

「? どういうこと?」

「最初はそのつもりだった。でも、俺も少し考えがある」


 手でごしごしと頬を擦り、涙の跡を消す。それから空気を切り替えるため、一度ごほんとわざとらしく咳払いをした。

 弱音を吐きに吐いた後に真面目な話をするのも難しかったが、なんとか意識を切り替える。

 現実じゃ最後に泣いたのなんて思い出せないくらい昔のことだが、少女の体になってから涙腺が変わったためか、少し泣き虫になったところがあるように思えた。寝起きとかも含めて。


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