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第三話 初めての実績解除

 それから、どのくらい歩いただろうか。


「はぁ、はぁ……」


 体感時間ではゆうに二時間を超えている。

 平衡感覚はとうに失われ、既に自分が真っすぐ進んでいるのか、地下へと降りているのか、地上へと上がっているのかすらよくわからない。

 最初の頃は「地上に繋がっていてくれ」と願うように考えていた思考も、今では暗闇に麻痺しなにも考えられない。ただぼんやりと、機械的に前へと進んでいくのみだ。


「——、っ」


 ごつんと岩肌に額をぶつける。鈍い痛みが走るが、ダメージというほどではないようで、左上のヘルスバーに変化はない。

 灯りがない中だから、体をぶつけるのはこれが初めてではない。もういちいち反応することもしない。

 一つ救いと言えるのは、洞窟の中は、意外にも幅広かったことだ。時折先細りすることもあったが、また次第に膨らんでいったりして、今のところは行き止まりになることなく進めている。枝分かれしている場所もなく、入り組んではいるものの一本道だった。


 体が重い。少女の体にしては十分持っている方だとは思うが、暗闇をただひたすらに歩くのは肉体的にも精神的にも厳しいものがあった。

 ゲームの世界でも、動けば疲れるのが世の道理らしい。

 疲弊した感覚に鞭を打ち、手で先を探りながら前へ、前へと進む。

 まともに動けるのはあとどのくらいだろう、とぼんやりした頭で体力の限界を目算しようとしたところで、微かな光が網膜を刺激した。


「っ……⁉ 外だ!」


 久しく見ていなかった、外の光。それを認識した途端アレンは一も二もなく、その方向へと飛びついた。

 ごつごつとした岩に手足をぶつけ、膝を擦りむくのも厭わず走る。足がもつれる一歩手前の有り様で、最期の気力を振り絞り、半ば倒れ込むようにアレンは洞窟から脱出した。


「はぁ……、外、だ」


 噛みしめるようにもう一度繰り返す。

 洞窟の外は、またしても森の中だった。草に覆われた地面に四肢を投げ出しながら、アレンは深く息をついた。

 ごろりと転がって、天を仰ぐ。時計がないからどれくらい洞窟の中をさまよっていたのかわからないが、少し日が傾いている。


「……ここで落ち着いてちゃダメだな」


 決意とともに、アレンはむくりと起き上がった。

 立ち上がり、軽く服の汚れを払う。洞窟の中に居たときは気づかなかったが、あちこち擦って服は土に大きく汚されていた。

 意識する暇もなかったが、衣服もアレンには見覚えないものだった。シャツの上から亜麻色のジャケットを着こみ、黒いズボンを履いている。靴は軽めのブーツだ。

 女物を身に着けていることを意識すると、なんだか背徳感めいた気持ちが湧き出てくる。だが、まだスカートじゃないだけマシだろう。


 洞窟を出たとはいえ、未だ森の中。状況は依然危険のままだ。いつまたあの恐竜モンスターが襲ってくるかわからない。

 今度は騒いで引き寄せないよう、無言でアレンは森を歩き始めた。

 既に全身は疲労に侵されているが、安全な場所にたどり着くまでは止まれない。日が落ちて、夜になってしまえばいよいよ本格的な遭難だ。

 再び体に鞭打ち、岩や木の根ででこぼことした地面を行く。

 ただ幸いなことに、森の端までたどり着くまで今度はそうかからなかった。


「あれは……町、か?」


 森を抜けてみれば、ちょっとした平原に出た。僅かに丘となる起伏はあるもののなだらかで、涼やかな風に多様な草むらが頭を揺らしている。

 その先にわかりやすく町らしきものが窺えたので、アレンは青い目を細めた。


「……なんだあのバカでかい塔」


 なにがわかりやすいのかと言えば、その天まで聳えるかのような円柱状の塔だ。

 町の中心部にあると思われたそれは、真っすぐに空へと向かって伸びている。……地震でも起きて倒れれば大変なことになりそうだ、と真っ先に思ってしまうのは地震大国の民ゆえだろうか。

 だがとにかく、行ってみるべきだろう。少なくとも森やら洞窟やら平原よりはいくらかマシな場所のはずだ。


 最後になることを祈りつつ、小さな脚で行軍を再開する。

 ああも目立つ目印があっては、迷うものも迷わない。アレンは程なくして町の入口へとたどり着いた。

 なんとか日が落ちるギリギリに間に合い、夕暮れに沈む門をくぐって内へ入る。近づくにつれわかってはいたが、とても広い町だ。

 地面には石畳の道が敷かれ、多方に道が伸びている。入ってすぐは広場になっているため大したものは見当たらないが、なにやら奥の方には市場らしきものが窺えた。が、それも日没とともに店仕舞いを初めつつある。


「さて、なにからするべきかね」


 森を抜けて見知らぬ町へたどり着いたはいいが、知り合いも誰もいない、路銀も持たないこの身の上でどうすればいいのだろう。

 あまりモタモタしていても夜になって良いことはないのだが、妙案も浮かばず広場の入口で立ち尽くす。

 そんな考えあぐねるアレンに、噴水の方から一人の女性が近づいてきた。緑のラインが入ったスカートの、片側に髪を結った優しそうな顔立ちの人だ。


「こんにちは、可愛らしいお嬢さん。ここはシリディーナの町よ」

「尻……なに?」


 いきなり話しかけられる。

 お嬢さん呼ばわりもアレン的には中々に衝撃ではあったが、ここで傾聴すべきは尻——いや、シリディーナ。町の名前らしい。


「中心にある大きな塔はバベル。町の北側は居住区で、東西は色んな施設が集まるわ。バベルの周辺ではバザーなんかも行われてるわね」

「えっ、は、はい。どうも」


 捲し立てられるように、町の説明をされる。突然のことにアレンは当惑するが、それを意にも介さない様子で女性はさらに喋り続ける。

 よほど親切というか、お節介というか。


「町に来たばかりなら、まずは宿を取っておくのがおすすめね。宿屋は町の東側にあるわ! 武器や防具を揃えたいなら西側だけど、まだ開店中ならバザーに目を通すのも——」

「あ、あの。ありがとうございます。でも今お金を持ってなくて。それに俺、気が付いたら森に倒れてて」

「——」

「お、お姉さん?」


 アレンの返答に、女性はピタリと動きを止めた。

 それからしばしして、


「こんにちは、可愛らしいお嬢さん。ここはシリディーナの町よ」

「……えっ」


 最初と同じことを繰り返した。


「中心にある大きな塔はバベル。町の北側は居住区で、東西は色んな施設が」

「わ、わかりました。わかりましたからっ」

「町に来たばかりならまずは宿取っておくのがおすすめね宿屋は町の東側にあるわ武器や防具を揃えたいのなら西側だけどまだ開店中ならバザーに目を」

「わあぁぁぁごめんなさいっ、助かりましたありがとうございましたぁっ!」


 まるで聞く耳を持たず、女性はただ同じ言葉を繰り返す。虚ろな瞳で壊れた機械のように早口に話す彼女に頭を下げ、アレンは逃げるようにぱたぱたとその場を離れた。


「な、なんなんだよありゃ……認知症か?」


 そんな歳にも見えなかったが。

 なんだか人間味に欠けているというか、無機質な怖さがあった。

 元々歩き疲れていたのもあって、アレンは息を切らしながら壁に手をつき、胸にもう片方の手を当てて呼吸を整える。

 そこへ、


「こんにちは、可愛らしいお嬢さん! ここはシリディーナの町よっ」

「ひえええぇぇ」


 背後からまたしてもそう話しかけられ、アレンは思わずぴょんと跳び上がった。

 さながら背後に立つストーカーだ。逃げ切ったと思ったのに、さっきの女性に追われていたのだろうか。


「ひッ、……ッ! ヒーッ、ヒー、ッ」


 あまりのショックに過呼吸を起こした。

 そのまま石畳の地面に手をついて、ビクビクと身体を震わせる。


「ああっ⁉ ごめんなさいそんなに驚くなんてっ」

「ッ、ヒッ、ヒェ」


 苦悶の中、脳裏で唐突に、ピコンとありがちな安っぽい電子音が響く。

——実績を解除しました。『初めての過呼吸』。


「ヒッ——なんの実績だよしばき倒すぞ……⁉」

「しばき倒す……⁉ そ、そんなに怒らないでよ私が悪かったわよぉ!」


 実績解除——突然頭の中で旅行バスの女性ツアーガイドみたいな声が響き、アレンは過呼吸も忘れてつい突っ込む。すると声を掛けてきた相手が、自分に対して言ったのと勘違いして謝罪してきた。

 そこで初めてアレンは、彼女がさっき広場で話しかけてきたスカートの女性とは別人であることに、遅れて気が付いた。


「ご、ごめんなさい。ちょっとからかっただけの、本当よ」

「あなたは……」


 倒れた上体を起こし、相手の顔を見つめる。焦りの浮かんだ表情は、日本人離れした端正な容貌を彩っていた。

 白に近い銀色の髪はゆるくカールして、肩の下まで伸びている。瞳は宝石に似た翡翠色。肌も陶器のように白く、髪色と相まって透き通るような印象を与える。

 現実世界のアレンより少し年下くらいだろうか? しかしそれでも、今のアレンからすれば肉体的には年長だ。十五歳前後と窺える彼女の容姿は、それこそゲーム世界に相応しい浮世と異なるものを思わせた。


「んんっ、ごほん。私はリーザ。あなた、その装備は<ガンナー>の初期装備ね? まさかまだ新規の転移者がいたなんて……それもこんな幼い子どもが! 右も左もわからないだろうし、この私が案内してあげるわ」

「ガンナー? よくわからないけど、俺は子どもじゃ——」

「俺っ子⁉ ああでも、私と同じで他国の血が入ってるみたいだし……あんまり日本語慣れしてない? 実は私もそうなんだけど」


 軽く咳払いをしてリーザと名乗った女性は、庇護するような目線をアレンに送った。

 どうやら、本当に女の子だと勘違いしているらしい。確かに森の湖面で確認した限り、どこからどう見ても少女の見目ではあったが——


(ゲーム世界だから、現実とは違うアバターが普通……とかじゃ、ないのか?)


 ここはゲームの世界だ。

 だが、リーザの言い分では、アレンが本当に子どもだと認識しているように思える。


「少なくとも、日本語は慣れてる」

「……みたいね。さっき、NPCの人とも話してたし。まあ、相手が相手だから会話にはなってなかったけど、ふふ」

「NPC——! そうか、なるほど!」


 リーザの言葉に、アレンは思わず手を打った。

 |ノンプレイヤーキャラクター《NPC》。さっきの女性と会話が成立しなかったのは、彼女がゲーム世界のキャラクターだからだ。

 考えてみればすぐにでもわかることだった。広場に立って町の説明をしてくれるなど、これ以上なくわかりやすいNPCの役割ではないか。


「え、FPSばっかやってたから気づかなかった……」


 普段そういうものとは無縁の、生身の人間を銃でぶっ放すゲームばかりやっている弊害が出た。

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