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第三十四話 嘘と外連味で出来ている

 男がやってきたのは、アレンやリーザたちとは逆の方向、町の場末方面からだった。

 見知らぬ男だ。会ったことはない。ぽかんとした反応を見るに、リーザとバニットも。

 覇気がないと言うのだろうか。背筋は真っ直ぐだが、中肉中背のなで肩でどこか立ち姿が頼りない男。服装も含めてあまり個性的な容姿ではなく、特徴らしい特徴と言えば茶色に染められた、短くも長くもないその頭髪くらいだろうか。


「た……助けて! この人を助けてください、お願いしますっ」


 男の登場で水を打ったように静まり返った場を裂いたのは、拘束に自由を奪われるリーザの叫びだった。

 誰であれ人が通ったのは僥倖だろう。人を呼ぶ……のはその間に拘束されたままバニットに運ばれて場所を変えられるかもしれないが、とにかく生存の可能性は上がる。


「どうやら、特殊な野外プレイってわけじゃなさそうだね。うん、よく見たらそこの男の人、二人も美少女侍らせられる顔じゃないし。ハハ」


 男は馬鹿にしたように手を叩き、へらりと笑う。

 擁護の余地なく、完全に挑発だ。空気を無視した行動にバニットは青筋立った。


「……は? なにいきなり喧嘩売っちゃってんの? 誰オマエ、いきなり」

麻上裕あさがみゆう。聞いたこと、ある?」

「知らないね、そんな名前! ボクの邪魔をするんならお前も縛って……いや、男はいらない。お前はさっさと殺してやるよ、来いヴァニティ!」


 バニットは完全に男を排除するつもりらしい。身動きの取れないアレンから離れ、インベントリから武器を手の中へ出現させた。

 一振りの長物。取り立てて装飾のない実直な剣だが、その塗りつぶされたような真っ黒い刀身が目を引く。夜闇の中であれば視認が困難だっただろう。


(アサガミユウ……どこかで聞いたような)


 だがバニットの武器——おそらくはボーナスウェポンであるそれよりも、アレンは男が発した名のほうが頭に引っかかっていた。

 すぐに思い出せないということは、そう関わりのあった人物ではないのだろうが……なんとなく、どこかで聞いた名だ。

 しかし結論を出すより先に、バニットがユウと名乗った男へ襲い掛かった。


「知らないかあ。んー残念、僕の知名度もまだまだみたいだねぇ」


 闇を煮詰めたような、その黒い刃が骨まで断たんと肉薄する。

 その鋭く反りのない剣に対ししかし、ユウはインベントリではなく服のポケットからその獲物を取り出した。


「あぁ⁉ そんな紙切れでボクの攻撃を防ごうってのか、バカがぁッ!」


 紙切れ。そう、ただの一枚のカード。剣でもなければ、銃でも槍でも弓でも盾でも、武具ですらない。

 トランプサイズの、なにか渦のような模様が入った、それ以上でも以下でもないカード。それをユウは取り出すと、指で軽く挟むようにして持った。

 そんなものが障害になるわけがない。紙切れは剣に触れることさえできず、振るわれた凶刃は難なくユウの胸を貫く。


「——『糠に供犠サクリファイス・エスケープ』」


 しかし、ユウは表情一つ変えずその一刀を受け入れた。


「……は?」


 血が出ない。いや、それはキメラの世界では正常だ。だがおかしい。なにかが違和感を覚えさせる——

 その不可思議に、アレンは遅れて気が付いた。

 斬撃のエフェクトは出ているのにユウは悲鳴を上げるでもなく、身じろぎ一つしていない。

 ダメージが通っていない? まさかだ。疑問も露わに、バニットは返す一刀で斬り付ける。さらに柄を戻し、臓腑を突き刺す。

 それでもユウは平然と佇み、指でカードを弄んでいた。


「効かないよ。悪いけど、僕に普通の攻撃は通用しない」

「な、なんでだよ……おかしいだろそんなの。効かないはずがない! こんなに斬ってるんだぞ⁉」

「僕のレベルは692だ」

「——」


 今度は言葉すら出なかったらしく、バニットは口をぱくぱくと開いてたたらを踏む。

 その驚きは、そばで聞いていたアレンとリーザも同じだ。

 レベル692。三桁ですら聞いたことがないのに、700近いなど普通ありえない。その数値が本当なのだとすれば——仮に事実なのだとすれば、ぶっちぎりでキメラ内トップだろう。

 ちなみにアレンのレベルは未だ5。この世界は、普通のMMOに比べればいささかレベルアップまでの道のりが長いと言えるだろう。


「ふっ……ふざけるな! レイブンだって……団長だってまだきっと50に届くか届かないかだ! そんなデタラメな数字がありえるわけないだろ!」

「先週のゲーム内イベント。西のクラックタウンでのイベント内容を知ってるかい?」

「なッ……いきなりなんの話だ! はぐらかすな!」

「経験値1024倍イベントだよ。僕はそれでレベルを679上げた」


 またしても、全員が息を呑む。

 経験値が1024倍になるイベント。にわかには信じがたい、ゲームバランスを一撃で崩壊させてしまう狂気のイベントだ。そんなものが本当にあったのだろうか?

 しかし男の、ユウの口調は真剣そのものだ。極めて自然なことのように、そんな非現実的なことを語っている。

 だが——非現実と言うのなら、この世界すべてが仮想の、偽りのものだ。

 極論、なにが起こったとて不思議ではない。


「シリディーナまではまだ情報が伝わってないだろうね。物理的に遠い。いや、イベント告知自体は単なるボーナスっていうか、2倍としか書いてなかったんだけどね? いやあ、こういうのもバグなのかなぁ」

「……ひっ」


 あっけらかんとした語り口。バニットは一気に顔を青白くし、表情を引きつらせた。心情に従うように一歩、二歩と後退する。


「ぅ、来るな……! イ、『伸層白帯インビジブル・ウェブ』!」


 苦し紛れと言わんばかりに、アレンたちを拘束した不可視の帯を飛ばす。それはあっさりとユウの腕に絡みついた。


「これは……よく見れば光を反射している。糸の帯か。ふうん」


 ユウは冷静さを失わず、極めて自然にインベントリから空いた手でビンを取り出した。

 ポーションに似たガラス瓶だが、中身は血のように真っ赤だ。器用に指先でコルクの栓を抜くと、それを透明の帯に巻かれた自身の腕へと間髪入れず注ぐ。

 すると、どういう原理か——おそらくは発火する液体のアイテムなのだろう——ユウの腕で真っ赤な炎が燃え上がり、彼の袖と肉もろとも帯を焼き尽くす。


「投降するなら許してあげるよ、どうする?」


 一定時間で消える仕様なのか、エフェクトが止むと、そこには火傷一つない腕がある。服とバニットのスキルによる帯は燃え尽きたが、このキメラにおいて火傷といった外傷は生まれない。

 が、ユウの態度はダメージすら受けていないように見える。実際、レベルが700近いのであれば、今更そんな火やバニットの斬撃で大した傷を負うこともないだろう。


(だが……アイテムを使った? まさか、あいつ)


 拘束されているがゆえ、なにもできないからこその客観性がアレンの脳に気づきを与えた。衝撃が全身を駆け、思わず足が震えすらする。

 恐ろしい。どうかしているとしか思えない。どんな神経をしていればああもベラベラ舌が回るのだろう。

 ゲーマーが多く転移するというこのキメラだが、あの男だけはきっと詐欺師かなにかを現実でやっていたと、アレンは強く確信した。


「ち、ちくしょう、こうなりゃヤケだ……! ボクがこんなところでつまずいてたまるか!」

「……。試してみるかい? 無駄に命が散るだけだよ。今ならまだ許してあげられ——」

「『爆風赫破ブラストグレネード』ッ!」


 やるならば、バニットがユウと対峙して背を向けている今しかない。アレンは動かしづらい指でウィンドウを操作し、インベントリにアーガスを仕舞いながら、そのスキル名を叫ぶ。

 そして、縛られた両手の中に現れた熱を孕んだ火球。それを躊躇うことなく思いっきり握りつぶした。

——瞬間、ごうっという爆発の轟音がユウの語尾を消し飛ばす。


「な、なんだよ今度はぁッ!」

「……へえ」


 爆風が路地を駆け巡る。叩きつけるような熱風がぶわっと周囲四方へ散っていく。

 突然の爆発に、一人は驚愕に狼狽え。一人は狼狽こそしなかったが、同じく驚きに口元を歪める。


「アレン……っ」


 そしてもう一人は友人に向けて、どこか哀れみにも似た、心配と憐憫のない交ぜになった視線を向けた。


「ぎっ、あああぁぁぁ……ッ、流石に、死ぬほどいてぇなあッ、くそっ!」


 涙に飾られたエメラルドの瞳。その先に立つのは、痛みに疲弊した顔のアレンだった。

 爆風を間近、ゼロ距離で浴びて無事で済むはずがない。髪は荒れ、服も焦げて破け、今にも倒れそうなのをギリギリのところで踏ん張っている。

 手首の拘束は解けていた。理由は簡単で、自身の手もろとも爆破してぶっ飛ばしたからだ。普通ならば指を十本すべて失うか、最悪手首から先が消失していただろう。

 だが——この世界であれば、あらゆる傷は単なるダメージ。ヘルス管理などプロゲーマーならばできて当然のテクニック。自傷を戦術に組み込むなど造作もない。

 ただ、今回ばかりは痛すぎて意識が飛びかけたが。気を保つため、舌を思いっきり噛み潰したのが功を奏したようだ。どうせ血も出なければ噛み千切れもしないのだし、これは役立つ発見かもしれない。

 HPバーは一気に大きく減少し、残りは二割ほど。

 問題は、ない。


「な、なんだよ……なんなんだよお前……お前ら! おかしいだろ! なんで!」


 痛みに痙攣する手をなんとか動かし、再びインベントリからアーガスを取り出す。

 手に馴染むウッドグリップも激痛が触感を麻痺させていて、握れどもほとんど感覚がしなかった。それでも引き金を引くくらいはできるだろう。照準のほうも、この距離ならば感覚がなくとも外さない。


「バニット……お前だけは、許さない。許せない」

「ひぃ……っ、おかしい……狂ってる! なんで動けるんだ! 痛くないのかよお前らぁ!」


 死神めいて、一歩また一歩と歩み寄る黄金。ユウの存在と併せてその恐怖に戦意を折られたか、バニットは腰を抜かしてその場にへたり込んだ。

 握力も失せてしまったらしく、その場に剣の柄さえも取り落とす。


「痛いさ」

「痛いね」

「……へ?」


 声を揃えアレンとユウは、眼前の男の問いにそう口にする。

 ……やはり、ユウも単なるこけおどしだったらしい。レベル692というも真っ赤な嘘に違いない。痛いものは痛いのだ。傷がなくとも、血が出なくとも。

 パン、と乾いた銃声が路地に響く。


「痛ァ——、いだいっ! いだいよおッ」


 喚くような声が地面から上がる。

 アレンの手、アーガスの銃口から放たれた弾丸は、バニットの右脚を貫いた。

 とはいえ着弾した時点で弾丸は消失する。貫通もしなければ、体内に残りもしない。


「情けない声を上げるなよ、たかだか一発で。まだ弾は四発……一度インベントリに仕舞ったから五発か」

「ひ、ひィ……助けッぐぎゃあ!」


 銃声。肩の辺りにエフェクトが迸った。


「心配しなくともリロードすればいつまでも撃ち続けられる。この世界は都合のいいことに、替えの弾倉は無限に用意してくれるからな。念じるだけで」


 パン、と音が鳴る。それと同時にまた、短い悲鳴が上がる。

 バニットは地面に四肢を投げ出したまま、汚らしく涙とよだれを垂らすばかりだ。ビクビクと痙攣を繰り返し、助けを請うことすらできずにいる。股間からは汚水も漏れていてズボンから染み出していた。


「も、もう許し……」

「嫌だ」


 パン。


「痛ぎやぁっ!」


 パン。


「ぐぎぅあっ!」


 パン。


「ぎぎゃぁぁッ」


 悲鳴と銃声、響くそのメロディだけがアレンの耳朶を打ち回る。

 ぐるぐる。ぐるぐる。聴音も視界も回転するようだ。まるで坂を転げ落ちるような錯覚が脳を狂わせ、視野が端のほうからじくじく浸食されて狭くなる。必要なこと以外、見えないし聞こえない。

 それでいいのではないかと、脳髄の奥で誰かが囁いた。

 紛れもなく自分自身、しかし普段は心の鎖が表へ出させないようにしている、限りなく残虐ななにか。協調性・社会性からかけ離れた、未知の窓の向こうの自分。

 足の先から泥沼に浸かっていく。柔らかな、身を包むような泥濘。そこに体を預けてしまえばどれだけ楽だろう。


「弾切れだ。俺は映画みたいに無駄に空の引き金を引いたりなんかしない。銃自体がホールドオープンしてくれるからな、弾がなくなると。気づくんだよ普通」


——リロードだ。

 右手を軽く開きながらそう念じる。0が1へと書き換わり、虚空の彼方から弾の詰まった弾倉が現出した。

 手の内に現れたその重みをすぐに銃の中へ叩き入れ、スライドを手動で引き直す。

 そうして再装填を終えたアーガスの、洞のような銃口をもう一度バニットへ向け——


「……なんで止める」


 それを、横合いからすっと伸びた手が制止した。

 伸びてきた腕の方を向き、黒い目と視線がかち合う。アレンは無意識に、ユウに向けて敵意らしきのこもった睥睨を送っていた。

 しかし、ユウはどこ吹く風といった軽い表情でそれを受け流し、


「あのお嬢さんが、そう望んでいるからかな」


 そんなことを言った。


「——」

「お願いだからもうやめて、アレン——それ以上は……あなたが、怖い」


 ぽろぽろと落ちる涙の雫が地面を濡らす。茫然と首を動かすと、怯えを帯びた瞳をリーザに向けられていた。まるで恐ろしい獣を見るような、恐怖に震える目だ。

 未だ後ろ手に縛られながらも、アレンに向けて喉から絞り出すように「やめて」と懇願し続ける。

 いつからか。きっとずっとだ。声が耳に入っていなかっただけで。


「…………そうか。リーザがいいなら、いい」


 バニットはもう虫の息だ。別に手や足や頭を撃たれようが、痛いだけで活動に支障はない。

 しかし、その痛みだけでどうやら自失状態に陥ってしまったらしい。口の端から泡を吹き、白目で時折びくびくと痙攣している。

 ……あるいは、これが正常な反応なのだろうか? もうアレンにはわからなくなりつつある。

 ともあれこれ以上、この男を痛めつけても得られるものはない。

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