第三十三話 束ねし意図は悪衣のごとく
「まいどぉ! ここで装備していくかい?」
「この質問、どう答えてもただ品を手渡しされるだけなのよね」
カウンターで代金を支払い、盾を受け取るリーザ。
ちなみにこの世界の通貨の名は、『ゲル』と言う。なんとも気の抜けた、ぷるぷるとしてそうな名称だが、言ってみればこれは電子マネーだ。実在しない。
近世的な世界のくせに、キメラでのお金のやり取りはすべて空間上に展開される半透明のウィンドウを通して行われる。ゲーム世界だからこそ……なのだろうが、変なところで近代的だ。
でも便利だし、現実世界のようにカードや端末をかざす必要もない。そこはアレンも気に入っていた。
「それでよかったのか。結局、前とあんま変わってなさそうだけど」
リーザが受け取ったのは、今朝砕けて塵になったのと似た、皮張りのバックラーだった。
「うん、同じのにしたの。デザイン的にはこう、もうちょっと尖ったり黒っぽいほうが好みなんだけど……やっぱり使い慣れてる形が一番だから。軽さと硬さが両方備わってるわ」
「リーザ的にはそれが最強ってわけか」
取り回し重視ということだろう。下手に重厚で大きいものを選び、重さで動けなくなるよりはずっといい。銃とは勝手が違うだろうが、アレンもそういった扱いやすさを重視する派だ。
「それに、多少傷を受けてもグラトニーで回復できるから。身軽さを優先するべきなのは確定的に明らかね」
「グラトニー……ああ、ユニークスキルのあれか」
さっきのスカイエレファントとの戦闘でも見せた、赤黒の光が剣を覆うユニークスキル。斬り付けたダメージを吸収しHPを回復するという、前線を張る<ナイト>にはこれ以上ないくらいに適したスキルだ。
だが、思うところあってアレンはやや渋い顔をした。
「被弾前提で戦うのはあまり健全とは言えないぞ。回復が間に合わなければそれまでだし、そうでなくたって痛いものは痛いんだ。無理はしないでくれよ」
「……それ、アレンにだけは言われたくない。初めてアレンがあの爆弾スキルで吹っ飛んでったの見た時、目ぇ疑ったわよ私」
「う。それは」
小言に思わぬカウンターを喰らい、アレンは二の句を告げなくなる。
リーザの言う通り、爆風を浴びて移動するアレンのほうが余程健全ではない。自傷必至の荒業だ。
むしろ、日ごろからそんなことをしているからこそ出た言葉とも言えた。いくら火傷にならず、骨も折れなければ血も出ないキメラであろうとも、痛覚だけはきちんと存在しているのだ。必要だから行ってるだけで、アレンとて本音を言えば爆発の熱風で肌を焼くのは二度と御免こうむりたい。
「……俺は男だし、耐えるさ。でもリーザまでそんなことしなくたっていいだろ」
「耐えるって。そういうところがアレンは……それに、そんな可愛らしいベビーフェイスで言っても説得力ないわよ。もういい、ほら帰りましょ」
「あ、ちょっ」
盾を片手に、空いた手でアレンの手を引っ張るリーザ。そのまま開きっぱなしのドアを越え、店主たるNPCの挨拶を背に受けながら外に出る。
店内にいた時間はそう長くない。暗くなるにはまだ早く、空の端がようやく赤くなり始めたくらいの頃合いだった。
(……早く帰りたい、のか)
外へ出るや否や、リーザは何気なく周囲に翡翠の目を走らせた。
あの男、バニットがいるのではないかと気が気でないのだ。外にいれば接触する危険性を考えずにはいられない。
「わかった、とっとと帰ろう。でもその前に、盾くらいはインベントリに仕舞ってもいいんじゃないか?」
不安を和らげるよう、できるだけ優しく言う。
気づいていなかったようでリーザは「あっ」と瞠目したのち、アレンの手を離す。
「ついうっかりして忘れてたわ。ありが——きゃっ⁉」
そうして空になった手で、インベントリを操作する——直前。
細い指が慣れた動作でウィンドウに触れる刹那、リーザの腕の中から円形の盾が逃げ出した。
「……は?」
すぽん、と擬音が聞こえそうな光景だった。
リーザの体、抱え込む腕と胸に挟まれていたはずの買いたてホヤホヤのそのバックラーは、独りでに彼女のもとから飛び上がったのだ。
まさか足が生えているわけでもあるまいし、跳躍するには無理がある。
(……胸の反作用?)
ぽよんっ、と胸で弾き飛ばしたとか。
いや、無理どころの話ではない。触れたことがなくとも、女性の胸にそんなゴムボールみたいな弾性があってたまるか。第一そうだとしてもリーザのバストサイズでは大きさが——
アレンが馬鹿げた思考を巡らせている間にも、盾は空中で緩やかに軌道を曲げ、くるりと角の方へと消えていこうとする。まるで見えない力に引っ張られていくように。
「ああっ待って、行かないで!」
「⁉ お、待てリーザ、あからさまに変だ」
「そうだけどっ、放ってもおけないわよー!」
「う……だあッ、くそ!」
円盤状のものが宙を去っていく姿は、さながらチープなUFOじみていた。
リーザは盾を追い、一目散に走って行ってしまう。
買ったばかりのものがどこかに行ってしまいそうのだから焦るのは理解できるが、まるで誘われているようではないか。明らかに危険なのは見て取れたが、だからこそ、進んでいったリーザを放っておけもしない。
アレンは悪態をつきながら、すぐに後を追って走り出した。
「ちょ、ちょっとどこまで行くのよっ」
盾は目に見えぬ幽霊に操られているかのように、不思議な引力によって空を行く。距離はなかなか縮まらず、二度三度と角を曲がるも依然手は届かぬままだ。
「ぐぬぬ、俺は女子の背も追い抜けないのか……!」
変わらない距離に、口惜しさから言葉が零れる。リーザが少女ならば、今のアレンはさらに幼い少女だ。脚を精一杯に働かせようとも、歩幅があまりに狭すぎる。
もっとも元の体だったとしても、一日中画面の中で銃を撃っているような引きこもりのゲーマーでは彼女の背を追い抜いて盾に迫れたか、まあまあ微妙なところではあったが。そこまで頭は回らなかった。
しかし、気づくこともなくはない。
——どんどん道が狭くなってきている。
要は盾を追ううち、路地に入っているのだ。慣れ始めた東部の宿周辺ならともかく、シリディーナの西側は中々来ないので土地勘がまだ浅い。そのため気づくのが遅れた。
やはり何者かに誘導されている。
それは理解できたが、ここで盾を取られたまま泣き寝入りというのもリーザが報わない。罠のつもりか知らないが、そうだとしても踏み越えればいい。
走りながら、インベントリからアーガスを手の中へ現出させる。
方向音痴のアレンにはどの方向に向かっているかはわからないが、とにかく人気ない路地奥に進み、やがて少しだけ広まった場所へ出た。
「やあ、待っていたよ。フ、フフ、強引な手段を取ってごめんね?」
元はなにかがあったのか、それとも単に偶然そのスペースを残すようにして建物が並んだだけなのか。
なんにせよやや広まったその空間の真ん中で、頭上から僅かに差し入る日光をライトのように浴びながら、男は両手を広げて出迎えた。
「っ、ぁ」
「バニット——! やっぱりお前の計らいか!」
小柄の男が、肩を揺らして小さく笑う。
宙を移動していた盾は、糸が切れたかのようにいきなり地面へボトンと落ちた。目的は果たしたと言わんばかりに。
突然現れた相手にリーザは動揺を隠せないでいる。アレンは彼女を庇うように前へ出て、アーガスの黒い銃口を突き付けた。
なんのつもりかわからないが、バニットは素手だ。事と次第によっては硝煙を以って話を付ける。
「おいおい。おいおいおいねえ、ボクはただ話し合いの場が欲しかっただけだよ。そんなにいきり立たないでよアレンちゃん」
「なにがアレンちゃんだ、薄気味悪い。お前がリーザにしたことは聞いた。こんな陥れるようなことをする相手を信用できると思うか?」
「誤解だよ。リーザはボクのことを誤解してるんだ。だって、あんなに仲がよかったのに。ねえ、リーザぁ?」
アレンの肩越しにいる銀の少女を、ぎょろりとした黒い瞳が捉えようとする。深い洞にも似たその視線を、リーザは顔を伏せて拒絶した。
「……は? おい、なに避けてんの? 人が謝ろうってのにさ。ねえ?」
「それが謝りに来た奴の態度かよ。お前、はっきり言っておかしいぞ」
「はあああぁ? 態度が悪いのはどっちかなぁ。君さあ、ちょっとかわいい容姿してるからって調子乗ってない? だいたいボクは今リーザと話してるの! 外野は黙っててくれる⁉」
突然バニットは激昂し、唾を飛ばしながら八つ当たりのようにアレンを罵り始める。
……もはや穏便に済む結末は訪れなさそうだ。無論殺しはしないが、場を切り抜けるために威嚇射撃くらいはやむを得ないかもしれない。
「話にはなってないだろ。会話したくないって意思表示してるのがわからないのか? 盾をそこに置いたまま、ここを去れ」
「アァ……⁉ だぁからさあ……黙れって言ってんじゃんか! ボクはさっきからさァ!」
バニットの上体が沈み、動き出そうとする。
確実になにかしようとする動きだ。だが素手ならば、なにをしようにもワンテンポ遅れるはず。武器を使うにはインベントリから取り出さねばならないし、それよりは幾らか早いスキル行使も脳内で念じて現出させるにはラグがある。
ならば、アレンが引き金を引く方が早い。少々手荒だが、ハンドガンなら一発程度頭を撃ち抜いたところでこの世界ならば即死はしないだろう。
「っ⁉」
「ひィ、怖いねぇ!」
迷いなく指先に力が込められ、弾丸が放たれる——のと、アレンの両腕が不自然に持ち上がったのはほぼ同時だった。
両手で銃のグリップを握ったまま、手首を突然冷えた感覚が包み、空に向けて引き上げられる。冷たい布のような感じだ。
それに合わせて弾道は逸れ、背後の壁に弾痕を作る。なまじ照準を頭に合わせていたせいで、少し上に逸れただけで標的を避ける結果になってしまった。
「ア、アレンっ!」
「おっと。大人しくしててね、リーザ」
「きゃあっ⁉」
足を震わせながらも、応戦体勢に入ろうとするリーザ。しかしバニットが軽く手をかざすと、彼女もまた両腕が本人の意思とは関係なく、不自然に動かされる。
両手を後ろに回され、つんのめったような形だ。まるで吊るされているような。
「く、リーザ……! なんだこれ、クソっ」
助けに入ろうとも、アレンもまた謎の力に拘束されている。
両足はぎりぎりのところで地に着いているものの、両手は銃を握ったまま手首で固定されたように動かない。こちらもまた、天から糸で吊るされているような状態だ。アレンの場合は両手を上にされているため、やや格好の違いはあるが。
どちらにせよ自由が利かず、危機的状況なことは同じだろう。銃口が空を向いたまま敵を撃てるのは自動照準のチーターだけだ。
(動けない……! これは……糸。いや、帯か?)
もがけども、その目に見えぬ拘束はびくともしない。なにかにきつく縛られているような感触。
首を曲げて手首のほうを見るも、やはりその拘束の正体は視認できない……ように思えたが、きらりと光を反射したのをアレンは見逃さなかった。
帯だ。ほとんど透明に近い、糸が集まった白色の帯。それが周囲から伸び、アレンの手首を縛り上げていた。
おそらくは、リーザも同じだ。
「いきなり発砲だなんて危ないなぁ、親の教育を疑うよ。『伸層白帯』、気に入ってくれたかな? アレンちゃん」
「ユニークスキル……そうか、事前に」
——油断した。
ひょっとすると、対人戦ならば負けるはずがないと驕りがあったのかもしれない。罠があるのは予想通りだったのに。
アレンは既に遅すぎる後悔と、縛られた両腕の劣勢さに歯噛みした。
敵は事前にユニークスキルで不可視の帯を張り巡らせ、いつでも動かせるようにしていたのだ。武器を持っていないのも油断させるためのパフォーマンスだろう。アレンたちが店にいる間、彼は周到に罠をこしらえていたのだ。
バニットはしたり顔で、口元を歪めながら近寄ってくる。
「ご明察ぅ~。ここは文字通り、ボクの巣なのさ。そして君とリーザは捕獲されたってワケ。わかる?」
「……は、やっぱり話し合う気なんかなかったじゃねえか。語るに落ちたぞ、悪党」
「ア? なんだとガキが、うるさいなぁ! そういうの減らず口って言うんだよぉ⁉」
「ぐッ」
余裕の笑みが激昂に引きつる。目の前で拳が振り上げられ——躊躇なく顔を殴られた。ゴッと体内に音が響くと同時に口元に鈍い痛みが走り、視界の端でHPバーが僅かに減る。
「アレンっ!」
「待っててねぇリーザちゃん……今この礼儀知らずな子を調教して、それからかまってあげるから、さぁ!」
「うぐ、ぁ」
一発殴った程度では終わらない。枝を折るように、腹を膝で蹴り飛ばされ、痛みに呻く間もなく頬に殴打が続く。
拘束のせいで殴られても体が動かず、抵抗もできない。これではサンドバッグ同然だ。
「やめ……やめて! バニットさんの狙いは私でしょ⁉ アレンは関係ない!」
「あァ、初めてボクの名前を呼んでくれたねぇリーザ。この世界で……フフ、でもちょーっと待っててね。もうちょっとだけ」
「ッ、痛」
泣き出しそうな表情で必死に叫ぶリーザ。しかしその訴えもむなしく、バニットはアレンの長い金の髪を乱暴に掴む。
そして顔をぐっと間近にして、ねっとりとした視線でアレンを見た。
「やっぱり、キメラだと殴っても怪我にならないのがいいなぁ。血とか痣があると、ボク萎えちゃうから」
「……っ」
——またあの、不愉快な目だ。
品定めするような、値踏みするような目。
視線は下がっていき、顔から首へ、首から服越しの肢体へ。鼻息さえも届く距離で、舐め回すような目が体中を這いずり回る。
気持ちが悪い。ただただ不快で、心の底から吐き気がする。思わず身をよじるも、しかし拘束が邪魔をして逃れられない。
せめて視界の中だけでもこの人間から離れたくて、アレンは首を曲げて目を逸らした。
「——」
すると、はらはらと涙をこぼす、銀髪の少女が目に留まる。
嗚咽を零し、とめどない透明の粒で頬を濡らす。その表情は慟哭の絶望に染まり、無力な自分を祟るように唇を強く噛んでいる。
なにもできない自分への失望と、この場にいることへの後悔。
言葉はなくとも、リーザの心中を染める痛みは自然と理解できた。それだけの時間を、ここで過ごしてきたから。
今、リーザは心に刻んだ深い傷を、そうさせた当人によってさらに広げられてる。ナイフで抉るように。
そう思うと胸の奥で、色のついた火が強く燃えた気がした。
「……バニット」
「ア? どうしたのいきなり、睨んじゃって」
「お前だけは、絶対に許さない……!」
「許せない? ふうん。で、なにができんのさ今の君に。腕一本も動かせないってのに」
激情を込めて睨みつけるも、バニットは怯むどころかかえって優位性を笠に着て愉しげ顔面を歪ませた。
しかし、それでもアレンは目を逸らさない。抵抗のすべは一つだけある。手首を縛ったのが運の尽きだ。一度ならば耐えられるはず。
反抗的な態度が癇に障ったのか、舌打ちを一つしてバニットは再度ごつごつとした拳を振り上げる。その振り下ろされるタイミングに合わせ、アレンは動こうと一節分の息を吸い——
「——あれ。なにこれ、街角SMプレイの会場?」
路地の奥からやってきた見知らぬ男性の存在に、その場の全員が硬直した。




