第三十話 銀の少女はいじらしく
(二十九話は別視点でややこしくなってしまったため、章末にこっそり置いています。飛ばしていただいて構いません)
頭からつま先まで、全身を温かな感覚が過ぎていく。
ゆっくりと目を開くと先刻までの雲の上に浮かぶ景色は失せ、そこにはやや薄暗い円形の空間、近頃見慣れつつある広々としたバベルのロビーがあった。
「ごめんなさい。私の盾が壊れたばっかりに引き返すことになっちゃって」
「もう、それはいいって言ったじゃないですか。どの道予定は四十三層までですし、あとは団長をはじめとする皆さんにお任せすれば大丈夫です!」
盾を失ったまま探索を続けるのは危険だということで、アレンたちだけ攻略を少し早めに切り上げて帰ることにしたのだ。バベル攻略はなによりも安全第一、というのが<ギルド>のモットーである。
「では、団長にはわたしから説明しておきますね。そう気を落とさないでください、バベル攻略は来週と再来週もありますから。もしよければ、その時にまた助っ人として参加してください!」
「ああ、うん……ありがとう、ノゾミ」
ひまわりのような笑顔を咲かせて励ますノゾミとは対照的に、リーザの返答はどこか濁した曖昧なものだ。
つくろった笑顔の裏に、あの男性との因縁が絡んでいることは誰の眼にも明らかだった。
「……リーザとバニットさん、やっぱりなにかあったんですね」
「っ、それは」
「深くは訊きません。ですが、その様子ではバニットさんと同じ団に入るのは厳しそう……ですね。とっても、残念ですが」
「ご、ごめんなさ——」
「なあ、そのバニットって、<ギルド>じゃどんななんだ?」
第四十階層でボスを討伐した折、いきなりリーザに話しかけてきた猫背の男。
あまり印象はよくないが、彼のことをアレンは名前くらいしか知らない。その名前とて、このゲーム世界や、あるいはインターネット上で用いるハンドルネームでしかないのだろうが。
バニット。あの男に話しかけたときのリーザの反応は普通ではなかった。過度に怯え、目すら合わせられなくなるくらいに。
「うぅーん……正直、あんまりわからないです」
「わからない? 副団長なのにか」
「そう言われると返す言葉もないですが、最近は<ギルド>も嬉しいことに人がたくさんで、面識の浅い団員もいて。話したことがないわけではないですが、バニットさんはそうですね、物静かで……他の団員の方ともあんまり一緒にいるところを見ないので」
「人柄は詳しくない、ってことか。まあ、確かにあの人数じゃな」
今日見ただけでも、<ギルド>の団員は軽く四十人近くいた。キメラに最初の転移者が転移したのがだいたい半年前という話だったから、<ギルド>自体も設立からそう長く経っていないはずだ。一番最初のギルドだとしても。
隅から隅まで人員を把握できていないのも無理はない。思い返してみれば、今朝にレイブンも統率がどうとか、愚痴らしきものを零しかけていた。人が集まらないよりはいいのだろうが、あれだけの人数をまとめるのは団長や副団長も一筋縄ではいかないのだろう。
「でもバニットさん自身はバベル攻略にも取り組んでくれていますし、まさか退団させるわけにもいきませんから……お二人の関係が難しい以上、どうすることも」
「ちょい手間だけど、ノゾミがこう、二人が引き合わないようにすることは?」
「それで済むのなら尽力します、が。同じギルドに所属した場合……」
「——あ。そうだった、居場所がわかっちまうのか」
ギルドの団員同士は、互いの居場所がわかる。ついさっきノゾミに説明してもらったばかりのことを失念していたことに気づき、アレンは自分の頭をぽかりと叩いた。
このプライバシー配慮ゼロな仕様がある限り、リーザは四六時中バニットに付きまとわれかねない。戦闘やギルド活動の際は便利なのだろうが、悪用されてしまう危険性が高すぎる。
「そうなんですよねー……他の団員もこの機能には不満を抱えている人は多いです」
「だろうなあ、これじゃ不安にもなる。つってもご意見フォームなんてあるわけもないし」
「ですです、くそげーってやつですねっ」
そもそも強制的に転移させられて、ログアウトもなにもさせてくれない時点で最悪中の最悪だ。ユーザーアンケートがあれば星一つに違いない。SNSも大炎上だろう。
「詫びボーナスウェポンとか配ってくれないかな……」
「? わび?」
運営からの補填を期待し、そんな戯れ言を呟くも、ノゾミはきょとんとした顔で首を傾げるばかりだ。……あまりそう言ったゲーム上のミームには明るくないのかもしれない。
そもそも運営なんて実在するのだろうか。キメラの中にいて、キメラの外のことを知る手立てはなにもない。
「ノゾミの気持ちは嬉しい。でも……どうしても、あの人だけは」
「……そう、ですか」
「ごめんなさい。こうしてバベル攻略に参加までさせてもらったのに」
「謝らないでください。助っ人が入るのは、以前は結構あったことですから。それに同じ<ギルド>の一員でなくとも、リーザとアレンはもうわたしの友人ですっ。団員同士じゃなくてもなんでも言ってくださいね!」
「ノゾミ……」
はにかんだノゾミの言葉に、リーザの緑がかった瞳が潤む。
勘定を抜きにした、率直で眩しいまでのその好意。きっと人徳とはこれを言うのだろう。隣でアレンも思わず、陽に当てられたように胸が温かくなる。
「——ありがと。ノゾミも、気を付けて」
「はいっ! また、どこかでお茶でもしましょう! リーザとアレンと、三人で!」
「ああ。近いうちにそうしよう」
手を振るノゾミの、その笑顔を背に受けながら、リーザとアレンはバベルを後にした。
藍色の塔を出てすぐ、真上からの日光が浴びせられる。バベルの中、あの浮遊島の階層での太陽とはまた別なのだろうが、どの道世界自体がゲームの中なのだからどちらも偽物だろう。
だが、それでもこの暖かさは本物だ。
「昼ちょうど、って感じか。盾、すぐ買い直すか?」
「ううん、先にお昼にしたいかな」
「そっか。ならカフェかどこかにでも——」
「……できれば。いつもの宿でがいい、な」
憂いを帯びた横顔がゆっくりと向けられる。いつになくしおらしい声色に、アレンはしばし意識を奪われた。
いつもの宿とはつまり、二人が寝泊まりする『黄金の鉄の塊亭』。別に料理を頼んでもそこまでおいしくない。パンとスープと、後はなんかの煎った豆くらいと味気ないものばかりだ。
だから、わざわざそこを希望するのは。選んだのはきっと、落ち着ける場所に行きたいからなのだろう。
「リーザがそう言うなら、そうするか」
「アレンはカフェがよかった? 一昨日いっしょに食べたお店のはちみつたっぷりパンデピス、おいしそうに食べてたものね」
「う。い、いや。コーヒーだよコーヒー。飲めないのがちょっと残念なだけだ」
先日、バベルで狩りをした帰りに寄ったカフェの話だ。偽りなく言えば、パンデピスはおいしかった。とてもおいしかった。はちみつをふんだんにしみ込ませた生地はケーキにも似てしっとりと甘く、それでいて控えめになりすぎないスパイスの刺激がうまく調和を取れていて、異世界においてここまで良質な甘味に出会えるのかと感動すら覚えたほどだ。
でもスイーツが好きだと思われるのはなんだか恥ずかしいので、アレンは誤魔化した。
「コーヒーって。…………どうせお砂糖どっっぽどぽなのに」
「え」
抗議するような、妙な視線を送られる。誤魔化し作戦は失敗に終わったらしく、甘いもの好きは何故かバレているようだ。何故か。
さっきまでのいじらしさはどこへやら、微妙に冷えた空気で宿へと帰る。
その道中、リーザは無言でしきりに周囲を気にする素振りを見せていた。
*
昼食を摂り終えるまで、そうはかからなかった。
味気ない食事を彩る会話の華は乏しく、先のバベル攻略について、ノゾミがいてくれて助かっただとか盾が壊れた時は驚いただとか、そんな他愛のない言葉ばかりをいくつか交わした。
会話が空虚だったのは、リーザの反応のせいでもあった。ともすれば今しがた胃へ流し込んだ澄んだスープよりも薄い、ほぼ上の空なリアクション。これでは弾むものも弾むまい。
「ねえ……今からちょっと、時間ある?」
だから、その提案を口にした瞬間、食事中はずっとそれを切り出したかったのだとアレンはすぐに合点がいった。
整った眉を下げ、子犬を思わせる懇願するような表情。
「どの道盾を買うのに付き合うつもりだったんだから、そりゃあるだろ」
それを安心させてやりたくて、アレンはそう即答した。つぼみが綻ぶように、眼前の少女がふわっと表情を和らがせる。
「で、なんの話なんだ」
「お見通しかあ。敵わないな、アレンには」
「プロゲーマーだからな」
「それ、関係ある? ふふ」
ここで昼食にしようと言い出したのも、この話がしたかったからなのだろう。外ではできない、込み入った、または心情に踏み入った話が。
ふと、いつかの夜を思い出す。
ゲーム内イベントで町が荒れ、藍色の塔で友人を手にかけ、喪心も同然のていでこの宿に帰ってきた夜のことを。
あの時もこのテーブルで彼女と向かい合い、天井から吊り下げられたランプに淡く照らされながら話をした。違うことと言えば、今日はまだ窓の外が明るいことと、話し手と聞き手が反対なことだろうか。
「……聞いていて気分のいい話じゃないから、話すかどうか迷ってたんだけど。私、アレンには……アレンにだけは、知ってほしいって思うから」
「うん。ありがとう」
——その信頼に応えるために。そしてあの夜の礼をするために、謹んで耳を傾けよう。
件の夜。アレンもまた、リーザに知ってほしいと思って友のことを話した。勝手にも、自身の背負った罪を見せつけたのだ。
今日は本当にあの日とは立場が逆だ。
実のところ、リーザが話す内容も大体は予想が付いている。タイミングがタイミングだ。きっとバニットのことだろう。
「これは、キメラに転移する一年前、私が『ラストファンタジア』をプレイしていた時のことなんだけど——」




