第二十六話 果ての地平に至るまで
一通り景色を見るのにも落ち着いてくると、周囲の確認をする余裕ができた。
そこかしこで戦闘の音や人の声がする。先に訪れた団員たちのパーティも、思い思いに探索しているのだろう。遠くに背姿が窺える者たちもいた。
時折広葉樹の立つ、楽園にも似る浮かんだ大地。それはいくつかの島が集って形成されているようだった。だから、たまに離島のようになっているところがある。
幅が数センチくらいならまだいいが、中には向かいの地面まで数メートル離れた島も存在した。
「……これ落ちたらどうなるんだろうな」
そうなれば当然、渡るのに失敗したときのことが頭を掠めてしまう。
「ど、どうもこうも、やっぱり落ちるんじゃないかしら」
「まあ……やっぱそうなるよなあ」
「ひええ、そう言われると怖くなってきました」
マ〇オカートみたいに、場外へ落ちてもジュゲムが戻してくれるとは思えない。
島が浮いていても、その上に立つアレンたちは重力の影響を受けている。なら、足を踏み外せばそのまま落ちていっておしまいだろう。
(……おしまい? おしまいってのは、なんだ)
唐突に、自身の思考になにかが引っかかる。
落ちていって終わりというのは、違う。具体性を欠いている。落ち続けるだけでは人はそうそう死なない。落ちた先で、地面にぶつかって初めて死ぬのだ。
アレンはふと軽い、しかしこの世界そのものに対する根の深い疑問を覚えた。
断崖の縁に立ち、静止も聞かず身を乗り出す。
「——この雲の下に、なにがあるんだろう」
「ちょっ、アレンっ!?」
眼下に広がる雲の海。その先に、本当に地面なんて存在するのだろうか。そもそもここはバベルの中だ。
仮に地面がないとして、落下すればそのまま無限に落ちっぱなし? それでは、この空間は少なくとも上下で無限に続くことになる。果てはきっとあるはずだ。
考えてみれば、バベルに限った話ではない。
(……キメラの果てを見た人間はいるのだろうか)
シリディーナにはバベルがある。あからさまに重要施設であり、<ギルド>もこの狂ったデスゲームにエンディングをもたらすため苦心する攻略対象。
だから転移者の多くはこの町に集まる。しかし転移者は……少なくともアレンは、このキメラのことを知り尽くしているわけではない。
シリディーナの軽い周辺くらいなら、リーザと、今は亡きマグナから少しくらいは聞きかじっている。
アレンが転移して目覚めた森が東にあり、北にはゴロラ王国なる国があり、南には山岳地帯が広がる。あと西には荒野があり、鉱山近くに町が一つぽつんとあるのだとか。
だが、それらの先にはなにがある?
森の向こうには、またしても高い山があった。そのさらに向こうは?
マグナがアーガスを手に入れたという、ゴロラ王国のさらに先は? 南に広がる山々や、西の荒野のさらに奥地は?
——バベルにばかり目を向け、シリディーナに留まり続けることが本当に正しいのか?
言いようのない不安感が湧いてくる。なぜか、バベルを攻略することに忌避すら覚えかけている自分がいて、それが妙に気持ち悪い。
「危険ですって! 今さっき落ちたら大変って言ったばっかりじゃないですかあっ」
「わっ」
襟首をぐいっと引かれ、後ろに尻もちをつく。
そのままの体勢で首を曲げて天を仰ぐように上を見ると、腰に手を当てたノゾミが頬を膨らませていた。
「だ、大丈夫だよ。仮に足滑らしても、ユニークスキルでなんとか戻れる……と思う」
「そんな曖昧な言葉尻じゃ安心できませんっ。もう、バベルも手すりくらいつければいいのに。バリアフリーへの配慮が足りません!」
「キメラにバリアフリーを求めるのは難しいと思うけど……」
少なくとも民主の精神があれば、もうちょっと優しい世界のはずだ。
「まあでも、ありがとう。まだちょっと景色に見とれてた」
「頼むわよアレン。ズルッといって落ちたりなんてしたら私一生トラウマもんなんだから」
「悪かったよ」
最悪『爆風赫破』を空中で使えば、少し落下したくらいであれば地上へ帰還できる……とは思うが、できれば避けるべきなのは当然だ。
マグナと決別したあの日に比べれば、練度は高まった。ヘマをしてHPを三割四割ゴッソリと持っていかれたり、爆風で跳ぶ方向を見誤ることもなくなったはず。だが空中で起爆までするのは少々難しそうだ。万が一失敗すれば取り返しは付かない。
「さあさあ、絶景を楽しむのも悪くはないですけど、そろそろわたしたちも探索と行きましょう!」
「そうね。他のパーティはゲートを探して動いてるのに、私たちだけサボってるのはよくないわ」
「ええ! 落ちないように気を付けながらがんばりましょうっ」
今日一日で聞き慣れたノゾミの口癖。それにリーザと二人して、おーっ、と拳を突き上げながら応える。
気分を変え、仕事の始まりだ。他のパーティと場所が被らないように進みつつ、探索をしていく。
浮遊島のモンスターは、島が浮いているだけあってか飛行型のものが多かった。
エメラルド色の羽をしたオオワシに、銀色の鱗粉を散らす蝶々。それに小型の飛竜。四十台の階層だけありどれもこれまでの魔物よりいささか強くはあったが、苦戦というほど苦戦はしない。
というのも、単純に相性がよかった。
アレンは銃、ノゾミは弓だ。敵が飛んでいようが十全に射程内。リーザは剣と盾を手に少々暇そうではあったが。
「銃は引き金引くだけだからいいけど、弓矢でそこまで当てるなんて流石は副団長だな」
素直に賞賛する。銃と弓では勝手がまったく違うはずだ。連射も効かない。一発の重みというやつだ。
しかし、ノゾミは「んー」と目を細めて微妙な顔を作った。
「ただ中てるだけじゃなく、弱点だけ撃ち抜いてる子に言われてもね……」
「う、そんなつもりは——」
「いいですいいです、嫌味じゃないのはわかってますから。でも尋常じゃない腕前ですね、<ギルド>にもいませんよそこまで精度のある人」
「ははは……」
モンスターを撃つのは人を撃つよりまだ楽だ。遮蔽を使わなければフェイントもしてこないし、屈伸を交えた左右移動もバニーホップもストレイフジャンプもしない。弱点も人の頭部よりは大概デカい。
「あ。向こうは先で別のパーティが探索してるので、こっちに行きましょう」
あまり掘り下げられると現実の話になり、実は男であることを晒さねばならなくなる。いや、隠すべきことではないかもしれないし正直バレるのは時間の問題な気もしたが、成り行きでとりあえず今は伏せている状態だ。
戦闘を終え、半ば誤魔化すように先を行こうとするアレン。その背を呼び止められた。
「別のパーティ? 見えないけど、わかるのか」
「はい。同じギルドに所属してると、メンバーの場所がわかるんです。距離もなんとなく」
「ええっ、初耳だ」
「攻略中は便利なんですけどね……」
苦笑するノゾミ。その理由は少し考えれば察せられた。
仲間同士で居場所がわかるのはいいが、オンオフを切り替えられないならプライバシーもなにもない。
(……なら、なおさらリーザが<ギルド>に入るのはヤバそうだな)
バニット。リーザに話しかけていた、あの得体のしれない男のことを思い浮かべる。常時GPS状態など、言ってみればストーキングし放題だ。かかわりを持とうとするだろう。
ただのオンラインゲームならこの機能もアリかもしれないが、ここはオフライン表示にする機能どころかログアウトすら許されていない。
「足元、気を付けてくださいね」
「うう……た、高いのだわ……」
島と島、十センチほどの隙間をぴょんと越える。このくらいであれば、気を付けていればまず落ちることはない。
だというのに、リーザは恐々としながらオーバーに飛び越えた。
「高いところ、苦手なのか? さっきはそんな素振りなかったけど」
「に、苦手じゃないわ。でも最初は景色に見とれてたから気にならなかったっていうか……いや苦手じゃないけど……下見ると足が震えちゃって……」
——それを人は苦手と呼ぶのだと思う。
しかし幸い、動けなくなるほどの高所恐怖症というわけでもないようだった。リーザはぎゅっと目をつぶりながらジャンプし、無事に草の地面に着地した。額を薄っすら汗ばみさせながらも、胸に手を当て、呼気を整える。
そこへ、すっと手が差し伸べられた。
「立てますか?」
「うん……ありがと、ノゾミ」
「最深層の攻略はきっとお二人とも初めてですよね? ここは先輩のわたしに任せてください、どーんと!」
「そうさせてもらうわ」
ノゾミの手を取り、銀の長い髪を揺らして立ち上がる。
「俺も最初はレイブンの過保護かと思ってたけど、実際ノゾミがいてくれてすごい助かるよ。俺とリーザだけだとモンスターにももうちょい苦戦するだろうし、探索も効率よくできそうにない」
「んぇ、気づいてたんですねっ」
「まあ、ボス戦の時から随分親身にしてくれてたから。すぐカバーできるよう近くにいてくれてたり」
さしずめ、彼女は新入り候補である助っ人二人のお目付け役……というよりはサポート役か。レイブンの指示だと思われる。
副団長なだけあり信頼されているのは見ていてもわかる。事実適任だろう。元気があって人を労われる性格だし、アレンとしてもここまでの付き合いで心許せるようになった。リーザもきっとそうだろう。
「見た限り、わたしがいなくともなんとかなりそうでしたけどね。団長、結構心配症ですから。……特にアレンみたいな子ども相手だと、あの人の場合はなおさら」
「う……こ、子どもじゃないんだけどなぁ。てか、レイブンは知ってるはずだろ」
イベントの際に、ジークには自分が男であることを伝えた。
そのジークからレイブンに話が繋がったのだから、その際にレイブンもアレンの性別については聞いているはずだ。
……はずなのだが、考えてみればジークのことだからイマイチ信用できないところがあった。伝えきれてないかもしれない。
「? 子どもじゃないですか、こんなにちっさくてかわいくて」
「撫でないでくれ……。実は——」
遅れてしまったが、あらましを話すならばここだろう。
頭を撫でる手を除け、アレンはリーザの時と同じように説明をする。現実では男性のプロゲーマーで、転移の際何故か幼女の体になっていたこと。
二度目であっても精神的に楽になりはしない。言い終えた後に拒絶されないか、それだけがどうしても怖かったが——
「プロゲーマーなんですか⁉ そっかあ、道理で射撃がお上手なわけです……」
なんだかデジャブな反応だった。
「えと、本当にごめん。騙すつもりはなかったんだけど」
「いえいえ、気にしないでください。なにかされたわけでもないですし……それにいきなり体が変わって、ただでさえキメラに来たばかりなのに大変でしょう」
逆に同情までされてしまった。
リーザといい、寛容な人たちだ。普通なら怒ったり困惑するものだろう、同性だと思っていた相手が異性だったとなれば。
「リーザは知ってたんですか?」
「うん。出会った日に聞いたわ。どうしてそんなことになったのかはさっぱりだけど」
「ううーん……わたしも心当たりは微塵もないです。強いて言えばもうただのバグ、としか」
「バグて。まあ、ないとは限らないけど」
ゲームの不可解な部分をなんでもかんでもバグ扱いするのは、あまり褒められたことではない。不心得なゲーマーによく見られる行為だ。
しかしノゾミは首を振った。
「キメラに来たばかりなら、たぶんまだ見たことはないと思いますけど……度々バグるんですよ、キメラ」
「……え?」




