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第二十五話 逃れえぬ糸

「あー、ごほん」


 三人で話していると、ふと聞こえたわざとらしい咳払いに三人は閉口した。

 しん、と静まり返る広場。我に返ってみれば、騒ぐ三者を周囲の団員たちが生温かな眼差しで見つめていた。


「ぁ」


 既に周りは討伐後の余韻から冷め、騒いでいるのはアレンたちだけになってしまっていた。

 無言の視線たちに、三者揃って赤面して俯く。

 ……真にかわいそうなのはノゾミだろう。アレンとリーザは初参加の、そもそも門外漢の助っ人。しかし彼女は副団長だ。その恥ずかしさは察するに余りある。


(……あとなんか、俺だけ毛色が違う気がする)


 なんだかアレンに注がれる視線だけ、やけに温い。こう、おもちゃコーナーで親にねだる子どもを見つめるような。庇護するような、生温い眼差し。

 こういう時、元の体に戻りたい。そう切に思うのだった。


「今回も犠牲者が出なくてよかった。継続して今日は四十三層を目標に上がろうと思う。だけどいつも通り、切り上げたい人はここで解散でも構わないよ」


 静かになったところで、レイブンが滔々《とうとう》と語る。

 その背後、部屋の中心にはいつの間にか見慣れた石の枠組みが現れていた。ご存知、ゲートだ。ボス部屋の場合はボスを倒すと出てくるらしい。

 どの道すぐ後ろの小部屋にも入ってきたのがあるわけだし、なくてもさして困りはしない気もするが。


「じゃあ、そういうことで」


 挨拶も簡素に、レイブンは早速ゲートの向こう側へと消える。その後を追うように、また団員たちも同じく次の階層へ身を投じる。


「え、終わり? 結構テキトーだな」


 全体では少数派だが、数人は次の階層に進まないのか、入ってきた小部屋の方へ戻っていく。別にどっちのゲートを使おうが進むも戻るも自在だから、実際のところはわからないがおそらくそうだろう。

 一応まだバベルの攻略は続くようだが、なんだかもう半ばお開きみたいなムードだ。


「ボス戦は<ギルド>のみんなで挑みますけど、普通の階層は結構バラバラに攻略していくんですよ。各々のパーティに分かれて、手分けしてって感じで」

「ああ……ダンジョンになってるもんな。そっか、割と自由にやるんだな」


 アレンにも<ギルド>の空気感が理解できてきた。連携は取るし指示にも従うが、基本的には自由というか、あまり束縛しないスタイルのようだ。


「まあ、<ギルド>(うち)は<泰平騎士団>さんに比べると血気のある人も多いですから。こういう体制の方が不満がでにくいんですよ」

「なるほどね」

「あとは経験値もあるでしょうね。大人数でモンスターを倒すと、経験値もその分分散されちゃうのよ」

「経験値の問題もあるのか。ならボスモンスターを全員で倒すのは、流石に安全重視ってことだな」

「——ねえ、君さ」


 その時、補足をしてくれたリーザの背後で、何者かが突如として彼女に声を掛ける。

 既にフロアの人はまばらで、皆ゲートへ向かってしまった。そんな中声を掛けてきたのはどういった理由からだろう。

 振り向いたリーザと同じように、アレン、それにノゾミもその人物の方を向く。

 そこに立っていたのは猫背で前髪の長い、白い服の男性だった。特にどこかで見た覚えはない、見知らぬ男だ。

 年はアレンよりもいくらか上——もちろん今の幼女ボディではなく、元の二十歳手前の肉体を基準としてだ——と見受けられ、黒い目だけが妙にギラついていた。


「リーザだよね? ボクのこと覚えてる?」


 男はアレンたちには目もくれず、ずいっとリーザに顔を寄せ、興奮気味に問いかける。


「え——あ……ぁ、ぅ」


 対照的にリーザは目の焦点を乱し、口ごもって一歩後ずさった。

 顔から血の気が一気に引いて、白い肌をより青白くさせている。今一つ状況は飲み込み切れないが、平静さを失っているのは明らかで、その理由が眼前の男にあることは簡単に読み取れた。


「あんた、リーザの知り合いかなんかか?」


 アレンは二者の間に入るようにして、リーザを庇いながら問う。少々喧嘩腰気味になってしまったのは仕方がないだろう。


「おっ……君こそ、リーザの友達かい? かわいいねぇ君も……いくつ? 小学生?」

「——っ」


 しかし幼い外見で凄んだところで威嚇にもならない。男はアレンの方を見ると、膝を曲げて目線を合わせ、ぎこちない笑みを向けてくる。

 のっぺりとした顔に嵌められた瞳。洞のようなそれに、背筋が悪寒を走らせる。

 アレンにとって人生でこれまで経験したことのない、初めて向けられる目だった。

 目で、ねぶり取るように体へ視線を走らせられる。衣服の下、四肢の先までくまなく精査するような、商品を隅々まで眺めていく値踏みに似た目。

——気色悪い。

 ただただ不愉快で気持ちが悪い。吐き気を催すほどの不快感に、アレンは不覚にも身をすくませた。

 

「バニットさん。リーザになにか?」


 そこへ、ノゾミが声を掛けた。アレンのように敵意めいたものを出してはいない。あくまで同じ団員としての接し方だ。

 そう、この場にいるということはこの男——バニットと呼ばれた彼も、<ギルド>の一員。そこは疑いようもない。


「ええ。彼女とは友人なんですよ、このキメラに来る前から! まさかリーザも転移してきてるだなんて……これはきっと……フ、フフ」

「そうなの? リーザ」

「っ、うん。だけど」

「まさか助力っていうのが君だったなんてねえリーザぁ! 君もボクと会えて嬉しいよねぇ? ほら、一緒に次の階層の攻略にでも行こう……話しながら!」


 歯をむき出しに、気味の悪い笑みを湛えるバニット。しかしリーザはやはり浮かない表情で俯いている。目を合わせたくないのかもしれない。

 片や悦喜、片や拒絶を秘めた戸惑い。この時点でちぐはぐだ。コミュニケーションが成り立っていない。

 ノゾミもそれを感じたのか、溌剌さを潜め真面目な顔つきでバニットを見つめる。


「ごめんなさいバニットさん。次の階層へは、わたしたち三人でパーティを組むと決めちゃったんですよ。旧交を温めるのはまた今度、にしてくれませんか?」

「え? そんな……」


 期待を裏切られた。そんな顔色で、バニットがリーザのほうをちらりと見る。しかし彼女は俯くばかりでなにも言わない。……普通の人間であれば、ここで強く拒絶されていることに気づくのだろうが。


「……まあ、副団長がそう言うなら従いますよ。ええ。従いますとも。ですが、今日はです。リーザ、聞こえてるよね? また今度話そう? あの時のこと怒ってるんだろうけど、仲直りしようね」

「っ!」


 リーザの細い肩が一度、ビクリと震えた。そうまで怯えるほどのことが過去にあったのだろうか。

 バニットは一息に言い切ると妄執を感じさせる、どこか恨めしげな視線を残しながら乱暴に踵を返し、小部屋の方へと速足に歩いて行った。


「……行ったか。なんだったんだ、あいつ」


 猫背の後ろ姿を見ながら、ぽつりと呟く。

 なんだかわからないが、ノゾミに助け船を出してもらったおかげで去っていった。悲しいが、アレンだけではどうしても気迫に欠ける。体の問題で。


「……ごめん、咄嗟に次の階層に行くって言っちゃいました。二人はここで切り上げるつもりでしたか? せっかくの体験ですし、このまま一緒に……とは思ってるんですけど」

「いや、俺としては願ってもない誘いだよ。ありがとう」


 しかしリーザはどうだろう。まだ茫然とした様子で、頬も青白い。もうバベル攻略がどうとかいう気分ではないかもしれない。


「ぁ……私も。お言葉に甘えるわ」

「……いいのか?」

「う、うん。それに……今出れば、待たれたりしてたら嫌だから」


 胸に手を当て、細く深呼吸をしてリーザは答えた。まだ足は震えている。


(『恐竜襲撃』の時だってここまで怯えてたかどうか……なにがあったんだ、あいつと)


 この怯え方は普通じゃない。過去になにか、大きなことがあったのは確かだ。

 バニットの言い分を信じるのであれば、キメラに来る前からの友人ということだったが。前からの知り合いなのは確かかもしれないが、少なくとも友人同士の空気ではまるでない。

 因縁がある。しかし、無理に掘り下げて訊きだすことはリーザの心に土足で踏み込むも同じだ。触れたくないことに触れ、思い出したくないことを思い出させれば、心が傷つくのは目に見えている。

 だから、今はなにも言わないことにした。


「なら、行こう」


 手を引いて、部屋の真ん中に現れたゲートに向かって歩き出す。

 ただ一つ確かなことは、これでリーザが<ギルド>に入団する可能性は潰えたということだ。あの男がいる以上、同じ組織に身を置くなど無理だ。

 とにかく、リーザにとって<ギルド>は居場所にできなくなった。

 そのことを理解しているからだろう。隣を歩くノゾミの表情も暗い。あるいは、副団長としていざこざを招き入れてしまった責任を感じているのかもしれない。

 

 軽く明るかった雰囲気は、一瞬にして暗く重たくなってしまっていた。

 景色の変化が、この沈んだ空気も変えてくれればいい。そう願いながら、アレンはゲートをくぐって一つ上——第四十一階層の世界へと踏み込んだ。

 体全体を柔らかい羽毛が撫でていくような、ややくすぐったい感覚が過ぎていく。

 それから目を開くと、最初に目に映ったのは彼方の青だった。海よりも淡い、空の青だ。地平線の代わりに伸びている。


「……これはすごいな」

「うん、きれい……」


 バベルの気まぐれか、結果的にアレンの願いはこれ以上ないくらいに叶えられた。

 肌寒さも気にならぬほどの絶景。踏みしめる大地はふかふかとした土と草に覆われ、その端は少し向こうに見えている。断崖だ。

 ……そして、その下に見えるのは白い綿のような、連なりあった広い雲海の景色。

——浮いている。

 第四十一階層は、空をたゆたう浮遊島だった。

 風が髪をさらい、過ぎ去っていく。雲の向こう、青い空の彼方で眩い太陽が地を照らしている。空に身を横たえるはずの地面に、降下の気配は一切ない。完全に自由落下のくびきから放たれている。


「わたしも、こんなにすごい階層は初めてです……こういうのを見てると、ゲーム世界も悪いものじゃないって思っちゃいますね」 

「同意するよ」


 ノゾミも無際限の雲海を眺め、ほうと感嘆の息を漏らす。

 あの太陽も、空も雲も偽物だ。ここはゲームの世界で、だからこそこんな宙に浮かんだ非現実が成り立っている。

 しかし、そうであるがゆえに幻想的で美しい。


(よかった。さっきのボス部屋は、なんか陰鬱としてたからな……)


 ボス部屋の前、三十一から三十九階層もきっとあんな感じだったのだろう。薄暗い構造物の中だったに違いない。

 ノゾミに並んで、目を輝かせて遥かな雲と空を見るリーザ。それを横目で確認して、アレンは頬を緩ませた。

 ここが綺麗なところでよかった。このまま、一時だけでも嫌なことを忘れさせてやれればいい。

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