幕間の一 そして夜が過ぎていく
「クリムゾン。確か、そう言ってたっけ」
子どもそのものの小躯であるアレンが持つには、いささか大きすぎる狙撃銃。
力ない腕を動かし、真っ赤な銃床が特徴的なその仲間の遺品をインベントリに仕舞う。アレン自身はSRの経験は浅いし、サイズ的にも扱いづらいから使うことはないかもしれない。
けれど、まさか置いていくわけにもいかないだろう。遺体もなにも残らないキメラでは、これだけがマグナという転移者が存在した証なのだから。
二十九階層。どこか病院にも似た白く無機質なフロア、その窓の外は既に暗澹とした夜闇の帳に覆われている。
……あまり呆けていては危険だ。
狙撃の邪魔にならないよう、事前にここのモンスターはマグナが片付けているようだ。だがそれも時間が経てば再出現する。そうなる前に、早くゲートに入ってこの階層を後にするべきだろう。
HPバーは一割程度、どんなモンスターの攻撃でも一撃でお陀仏だ。
思いと裏腹に、脚を動かすのはひどく億劫だった。
HPバーが僅かとはいえ、だからと言って活動に支障はない。体には怪我ひとつないし、動き回った疲労感はあるが手足はまだ問題なく動く。
だから、疲れているのは心のほうだった。
しばらくなにもしたくない。その場に寝転がって、すべてを忘れてただただ眠り、この喪失感から逃れたい。
「……そうもいかないよな、マグナさん」
約束をした。
それに元の世界へ帰ることは、アレン個人としても、やり残したことが多々ある以上絶対の目的だ。
気持ちを叱咤し、なんとかゲートの方へと戻る。それから相変わらずの、場違いな石のフレームの中へと入り、バベルのロビーへ戻ってきた。
人はいない。出店ももう開いていない。
イベント直後に、わざわざモンスターを狩りに来るような者もいないということだろうか。
バベルを出ると、灯りに乏しい街は塔から見た景色よりもなお暗い。
そんな、今の心象に似た世界の帰路を歩いていく。暗くてよく見えはしないが、町中はまだそこかしこに戦闘の跡があった。
重い足を引きずるようにして人気ない夜の街を歩き、やがて宿へとたどり着く。
ギギィ——と軋む木のドアを開けると、
「アレン!」
「おわっ」
食堂の椅子に座っていたらしいリーザが、駆け寄ってすぐに飛びついてきた。避ける間もなく、そのままぼふっと胸の内に抱きすくめられる。
「ちょ、リーザぁ⁉」
再開していきなりのハグに、精神の疲れも忘れてアレンは抗議の声を上げた。
熱烈な友情表現だろうか。それとも海外特有のスキンシップ? ロシアもそういう文化なのか——いや、それでも異性でもなしにこれは過剰すぎる。体は同性だけど。
ともかく身を離そうと、腕をほどこうとしたところで、
「リーザ?」
その色白の、震えた肩に気が付いた。
「どこ行ってたのっ、心配……したんだから。イベントが終わったのに、いきなり走り出したと思ったら帰ってこなくて、ばか!」
嗚咽混じりの言葉。震えているのは肩だけでなく、声もだった。
顔は見えずとも、涙を流していることは雰囲気でわかる。心配——考えもしなかったが、あまりにもっともだ。
確かに、走り出す前に一声掛ければよかったし、どこへ向かうか告げるくらいのことはするべきだったろう。
「……ごめん。悪かった」
なにを言うか迷い、口をついたのはそんな端的な謝罪くらいだった。言い訳のしようもない。
それでもリーザは「うん」と微かに頷くと、そっと体を離した。
「会ったら怒鳴ってやろうかと思ったけど……なんだか、そんな気なくなっちゃった。なんでそんなに落ち込んでるの? アレン」
「え? あぁ……」
よほどひどい顔でもしているのか。リーザは真っすぐに目を見ながら、喪心を見抜いた。
目を逸らすようにアレンは奥のカウンターに視線をやると、向こう側に朝と同じく直立不動でお婆さんが立っている。
あまり人前で話したくはないが……まあ、NPCならば別にいいだろう。
「長くなるけど聞いてくれるか。俺も今日は……まだちょっと、寝たくない」
「いいわ。どうせ散々待たされたし、ついでよ」
「悪かったよ、ほんとに」
苦笑しながら椅子を引き、テーブルに着く。すぐ頭上で吊られたランプの、黄金に似た色の優しい光が向かい合う二人を髪を濡らした。
リーザもまた、アレンにとっての恩人であり、仲間だ。一日とはいえマグナとも背を預け合ったし、互いにいい意味で壁がない接し方で仲だって悪くなかった。
だからと言って、<デタミネーション>のメンバーでも<ギルド>の団員でもない人間に彼の凶行を告げる理由にはならないのかもしれない。ただ話をして、彼のことを自分以外にも知ってもらうことで楽になりたかっただけなのかも。
「……マグナの話なんだ。俺にとって、大事な仲間の」
そうだとしても。これがエゴなのだとしても、その上でリーザには聞いてほしかった。
夜はまだ、長い。時間は存分にある。今日だけのことに限らず、以前のこと——キメラへ転移する前のことも交えて彼の話をしよう。
塵となってどこかへ消えてしまった、彼の話を。
*
今宵もまた、歪な世界を月光が照らす。地が継ぎ接ぎならば空も継ぎ接ぎ、天の月までまがい物。それでも明かりに乏しい世界の光源として、月明かりが夜闇をほのかに暴く。
そこに、一人の男がいた。
「うーん。これ、レアっちゃレアだけど換金アイテムみたいだなあ」
——夜を迎えられなかった者がいた。夜の中で、その者を悼む者もいた。
シリディーナの町だけではない。同日、他の町においてもゲーム内イベントが行われ、いくつかの転移者が悲しみや失意、そして永遠の忘却を迎えることとなった。
だが、この男は、それらの埒外にあった。
「ま、いいか。これはこれで金にはなる。ハズレ掴まされるよりはマシだよねえ」
短くも長くもない髪は茶色に染められ、表情に張り付いた笑みがどこか軽薄な雰囲気。そのくらいしか取り立てて特徴のない、中肉中背の男だ。
服もシャツを羽織った軽装で、武器も持っていない。まるで近所に散歩に来たような風体だが、ここはれっきとしたモンスターたちのテリトリーである。
独り苦笑を浮かべながら、手の中で紫に光る宝玉を弄ぶ。男はやがて飽きたのか、逆の手でウィンドウを操作し、それをインベントリへ仕舞った。
男がいるのはシリディーナから南の山岳地帯、その岩山の一つ。そしてその中でも奥地にある祠だった。
そこは天然の岩場を利用して造られ、天井はなく、月明かりが差し込んでいる。月光を浴びて鎮座する石造りの祠はどこか幻想的で美しかった。
そう、美しかった。今さっき、祠の段に収められていた宝玉を失うまでは。
「ゴオオオオオォォォォ……!」「ゴオオオオオァ——!」
明らかにヒトではない、低くかすれた声。
宝玉を盗み取った恥知らずを裁くため、岩場の陰からワニのような生物が二頭、三頭と顔を出した。
「あー。やっぱ罠的な、そーいう感じね? はいはい、大体わかってたよ僕も、うん。予想通り予想通り」
男は誰が見ているわけでもないのに、洋画のように大仰な仕草で両手を振った。
そして、祠とモンスターに背を向け、何事もなかったかのように岩石のない天然の出口へと歩き出した。
「ゴアアァァアアアアアア——ッ!」「シャアアアアァアァァアッ!」
それを化け物がむざむざ見逃すはずもない。
ワニ、にしてはやけに鱗が赤黒く分厚い。まるで重厚な鎧だ。それらはバタバタと四足を動かし、鋭く並んだ歯をむき出しにして男へと向かっていく。
そして近づいたところで一匹が、男の肩をめがけて飛び上がった。パカリと顎が裂けるように開かれる。
「『糠に供犠』」
——並ぶ歯の一本一本が刃物に等しい、凶器の集合体とも言える口腔が男の肩に噛みついた。
次いで、二匹目三匹目が同じように口を開き、がぶりと男の脚と腕に食らいつく。
キメラ世界のルールとして血こそ出ないが、肉を食い裂かれる激痛と、HPバーに与えられるダメージは存在する。はずだ。
「……ああでも、こういうレアアイテムって一つしかなさそうだなあ。使い道がなくても売るのはちょっともったいない……ううん、これは悩ましいぞう」
肩と腕と脚。三か所を大口のバケモノに食いつかれながらも、男は平然と歩を進めた。
……が、やはり痛みは看過できなかったのか、やがて数歩したところで顔をしかめながら空いた手でインベントリを操作し、三つの石を取り出した。赤い、不揃いな形の小さな石だ。
「常時発動は意識を割くのが面倒だ。ていうか、普通に痛いし」
手を牙に引っ掛けるのもいとわず、男は強引にその石を一つずつ、腕ごと無理やりワニ型モンスターの口へと突っ込んだ。すると、さして間を置かず三匹は口内が爆発し、絶命した。表皮が硬い鱗に覆われている分、体内が弱点だったようだ。
とはいえ、至近距離だったこともありその小爆発には男自身も巻き込まれている。顔や肩、腕と脚を灼熱の爆風が撫でていく。
——しかしそれでもHPバーはマックスのままで、一ミリたりとも減っていなかった。
「……やっぱり僕だけじゃ、この辺りで尻尾巻いて帰るのがお似合いかな? できれば山を越えたかったけど……火竜とかちょっと、まあ僕には倒せないし。逃げ切るのも飛べる奴相手じゃあ厳しいよね」
はあ、と軽いため息を一つ。
興味などないかのように、塵となっていく三匹の死体を一瞥もすることなく歩みを再開する。
「早ければそろそろゲーム内イベントも終わった頃だろうし、もーちょっとだけ探索したらシリディーナに戻ってみるかな。三日……いや、四日後には着くかなぁ」
ぶつぶつと呟きながら、もう一度インベントリを操作する。そうして、なにか持っていないと落ち着かない児童のように、今度は手の内で一枚の薄いカードを弄びながら、男はその岩場を後にした。




