第十七話 深紅の道を往く君へ
カウンターは成人男性であれば腰ほどの高さしかなかったが、アレンにしてみれば胸から下をすべて隠せる格好のポジションだ。
とはいえ、頭一つ出ていればマグナは撃ち抜く。
アレンは欲張らず、撃ち返される前に素早く三度引き金を引き、すぐに屈んで身を隠した。
「ッ、てェなクソが——!」
三発のうち初弾は胴、二発目は頭にヒットする。
現実であれば側頭部に弾を受ければ、確実に即死……とは言えないが大半は無事では済まない。が、やはりキメラにおいてそのダメージはHPバーにのみ表れる。
悪態をつきながらもマグナは自身も手近な遮蔽物、窓際に置かれた大きなレンガの、観葉植物が並ぶ植木鉢の裏に身を滑らせた。それによって三発目は標的を捉えることなく、奥の白い壁に弾痕を生むのみで終わった。
「畳みかける……!」
それと同時に、さらに距離を詰めんとアレンは小さな体を翻しカウンターを乗り越える。遮蔽物から遮蔽物へ移動する銃撃戦の基本だ。電源の点いていないパネルディスプレイが側面に取り付けられた、四角いボックス型の筐体へ向かう。
ついでに走りながらアーガスの弾倉を引き抜き、その場へ捨てる。まだ中に弾は残っているが、いざという時に弾切れでは困る。念じるだけで左手に現れた新たな弾倉を差し込み、再装填を完了させる。
いわゆるスピードリロードというやつだ。実質予備のマガジンが無限であるこの世界であれば、弾薬の節約など考えなくてもいい。
「ちょこまか動いてんじゃねえッ」
レンガ積みの壁から体を晒し、スコープを通した黒い瞳がアレンを追跡する。
フロアを揺るがすような重い銃声が響く。間一髪で筐体の裏へたどり着いたアレンの、その一歩すぐ後ろを死線が通過する。
直後にアレンは、敵の潜む直方体のレンガ積みの裏側へと射線を通すべく大きく飛び出した。
今の体でできる最大限の歩幅で駆け、一気にラインを上げていく。
「ここで終わりだ、アレンッ!」
そこへ再度、長い銃身が向けられる。一撃でアレンのHPを九割削り取った、圧倒的なボーナスウェポン。
マグナはもはや植木鉢から身を晒しきり、被弾を減らすことよりも命中精度を優先しているのが見て取れる。ここで仕留め切るつもりなのは明らかだ。
ここが一番の分水嶺であると、アレンの勝負勘が囁いた。
ボルトアクション方式なのに、敵が行う射撃の間隔が明らかに短い。やはりなんらかの技術でコッキングの隙を短縮している。
だが、二度目である以上想定はしている。
自身を射抜く銃口の延長線上から逃れるため、敵がトリガーを引く直前、直感に賭けて身を投げ出した。
そして弾丸が吐き出され、回転を伴いながら臓腑を穿たんと迫る。
アレンのHPが回復しきれていないことを知ってか知らずか、狙いは頭ではなく胴。貫かれれば間違いなくHPはゼロになり、死ぬ。
着弾までの刹那、祈る猶予すら与えられない。
(負けない……俺は、負けない。負けない)
アレンの頭にあるのは、いかに敵に弾を当てるかだけだった。
画面の外では得られなかった質感の数々。重い銃声の腹に響く感じや、微かな硝煙の匂い。死線を隣り合わせの緊迫感。それらすべてが集中を収斂させ、余計なものをそぎ落としていく。
敵は倒す。誰のためでもない。
マグナを止めなければ、彼の狂った目的にさらに何人もの人間が斃れる。
自警団たる<泰平騎士団>が壊滅でもすれば、町の治安は著しく下がり、犯罪に走る転移者はきっと増える。
ここで死ねば、せっかく知り合えた銀髪の友人を悲しませる。
元の世界にも帰れなくなり、期待を掛けてくれている人たちや、両親への恩も返せなくなる。
——そんなことは、今この瞬間だけはどうだってよかった。
熱した針を押し付けるのに似た、灼けるような痛みが走る。しかしHPバーは微動だにしなかった。
弾丸はすんでのところでアレンの肉を穿たず、脇腹の表皮をかするようにして後方へ消えた。この程度であればダメージとしては認識されない。
余計な思考は水に溶けるように薄く、かすんで消えていく。あらゆるリソースは敵を倒すためのみに注がれる。
それでも消えない思いがあった。
「マグナああああぁぁぁぁぁぁぁぁッッ‼」
——暴走する彼を止めるのは、<泰平騎士団>でも、ましてや<ギルド>でもなく、仲間だったアレンにのみ課せられた責務だ。
敵の顔がこわばり、肉薄するアレンの姿に凍り付く。
銃口から身を逸らしたとはいえ、マグナもそれをある程度は追えていた。それでも胴を撃ち抜き、ダメージを与えられなかった一番の要因はその当たり判定の小ささにあった。
現実世界のアレンよりも小柄で、背の低い少女のカタチ。目の色も髪の色も、性別すらも異なる姿。
その原型に思うところはあれど、アレン自身こうなった理由に心当たりはない。けれどもこの場において命を救ったのは、紛れもなくこの小さくて幼い体躯のおかげだった。
アーガスの銃口が短く火を噴く。最速で引き金を何度も引く姿は半ば乱射するようでもあったが、その狙いは正確無比だ。マグナに譲り受けたこのアーガスは元々反動が小さく、この距離であれば最速で撃ち続けようとも問題はない。
「づ、ァ——」
ヒットエフェクトが二度三度と続き、赤いコートの裾を揺らしてマグナがたたらを踏む。
あのコートも装備品ならば、初期装備よりは防御力も高いはずだ。あと何発でマグナのHPがゼロになるかはアレンにもわからない。
だが、もはや遮蔽物へ逃れる隙は与えない。ここで倒れるまで弾丸を叩きこむ——!
「——まだッ、まだ俺はやれる……! 『死神の予兆』!」
負けじと痛みに濁った声で、呻くように敵がその名を口にした。
直後、その姿が消失する。標的を失った弾丸は窓を割り、日が沈み藍の闇色に染まりつつある外界へと消えた。
最初に見せたユニークスキルの瞬間移動だ。視界を巡らせると、敵は仕切り直しとばかりに後方へと下がっていた。そこがスキルで跳べる最大距離なのか、元の地点との距離は十メートルほど。
この階層は屋内の形をしていることもあり入り組んでいる。あと少しで敵は角を曲がり、階層の奥地へと身を潜ませていくに違いない。
だが、既にその距離は走ったとて追いつけるものではない。そもそも少女の体では、純粋な足の速さ比べで成人男性に適うはずもない。
ここを逃せばきっと、与えたダメージもアイテムで回復される。死線をくぐり、必死の思いで手繰り寄せた勝ち筋が遠のいていく。
「逃がさない。『爆風赫破』」
——そんな結末は許容しない。アレンの左手に現れたのは燃え滾るような熱を内に秘めた手のひら大の、赤い球だった。
「ユニークスキルだと……?」
角に向かいつつ、肩越しに振り返るマグナ。彼の視点からすればその疑問はもっともと言えた。
——『爆風赫破』。ボーナスウェポンを逃したアレンが持つ、アーガスを除けば唯一の武器となるユニークスキル。手のひらに赤い火球のようなものを生成し、投擲後衝突した地点で爆発を起こす。
しかし威力は高くなく、エフェクトが派手なだけで決定打とするには頼りない。
それは昨日、ともにこのバベルで肩を並べたマグナとアレン双方が持つ、共有の見解。
だと、マグナは思っている。
「絶対に、逃がさない……!」
このユニークスキルの神髄を知るのは、まだ使用者たるアレンのみだった。
本人すら一度は落胆しかけた能力。それでも生かし方に気が付けたのは、培ってきた類まれなゲームセンスゆえだろう。
試したことはない。それでも、できると確信している。
アレンは走り幅跳びの要領で前方へジャンプすると、自身の足元へ、やや後ろ気味に手の中の熱をぶちまけた。
「ぎッ、があああぁぁッ」
ボンッという破裂音。肌を焼き焦がすほどの巻き起こる爆炎が、四肢をばらばらにするような爆風が、少女の形をした小さな体を襲う。
結論から言えば、目論見は半分失敗だった。ぶっつけ本番で試すにはあまり難度の高い荒業で、さしものアレンでも完璧にこなすことはできなかった。
しかし、ならば半分は成功だ。
「だ、ダメージブースト……ッ⁉」
「——っ、逃がすもんか、マァグナぁぁああああああ‼」
狂気的なほどに鬼気迫る、まるで黄金の色をした死神。
アレンの狙い。そしてこのユニークスキルの神髄は、ダメージブーストと呼ばれるテクニックにあった。
ボーナスウェポンと並ぶ、転移者が持つ特権であるユニークスキル。それにしては控えめなダメージに反して、派手に吹き荒れる爆風のエフェクト。
そのこけおどしが生む後退を利用した、爆風に乗る加速——手榴弾と思われたこのスキルはその実、機動性に優れた移動系スキルとして扱うものだとアレンは気が付いていた。
自らのユニークスキルの火に呑まれ、六割だったHPバーはその半分、三割程度にまで削れている。投擲位置の加減が上手くかなかった。
特に爆風を直に浴びた両脚の感覚は痛覚を除いて希薄で、皮膚を越え、骨髄の芯を直接燃え盛る炎であぶられているようだ。キメラの世界に外傷が存在しない以上火傷にもならないが、そうでなければ皮膚の奥まで焼けただれ一生消えない跡形を残しただろう。
熱をはらんだ爆風にあおられた背も、火が燃え移ったように、泣き出したくなるほど熱い。実は背の肉が弾け飛んだのではないかと錯覚する。
激痛で白と赤に点滅する視界の中、慣性に乗ったアレンは文字通り爆発的に距離を詰めた。
墜落する飛行機のような、破滅を思わせる空中移動。痛みで散り散りになりそうな四肢を動かし、その体勢のまま空中で手早くリロードを済ませ、即座にアーガスを撃ち放つ。
跳躍を見せた相手への驚愕か、それとも自傷をいとわぬ執念への恐怖か、顔を引きつらせるマグナへと着弾し——だが、人道を踏み外そうとも骨身にしみた技術が、凍り付いたマグナの腕を動かした。
ブーストジャンプのような空中で二段目の跳躍を可能とする近未来系等のFPSを除いた話ではあるが、地に足をつけていない敵は基本的に空中を進む一方向の慣性でしか移動できない。つまり、その移動する軌道は安易に予想が付く。
血のように赤い銃床が肩の高さへと持ち上げられ、死の銃口が今度こそ、とアレンを捉えきる。
「もう一度、だ……‼」
その直前。アレンの手には、二つ目の火球が収められていた。
「な、に——」
マグナの一驚をよそに、アレンは空中を飛ばされながら二つ目の『爆風赫破』を隣の壁へと投げつけた。
破裂するような音と、再度吹き荒れる爆風。痛みが冷めやらぬ中に、もう一度痛みの雨を浴びせられる。
焼けた肌をさらに煮えたぎる鍋へと突っ込むような蛮行。叫び、もがき苦しみたくなるような、終わらない苦痛の地獄。
それらすべてを、意志を以って噛み殺す。
敵からは目を離さぬまま、ぼんやりを見えている視界の端のHPバーに意識を向ける。
さっきはHPバーの三割分、数字にして30ほどのダメージを受けていたが、今回はそれよりも少しだけ少ない、だいたい25程度のダメージで済んでいた。さっきよりは爆風だけに絞って受けることに成功したようだ。
残りのHPは5くらいだろうか。もはや一割未満しか残っていないHPバーは、ともすればゼロになっていると空目してしまいそうだ。
二度目の爆風移動、ダメージブーストは敵の頭上を飛び越えるような軌道を描き、その捻じ曲げられた動きにマグナの照準が乱れる。
そして、白い地へと墜落しながらもアレンはトリガーを引く。高い位置から撃ったこともあり、弾丸は見事頭部に命中した。
それでもまだマグナは倒れない。HPはゼロにならなかった。しかし、ここまでで相当なダメージを与えているはずだ。
受け身を怠り落下ダメージを受けて死亡では目も当てられない。アレンは肩を使い前回りになるように受け身を取ると、あと一手か二手か、決着の予感を覚えながら、すぐに片膝立ちの姿勢でアーガスを構えた。
「——、うおおッ」
頭蓋に弾丸を受けなおも、敵がその獲物の口を向けようとする。だがここでもやはり、獲物の重量差もあり先に引き金を引くことができたはアレンの方だった。
乾いた発砲音が響き、銃身内に施された溝により回転する弾丸が放たれる。
生死を分かつ一瞬。早撃ちまではアレンが制した。
しかし、子どもの体で片膝の低姿勢を取ったことが神の悪戯を呼び込んだ。下から角度を付けて敵へ向かう弾丸は、そこに着弾する前にまず敵が持つ銃身の根本に衝突した。
弾道が僅かに逸れる。弾丸に弾かれた銃の慣性に引っ張られ、敵の上体が傾く。
(……やれる!)
敵の持つ銃で弾が逸れるなど、普段のゲームではなかった現象だ。より現実に近しいキメラだからこそと言えよう。
だが、敵の姿勢は射撃を行えるものではない。もう一度引き金を引くだけで、無防備な的を穴ぼこにできる。
そして、迷いなくその指先に力を籠める——
「『死神の予兆』ッ!」
それと同時に、またしても敵の姿が消えた。
三度目のユニークスキルによる瞬間移動。弾はまだ発射していない。が、このまま撃ったとて穿つのは空気と壁だけだ。
思考よりも先に、目が視界全体を把握する。敵の姿はない。視界の外に移動した。
遮蔽物の裏だろうか? ならば、こちらもユニークスキルの『爆風赫破』を本来の、投擲物としての使用法で——
(……駄目だ。SPがない)
『爆風赫破』の消費SPは50。昨日のレベルアップでSPが上がったとはいえ、100から104だ。残存SPはごくごく僅か、たったの4。これ以上は使用できない。
ならばどうするか。
危機に陥った時はいつも、頭で考えるよりも先に体が動く。
そもそも、戦場《FPS》において頭を回すこと自体がタイムロスだ。考えずに動くというのはアレンに言わせれば基礎中の基礎で、だからこそ危機にあっても迷わずに動くために、時間を割いて経験と努力を積む。
「そこだ」
だからここでも、アレンは迷うことなく後ろを向き、振り向きざまに指先のトリガーを引き切った。
「——がッ。……本当に、いい反応だ」
マグナがアレンの背後へと瞬時に移動して、一秒足らず。
短い銃声が轟き、マグナの額をとどめの弾丸が撃ち抜いた。
思えば初めから、敵の瞬間移動は直線的な軌道でしか移動できていなかった。連発しないことから、いくらかのクールタイムもありそうだ。
遮蔽物の裏に飛び込むといった器用な真似ができないことにアレンは、無意識下で気が付いていたのだ。
マグナの体がゆらりと傾ぐ。支える間もなく、そのまま硬質な地面へと仰向けに倒れ込んだ。
HPがゼロになった者の末路は一つ。倒れて動かなくなり、やがて塵へと返る。それはモンスターだけでなく、きっと人も同じで、そしてキメラに限ったことではない。
「マグナ——マグナ、さん」
もはや勝敗は決した。
熱を失いあるマグナは、ごとりと手に持つ銃を床へ置き捨てる。
血は流れ出ていない。けれど、目に見えないなにかが確かにその体から損なわれていく。
「俺も、昔はもうちっといい反応できたんだけどなァ。無念と言えば無念だ。異世界の夢破れたりってな、ハハ」
「……あなたは」
力ない笑いを漏らすマグナ。……輪郭が薄く、崩れかけている。体の末端から金色に光る塵へと変わっていく。その現象は刻一刻と進んでいき、残された時間のあまりの短さを物語っていた。
「悪を成敗した勝者がそんな顔するな。気分は悪くないんだ、勝手な話だけどな。ゲームで死ぬってのは、プロゲーマーとしちゃあ本望だぜ」
「こんな結果で満足だって言うのか、マグナさんは!」
「だから無念だつってんだろ、キメラでやっていく目標が頓挫してな。面白そうな話だったんだよ。お前には覚えがあるかは知らないが、現実じゃ生きづらい奴はいっぱいいるんだ」
「そんな……せめてなにか、言い残すことは」
「そうだな、自分の行いに後悔なんてないが……その慈悲に甘えるなら。アレン、お前が元の世界に戻れたら、チームのみんなには謝っ——」
言い終えぬうちに、その体は塵となって崩れ、世界に溶けていくように消失する。
その様を、込み上げる涙もそのままにアレンは見送った。
「わかったよ。帰ったら、みんなに話す。マグナさんがしたことも含めて、全部」
最後まで聞き終えることはできなかったけれど、その意は聞き届けた。
彼は紛れもなく罪を犯した人間で、この世界でも向こうの世界でも許されることはないのだろう。そうだとしても、その罪をなかったことにできないのだとしても、アレンにとっては頼れる先輩であり、仲間だった。
今でもそれは変わらない。だから、その願いを果たすと誓った。
アレンには共感できなくとも、マグナは自身の目的のために動いていた。それに対して本当に後悔を覚えなかったのだとしても——元の世界に戻ること、つまりは仲間の元へ戻ることを捨ててまでキメラに留まる選択をしたことに、彼がなにも思わなかったはずがない。
胸に静かな灯がともる。漠然とした決意が、はっきりとした色を持つ。
元よりアレンの目的は現実世界へ帰還することだ。そしてたった今、その理由がまた一つ重なった。
返事を聞く者はいない。今しがた、跡形もなくこの世界から消えた。
後に残るものは、なにも——
「……ぁ」
あった。
涙ににじんだ視界の中で、遺されたものに気が付いた。
硬質な床の上に一丁の小銃が置かれている。狙撃銃だ。ごついスコープが取り付けられ、その特徴的な銃床が真っ白い床で目立っている。
他に落ちているものはない。だとすればこれはきっと、彼が意図的にアレンに向けて遺したものだ。
アレンは手を伸ばし、その深紅の銃床にそっと触れた。
第一章 完




