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第十六話 決別

「どうして」


 呆然とした唇が、もう一度ぽつりと呟く。バベルまで走って頭に上った血が一気に引いていく。

 疑念は否定されるはずだった。バベルを回って、そこにマグナがいないことを確かめて、「ああやっぱり杞憂だった」と胸をなでおろす。

 そのはずだった。

 無言の彼我を嗤う、ごうごうという風の音がする。見ればマグナが背にする窓ガラスは、そこだけ切り取るように綺麗に割られていた。

 窓が割れている。何故。決まっている。射線を通すためだ。

 

 ゲーム内イベントで亡くなった二名の転移者プレイヤー。アレン自身に会ったことはないが、ジーク曰く彼らはスリーアイズ・レックスに屈するとは思えない、腕利きの者だった。

 バベルの中でアレンの知る限り二十一階層から二十九階層にのみに存在する窓は、外から見たときに見える窓と同じ。狙撃を行うなら格好のスポットだ。

 マグナは、アレンの呟きにしばし考える素振りを見せたが、やがて口を開いた。


「二人程度ならゲーム内イベントの事故で誤魔化せると思った。この世界なら遺体も残らねえし、死因なんかわかりっこねえ」


 核心的な言葉。もはや言い逃れのつもりもない。

 マグナが二名の転移者プレイヤーを殺めたことは、誰の目にも明らかだった。

 イベント中、あのバベルの窓でなにかが光ったように見えたのは、スコープの反射光だったのだろう。今となっては意味のない、遅すぎる気づきだった。


「に……人数の話しろって誰が言った⁉ おかしいだろ、なんでだよ!」


——だって、理由があまりにない。人を撃つ理由が。

 悪人ならまだわかる。この司法が機能しているか怪しいゲーム世界において、害をなす人間に対する自浄作用としてそういったを行為を行うのなら、その理非はともかく納得はできる。

 だが二人は、町にとって必要な自警団——<泰平騎士団>の人間だった。そんな凶行を働く理由が本当に、なに一つとして思いつかない。


「それが邪魔だったからだ」

「……え?」

「この世は俺が、俺たちが支配できる。そういえばお前は絵空事だと笑うか?」


 マグナは笑みすら湛えて、座った目でそんなことをのたまった。


「俺たちはこの世界に選ばれた! キメラへの転移者はゲーマーが大多数だが、それでも対人ゲームのプレイヤーは一部だ! そして俺たちゃFPSゲーム(殺しの)プロ、この世界じゃあ一番つえぇ!」

「つ、強い? なにを……言ってんだよ」

「わからないわけがないだろうが! 強いんだよ俺たちは! そもそも銃自体が近代武装、人を殺すために研鑽された叡智の結晶だ! 経験も武装も俺たちFPSプレイヤーの転移者は、この世界に選ばれた絶対の強者なんだよ……!」

「だからって人を殺すのか、そんな理由で⁉ バカげてるだろ! 強いから、殺せるから殺すだなんて、それじゃあまるで……」


——まるで、ゲームそのものじゃないか。道徳や倫理の絡まない、ただの。


「そうだ。この世界はゲームだ。シミュレートされた、下位の狭い箱庭だ。敵は強大で、この町だけでも<ギルド>や<泰平騎士団>とは間違いなく抗争になるだろう。だが、こちらにも同好の士……仲間がいる。同じこころざしを持つ奴らがな」


 語り口はどこか楽しげに。マグナはより口角を歪め、笑みを強める。


「抗争は——は、俺ら風に言うならクラン戦とか、スクリムか? いつもみたいに肩並べて戦おうぜ、お前もこっちにこいよ」

「ふざけるな……こんな、人の生き死にが懸かったものがゲームであってたまるかぁ‼」

「これだって立派なゲームだろう。命を賭した、最高のデスゲームだ!」


——わからない。この男はなにを言っている?

 ようやくアレンは、自身とマグナの間に隔たる絶対的な壁に気が付いた。理解を拒む、相容れない思想の壁だ。

 アレンはこのキメラを、ゲームでありながらも現実に近いものだと捉えている。

 だが、この男はまるで違うのだ。ここをいつものFPSと変わらない、画面の中に広がる世界と同じものだと認識している。画面の中で人を撃つのと変わらない気軽さで、蘇生リスポーンのない生身と同義の転移者プレイヤーを殺すのだ。


「わかんねえ……理解できねえよ。どう言いつくろったって、殺人だろうが」

「それはまァ、そうだな。でも実感はないんだ。人の頭を撃ち抜くのは、画面越しでもここでも同じ感覚だよ。うまくできたときは、やっぱりそれなりに嬉しいモンだ」


 狂っている。非現実に現実感を殺されている。

 決別は明白だった。

 不意に、割れた窓からひと際強い突風が入り込む。マグナは軽く目をつぶり、アレンは巻き上げられる髪もそのままに仲間の顔を見据え続けた。

 刹那、再び沈黙が横たわる。脳裏を過るのは後悔に似た感傷ばかり。

 マグナがこのキメラに来たのは三か月も前だと言っていた。


(……どうして、こんな)


 その三か月の日々が彼を狂わせたのか。それとも気づかなかっただけでずっと前から、電子の世界で、あるいはオフラインのブースで肩を並べていたときからそうだったのだろうか。

 どちらにせよ、ここにマグナという友人は許されない罪を犯した。本人がどう言いつくろったところで、二人の人間を確かに殺めている。

 だから悔いがあるとすれば一つだけ。せめて自身の転移がもっと早く、マグナと同時期であれば道を踏み外すのを止められたかもしれない。

 

 <泰平騎士団>の二人、ジークと、彼に仲間の死を伝えに来たフードの人物のことを思い出す。

 彼らの傷心は紛れもなく本物だ。仮にこの世界が偽りであろうとも。

 ……風が止んだ。マグナは目を開け、自身を見据える少女の——仲間だった男の、碧色の瞳を見た。

 互いの目には、今やはっきりとした溝が浮かんでいた。どうあってもわかり合えない。そのことを互いに理解した。


「残念だな。お前とは道を違えたくなかった」

「人を撃つことを肯定できるはずがないだろ……!」

「今はそうかもなァ。でも案外、長くいればお前も毒されるさ。俺の気持ちがわかるようになる、だって俺たちは人を撃つことが生きがいだったんだ」

「一生わかるもんか、それはゲームの話だ。せめて罪を償え、マグナ!」

「嫌だね。でけェ口利いてんじゃねえ、ガキが」


 拒絶を帯びた鋭い目に、確固とした黒い殺意が宿る。

 赤いライフルを持つ太い腕が動き出す。標的に向けて構えようとする動作。だが、重量的にハンドガンの方が早い。マグナがそれを構えるより先に、アレンは反射的にアーガスの黒い銃口を眉間へ向けた。


「——……っ」


 逡巡が胸を打つ。苦楽をともにした仲間を撃ち抜くことに対する忌避。それが引き金に加える力を遅らせ、その間にマグナの姿は消えていた。

 困惑もつかの間、すぐに敵の位置を把握する。前方約十メートル。元の位置から大きく後方で、マグナがスコープ越しに目を向けていた。

 刹那、視線が絡み合う。死の予感が急激に背を駆け抜けた。

 引き金を引かれるよりも先にアレンは咄嗟に遮蔽物——傍の無機質な、円形の白い柱の後ろへと転がり込む。


「いい反応だ、流石だな。簡単に死なれちゃこっちも面白くない」

「面白いだとか、命が懸かってるっていうのに言うな……!」

「だからこそだ。お前もそのうち感じるさ! キメラ(ここ)で人と戦い、命を削り合うことがどれだけ楽しいかをな」

 

 遮蔽物の位置を無意識に把握する、ゲーマーとしてのさがに救われた。

 柱の陰で思い返すのは、瞬時に消えて現れたマグナの動きだ。断じて目を離したわけでもない。十中八九ユニークスキル、それも——


「……瞬間移動」

「ご明察。こうして距離を取るにはうってつけだろう?」


 アレンの武装は中型のハンドガン一丁のみ。このレンジで撃ち合えばスナイパーライフルにはまず勝てない。相手はプロ、正面から撃ち合おうとすれば初弾で最悪頭を抜かれる。

 どう戦うにしても、開けられた距離を詰めなければ撃ち合いにすらならない。

 このキメラであらゆる外傷は存在しない。仮に運よくこちらの弾丸が頭に命中したとて、マグナのHPをそれだけでゼロにするとはあまり思えない。逆にスナイパーライフルの弾であれば、レベルの低いアレン程度一撃で殺せるかもしれないが。


(……まずは)


 インベントリを操作する。手の内に透明なガラス瓶が現れた。中には茶色の液体がなみなみに注がれている。

 ……思ったより量が多い。アレンはそれをごくごくと、白い喉を鳴らしてできるだけ時間をかけないように一気飲みしながら、頭の中で戦略を組み立てていく。

 どう動くか。それを考え始めると頭がクリアになっていく。スイッチが切り替わる。思考が澄み、四肢の緊張が解ける。

 動きを決めてしまえば敵が誰であるかなど関係ない。


 空の瓶をその場に捨て置くと、アレンは柱の陰に張り付けた身を一気に外へ躍らせ——そして、肩口が陰から出た辺りでまた体を引き戻した。

 直後、雷鳴のような銃声が轟く。柱のすぐ隣、アレンが一瞬だけ肩を出した位置を弾丸が通過した。


「ちィ、ショルダーピークか! 味な真似を……!」


——ショルダーピーク。遮蔽物から一瞬肩だけ出してすぐに身を引く、一種のフェイント技術だった。

 遮蔽物から出た位置にエイムを置いていた相手は、飛び出したと思って反射的に撃ってしまう。相手がマグナほどであれば二度三度と通用する技ではないが、初見から対応するのは至難を極める。

 そしてマグナのSR(スナイパーライフル)がボルトアクションであることは昨日確認済みだ。ボルトアクションは一度射撃するごとに大仰なコッキング動作を必要とする。

 その間隙を縫う。ボルトを手動で動かし、排莢や装填を行っているであろう間にアレンは今度こそ外側へ身を躍らせた。

 遮蔽物から遮蔽物へ。一気に駆け出し、またしても無機質に白い病院めいたカウンターの裏へと向かう。


「——、ぅあぁッ⁉」


 突如、左半身がちぎれ飛んだ。肩から先がなくなり、夥しい血が弾け床を濡らす。

 ……錯覚だ。キメラにおいて四肢が欠損することもなければ、血が流れることもない。だが、そう疑うほどの激痛が左肩を中心に痛覚を蹂躙した。


「うぐっ」


 痛みに足がもつれながらもなんとか目的のカウンター裏へ倒れ込む。

 神経を介して脳に送られる激痛が、掻き回すようにがんがんと頭蓋の内で暴れまわる。視界が滲み、あまりの痛みに呼吸が乱れて意識が飛びかける。

 苦痛に喘ぎながらも必死に気を強く持ち、吐き気をこらえながら肩に目を落とすが、やはり肌どころか服にさえ傷一つ存在しない。

 しかし、視界の端にあるHPバーは残り一割ほどにまで一気に削られている。

 撃たれた。そう理解できたのは、それを見てようやくのことだった。


(想定よりもコッキングが早い……! なんだ?)


 なにか高速化のからくりがあるのだろうか。考えども答えが出るはずもなく、アレンは痛みの余韻を噛み殺しながらインベントリを操作し、手にもう一度ガラス瓶を現出させた。さっきとは違い、緑っぽい液体が注がれている。

 『初めてのモンスター討伐』の実績で手に入れた、低級回復ポーションだ。ポンッと蓋を開け、急いで飲み干す。するとみるみるHPバーの赤色が復活していく……が、残り一割にまで減らされたバーは、六割ほどにまで戻ったところで増加を中止した。

 低級と言うだけあり、回復量が思いのほか少ない。50といったところか。

 これでは確定数は変わらない。もう一度あの弾丸を受ければ。HPはそれだけでゼロになる。


 そもそもたった一発で九割——90近いダメージを受けたことが恐ろしい。

 が、着弾位置は肩だった。

 モンスターに弱点判定があって、人間にないことはないだろう。頭に貰っていればその時点で死んでいたはず。ぞっとする話だ。

 頭でなくとも硬化のポーション、あるいは昨日リーザに選んでもらった硬化の腕輪のうちどちらかか、その両方が欠けていれば即死だったかもしれない。


「胴撃ちとはいえ、そのレベルで深紅の道(クリムゾン)の一撃を耐えた? どこかで硬化ポーションでも手に入れてやがったか」

「ああ、過呼吸でな!」

「……?」


 未だにじんじんと響きを残す痛みを無視し、アレンはアーガスのウッドグリップを強く握り直した。一撃貰いはしたものの、距離は大きく縮まっている。

 荒い息を整え、立ち上がってカウンターから上体を出す。

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