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第十五話 いるはずのない男

「ガアァァァァァ——」


 目を撃たれて重心の崩れた巨体を、二振りの剣が交差する。

 実直な白銀の刀身と波打つ黒い刃。リーザとジークの一撃を腹に受けて、スリーアイズ・レックスは塵へと返り消滅した。

 これで五体目。三者の息も合い、連携が洗練されてきたのもあって倒すのにそう時間も掛からなくなってきた。


「やったわっ」

「電子の海に眠れ、忌むべき者よ。……しかし、アレン君と言ったか? 彼女の射撃は空恐ろしいな、まだ幼いのに」


 アレンは消滅を確認すると、息をついてアーガスのマガジンを交換する。

 古いマガジンはその辺りにポイ捨てだ。バッドマナー……に思えるが、しばらくするとこれも勝手に消えている。元々リロードをしたいと思えばどこからともなく手の内に現れるマガジンだ。ゲーム世界ならではの不思議現象があった。


「……ん?」


 ふと、アレンは視界に入るバベルの窓へ目を向けた。

 ここからでは直線距離でどのくらいあるだろう。ともかく遠く、町の中心にある天を穿つ巨大な塔も、ここからでは遠近法でアレンの細い指と変わらないサイズだ。


「どうしたのアレン、ぼーっとしちゃって」


 そんな、彼方の塔を注視するアレンを疑問に思い、いつの間にか近づいたリーザがその小さな頭の上にぽすっと手を置いた。わざわざインベントリに剣を仕舞ってまで。


「いや、バベルの方でなにかが光ったような気が……って、撫でないでくれ」

「ええー? ふふっ、いいじゃない」


 なでなでなでなで。柔らかな手がアレンの髪をぐちゃぐちゃにする。


「よくない」

「アレンの援護射撃、すごく助かってるわ。流石はプロゲーマーね。すごいすごい」

「……俺、中身は十八だって言ったよな?」


 ささやかな抗議もむなしく、ほころんだ表情でリーザは金糸のような髪に覆われた頭頂部を撫で続ける。子どもをあやすように。


「それでも今は女の子じゃない。認めちゃおうよ、アレンちゃん?」

「頼むからちゃん付けはやめてくれッ……!」


 本当に心からの懇願だった。

 仮にこの瞬間は幼女でも、精神までそうあることを受け入れてしまえば、今はよくとも元の世界に戻った際に大変なことになる。

 具体的には、立ち振る舞いが幼女の、別に女顔でもなんでもないゲームだけが取り柄の十八歳男性が爆誕してしまう。そんな親を泣かせるようなことはしたくなかった。


「俺は男だ……男なんだ……」

「ふふふ。そうやって必死に言い聞かせてなきゃ保てない時点で、陥落は間近ね」

「ぐっ……!」


 思わずたじろぐ。言い返せない。

 鏡を見るたびに「あれ? 俺めっちゃかわいくね?」などと思いながらこっそりポージングをしていたことや、正直密かにちょっとかわいい服とか着てみたいなぁとか思うことがあるのは絶対に隠し通さねば——


「ふむ? アレン君は男性なのか? 私の曇りなきまなこには、そうはとても見えないが」


 話を聞いたジークがやってきて、葛藤を浮かべた表情のアレンを見て言う。


「なんだよ曇りなき眼って……なんか、転移した際にこの体になってたんだ。俺はもともと男だよ」

「ついでに、FPSのプロゲーマー。おーばーすとらいく? ってゲームだって言ってたわよね、私はしたことないからわからないけど」

「プロゲーマー……成程、道理で尋常ならざる精度の射撃をするわけだ。私もFPSゲームには詳しくないが、さぞ名のある銃士なのだろう。転移の折に体が変わるというのは聞いたことはないが、君の言を信頼しようじゃないか」

「銃士て。そりゃどーも」


 妙な言葉使いにも慣れてきた。軽く流すと、再度アレンはバベルをちらりと見た。……さっき光ったように見えたのは気のせいだったのか。この距離ではわからない。

 町のあちこちからは未だ、鬨の声や刃の音が上がる。

 恐竜襲撃——ゲーム内イベントが始まってから、早四時間といったところだろうか。

 心なしか戦況は、前線もこれ以上下がることなくいい方向へ転がっている気はする。だが、戦火は未だ止まない。まだ戦っている人は大勢いる。


「……そろそろ休憩終えて、次行こう」

「うんっ」

「賛同しよう。我々の勇が救うべき場は、まだ多そうだ。犠牲者はいかほどだろうか……」


 兜の奥から聞こえるジークの声は痛ましげだ。<泰平騎士団>の仲間、あるいはそうでない者たちのことも憂いているのかもしれない。

 街の中を戦って巡るうちに、<泰平騎士団>の人は何度か見た。

 ジークも付けている黄色い四角のチャーム。リーザが言うには、これが騎士団の証なのだそうだ。時折、あの恐竜モンスターと戦って押されている彼らと入れ替わる(スイッチする)こともあった。


「ともかく、早く収めるしかないな」


 二人が頷く。

 キメラに転移して三日目、アレンにとって初のゲーム内イベントは、彼にとって過酷な洗礼と言えた。

 その後の結末も含めて。



「『グラトニー』!」


 リーザの波打つ剣が、赤黒い妖しい光を纏う。そのまま、抉るような一撃が魔物の巨躯を斬り裂いた。否、実際に切断はされていないが、黒いエフェクトが弾けてスリーアイズ・レックスはその場にずしんと身を横たえる。

 毒の怪鳥でもあるまいし、死んだふりをする知能があるはずもなくそのまま塵となって消えた。


「ナイスだリーザ。ユニークスキルか、今の? まあとにかく、これで……」


 討伐数は二桁に乗り、これで十四体目。町全体で倒した数はわからないが、百近くはいたのではないか。

 しかしそれも、窺える範囲ではこれで終わりだ。

 感嘆に見逃すようなサイズのモンスターではないが、どこかに潜んでいたり、まさかの第二波でもなければこれが最後のはず。

 緊張の解けやらぬ中、唐突にピピッという電子音が鳴る。


「ようやく終焉を迎えたようだな」


——最後のスリーアイズ・レックスが倒されました。『恐竜襲撃』イベントを終了します。

 そう書かれた半透明のウィンドウが眼前に現れ、アレンは思わず張り詰めた力を口から吐き出して脱力した。


「はあ、やっと終わったのね。まさかこんなにたくさん倒すことになるなんて、まったくハードだったわ」

「俺も疲れた……なんかキメラに来てから連日疲れっぱなしな気がする」


 同じように、指を軽く動かしてウィンドウを閉じたリーザが肩の力を抜く。

 初日は森や洞窟を歩き回り。二日目はバベルの中で、岩場の荒地や入り組んだ現代風の建物を駆けた。

 そして今日は街中で恐竜ハントだ。アレンのように、引きこもり気味になりがちな、運動不足のゲーマーがこなしていい運動量ではない。ふくらはぎなんかは既にちょっと筋肉痛だ。


「そのうちムキムキ幼女になってたらどうしよう、俺」

「そうはならんでしょ……」


 軽口を叩きながら、近くのレンガ積みでできた花壇の縁に尻を置く。

 天を仰げば太陽は傾ぎ、徐々に夕焼けが空の青を侵しつつある。

 日が落ちるのは、早くも遅くもない。この世界に四季があるのかもわからないし、日本国外の気候もよく知らないが、気温で言えば秋初めくらいだろうか。今のところは過ごしやすくていい。


「ん、ジーク?」


 火照った体を涼やかな風で冷やしていたアレンは、ふと佇むジークに声をかけた。

 なにかをしていたわけではない。むしろ、なにもしていなかったから声をかけたのだ。

 ゲーム内イベントは終わった。町を押そう怪異は失せ、危機は去ったはずなのだ。だというのに、彼は兜も脱がず、未だ神妙な面持ちでいる……気がする。

 顔は見えないが、なんとなく雰囲気でそう感じたのだ。


「む、いや…………改めて、感謝する。アレン君、リーザ君。諸君らの貢献がなければ、助けられなかった命があったかもしれない。<泰平騎士団>団長として、かつて帝国に名を馳せた私からも礼を述べさせてもらう」

「ああ、うん。その帝国ってのはよくわかんないけど、どういたしまして。え? あるの? そういう国」

「ないわよ。私も助けになれてよかったわ。とりあえず私たちは無事で済んだし、本当によかった」


——ないのか。じゃあ本当になんの話なんだよ。


「そうだな、怪我……はこのキメラの世界においては縁のないものだが、息災で済んだのはかけがえのない幸運だ。私たち三名は、だが」

「ぁ……」


 そこでアレンは、ジークがなにを考えていたのかを理解した。

 同じギルドの仲間をはじめとする、転移者プレイヤーたちの身を案じていたのだ。


(そうだな……俺たちが無事だからって、喜ぶのはまだ早い)


 真の意味で、まだイベントは終わっていないのだ。アレンは浅薄な認識を恥じるとともに、花壇から腰を上げた。

 思えばイベント中一度も姿を見なかったが、マグナは無事なのだろうか。

 花壇から立ち上がり、仲間の姿が脳裏を過ると同時に小路のほうから、たったった、と小走りにこちらへ向かう足音が届いた。

 ジークの前で止まる。軽い足音の主は、小柄で紺のフードを深くかぶった人物だった。

 その顔はフードだけではなく、白い仮面でも隠されている。少年か少女か、そのどちらか——体躯からおそらくは後者だと思われるが断言はできない。


「団長。おおまかですが、被害状況を伝達に来ました」


 フードの人物は、一度アレンとリーザを一瞥したものの、すぐに鎧姿のジークへと視線を戻す。その声は高く、やはり少女のように思えるが、変声期を迎えていないのであればわからない。

 ジークは先と同様の、神妙な雰囲気で頷いた。


「……フェイクゴールドさんと、正円しょうえんさんが行方不明だそうです」

「そう、か」

「っ——!」


 片方はいわゆるネット上のハンドルネーム、もう片方は本名だろうか。

 行方不明。二人の人間が消えた。やってきたこの人物は、そう伝えたのだ。それがどんな意味を持つのかわからないほどアレンもリーザも鈍くない。

 HPがゼロになったモンスターは、塵になって消える。

 では、人間はどうか?


(いないってことは……死んだってことか。おそらく)


 人も同じだ。HPがゼロになった転移者プレイヤーもまた、おそらくは塵となる。

 現実世界のように、そこに血や遺体を残したりはしない。存在した証すらなにもなく、ただこの世界キメラから消滅する。

 そういうことなのだ。


「最後に、彼らを見た地点は」

「団員の報告では、二人とも東部の広場で前線を支持していたと」

「指定の位置からは動いていないのか? しかし、二人は団員の中でもトップ層の……フェイクゴールドに至っては、<ギルド>と掛け持ちでバベル攻略にさえ参加するつわものではないか。スリーアイズ・レックスと言えど引けを取るはずが……!」

「え、ええ……わたしもそう、思います。ですが……」

「……すまない。君に言っても仕方がないことだった。君のような小さな子にこそ、酷な話だ」


 アレンもリーザも、話を聞けども口を挟めずにいる。挟めるはずもない。

 片や仮面フード、片やプレートアーマーで分厚い兜を被っているため両者とも素顔は読み取れない。だが、仲間を亡くし、沈痛さをこらえ切れずにいることは見ていてわかった。


(東部の広場……)


——東には迷いの森がある。つまり、スリーアイズ・レックスがやってくる最前線ということになる。

 同時にあそこの広場と言えば、アレンがシリディーナの町へやってきて初めに見た景色でもある。町案内のNPCに話しかけられ、その後リーザにからかわれた思い出の場所だ。

 だから覚えている。開けていて、遮るものの少ないその場所を。


「まさか二名も……それも転移者プレイヤーの中でも腕利きだった彼らを失うとは。団長として、己の力不足を感じずにはいられない——」

「そんな、団長に非はありませんっ。……わ、わたしだって信じられないです。あの人たちが、スリーアイズ・レックスに、なんて」


 表情は見えずともその悲痛が、夕暮れの空気を重くする。

 ジークとフードの人物が話す間、リーザは顔も知らぬ二人の死を悼み、ぎゅっと唇を引き結んでいた。


「…………消えた二人は、強かったんだな」


 そんな中、アレンがうわごとのように、ぽつりと呟く。

 一瞬、沈黙が満ちた。いきなりの言葉に三者は驚いたものの、ジークが答える。


「……我が<泰平騎士団>にとって欠かせない支柱だった。このイベントで彼らが没することになるとは、露ほどにも思わなかったよ、私は。本当に信じがたい」

「そうか」

「そ、そうかって、アレン?」


 なにかが引っ掛かっていた。

 リーザの呼びかけも無視して無言で考え込む。

 最前線となった開けた東の広場。遅れを取るはずのない見知らぬ二人。遺体の残らない世界。そして、彼と、バベルの窓で——

 そんなはずがないと、心が強く思う。それと同じだけ、冷静な頭が可能性を提示する。

 裏切りにも似た疑念。自分はひどく的外れな考えをしている。そう思いたくて仕方がなくて、思考をすべて捨てたくなるような、結論にたどり着くことを忌避する気持ちがあった。

 だがそんな堂々巡りに至る前に、答えは簡単に出ているのだ。


 一分足らずの沈思黙考から、アレンは顔を上げた。

 状況証拠から浮かび上がった推論は、あまりに荒唐無稽に思えた。だからそれを肯定するのも否定するのも簡単で、だったら話は簡単なのだ。

 確かめに行けばいい。正しいか正しくないかは、それだけで知れる。


「っ!」


 駆け出した。方向音痴なアレンには、ここがシリディーナのどのあたりなのか今一つ正確にはわからない。

 

「アレンっ、どうしたの⁉」


 しかし問題はない。目的地は、町のどこからだって視認できる場所だ。

 真っ白な頭で駆ける。背に届いた声にも振り返らず、ところどころ壊れた町の景色に目もくれず、ただひた走る。ゲームの中で死んだ人間がいる。そのことを深く考えて恐怖するより先に、確かめなければならないことがある。


 そうして遥かな塔が間近に迫り、アレンは止まることなく中へ入った。

 バベル、そのロビーだ。中に人は誰もいない。意識していなかったため確信はなかったが、出ていく人とは一人、二人程度すれ違ったような気もする。イベント中に籠っていたのだろうか。

ともかくアレンは息を切らしたまま、ロビー奥の段を上る。

 そして、そこにある大きな石のフレーム——ゲートの中へと迷わず体を突っ込んだ。


「二十九層、二十九層、二十九層……‼」


 頭の中で唱えるだけでなく、気が付けば声にまで出していた。

——狙撃に限った話ではないが。銃撃とは常に、高所を取るのが定石だ。ならば昨日のように二十一階層を選ぶよりは、できるだけ高くのほうがいい。

 今はボス不在だが、元ボス部屋だったという三十階層は入ったことがなく、窓があるかわからなかったのでまずはパスする。だがボス部屋に区切られるまでの階層……二十一から二十九は、そのマップ構成に差はあれど、基本的な造りや意匠は同じのはずだ。二十九階層を見て何事もなければ、二十八、二十七と段々に降りていき、最後に三十階層も念のため見ておこう。


(そうだ、それでなにもなければいい。俺の杞憂、考えすぎに決まってる!)


 ふわりと温かな感触が全身を包む。

 ゲートを用いた転移。その緩やかな移動がもどかしくて仕方がない。

 やがて音もなく、空間を超えた移動が終わる。ロビーから第二十九階層。

 結果から言えば、初手から当たりだった。

 石のフレームから踏み出した、そこには——


「どう、して」


——いるはずのない、男がいた。


「……露見しない自信はあったんだがな。よりにもよってお前に見つけられるとは——いや、お前だからこそわかったのか。アレン」


 淡々とした口調。

 白い窓枠に浅く腰かけるマグナは、冷えた表情を張り付けて、その手に真っ赤な銃床を提げながらゆっくりと振り返った。

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