第十三話 黄金の矜持
ピ——、と機械的なアラーム音が耳朶を打つ。
意識がその音に揺り動かされ、まどろみの海から浮上する。
「朝、か……」
毛布にくるまったままのアレンは、未だぼんやりとした感覚のままぬっと腕を伸ばす。
目覚まし時計は、どこだ。
なおもピピピピとけたたましく騒ぐアラームの発信源を探して、ベッドの上を細い腕がぱたぱたと動く。だがいつまで探せども、音を発するそれは見つからない。
「…………目覚まし?」
そのうちに、アレンは強い違和感に目を開いた。目覚まし時計などあるはずがない。
だって、ここはキメラで、ゲームの中なんだから。
「っ‼」
眠気とともに毛布を蹴飛ばして跳ね起きる。
まどろみの失せた今でもアラーム音は変わらず部屋に響き、幻聴ではないと知らせている。
なんの音だ? どこから聞こえている?
一体なにが起こっているのか、寝起きの頭ではまるで理解が追い付かない。
——動揺するアレンの眼前に、『恐竜襲来』と書かれた半透明のウィンドウが浮かんでいた。
「ゲーム内、イベント」
ぽつりと呟き、そのポップアップに軽く触れる。するとアラームを発していたのもそのウィンドウだったらしく、それが閉じると同時に耳障りな音も消えた。
……目覚まし時計を思わせるアラームで目が覚めたせいで、現実の夢を見たのかもしれない。
「いや、そんなことよりだ……!」
恐竜襲来。やはり昨日、三人であのボードの前で話した考察は正しかった。シリディーナの町へ、あの三つ目の恐竜がやってくる!
まずはこのことをリーザに知らせなければ。アラームに気が付かず、向かいの部屋で未だ眠っているかもしれない。
ベッドを飛び降り、そのままぺたぺたと廊下に繋がるドアへと近づく。ドアに手を伸ばし、ノブをひねりかけたところで、
「——アレン、起きてる!?」
「ぐぼはぁっ」
一人でにドアが開け放たれ、アレンはその巻き添えで吹き飛んだ。ドアの木目に鼻先を強打し激痛が顔面を迸る。視界の奥で視界が瞬くのを感じながら、床へあお向けに倒れ込んだ。
「ああっごめん! わ、わざとじゃないのっ」
平身低頭、寝間着のまま頭を下げるリーザ。
どうやら彼女も例の恐竜襲来イベントのアラームで飛び起き、アレンにそれを知らせようとしてくれたらしい。アレンと同じ思考だ。
それが間の悪いことに、ドアを開くタイミングがバッティングしてしまった。
「いっつつ……ああ、へーきへーき」
「ほんとにごめんなさ……ってアレン、服っ服!」
「え?」
「脱げてる見えてるはだけてるからぁ!」
「——」
昨夜、バスローブ姿のまま寝てしまったことが災いした。
視線を下げてアレンが自分の体を見下ろすと、ぶかぶかのそれは完全にはだけ、前が全開きの状態になっている。
「わ……わああああああああぁぁぁぁ————っ!?」
下着——パンツだけは着用しているが、そのほかはなにも纏っていない。
ほのかに血色が浮かぶ桃色の素肌が晒され、細い肩も発育し初め最序盤といった成長度の胸も、腹筋が未発達なゆえの胃下垂により少しぽこりとしたお腹も、傷一つない両の眩しい脚も、隅から隅まで暴かれる。
「あ、ぁ……っ」
「え、ええと、その、ごめんねアレン——」
「……でもよく考えたらロリボディだしそんなに恥ずかしくないな……」
「ええ……」
一瞬羞恥に悶えるか迷ったが、別にそうでもないな、とアレンは気を取り直してバスローブを着直した。
以前の、キメラに来る前の男性だった体を見られるのならともかく、今の小さな体を目撃されたところで別段羞恥心は刺激されない。
そもそも他人の体同然だからだ。この第二次成長期が始まるか否かといった幼女の肉体のことを、イマイチ自分の体だとは思いきれないところがあった。
「ていうか、そんなことよりゲーム内イベントだ。恐竜襲来——始まっちまったな。朝から気が重いが、夜中に来るよりは幾分マシか?」
「めっちゃ切り替え早いじゃん……」
アレンはベッドに腰を下ろし、顎に手を当てて思考を回す。朝イチだが、精神的にも物理的にも頭に衝撃を受けたおかげで脳の回転は鈍くない。
「アラームが鳴った以上、今からイベント開始ってことだな。……とりあえず、万が一を考えて動けるようにはしておくか」
「う、うん。あの恐竜が生息するのは、東にある迷いの森。ここシリディーナの東部だから、結構早くに来るかもしれないわ」
「……俺が起きた森、迷いの森って言うのか。いかにもな名前だな」
今にして思えば、方角も目的地もわからぬままガムシャラに歩いて、このシリディーナにたどり着けたのはかなりの幸運だった。
昨日、部屋でおとなしくしていろとマグナに言われはしたが、なにが起こるかはわからない。
とにかく準備だけは万全にしておくべきだろう。リーザも寝間着のままなため一度部屋に戻り、互いに準備と装備を整えることにした。
顔を洗い、適当に髪を整える。中身が男なのでその辺は変わらず雑だ。ドライヤーもない世界なので、もう櫛で梳かしてさえいればなんでもいいと思っている。
「よし」
服に袖を通し、諸々の支度を終えた頃、にわかに窓の外が騒がしくなり始めた。
見れば、装備に身を包んだ転移者たちが街へ出てあわただしく動いている。まだ本格的に恐竜モンスターが襲ってきたわけではないようだが、既にゲーム内イベントの騒ぎは伝播しているらしい。
「朝メシ、食う余裕あんのかね……NPCはイベント中でも変化なさそうだしいけるか」
期待半分で食堂へ降りてみると、いつも通り用意されていた。
無感情なNPC相手と言えど、主人のお婆さんに頭を下げ、感謝を述べて席に着く。
パンとスープのみの味気に欠けた簡素な食事ではあるが、作ってもらう以上文句は言えない。それにアレンは食べやすいここの食事が嫌いではなかった。
手を付けずに少し待つと、慌ただしくリーザが階段を降りててやってくる。
「ごめん、待っててくれたんだ」
「ああ。早く食っちまおう」
テーブルに二人揃い、同じ動作で「いただきます」と挨拶する。
アレンは少々行儀悪く、小急ぎに食事を小さな胃へ詰め込んでいく。年齢による体格差をものともしない爆速の食事動作により、リーザが二口パンを齧る頃、既にアレンは朝食の実に六割を終えていた。
「——ごくんっ。……外、聞こえるか?」
「え?」
突然そう言われて、リーザは面食らいながらも耳を澄ませる。すると、壁やドアの木材に隙間が空いていることもあり、広場の方からと思しき声が微かに聞こえた。
咆哮や喊声。戦場特有の、恐れを消すための鼓舞だ。
「この声……スリーアイズ・レックスとの応戦が既に始まってるのね」
「あ、そんな名前だったんだアレ……」
緊張を含んだ面持ちで、リーザもはむはむと小急ぎにパンを食べ進めていく。
アレンは既に食べ終えて口を拭いていた。
「た、食べるの早すぎない? いつもは私と変わらないのに」
「早食いはゲーマーの必須スキルだからな」
「えぇーなによそれ初耳……私も一応、MMOはそこそこゲーマーなんだけど」
「ん、そうだったのか。そういや知らなかったな」
キメラはゲーマーが集う。が、肝心のリーザがどんなゲームをやっていたのかはまだ聞いていなかった。
MMORPGといえば、ネットゲームにおける華だ。歴史も深く、規模も認知度も大きい。
(俺は詳しくないけど……)
しかしアレンは根っからのFPSゲーマー。人を撃てないゲームはあまり経験がない。
だからこそ、リーザが頼もしくもあった。
キメラは様々なゲームを継ぎ接いでいる……とは聞いていたが、過ごしていてどうも、その根底はMMORPGに近いものを感じる。そもそも転移者が数百人集まれば、自然とそうなってくるものかもしれないが。
「改めて、リーザがいてくれてよかっ——」
アレンが言い終えるより先に、ドシャッ——という衝撃が宿全体を揺らした。机が傾ぎ、空の食器が机上を転がる。
「——っと」
それを、アレンは咄嗟に手を伸ばしてキャッチした。
点灯されていない吊りランプがゆらりゆらりと揺れ動き、軋む音を立てる。
「な、なに……⁉」
怯え半分驚愕半分といった様子でリーザが立ち上がる。アレンも顔には出さなかったものの、突然のことに内心は恐々だ。平常運転なのはNPCのお婆さんだけで、何事もないかのようにカウンターで佇んでいる。
「スリーサイズナントカが倒れた拍子に、壁にでもぶつかったのか……なんにしろまずい傾向だな」
空の皿に続いて、パンの乗っていた小皿とコップを手で素早く受け止め、机の上に戻しながらアレンは歯噛みした。
町の入口広場で抑えているはずの恐竜モンスターが、この辺りまで来ている——それは前線が後退していることを意味する。押されているのはまず間違いない。
「そんな名前じゃないけど……で、でもどうしよう。<泰平騎士団>に<ギルド>までいて、それでも押されるなんて相当なのだわ」
「どうもこうもない、こんな状況でおとなしくなんかしてられるかっ。部屋にいたら最悪宿ごと潰される羽目になる」
アレンは立ち上がり、インベントリから唯一の武装を取り出す。
マグナには部屋から出るなと言われた手前ではあるが、もうそんなことを言っている場合ではない。宿が壊れでもすれば、アレンだって困る。それに、アレンが戦線に協力しないことで誰かが割を食うこともあるかもしれない。
「行くの……? アレン」
「当然だ」
スライドを引く。安全装置は付いていないので、それだけで臨戦態勢だ。
扉の方へ歩こうとするも、その前になにも言わないリーザが気になって、アレンは顔を向けた。彼女もまた、町の被害を抑えることに尽力することを辞さないとばかり思っていたからだ。
リーザは立ったまま拳を握り、内なる葛藤に苛まれるように苦しげな表情で唇を噛んでいた。
「リーザ?」
初めて見る姿だった。転移直後の、右も左もわからないアレンにこの世界の基礎知識を教えてくれた、世話焼きでお人よしの彼女らしくない迷いがそこにあった。
そう、らしくないのだ。誰かを助けようとするのを戸惑う理由など、どこにも——
「ねえ……アレンは、怖くないの?」
「え?」
「私よりレベルも低くて、装備も弱いのに……どうしてそんなに前へ出ようとできるの? キメラでも、死んじゃった人は帰ってこないんだよ?」
目じりに玉の涙さえ浮かべ、リーザは身を抱きながらそう吐き出した。
死んだ者は還らない。復活や蘇生、リスポーンの現象は確認されていない——そういうことだろう。キメラにおけるゲームオーバーは現実と同じ死と捉えられているらしい。
そんなことすら気にせず戦場に躍り出ようとしていたのだから救えない。アレンはふっ、と自嘲の笑みをこぼした。
「アレン……?」
それを見てリーザが、怯えに似た目を向ける。なぜ笑うのか理解できないという風に。
「怖いさ。どこでだって、死ぬのは怖い」
「だったら——」
「でも、するべきことをしないままでいるほうが俺は嫌だよ」
「——……!」
究極的に。アレンにとってキメラの世界と現実の世界に、大した差異はないのだ。
ただ、キメラではFPSゲームができない。やりたいことができず、応えるべき期待に応えられず、返すべき恩を返せない。だからここから帰りたいだけ。
もとより画面の中ばかり見てきた人生だ。ゲームの中に入ってしまおうと、その在り方は大差ない。
「誰かが困っているのなら、手を差し伸べるのが人として正しい行動だと思う。スポーツマンシップと言い換えてもいいかな」
競技の外であろうとも、アレンはプロゲーマーだ。世間や一部の人間がなにを言おうとも、彼らは一競技におけるトッププレイヤーであり、そこに費やした努力と信念は他のなににも劣らない。
同時に、チームという枠組みに所属し、多くの期待を背負う者は人格者であらねばならない——これはプロゲーミングチームの中では歴史ある大御所、<デタミネーション>が選手たちに掲げる理念でもあった。
「危険なのに、助けに行くの?」
「危険だから助けに行くんだ。だって、俺が行かなきゃもっと危ない」
現実世界ならいざ知らず、ゲームの世界であればできることはある。経験に裏付けされた自負と、プロプレイヤーとしての使命感が逃げることを許さない。
近くの建物が倒壊でもしたのか、瓦礫が崩れるような音がドアの向こうから聞こえてくる。
「リーザは無理をしなくてもいい。ここにいて……いや、もう町の中心部、バベルにでも走った方がまだ安全か?」
「……ううん。私も行くわ」
震えた足で、リーザは一歩踏み出した。振り払いきれぬ恐れを、それでも乗り越えようと。
「無事で済む保証はない、わざわざ俺に付き合わなくても——」
「そんなんじゃない。見くびらないで……! 私だって、隅で縮こまるよりは誰かのために動きたい!」
にじんだ瞳がキッと前を見据える。
彼女が善良で、道徳的な人間であることなどアレンは身を持って知っている。キメラで目が覚めて今日まで、幾度となく助けてもらった。
そんな彼女が、まだ震えたままの足で、それでも危険を呑む決意を下したことに尊敬の念を覚える。
その決断を尊重しよう。
「わかった。——行こう……!」




