第十二話 偽りの月、崩落の夢
「はー、さっぱりした」
ぶかぶかしたバスローブ姿のまま、アレンはどさっと背からベッドへ倒れ込んだ。
近世ベースのゲーム世界であっても、風呂があるのはとてもありがたい話だ。流石にシャワーまではないけれど。
深く息を吐くと、自然と全身から力が抜ける。
あの後、リーザと町を広く歩いたため、昼間にバベルで戦ったこともあって今日も疲労はかなりのものだ。特に幼いこの脚では、移動するだけで余計に疲れがたまる。
気を抜けばそのまま寝てしまいそうだ。アレンはベッドに体を預けたまま、そっと左腕を伸ばす。そして、指先でインベントリに仕舞っていた装備を取り出した。
伸ばした左腕の手首に、荘厳な黄金色の腕輪が現れる。ゲーム内名称で、硬化の腕輪と言うらしい。
先日リーザが言った通りの、このシリディーナの武器屋に銃火器の類は売り出されていなかった。メインウェポンは当面、マグナから譲り受けた拳銃——アーガスに頼ることになるだろう。
だが、防具の類であれば別だ。初期装備もステータス的には悪くないらしいのだが、せっかくバベルで敵を狩って金を稼いだのだから——金は自動でドロップし、貯められていることがウィンドウから確認できた——武器を買わない分防具に預金を回すべきだ、とリーザが言い出したのだ。
そんなわけで防具屋を見て回ったが、重大な見落としがあった。
サイズが合わない。
「……想定外だったなあ」
防具と言っても鎧や鎖かたびらだけではなく、ステータスが設定された衣類すべてをそう呼ぶそうだ。
そこで、おしとやかな落ち着いたデザインのものから、胸元を強調したセクシーな装備まで様々な女性用装備を見て回った。が、そもそも子どものこの体に合わない。
後者に関してはもう胸がスカスカだ。でもそれを嘆くのは、なんだか大前提として男であることを曲げている気がするので考えないようにした。
一応、着られそうなものも置いていないではなかった。
フリルのたくさんついた、とってもファンシーなピンク色のキッズドレスとか。
これを着たら男としていよいよ終わりだなと思った。リーザはやたらと勧めていたが。
となれば順当な選択肢として、オーダーメイドで作ってもらうことになるのだが、それだと手持ちの金額を超えてしまう。宿代も必要だし、今はやめておいた。
そこで装飾品系、アクセサリの装備だ。これならば衣類系の装備よりも安く効果が期待できる。
そういうわけで、リーザのおすすめで選んだのがこの硬化の腕輪だった。
おすすめの理由を訊いて一言目が「髪色と同じで似合うから」だったのは断ろうと思ったが。
「まあ、でも悪くはないかな」
シンプルな意匠ながらも、外側に彫られたレリーフが美しい。
硬化の名通り、防御力があがるそうだ。きっとインベントリに入ったままの硬化のポーションも同種の効果だろう。
とはいっても、装飾品のステータス上昇量は基本的に僅かで気休め程度である、というのが通説らしい。このゲームはステータスウィンドウを開いても装備の具体的な数値は確認できないのがどうにも不便だ。
隠された数値が多い。ならば肌感覚や、他の転移者間で情報を共有しなければならない。そういう意味ではギルドに入るのは合理的だ。
ちなみに、装飾品系の装備があるとリーザに説明を受けた時、アレンは「じゃあ両手両足に200個くらい付ければ最強じゃね?」と思ったのだが、どうやら装飾品を装備して効果が発揮するのは上限二つまでらしい。
両手首両足首に硬化の腕輪を装着しまくって耐久値を爆上げする計画は、リーザの呆れた一笑に頓挫した。甘い話はない。
「そうだ」
アレンはついでと言わんばかりにインベントリからもう一つのアイテムを取り出し、右手に収めた。
木のグリップが手に馴染む。拳銃の中では大きな部類ではないが、今のアレンの手からすればこれでも十分に大型だ。
アーガス。昼間何度もそのトリガーを引いた、黒い銃身のハンドガンだ。
「……これ、メンテナンスとかいらないよな?」
念のため弾倉を抜き取り、銃口周りを確認する。
実銃であれば、マズル付近にオイルが染み出したりガスで汚れることがあると聞く。が、そういった汚れは見られなかった。
単に使用時間が短いからだろうか。マグナは手入れをしていた……のは、少しイメージできない。
「いざ戦闘でトリガー引いたら、整備不良で腔発とか洒落にならないぞ……」
ただ、プロと言ってもアレンは銃に詳しいわけではない。あくまでゲームのプロ、というだけだ。実銃どころかモデルガンだって持ったことはなかった。整備の方法も詳しくは知らないしその道具もない、そもそも分解自体できそうにない。
結局、ゲーム世界だからそこまでシビアではないか、インベントリに出し入れする際に元の状態に戻っている可能性に期待することにした。諦めと一緒に、アーガスをインベントリへ仕舞う。
もう寝てしまおう。
「——」
手首の、黄金の腕輪が目に入る。
これもインベントリに入れるか迷ったが、せっかくなので着けたまま眠ることにした。
「今度、一応マグナさんに銃の整備が必要か訊いてみるか」
アレンは毛布をかぶり、くるまるようにして目を閉じる。
このキメラに来て二日目。昨夜と違い、この世界に対して実感があった。
友人が出来て、旧知の友とも会えた。街を歩き、不可思議な塔に踏み入った。
キメラ世界に来たばかりだった昨日に比べれば大きな前進だ。バベルやギルド、ゲーム内イベントのことなど基礎知識的な情報を得ることもできた。
まだ漠然としてはいるが、やはりアレンとしても最終目的は現実世界への回帰だと、本人はぼんやり認識していた。
簡単なことではないだろう。転移者は現在最長で半年、現在進行形でこのキメラに囚われているのだ。長い道のりになるのは見えている。
けれど、きっと不可能ではない。そう思えるのは仲間のおかげだ。
今日と同じように手を合わせれば。リーザとマグナがいてくれたならば今日と同じように、どんな困難も越えられる。
そう思っていた。この日だけは。
無条件に協力ができるものだと、そう信じて疑わなかった。
「迫るゲーム内イベントのことだけが、気がかりだな——」
慣れない枕にも、それなりに慣れた。明かりは元から煌々としたものでもないから、点けたままにしてしまう。
明日はまだ遠く。明朝とともに訪れる騒乱のことを知らず、アレンはまどろみへ落ちていく。
カーテンの向こう、窓の外は既に暗闇の帳に覆われ、街は夜の冷えた安寧に沈んでいる。この世界では夜歩きする者もそうはいない。特にイベント前だ。
星のない夜空では、ただ月だけが彼方の高度で輝いていた。
地上を見下ろす、仮想の月だけが。
*
歓声が聞こえる。知っている人の声と、知らない人の声。それと一人、飽きるほどに見知った男の声。
「——、————!」
喉の奥から歓喜の、勝利の雄叫びを上げている。
誰が?
(——俺だ)
自分自身。眼前のモニターに踊る「WIN」の三文字。
ヘッドセットを乱暴に外しながら、喜びのあまり椅子を跳ねのけて立ち上がる自分を、アレンは上から眺めていた。
忘れもしない。数か月前、夏の大会で日本一位を取った時の光景だ。
『最終ラウンドを制し! 優勝を勝ち取ったのは、チーム<デタミネーション>だあああああああああーッ!』
マイクを通した実況が叫ぶようにその名を告げる。会場のメインモニターには<デタミネーション>のチームロゴが映され、色とりどりのライトが華々しく会場を駆ける。国内二連覇の誕生に会場はこれ以上なく沸き立ち、観客も皆両腕を上げて狂喜する——
そんな熱気溢れる世界の中心にいるのが自分たちである。そう思うと、アレンの口元に心底からの笑みが浮かんだ。
「やったな、アレン!」
隣に座るチームメイトが立ち上がり、どんっと背を叩く。
アレンは「ああ」と言い、お返しとばかりにその男の背も同じようにバシンと強く叩き返した。
「おいおい、肝心なのはこっからだ。オレたちが挑むのは世界、そうだろ?」
その後ろに眼鏡を掛けた長身の男性が寄ってくる。口調こそ戒めるようだったが、その表情は仲間と同じ勝利の喜びにほころんでいる。
「お前は相変わらずだな。……いいだろ、今は。今度も勝ててよかったよ、このチームで」
「むぅ……まあ、それもそうか」
男の肩に手をのせて顔を出したのは、体格のいい茶髪の男だ。キメラ世界で再会を果たした、かけがえのない仲間。
その表情は……今にしてみると、彼だけは、どこか浮かない。
(……浮かない、とはちょっと違うか?)
叫びだしたくなるような歓喜。勝利に骨の髄から酔うような喜悦。
そういったものとは別種の——そう、安堵。長らく檻に囚われようやく外へと出られた出所者めいた、そんな安らぎが浮かんでいる。
実際にこの時、そうだったのかと言われればアレンに断言はできない。
これはアレン自身の記憶を再現した世界だ。だから、アレンの認識に当時と齟齬がないのだと言い切ることはできない。
宙に浮かぶアレンはチームメイトから目を離し、会場全体を俯瞰した。
震えるような熱気はまだ続く。会場のすべてが、決された勝敗に興奮を露わにしている。
その、敗者以外は。
ちらりとアレンは<デタミネーション>のブース、その対角に配置された、同じく間仕切りのされた席を見た。
対戦相手の——たった今敗北が確定した者たちのブースだ。
名を<リローダー>。歴史は浅くとも侮れぬ、オバストにおいては国内最高峰のプロチームだった。
彼らの姿は朧気で、黒い霧のように実像がはっきりとしない。ただ一人、小柄な女性が顔を伏せているのは読み取れた。
(顔が見えないのは、よかった)
負かした相手の表情を見るのは好きではなかった。ゲームだからそんな機会もなかなかない。それだけに、こうしてオフラインの会場で勝ったときは相手チームの方を見ないようにしていた。
それでもどんなものであれ勝者とは、敗者の無念を背負うものだ。
会場を包む熱気が。その裏で挫いてきた幾多の思いが、力強く選手の背を押す。どんな形であれ、それがスポーツだから。
どんな因果が、記憶にこの光景を映させたのかはわからない。
しかし、虫の知らせのように暗に訴えかけている気がする。困難の到来と、その踏破を。
アレンはもう一度、仲間と手を叩いて喜び合う自分自身に視線を移した。
今は手放した、しかしいつか取り戻す自分。中肉中背で、生来の茶髪がライトの明かりを照り返している。
——どんな姿であれ、俺はアレンだ。
そう胸の中で呟くとともに、ピ————という警告音じみたアラームが世界を揺るがし、唐突に夢の景色を引き裂いた。
ここで終わりらしい。
世界が崩落する。会場が、モニターが、ブースが、観客が、実況席が崩れて奈落へと堕ちていく。
そして反対に、意識だけが引き寄せられるように浮上する。水面へ浮かび上がっていくように。
そして夢が覚め、長い、長い一日がやってくる。




