プロローグ
それは、山羊に似て非なる魔物だった。
起伏の少ない、背の低い草に覆われた平原。
空は青々とした快晴で、偽りの太陽はそれでも温かな陽光を地にもたらす。遠くには町らしきものと、その中心には天を穿てとばかりに聳える巨大な塔。
そんな牧歌的、かつ非現実的な景色の中で、その魔物は草を食んでいた。
ふさふさとした白い毛に覆われ、細くも脚骨の硬さを感じさせる頑丈な四足は、しっかりと大地を踏みしめる。
ただ一つ——いや二つ、一般的な山羊との相違点を挙げるのであれば、異常に発達した赤黒い双角と、どこか躰にミスマッチな真っ黒いひょろりとした尾だろう。尾の先端は真っ赤に膨らみ、どこか実験器具のスポイトを思わせた。
モンスターだ。そして、それを捉える者が一人。
山羊に似た草食の化け物から、一キロメートル近く離れた地点。そこで彼女は片膝を立て、銃身のスコープを覗いていた。
可憐な少女だった。物騒な獲物の似合わない、あまりに可憐な。
まだ幼さを残すかんばせの目鼻立ちは端整で、頬には僅かな赤みが差す。背丈は小学校高学年くらいで、子供サイズの装飾僅かなジャケットに袖を通している。
だが、なにより特徴的なのはその髪と瞳だろう。
「——」
平原を吹き抜ける静かな風が、草木を揺らすとともに少女の長い髪をなびかせる。陽光を弾くような、眩い黄金の色をした髪だ。
それが過ぎると、少女はふっと呼吸を止めた。
マリンブルーの鮮やかな碧眼が、スコープ越しに対象を射貫く。
スコープがセットされたのは一種の狙撃銃だ。右手側、カートリッジの手前に取り付けられたボルトハンドルは、それがボルトアクション方式であることの証左。
しかしそれ以上に、銃床が目を引く。銃身を支えるその部分は、血のような鮮やかな赤に染められていた。
深紅の銃床を持つボルトアクションライフル。その引き金に掛けられた少女の細い指が、ぐっと力を籠もらせる。
呑気にも草をむしり食う魔物は、自身を照準越しに釘付けんとする碧色の視線には気づけない。
タン、と短い音が、緑の風景を裂いて重く響く。
螺旋の溝を経て銃口から吐き出された弾丸は、魔物の認識を遥かに上回る速度で、回転しながら頭蓋を撃ち抜かんと接近し——そして、二本の角が生えた頭の、少し上を過ぎ去っていった。
外したらしい。魔物は遅れて自身を襲った危機に気が付き、食事を中断しわたわたと逃走していく。
ボルトハンドルを後方に引いて排莢させながら、金髪の少女はそれを見て取ると、鈴を振るような澄んだ声で呟いた。
「——は? ラグすぎ、今の絶対当たっただろ」