トンキョウの祝日~愛は黄昏のかなたに~ 【30】
【30】Kobito
「あいや待たれ―ーーい!」
突然、ベレー帽をかぶって本や原稿を抱えた鼻の丸いおじさんが、大慌てで走って来た。
「はいおじさん!これ飲んで落ち着いて。」
ハニーがグラス一杯のウォッカを手渡す。
おじさんは、駆け付け一杯のスピリッツにむせかえりながら、どうにか呼吸を落ち着かせて、しゃべり出した。
「効くぅ!わしは古生物学者で漫画家でもある山気長虫博士じゃ。あのセミラはまだ幼虫で、飛びやせん。成虫のセミラだって、虫捕り網を近づけたり、手を伸ばして怖がらせたりしない限り、急に飛び立ったり、水分を大量放出したりはしないのじゃ。このセミラ関係の文献や、わしの代表作の『だいたい昆虫記』、それに近所の小学生の日記にもばっちり書いてある。触らぬセミラに放水なし。そっとしておきたまえ。」
「じゃあ、とりあえずセミラは放っておいて、怪獣たちを何とかしよう。フェラーリF40、さあ、早くロケットに!」
ビリーに急かされて、AIは観念したように語り出した。
「正直ニ言イマス。私ハ、ペンダントタイプのロケットニシカ変形デキナイノデス。アシカラズゴ了承クダサイ。」
それでも十分すごいと思うが、ビリーは納得しない。
「ペンダントに変形できるなら、本物のロケットにも変形できるはず。大丈夫。お前はできる子!」
「期待してるわ、フェラーリちゃん♡」
ビリーとハニーの強引な応援を受けて、ますます当惑したAIだが、元来お人好しで乗せられやすい所もあったので、
「マスタービリー、無茶ブリハ困リマス。マア、デキル限リ頑張ッテハミマスガ。」と、試し試し変形をはじめ、どうやら試行錯誤の末に、なめらかなロッソコルサ(フェラーリレッド)で彩られた、コクピット付きの近代的ロケットとして二人の前に完成した。
一番驚いたのは変形を命じたビリー自身だった。
「完璧だ。エンツォの精神が形になったようだ。」
「ビリーの愛車にしては優秀過ぎる!」
「オソレイリマス。」
二人は早速、コクピットに乗り込んでエンジンを起動させた。
ところが、ヨルダとヒルダが、ロケットの前に立ちはだかって、両手を広げた。
「そうはさせないぞ!困っている人を助けるのは、僕らの役目なんだからな。」
「そうよ!天使の仕事を奪わないでよ!何様のつもり?」
天使たちは背中の小さな翼をパタパタ羽ばたかせながら、ビリーとハニーにじわじわと詰め寄った。
「間違ってるのはお前たちよ!」
その時、双子の天使の襟首をつかんで、引き戻したのは、マスク配りをボランティアの学生たちに委ねた姉天使のアサダだった。
「姉さん!何するのさ!」
「私たちは良い事をしているのよ!邪魔しないで!」
「まったく、自分たちのしでかした事が、まだ分かっていないようだね。堕天使の諮問委員会がお呼びだよ。私も弁明はしてやるけど、お前たちもこの周りの有様を見てよく考えな!」
アサダはジタバタする双子の天使を両脇に抱えて運んで行きながら、ビリーとハニーをちょっと振り返って言った。
「さあ、お行き。自分たちの未来は、自分たちで作り上げるものなんだよ。でも、ちょっぴり手助けはしてあげる。力を合わせる事で、物事が上手く行く魔法だよ。」アサダの吹きかけた息が、金色の粉になってフェラーリロケットF40に振りまかれ、跳ね馬のエンブレムが神々しい輝きを帯びた。
ビリーたちは揃ってうなづくと、フェラーリロケットF40のエンジンを全開にして、すごい勢いで青空に飛び立って行った。
一方、トンキョウスカイポールでは、銀グギドラとギャレットの翼竜の間で、ポールダンスの技の張り合いが、いまだに延々と続いていた。
もう、二体とも、国際的プロダンサーのレベルで、片手倒立やでんぐり返しや、二人技のブランコや放り投げなど、信じがたい妙技の数々を披露するので、見物していたトンキョウ都民は、拍手喝采の上に目が釘づけであった。
しかし、なかなか決着のつかないポールダンス大会に業を煮やした銀グギドラが、とうとう「ええい、目障りだ。このポールは我のものじゃ。」と、翼竜の脚をつかんで揺さぶり出した。
「いつあんたのポールになったのよ?何時何分何秒?!」
子供じみた小競り合いが勃発し、見物人たちの間でもどちらの味方をするかで言い争いや小突き合いが始まってしまった。
「今だ!我らの秘奥義で一気に決着をつけるぞ!」
「ええ!」
フェラーリロケットF40は、真上から垂直に銀グギドラ目がけて下降して行くと、「受けてみろ!ツイン・トリプル・アクセル・アターーーック!」の掛け声とともに、急速回転しながらその巨体に突っ込んだ。
軸がぶれないトリプルアクセルが、見事に決まった。
「ぐはぁ!や・ら・れ・たッ!」
銀グギドラの全身の鱗が桜吹雪のように舞い散って、大小の灰色熊の姿に戻った二匹は、抱き合いながらエモ川に墜落して、ドボーーン!と盛大な水しぶきを上げた。
フェラーリロケットF40はさらに旋回して、スカイポールで今の内にとポーズを決めるギャレット保安官の翼竜にも突進した。
「いいかい?」
「ええ、いいわ。」
手を握って呼吸を確かめ合うビリーとハニー。
「これでとどめだ!ツイン・ダブル・アクセル・アターーーック!」
二人のタイミングバッチリな華麗なダブルアクセルが、ギャレット保安官の軟なクリスタルハートを直撃した。
「きゃぁぁ!」
コントロールを失った翼竜は、きりもみしながらポールから弾き飛ばされて、やはりエモ川に墜落すると、ドドーーン!と間欠泉のような高々とした水しぶきを上げた。
しばらくして、川岸に泳ぎ着いた灰色熊たちをハニーが、ギャレット保安官をビリーが、それぞれに引き上げてやった。二匹と一人がぐったりしていたのは、ふっとばされて川を泳いだ影響と言うよりも、長時間のポールダンスで疲れ果てた事が主な原因のようだった。
「なぜ、技の難易度を下げたの?」
悔しそうなギャレット保安官が、ビリーを見上げて吐き捨てるように言うと、ビリーは、
「君が銀グギドラから受けたダメージを隠していた事は、先刻お見通しさ。もっと自分を大事にするんだ。」と諭すように伝えた。
ギャレット保安官は、いくぶん頬を赤く染めながら視線を逸らした。
「余計なお世話よ。」
「あ!あれを見て!」
不意に、大小の灰色熊が声を上げた。彼らが指差すスカイポールのはるか上方、固い殻を破ったセミラが、ステンドグラスのように美しい羽を広げた成虫となって抜け殻につかまり、全身に西陽を浴びながらきらきらと輝いていた。
そこへ、トンキョウ農業新聞の取材ヘリコプターが、セミラを撮影しようとうかつにも近づいてきた。「やめろ~。刺激するな~。」山気博士の叫びもむなしく、セミラはバッと飛び立つと、お尻から勢いよく大量の水分を放出しながら、空のかなたへ飛び去って行った。
しかし、まだ脱皮したての成虫セミラが放出する水分量は、夏のにわか雨程度と少なかったので、幸い街の人々や洗濯物が少し樹液の匂いのする液体でびしょ濡れになるくらいで大事には至らず、空にはこの愉快な昆虫の置き土産のように、大きくて綺麗な虹が鮮やかにかかった。
ようやく混乱していたトンキョウの街にも平和が戻った。
マスクを配り終えて、再び人気のなくなったニャッポリ駅前で、ビリーと灰色熊たちが向かい合う。
「ハニー、俺と一緒に行こう。君となら、どこまでだって行けるぜ。」
差し出された手を、ハニーが握る事はなかった。
「私はクマ。あなたは人間。住む世界が違い過ぎるの。」
バス停に『クマーメタルツアー2020』のロゴが描かれたツアーバスが停まる。
灰色熊たちはマネージャーに導かれて足早にバスに乗り込んだ。
後部座席の窓を開けて顔をのぞかせたハニーに、駆け寄ったビリーが紙袋を渡す。
中身を改めると、それはハニーとビリーのすったもんだの大活躍が写された写真の数々だった。「いつの間に撮ったの?」
ハニーが聞くと、ビリーは、徐々に走り出したバスを追いかけながら、「この、ライター型の小型カメラで!」と、ガスの切れた百円ライターを掲げて見せた。
バスが走り去り、意気消沈したビリーを、ゆっくり沿道に寄って停車したフェラーリF40が迎えた。
運転席に乗り込むと、ビリーは鼻をすすって情けない声を出した。
「ハニーが行っちまった。」
「本気ダッタノデスネ。」
「俺はいつだって本気さ。お前の熱いエキゾーストノートのように。」
「アリガトウゴザイマス。」
フェラーリF40は、ゴウゥ!という威勢の良いうなり声を上げると、首都高速0号線を目指して、ホイールスピンの白煙を撒き散らしながら勢い良く走り出した。
その走り去るフェラーリを、路肩に止まった一台の白銀色のスポーツカーが見送っていた。
それは、翼竜から本来の姿に戻った、ギャレット保安官の愛車、ポルシェ918、別称〝スパイダー〟だった。
運転席のサングラスをかけたギャレット保安官は、フェラーリが夕焼に染まり出した環状9号線の彼方に見えなくなると、気だるそうにシートに深々と身を沈めた。
「ミストレル・ギャレット。行ク先ヲオ命ジクダサイ。」
忠実なAIが物静かに尋ねる。
ギャレット保安官は、ビリーが走り去った方角をしばし見つめた後で、吹っ切れたような微笑みを、その涼しげな口元にかすかに湛えながら、答えた。
「海へ!」
【完】