7「カルチェラタン」
■冒頭より■
帰り道は睡魔との戦いだった。
帰路のほとんどは踏破区域だ。
敵性機械や敵性亜人なんてめったにでないし、主管通路には非常灯だけだけれど通電すらされている。
だけれど、たまに、孤児や浮浪者らしき死体が干からびていたりする。盗電しようとした素人がセキュリティで黒焦げになり、砂漠傭兵の小柄なミイラが転がっていたりする。ここは安全地帯だが、武力がなければ死ぬ程度の安全性、完全に気を休めることはできない。
ドグドックがピィンと警戒音を発すると、緑のランプに照らされた影が視界の隅で躍り、ヴァルチャー三人組とすれ違った。
「一人か?」
「勇気あるお坊っちゃんね!」
「よう、参考がてら獲物教えてくれねーか? ハントしたのか? ファックしたのか?」
ドグドックが低い唸り声をあげ、牽引車をパージし、その目玉を浮き上がるほど回転させながら、顎をガキョンと外して喉奥から機関銃をそそりださせた。
「……二人だったみたいだな」
「……うちのミゲルをファックしてもいいのよ?」
「じょ、冗談だよ。ほら、干し肉をやる」
干し肉を噛み締めながら、メタリックになったり石材になったりする地下道を歩んでいく。
遺跡の材質は高度科学の産物だ。いま市民の住んでいる都市よりも滑らかで、旧文明がとてつもない技術を持っていたことがわかる。僕たちは、それを食い潰すシロアリみたいなものだ。財産を、文明を、種族を、寿命を食いつぶして生きるだけの虫けらみたいなものだ。だから、こんなにも死にやすい。
――むろん、地上の市民たちは、人間らしい生活を謳歌しているのだが。
ーー頭が痛い。
歩いて、歩いて。疲れたらドグドックに毛布を敷いてつかまり巡航速度で進み続ける。
「マイフレン、索敵頼む……よし、人はいないな? 一足先に〈ホーム〉へ帰っておいてくれ」
孤児を引き取るまであと二日、今回の成果をどう現金化するか頭をひねりつつ、僕は馴染みの飯屋へ向かった。
◯
ビー、ピー、ビー
《ビープ音が鳴る》
──いま、なにもかも捨ててしまえばいい──
──破壊された──
──壊れた──
◯
「よう見ない顔だなイーリ。穴蔵はどうだ?」
〈伊達男〉トルシャは、大口開けてアヒージョを食べていた。
4日がかりの仕事あがり。
さすがに合成食をたべる気になれなくて、馴染みの店に足を運んだら馴染みのアホ面と再開してしまった。
「クソだよ。クズ溜めとしか言いようがない」
トルシャの隣に座り、支払い用キューブを用意する。
この店は一律900ピエゾの定食店、一日200ピエゾで生きている僕にとっては安い店ではない。
ウェイトレスが不機嫌そうにコップを叩きつけ、舌打ち一つして去った。
「あの姉ちゃんオレに気があんだ、おまえ邪魔だってよ」
邪魔者扱いするにしては人懐っこい顔で、トルシャは忙しなくアヒージョを掻き込んでいる。
漂うニンニクの香りに食欲がそそられるけど、合成食料で弱った胃腸にアルファ定食はきびしいだろう。ウェイブ定食にしようか、コヒーレント定食か──いや──
引っ込もうとするウェイトレスの背に「ベータ定食!」と注文を投げつけ、キューブを会計キューブに叩きつけた。『またのご利用をお待ちしております!』と機械音声が響くが、前払いの店だとまるではやく出て行けと言われているかのようだ。
「イーリも背ェ。伸びたな」
「完全合成食料は栄養があるからね──栄養は、栄養だけは……」
「あ、あんなもんよく食うな……。食うに食えないゴミしか出回ってねえだろ、ヴァルチャーは儲かるんじゃなかったのか?」
僕は得もいわれぬ笑顔でトルシャを黙らせ、配膳された定食を味わって食べはじめる。
うまい。
◯
「あ゛ー、おいしかった。〈マンホール〉に災いあれ……!」
食後の祈りを捧げたあと、食い終わるのを暇そうに待っていたトルシャと近況を交換する。
「兄貴が離婚するかとかしないとか、子どもがどうとか、土臭い話をメソメソするもんだから家に帰りづらくてよ。イーリよぉ、泊めてくれねーか?」
「残念だけど、僕の家は南廃棄区の先にあるんだ……」
「お、おまえ……ついに住処まで失ってたのか……向いてないんじゃないか? 失うものがないんだからスケコマシにでもなりゃいいのによ」
トルシャは、黒髪をポマードで固めている、彫りの深くて甘い面をした男だ。
バーナード市であまり見かける顔立ちではないし、やたらモテるので〈伊達男〉なんて呼ばれているが、本業は実家の機工店の下っ端。工員としての腕はそんなに良くないらしいが、スケコマシの腕は神懸かり的らしい。昔はもっといい子だった。
「昔なじみもだいぶ減っちまったな、気をつけろよ?」
「〈マンホール〉の寄生虫どもに言ってくれ……。僕の買い取り金額聞いたらーーフン、アンタ、確実に同情で泣くぜ……?」
「嫌な自信だな……市民権買うか、気合入れて出ていくか、早いとこ決めたほうがいいんじゃないか? ご婦人でも取っ捕まえて、鳥籠に入るフリしてくっついていくとか。可愛い顔でピヨピヨ鳴けば、イーリの顔なら年増に売れそうだ」
人間のクズに同情されている!
そしてクズっぽいアドバイスをされている!
「僕の生活を知らないからそんなことが言えるんだ……聞いて驚くなよ……? 機歯虎をやっとこさ叩きのめして、苦労して牽引して見積もりしたら、なんと……20000ビエゾだった。……どうだ? フフ、ビビったな? 怖くないか?」
「ぶふっ……ボッタクられるにも程があるだろ…………ウチで引き取りゃ捨て値でも20万に……というかラオフーなんかと戦ってんのか? 一人で? よく生きてるな」
「〈マンホール〉が僕を穏便に殺そうとしているのかもしれない……陰謀だ! あまりにも金が無いし、危険を侵さざるをえない……昔は自転車操業を軽蔑していたけど、いまでは尊敬している。自転車操業で生き残るのには才能が必要なんだ。せっかくね……ナノマシン遺物とか見つけたんだけど、いま売ったら買い叩かれるから金にできないんだ。おお、友よ……おお、機械職人よ! トルシャァア! 買い叩いていいから引き取ってくれてもいいんだよ?うん?ん?」
「〈マンホール〉に睨まれんのはさすがに、な」
「う゛ぅう……繊細な僕に試練が襲いかかる……!」
ウェイトレスが水を注ぎに来ないので、僕は厨房まで水のおかわりを貰いに行き、従業員に睨まれながら2杯飲んでニコッと笑いかけたあと、席に戻り項垂れた。
「繊細さの欠片も見当たらないが……イーリ、ちょっと友だちを助けると思って付き合っちゃくれなちか?ビジネスの話があるぞ」
ビジネス? 僕は友人を助けたい気持ちに駆られはじめた。
◯
《ビープ音が鳴る》
──煙に隠れるもの、真実──
──煙なんてみるな、前をみろ──
──みえないものを──
◯カルチェラタン
ダンスフロアからの重低音が腹に響く。
酒瓶の列に七色のライトが反射する。
爆音EDMなんて古風なクラブもあるものだった。
「こちら現着。こちらクラブ〈カルチェ・ラタン〉、予定ポイントに現着、どうぞ」
「……イーリ……ああ、イーリくん? イーリでいいか? 聞こえるか? どうぞ」
骨伝導マイクから響く声は明瞭だった。
ライター型の受信機を置いて直光通信を行っている。
「どうも問題なし。通信感度良好、直光通信もいけるもんだな。ターゲットは店の奥、北東席。客の入りは五分、裏口から突入するとダンスフロアを横切るんで、客に注意、長物を使うような相手は見当たらない、どうぞ」
薄暗いフロアにサイケデリックな光。全身をビリビリさせるEDМ、音楽に同期したグラデーションライトが紫煙に反射し、客の顔をくすませていた。
ここは地下クラブ〈カルチェラタン〉。
〈伊達男〉トルシャのビジネスとやらに首を突っ込んだ僕は、命を賭けるには安い金で雇われて任務を果たしていた。
◯~昨日~
移動したカフェで僕は人助けの詳細を聞いていた。
「兄嫁の妹さんが悪い男と付き合っててよ──」
「それ恋愛の自由くない?」
「愚連隊なんかに渡せるかってことで──」
「ドンファン気取りのヒモトルシャに心配される筋合いなくない?」
「俺には知り合いのヴァルチャーがちょうど二人いる。これは運命だ。間違いない」
「説得が雑くない?」
「こちら熟練ヴァルチャーのコーツォ、信頼してくれ」
僕は戦慄した。隣の席でヤクを吸ってるやばい金髪ポニテがいるなぁと思ってたら仲間だったらしい。
「ヤク中じゃねーか!」
「あたしはヤク中なんかじゃない、これは安定剤だ……スゥゥゥ」
「鼻から白い粉吸うやつにまともなやつァ一人もいねーんだよ!! フザケルナ!!」
「あたしのことは馬鹿にしてもいい、だが安定剤のことだけは馬鹿にするな!!」
「まぁまぁ、仲良くやろうぜ。イーリ、金欠のテメーに選択肢なんてあるのか?」
「チクショウ!!」
「やつらは毎日同じクラブで騒いでる。ちょうど三人とも暇そうだ。善は急げ、だろ? 我ら生まれたときは違えども……困ったときはお互いさまだ」
「それは助ける側が言うセリフだ。トルシャ、報酬は? 金の話をしろ」
「遺物を買い取ってやる、一度ならばれない。そしてバレなければ犯罪ではない……」
僕は依頼人と固い握手を交わした。
◯──現在──
カウンター席のスツールは、ガタガタして座りが悪い。
また一杯アルコールを煽ると肝臓がズキンと答える。
重低音とアルコールが傷んだ内臓に響き、長生きはできそうにないと感じた。
それもこれも、すべて。ヤク中やヒモ、真面目に生きていないやつらのしわ寄せだ。間違いない。無辜の市民が苦しんでいるやつだ。僕が善だとすると僕を苦しめる世界は悪に違いない。間違いない。
『障碍物くわしく、どうぞ』
僕はヒソヒソと喉元だけに響く小声で答えた。
バーテンは大男だが、極彩大麻を吸っていて障害にはなりそうにない。
用心棒が一人、奥に陣取っているが、こんなクラブの用心棒が本職のヴァルチャーと戦おうとするわけもない。威嚇でカタがつく。カタがつかなければ無力化するだけの話。
客はこのあたりの流儀からすると関わりあいを避けるだろうし、問題は標的だけだ。
標的の愚連隊は五人連れ、男三人に女が二人。
アサルトライフルを二丁、これみよがしに立てかけている。そしてメーザー銃も腰に据えている、標的のアサルトライフルが一番、パウンサーのベブ・ショットガンが二番。あとは不測の事態に備えてさっさとズラかることだな、どうぞ。
ああ、どうぞヤク中、どうぞ宇宙へ。どうぞ消えてなくなれこの世の悪のすべて、どうぞ。どうぞ──
『慣れてるな、新米にしちゃ上出来だ』
トルシャの雇った傭兵コーツォは、金髪の女ヴァルチャーだ。そしてヤク中だ。さも、こなれた先輩ヴァルチャーみたいな態度で語りかけてくるが、本性は見破っている。
いろいろ問題はあるがトルシャとコーツォは旧知の仲だと聞いている、裏切りの心配はなさそうだが、ポニーテールを揺らし鼻からヤクを吸っているところをみたので、一切信頼はしていない。今日かぎりの関係にしておきたい。
『……突入予定時刻まで残り三分。余裕があったらバーテンからコンタクトタイプの電子ドラッグ〈群青の涙〉を買っておいてくれ。あと、そいつの売る極彩大麻は不純物がはいってるからやめとけ、どうぞ』
「私用は果たせません、私用は果たせません。トルシャのやつはなにをしていますか? どうぞ」
『……しきりにロールガンに話しかけて緊張を解きほぐしている……。手をグッパさせすぎて狂ったジャンケンロボみたいだ。おまえがいてよかった、あたしはお守がメインになりそうだ。〈伊達男〉が暴発しないよう、そちらでも注意よろしくどーぞ』
「リョーカイ、作戦予定時刻まで2分ちょい。60秒からカウント。標的〈ブードゥカンクゥ〉たちは予想以上にみんなラリってる、乱痴気騒ぎでストリッパーにかぶりつきだ。お仲間ですよコーツォさん」
『コーツォでいいぞ。ここは仮にも神学都市だ。敬虔な信仰者共を夢から起こしてやるな。あと、あたしはダウナー系専門だ。薄汚いアッパッパーと一緒にするな、名誉にかかわる、どうぞ』
「うーん、ヤク中の違いがわからない……。予定より楽そうだ、ドンパチも囮もなしでいいんじゃないか?」
『釣り餌、腑抜けんなよ?』
「爆竹でいいか? ダイジョブだろ」
『それだけじゃあダメだ。パンツでも脱いでダンスで挑発してくれ。とにかく耳目を集めろ、作戦はすべてはおまえ自身の口径にかかっている、どうぞ』
「……。……まあ、いいけど。カウント合わせ、いくよ。60秒前ーースタート」
はした金でエロダンスするくらいなら死ぬわ。
僕のやる気は急速に失われつつあるが、こんなクズ依頼もどこか未来に繋がっているはずだ、そう信じて集中しはじめる。
◯
……10秒。グラスを飲み干して席を立つ。極彩大麻の煙と匂いが鼻にひりついた。ストリップ台へ向かう。
……20秒。流行りの幼児化手術で顔だけ大人のストリッパーはまるでホビットにみえる。冷たい目でこちらを一撫ですると、金持ちにみえなかったのか、ダンスへと戻った。子どもの体に、大人の冷たい瞳。手術で治せないんだから、中身を入れ替えたほうがいい。ガワだけ取り繕っても無意味でしかない。
……30秒。僕を指差してクスクスと笑うカップルが大声で話し合っている。目立ってはいけない。腰の膨らみを撫でて真顔でじっとみつめると、カップルは目をそらした。僕はすこし得意げにあるき出したが、ブーメランパンツ一丁の耽美系店員にウィンクされ、よくわからない強い敗北感を感じる。なんて自信ありげなパンツ姿だ。
……40秒。踊り狂う男女の汗の匂いが脳髄に届く。盛り場とはよくいったもので、快楽香水を使ってるやつは必ずいるから、鼻で吸わないよう口で吸って吐いた。袖からタバコ型電子爆竹を滑り落とし、警備員の真後ろに転がせる。うまくいった。電子爆竹の音は安直に銃声とした。
最大音量の銃声は、彼らの反応を遅らせて、コーツォの仕事を円滑にすることだろう。僕はエロダンスなんて絶対にしないぞ。
……50秒。ガラスに投影されているフラッシュバック映像は視覚EDМで、トラウマを残しかねないから規制されているものだ。さりげなくVIPルームに向かった。警備員が場違いな野良犬を見る目でこちらをーー
────────vivivivi──
《ビープ音が鳴る》
──生命である前の衝動に衝動に衝動に──
────照準を合わせろ──
──vivivivi!!
状況開始!
真の仲間ではない…