6「エネルギーの根源」
◯
メールには手早く笑顔マークの顔文字を一文字送って返答とした。
固く絞ったタオルで体を拭う。
「ふんふふ〜ふ〜フワフワ~」
鼻歌を歌いながら空を舞う増殖竜に手を振る。
朝の冷たい空気に肌が張って心地良い。
屋上の倉庫に保管されていた装置をいじる。メタルコードが底から伸びる半円形のポッド、機械を育てる魂卵。必ずハンリオールと書いてあるから、ハンリオールの機械とも呼ばれる。通称、機揺卵にラップトップを繋げ、遊びたそうにじゃれてきたドグドッグを強引に押し込んだ。
ハンリオールの機械は、材料さえあればギアジーさえ揺籃する。ドグドックは僕お手製の機械従者だ。設計図と専用のソフトウェアはメル友からいただいた。伏して感謝したい。
この秘密基地にたどり着いたとき、はじめ倉庫に転がっていた資材やらを写真でメル友に送ると、なんと、機械従者に搭載するソフトウェアまでくれた。あとよくわからないアプリもたくさん入れられてたまに謎の情報を送信している。おそらく、メル友はどこかの研究者か機械オタク。ありがたく制作させてもらって、僕の戦闘力と生存力は著しく向上したのだった。かしこまり感謝したい。
機齒犬〈ギアジー・スキロス〉のジャンク品を部品に使ったドグドックは修理が容易だ。あいつ天才なんじゃなかろうかと時々思う。すこしは感謝の気持ちを持っていたい。
エイゾック=シュプレヒトラ機関にエナジーキューブを叩き込み、機揺卵を起動。ラップトップを操作して各種の装備を外し、中枢の無量回路を洗浄する。
歯車の精神が、感情と知能を持っているのは有名な話だ。自我や意識は公的に《ない》ということなっているが、真偽も専門的な話もわからないし興味もない。
歯車の機械〈ギアジー〉を改造して従者として使うなら、定期的に中枢の回路を洗浄してやらないと、人類への敵意に目覚めることがある。一月やそこらでどうにかなるものではないが、やらないと死ぬ。実際にどうなるかは見たことがないが、試してみるつもりもなかった。メル友の指示テキストにすべて従うのみだ。やっぱり感謝したい。
スン…と止まったドグドック。機揺卵の内部には甲高い周波数の音が篭り始める。実際に何をやっているのかさっぱりわからないが、ラップトップのアプリでは小さなシャチが脳髄洗浄中とか精神汚染回復中とか言っているので、たぶん順調だろう。
◯
ーー日本のことはよく夢に出るーー
拳銃を抜き打ちする動作を繰り返しながら、体幹を意識して筋肉を動かし、軽く汗ばむまでひたすら必要な動作を繰り返す。
ーーここはどこなんだろう? なぜこんなに追い詰められているのか? さっぱりわからないが、生きるためには依頼をこなさなければならない。その否応のなさは救いでもあったーー
動作を繰り返していると足元の凹凸に引っかかり、脚さばきのいい訓練になる。
鉄の棒を溶接して塞いだハッチがある。足元の建物へ繋がっているであろうハッチは、何をしても開かないので侵入対策に溶接しておいて諦めた。余裕ができたら爆薬でそのうち発破したい。
ーー夢もある。いつか、メル友とオフ会したいし、前世ぶりにプールを泳ぎたい。それまでは、死ねないーー
武装の整備を行う。
常用拳銃二丁。それぞれ9発と11発のオートマチック。口径の大きい一丁は分厚いナイフを仕込み、いざというときの警棒や短剣を兼ねている。ガンホルダーは腰。装備したままの寝心地が悪いので位置を模索中だ。
護身用のリボルバーが一丁。小型で5発装填。簡素なつくりなので1発は安全装置代わりに装填しない。使用はあまりしないが整備は欠かさない。懐に仕込む。
首から下げた十字架。暗殺用の単発射機構が仕込まれた骨董品。人間相手のときはいざというときに使える……らしいお守り。小さな弱装弾を仕込む。
ーー殺し殺されの螺旋。バーナード市から脱出しなければ、金を稼がなければ、強くなければ、近く死にかねない。それが、現実でーー
テキパキと整備したあと、装備を身に着けていく。
バリアフィード・キューブは実弾に弱く、保険にしかならない。
内臓を守る半固体防弾チョッキだけが防具となる。腕に仕込む電磁盾はだいぶ昔に食料へ変身した。重武装の機械相手にヘルメットは邪魔でしかない。
一部の市民に、ヴァルチャーの仕事は、遺跡から遺物をパクって心優しい機械をぶっ殺し、内臓をくり抜いて闇市で売りさばく闇の落穂拾いとか、もうめちゃくちゃ言われているが、同業者の死体が一番の稼ぎどころなのであまり反論できないところもあった。
市民たちは、まさか僕たちが同業者の死体を競って探しているとは想像もしていないようだ。そのうちバレて新聞で責められる気がする。教育に悪い! 教育に悪い! おまえの存在が教育に悪い! 一生ポジショントークでもやっていればいい。安全なところで一生死んでいるがいい。長生きするがいい。子孫繁栄するがいい。人類よ盛大に鐘を鳴らすがいいさ! 僕は生き残るぞ!
僕は、すべてを尻目に、こんなクソみたいな都市から脱出して南国でトロピカルジュースを飲んでやる。そのために、死ねない。
――それが意味のあることかどうかなんて、とうに考えなくなっている。
これからの長期的な展望は都市からの脱出となるだろう。
仕事は孤児の護衛。大商店に狙われているからいざこざは避けられない。期限は実質落ち着くまで。半年後に後金が振り込まれる。しばらく匿うだけですむならいいが、メンツにかけて殺しに来るだろうから望み薄だ。最低でも雇われヴァルチャーがくる。
賠償金、払う金が無い。
倫理観、全員にない。
交渉、不可能。
当主の暗殺、逆効果。一生狙われる。
金が溜まりしだいバーナード市からの脱出となる。司祭さまには〈真理教会〉支部への紹介所をメールで依頼済み。子供を適当な教会に送り届けてミッション終了とするのが理想だ。
僕個人としてもバーナード市は居心地が悪くジリ貧なので、都市から出ていくことを考えていたから、ある意味、うってつけの依頼でもあった。護衛対象の人柄には不安があるが、もしも自分から死ににいくような見捨てるだけだ。
死にたいやつは、勝手に死ねばいい。
死にたいやつを無理に生かして、良いことなんてない。
人間は自分で死ねる生き物だ。それだけが肉の檻に閉じ込められた魂の自由、唯一の生きる価値の証明でさえある。どんなに愛した人間でも家族でも、自殺を止めるようなことだけは僕にはできない。批判ではない、他人が他人の自殺を止めることは善行だと思う。生きてさえいればなんとかなるってことはたくさんあるし、最悪でも人は死ぬから、最高でも死ぬだけだから、それが良いとか悪いなんて判断する立場に僕はない。でも、僕だけは、死にたい人を肯定してあげなければ、その苦しんだ魂を尊重しなければ、すべてが台無しになってしまうんだろうと思う。
…… 金だけ残して子供が自殺するケースが実は一番楽だしおいしいが、生きたいと望んでいるのなら、僕は協力する。
依頼だからじゃない、僕は自分の意思で協力する。
なぜって、みじめなやつらはみんな僕の仲間だからだ。
魂の同胞だからだ。
肉の檻に閉じ込められた彼ら彼女らは、この地上に生まれた、唯一の兄弟だからだ。
もう負けたくはない。目に見える利益がなければ動けないようなら、世界に負けてしまう気がする。この都市で、助けを求める同胞を無視して、背を向けてしまえばーーそれは、このクソみたいな世界に負けたということになる気がする。
無意味な意地だ。
だけど。
ーー邪魔するやつは、なにもかも、ぶっ殺してやる。
◯
そうして訓練を終え、炭水化物パウダーと珈琲を溶かしたドリンクを用意し、出発の準備をする。
残り六日……金をできるだけ稼がなければ死ぬ予感がする。
子供を守るにしても資金が足りないし、うっちゃって逃げるにしても資金が足りない。金があれば傭兵を雇うことだってできるが、金が尽きればその日の飯を食うこともおぼつかなくなる。
遺物を正規の値段で売りさばくという選択肢があった。仲介人を使うだけだ。そのうち機械狩り本部にバレたり仲介人が裏切ってくるのは確実だが、その場しのぎならやりようはある。
だからまずは遺跡に潜る。
製図されていない未踏破区域に行き、手付かずの遺物を探す。予定は三日から六日。
一息つけるだけの金を手に入れれば、なんなら、金さえあれば子供を連れてバーナード市から逃げ出すことができる。そこまでの金は稼げないだろうが、せめて、傭兵を雇う資金を稼ぎかった。
〈ガジュラ・ホーム〉一面の廃都パノラマを眺める。
はるか天空、日差しの下、ドームへ朧気にツタの緑が絡みあい、小型の増殖竜が群れて空を泳いでいる。さぞや気持ちいいんだろう、みているだけで気分がよくなった。
さてーー仕事だ。
■冒頭プロローグへ■
■■■
【通貨ピエゾ】
西大陸の貨幣はエネルギーそのものが代替している。単位はピエゾ。
エナジーキューブは膨大な電力を蓄えられる四角い規格品で、小型のものは戦闘に、大型のものはプラントに使われる。違法のナイトコアは出力が桁違いだが、危険も大きい。
機械種族の結晶も価値が安定しているので貨幣として使われる。エネルギーなのでピエゾと価値を共有している。
通貨とエネルギーが同定されているので需要と供給は不安定なはずだが、なにかしらの理由で価値は大きく上下しない。
なおエナジーキューブは星光共和機構の専売物であり、違法ナイトコアは権力によって苛烈なまでに規制されている。エナジーキューブの消費期限が来ると星光共和機構が無料で新品と交換してくれるので、善意ある政府の対応に民衆はとても安心している。ポラトリク経済圏のダークウェブでは根拠のない憶測が囁かれているが、まともな民衆はだれもそんな噂を信じたりはしていないようだ。