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3「大都市バーナード」



 天上を見上げると、噴水からの水滴が目に入り、慌てて拭った。


 ──このバーナード市は、ドームに覆われている遺跡都市だった。

 市の地下に冠する旧文明の遺跡は、調査がはじまり数百年が経つのにいまだ全容の把握できない超規模ウルトラ構造体だ。


 はじめに遺跡の上に築かれた都市が、さらに滅び、そのうえにバーナード市が建設された。二重三重の文明が重なり、その混沌とした構造体バーナード・ラビリンスと呼ばれる文明の遺産には、いまだ危険と宝物が眠っている。


 ヴァルチャーとは、都市の資源を採掘するため、文明の腐肉を漁る落ち穂拾いだった。


 歯車の精神〈ギアジー〉と呼ばれる、人類に敵対的な機械群は迷路の増改築を繰り返し、住み着いた一部の亜人は罠を仕掛け、底には旧文明から生き残る生体兵器さえあると聞く。

 迷い込んだ人間もたまに野生化し、その子孫を殲滅したという記録さえ幾つかある。世知辛い──



 投影された空はドームとは思えない精度の青空だ。

 増殖龍の襲来は、市民たちの目にはつかないよう配慮されている。


 市のランドマーク、天へと落ちる逆噴水時計は、午前11時を指し示している。

 早い時間帯もあって、歩む人々は一般市民ばかりだ。機械従者を連れたあらゆる仕事人や、子連れの主婦、散歩をする老夫婦、市民に支給されるPADをみなが携帯している。


 反して、僕のような市民権を持たない人種は総じて俯き、余計な問答を起こさないようにしている。地上は居心地がとてもとても悪い。


 ドームを支える中央政庁タワーは、記憶にあるスカイツリーよりもなお高く聳え立っていた。


 権威を感じる。市民たちには誇らしい光景かも知れないが、市民権のない僕は少し皮肉を言いたくなるような光景だ。この都市のエネルギー資源は、地下の遺跡都市で命を散らす、使い捨ての命が賄っているのだから。




 地上に出るのは久々だった。

 カメラアイを抱え直し、古巣の〈真理教会〉孤児院へ向かう。


 僕は親に捨てられたあと、路上生活をおくるなか、前世のような記憶を思いだした子どもだった。顔立ちが同じなので転生したものとして納得している。


 ……孤児の現実は厳しい。

 もぐりこんだ〈真理教会〉経営の孤児院は、お世話にも恵まれた環境ではなかったが、拾われなければ確実に死んでいただろう。


 感謝というか、縁というか。

 たまには小銭を喜捨しようと思う程度には思い入れがあった。


 新聞の売店に寄り、土産代わりにゴシップ新聞を一部購入してふところに畳み込む。


 立ち並ぶ建築物の屋上は一様に、無量回路のための放熱フィンが設置され、ドーム天上近くには投影された陽球が滞空していた。


光、雨、熱。自然インフラ。ドームの中とは思えないが、外は砂漠と海だ。


 崩壊した前文明は、このバーナード市の技術力さえも超えていた。日本とバーナード市が遠すぎて、戻ることへの未練が断ち切れていく。いまは生きねば。生きなければならない。


「ちっ非市民が座りやがって」

「ああ?」

「ふん……」


 大型公共機械(無料)乗って着いた、バーナード市郊外〈真理教会〉の敷地。

 ガーデンニングの粋がほどこされた表庭を半周した、裏の片隅にはボロイ礼拝堂があって、このあたりで司祭さまが孤児たちの面倒をみている。


 敷地の前で懐かしさにちょっと涙ぐんでいると、菜園のなかでモゾモゾしていた農夫が立ち上がり、ゆっくりとした所作で歩み寄ってきた。


 ……あっ。


「イーリくん、よく来たねぇ。歓迎するよ、さあ、中にはいってはいって」


 見つかってしまった。喜捨できる額が少ないので会いたくなかったが、見つかったならば……トマトの一つでも食べるのはやぶさかではない。


 農夫兼司祭さまについて、礼拝堂の裏手にある二階建ての石造建築物に入る。放し飼いされているニワトリがヒョコヒョコ歩いてるのをみると、古巣に帰ってきたという実感が湧き上がった。


 建物の中に入ると、子どもたちが見慣れぬ年長者を警戒して、一斉に二階へ逃げていった。


「イーリくんの顔見知りはみんな出ていってしまったよ。新たな兄弟姉妹たちはいるけど、やっぱり別れは寂しくてねえ。私の自慢の野菜でも食べて、ゆっくりしていってよ。農業は奥が深い。根粒菌の〜」


 司祭さまはかなりのところまで農夫化が進行しているが、なにも問題はない。

 僕は手作りの椅子に座って喜捨用の小銭を用意し、いつものごとく近況を交わしつつ、野菜をナイフで切る。司祭さまの髪にも白髪が交じるようになった。


〈真理教会〉ーー聖神エィビトを祀る同胞はらからの館。真理の一面としての三角形が尊ばれ、唯一神エィビトを祀るよくわからない宗教組織だ。わりと金には汚い。


 この孤児院とて慈善だけではない。孤児に読み書きや礼儀作法、奉仕を叩き込み、金と引き換えに出荷していく闇の側面があるものの、それだって、路上で餓死するよりはよほどマシだろう。当人が望めば、一応は僕のように自由にもなれる。なにより、司祭さまの人がいいから孤児たちはみじめな思いをしていない。


「イーリくん。嬉しいねえ。出ていった子どもたちは滅多に会えないんだけれど、こうして会いに来てくれる子どもたちもいる。エィビトに感謝だな」


 左指で三角形を切った司祭さまと、生の野菜を食べつつ近況を交換する。

 真理教会は三角形を尊ぶ。よって司祭さまのメガネは三角形を組み合わせた、星型メガネだ。違和感などないはずだが、たまにゲシュタルトが崩壊してしまって、パーティーメガネをかけているふざけた男にみえてしまうことがある。不敬かもしれなかった。


「ああ、一つ……一つだけ相談があるんだけれど、いいかな?」

「もちろんですよ」


 シャクシャクとキュウリを食べて断言する。真理教会に恩など感じていないが、司祭さまには恩がある。恩と仇、すべての時代を貫通して人間が共有する価値観だ。僕は力強くうなずいた。


「出戻りの子が……いるんだけれどね」


 気分が暗くなる。出戻り。要は奉公先が耐え難いので逃げ出してきた子どもだ。孤児院としてはケースバイケースで対応するしかないだろう。


 司祭さまがのっそりと立ち上がる。

 手を連れてきた金髪の子供は、陰気に俯いて、法服のすそを掴んでいた。


「大店の商人プクトゥー家を知っているかな?」


 聞いたことがある。まさか、そんないい奉公先から逃げ出してーー


「プクトゥー家、当主の……こう、局部を、噛みちぎって逃げてきた子、なんだけれど……」


「…………」



 ……。ガッツあるな。

 僕は金髪の子供を見直した。


孤児の奉公にそういう性的な側面がなくはないとはいえ、よりにもよって大店の子孫を断種するなど噂にすら聞いたことがない。ほぼほぼ近いうちに死ぬだろうが──せめて、残りの時間は安らかに、心を強く持って生きてほしい。僕は同情した瞳で子供をみつめた。



「逃したいんだ。協力してくれるかな?」


「…………パードゥン?」


 口元が痙攣する。

 大店が私兵を持っていないはずがない。護衛をするにしても、ひどい戦いが予想される。


 ……同情すべきところは多々あるものの、ただ噛み付いて逃げてきたのではなく、よりにもよって大店のメンツと子孫繁栄を食いちぎって逃げてきた子どもだ。不幸を招き寄せる呪いの人形に見えてきた。


 そも、駆け出しヴァルチャー1人で守りきれるか? 不可能だ。


「……司祭さま。受けたくないってことはないんですけどね、現実的に守りきれるかどうかで言うとーー」


「そこをなんとか!! ほら、野菜食べて食べて」

「むぐぅ」


 司祭さまにはそういうところがある。およそ人を死地に誘い込もうとしている態度ではないが、軽く考えているのではなく、根のところで、なにもかも野となれ山となれみたいな、人としてどうしようもないところがある。


 僕が支えてあげたいが……。


「……うーん」


 金髪の子供を観察する。

 癖っ毛の金髪を渦巻かせる、十歳くらいの体格の子供は、うつむいていた。孤児はだいたい小柄なので、12〜14歳くらいだろうと推測する。陶器のような肌は滑らかで、地面を見つめる陰気な姿。長い睫毛と一点を見つめる黄金の瞳、整った顔立ちも相まり、やはり呪いの人形にみえてしかたがない。


「なあ、いま、何歳だ」

「……(ぷい)」

「ノエルは言葉が遅くてね、話せないことはないんだけれど……」

「……」


 ああ、そういう……。


 事情がよくわかる。丁稚にも使えない孤児は選択肢が少ない。

 真理教会のシスターになるにしても、エリートコースだから教養が必須だし、言葉も満足に話せない女児に、行き場なんてなかったろう。


 大店の当主ということで、勝手にデブのロリコンのような気がしているが、そんな相手でも真理教会からの奉公だ。飽きられて捨てられるにしても、捨て扶持くらいは与えられるだろう、と、司祭さまは親心を働かせたはずだ。

 あまり良い気分ではなくとも、自分のできる範囲で手を回し、子どもが生き抜けるようにーー 


 ーーヴァルチャーなんかにならないように。


「うーん……」


 そっと頭を触ろうとすると、バシッと弾かれた。

 なんか守る理由みたいなものを見つけようとしたが、普通に強く弾かれた手が痛い。僕の好感度は下がった。


「痛ぃ……一人で生きられるようになりますかね? ずっと面倒はみきれませんよ?」

「大丈夫、頭は良い子なんだ。あまり言葉を口にしないだけで……。かわいそうなノエル。彼女が大人になるためには隣人の助けが必要なのだろう。真理教会から謝礼も出るよ。それに……イーリくんのパートナーになりうる……将来は美人……ブリーダー……食べ物を与えれば大きく育つ……感謝の奴隷……」


 この男。

 色仕掛けまで始めやがった。

 司祭さまの星型メガネは白く光り、人の下心を刺激して地獄に引きずり込む悪魔みたいになっていたが、僕はむしろこの適当な司祭に任せていたらこの子供は近いうちに死ぬという確信のみが持てた。


「ノエル、っていうんだな」


 頭を撫でようとする。


 パシッ


「触るな」



 …………。



「うーん……」



 逃げたいなぁ……。



 とりあえずは保留。野菜を餌に一泊していくことをすすめられ、案内された部屋には、口元を嫌そうに曲げたあの子どもがいた。


「じゃあまた明日」


 パタンと司祭さまが消え、ガチャリと鍵が鳴る。


 シン……。


 子供は壮絶な顔で、家具を並べバリケードをつくりはじめる。

 青と白のチェック柄のパジャマを着ていて、風呂上がりの髪をほかほかさせていた。


 うーん……。


 僕に親しみを発生させて、情に訴えかけようという姑息な作戦だ。

 ロリコンだと思われてる可能性もあるが、ディートリヒ司祭さまはそこまで馬鹿ではない。……馬鹿ではないよな?


「ディートリヒさん……本当はすごく馬鹿だったのか?」


 こくりと同意して深くうなずく子供。こいつは状況をわかっているのだろうか?


「なあ、ノエルとやら。お前はこれからどうすんだ?追い出されるまでいるつもりか?」


「……機械が好き」


 質問には答えたとばかりに、背を向けて金髪の頭まで布団をひっかぶった。

 話す気はないらしい。


 寝転んで、朝を待つ。

 懐かしい孤児院だが、状況はじわじわと悪くっている気がする。

 窓から僅かにのぞくドーム天上、今日はオーソドックスに月と星を投影していた。星を眺め、ぼんやりとしていたら、眠くなってくる。



 うーん……。世知辛い。


 子どもの、かすかな呼吸音が部屋に響いている。


 ……息苦しい。


 なんて寝づらい夜だろう。


 ーー頭が、痛い。


 自分の世話も満足にできていないのに、護衛なんてできるはずがない。

 だが断ればこの子供は死ぬだろう。なんなんだ?


 恩知らずとはわかりつつも、司祭さまに強い怒りが湧いてくる。

 できないことはできない。

 命を賭けてまで助けるほどの関係じゃないし、もとはといえば、身の程知らずに逃げてきたこの子どもがーー



「……ひくっ」


 ーー小さな、しゃっくりのような声が聞こえた。


 うーん……。


 僕は善人ではないし、子どもなんてこの都市では毎日たくさん死んでいる。


「……ひっ……ひくっ……」


 諦めよう。




 朝が来た。

 逃げるのを諦めることにした。いっそ占いがわりに、依頼を受けると話すと、司祭さまは大喜びで手を握ってくる。姑息な手を使われたくらいで絆されるもよか、騙されないぞ……。


「よかったね、ノエルくん! なんとかならないこともなさそうだ!」

「…………」


 善行をしたいわけじゃない。どうせ死ぬ子供なら、たとえ死んでしまっても、生存の可能性をやったというだけで自他への言い訳はつく。

 司祭さまから詳しく話を聞くと、一週間後には〈真理教会〉からの庇護も失われ、子供はほっぽりだされるようだ。上役からの圧力をかわしつつ、子供の巣立ちの準備として一週間守るのも大変だったらしい。


 予想以上に事態は逼迫していた。


 大商会との関係と、孤児一人、比べるまでもない。当たり前だ。

 そもそも真理教会から紹介された子供が犯罪を犯したのだから、無理筋ですらない。引き渡すのではなく放流する、真理教会の上役は順当な落としどころと考えているのだろう。


 容易に想像できた。真理教会のお偉方はーー自分たちが殺すわけではない、手を下すわけではない、罪人を引き渡すのはむしろ教会としては当然のことだと考えているのだろう。


 ーーこれこそが現代の生贄だ。生贄の風習はいつの世も社会から消えることはない。死ぬべき人間は、善意に背中を突かれて奈落へと消え、恵みをみなが受け取り、犠牲者にはありがとうと涙して感謝する。たとえ雨が振らずとも、犠牲者がいるということ自体が集団にとっては欠かせない利益となるからだ。


 うーん……。


「イーリくん、すまないね。少ないが私の貯蓄も合わせておいた。どんな結果になってもいいから……できれば……いや、余計なことは言わないよ。ありがとう」


 ディートリヒ司祭はシリアスな話をしているが、星型のメガネをつけているのでふざけているようにしかみえない。中年の適当なおっさんがジョークで真顔をしているようにしか見えない。僕は、なんて恩知らずで、不敬なやつなんだ……。


 土いじりで分厚くなった、司祭さまの手を握ったあと、一週間後の再開を約束して別れる。


 金髪の子供は片隅でぼんやりと本を読んでいた。

 もう慣れたのでこれはこれで気楽だ。余計な口出しをしないということは、なにも話せないということは、欠点であり美徳でもありうるのだろう。商会の旦那は油断して欲をかき失敗した。僕はこの稚魚を放流するまで適当に餌をやっていればいいわけだ。




考えるべきことはたくさんあった。



商会の私兵にヴァルチャーはいるか?

権力者といってもどのような横のつながりがあるか?

交渉の余地はあるか?


一家と当人の人柄は?

逃げるならどこに逃げればいいのか?

地下に姿をくらませるだけですむか、都市外に行くしかないのか?


やるべきことをたくさんある。

……まずは、この抱えている、重くていまいましい──カメラアイを売り払う。これ邪魔すぎる。ムカつくし叩き割りたいくらいだが、小遣いにはなる。



──〈マンホール〉へ向かった。


■■■


【ヴァルチャー】

 機械狩りの俗称。機械狩り連盟の第一位ギルド【ヴァルチャー】から派生。

 とくにバーナード市においては遺物を漁る腐肉食らいを差す蔑称だが、強力な敵性機械たちを狩るハンターたちは誇りをもってヴァルチャーを名乗る。



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