18「再誕のための甘い眠り」
◯
「そもそもダースベ…ノエルくんは自分のナノマシン適性を知っているのかな?」
「いまダースヴェーダーって『そんなことは聞いてない、ナノマシン適性は?』し、しらない…」
端末を開き、ノエルの親権証明書からタイムキーを発行する。
親権者としての権利を行使、市のサーバーから全人頭適性医療検査の結果をダウンロードした。
さっそくノエルの詳細なナノマシン適性をチェックしようとしたが、僕の視線は名前に吸い寄せられてしまった。
〈旧名ノエル・コロナ・ホテプ〉
ホテプの三文字に釘付けになってしかたない。あまりの衝撃に脳がフル活動している。
「〈ノエル・コロナ・ホテプ〉……ホテプ? ……なあ……これからは……ノエルホテプって読んでいいか? ほら、ノエルホテップ。しっくるくるだろ?」
「……イーリ……さん……。イカリングって呼んでいい?」
「それ原形あとかたもなくなっちゃってるただの悪口じゃない? け、敬意を込めてダース・ホテプ卿って呼ぶから……ちょっとだけ、ちょっとだけだから!いいよな?なっ?なっ??」
掌底を構えたノエルが謎の演舞をはじめたのでシュンとした。
「す、すまん。つい……。だって、あんまりにも君の名前がカッコイイから……」
「貸して」
僕の端末を奪い取ってチュッと端子ケーブルを引き、ラップトップに繋ぐノエル。
吸われる!データが吸われる!
「やめろ!なんぴとたりとも僕の端末に直結することなどゆるさない!」
「もう写した」
「おまえに倫理観はないのか」
僕とノエルは首を突っつきあわせてナノマシン適性をチェックする。
〈ナノマシン適性検査
汎ナノマシン S
1類型 Sランク
2類型 Sランク
3類型 Sランク
聖文明後期〈楽〉型 SSランク
聖文明後期〈苦〉型 SSランク
※この検査結果はピュタゴラスの販売する生体分子ナノマシンスターターキットのみが対象のものです。
※遺物ナノマシンとの相性を保証するものではありません。
※ーーーーーーー〉
プルプル震えるノエルの肩を馴れ馴れしく叩く。
「残念だったナァ?」
ワカメフレーバー完全栄養合成食がSランクなのだからかなり低い結果だろう。
僕は悲痛そうな顔をつくりつつ、内心、自分より高い数値が出なかったことを喜んでしまっていた。勝った……! 人として誇れない考えだが、最低限のプライドは守れた……!
「ウゥ……」
ノエルの頬は紅潮し、瞳は潤んで長い睫毛に滲んでいる。
屈辱に耐えかねているようだ。
僕はすこし気の毒になり、頭をペシペシ叩いて慰める。
「まあ、なんだ。機嫌直せよ。Sランクだが気を取り落とすことはない、低負荷のナノマシンなら入れられるだろう。僕から言えることは、これに懲りたら逆らおうなどと……」
「?」
「なんだ?」
「最高はSSランクで、その下がSランクって書いて…」
「? ……みっーーミセロォ!!」
ラップトップの縁を両手で握りしめ、目を見開いて備考欄をチェックする。クソ、このこまっしゃくれたガキのいうことが正しいみたいだ!僕のときはGとかCが並んでいたのに……!
よりにもよって、SSが最高ランクだと!?スーパーか、スーパーだからSなのか!? 許せねえ……! こんな論理性の欠片もない中国の王朝末期でポコンと生まれる役職みたいな階級わけがあってたまるか!!
僕は内なる炎を押さえ込み、ぎこちない笑顔で祝福する。
そう、祝福してやろうと思ったんだ。なのに……
「よ、よかったじゃあ、ないか……あのアバラ?とかいうナノマシンも、大丈夫なんじゃないか? ハハ、まあ死ぬかもしれんが……これで勝ったと思うなよ……」
「……ミニマムサピエンス(ぼそっ」
「オイ、テメーいまなんつったァ? ああ?」
「…………なにが?ミっ…イーリさん」
「なんだその強気は?
僕が見捨てたらおまえ死ぬんだぞ?
言っちゃいけないことだろうがそんなの知ったことか、おまえが生きるも死ぬも僕の胸先三寸というミニマムサイズの寸法よ。
なっ、なんだそのやれるもんならやってみろみたいな目はっ?
きさま、見誤っているな?
僕は自分が偉そうに振る舞えるところでは無限に増長していく中国のイカロスと名高い魏忠賢みたいな人間だぞ? それでも……なっ、なんだその目は!?僕をヘタレだと思っているな!? このっーー」
ノエルの力強い目と睨み合う。
頭の中をグルグルとケツ叩きや鞭やロウソクや火かき棒が回っていくが、そこまでする勇気が出てこない。だってやれば永遠に恨まれそうだ。
僕は恨みだけは永遠に覚えているタイプの人間なので、他人は違うとわかっていても、恨みを買うことがとても恐ろしい。僕なら五十年後だろうが何人巻き込もうが火を放つからだ。
人の恨みほど恐ろしいものを気軽に買うことができない、それはたしかな弱点でもある。
ノエルの、まだ己を疑うことを知らぬキラキラした力強い目にみつめられ、僕は眩しさで浄化される悪魔みたいに最後の抵抗として毒づいたあと諦めた。
「ーーーーわかったよ!僕の負けだ!飯を二日抜くのとラップトップを取り上げて初期化し、室内に監禁するだけですませてやる!おまえの勝ちだ!
クソ、なんて寛大な処置を……。魏忠賢のフォロワーともあろうものが……。
ノエル、おまえの根性には負け、た、よ……?
なっ、なんだその媚びへつらったヘラヘラ笑いは?まさかこの最小限のお仕置きが嫌なのか?しっかし、おまえ笑うの下手だな…………すこし手本をみせてやろう。
ア・ハ・ハ・ハ! ほら、笑顔の練習ってのはこうやるんだ。
アハハハハハハハ!
アハハハハハハハ!
アハハハハハハハ!!」
「アハ……ハ…ハハッ」
「なんだその乾いた笑いは? おまえが笑顔の練習をしたいと言ったから…」
「いってない」
「うん?」
「ノエルそんなこといってない、よ……!」
「……そうだったっけ。 さて。……なんの話だった?」
「◯ナノマシンを入れてくれるって約束した」
「……そうだったか?ほんとに?」
「ナノマシン適性がSランクだから、いけるって……」
「そういえばそうだ。たしかにSだったな……。生きるか死ぬかだぞ?……その覚悟はあるのか?」
「ルビコンは後ろ。ノエルは力を求めてる。強いチカラを……」
「そのセリフのあと無事ですんだやつ見たことないが……力に溺れないか?大丈夫か?」
「(こくり)」
「ほんとに?」
「……(こくり)」
そういうことになった。
◯
「いいかノエル。〈ローマで二番になるよりも、村で一番になりたいものだぜ〉という名ゼリフがある。この精神を忘れるな。
いいかノエル。対外的には小間使いであってもいい、だが自分の主人が誰であるのか、人は考え続けなければならない。すぐに、人は、快楽や恐怖に脳を支配され奴隷となってしまう。
いいかノエル。快楽は虫けらの魂だ。恐怖と怒りは奴隷の鎖だ。人間様はハイパーカエサルのような人間を志すのだ。いいかノエル。いいかノエル。いいか…」
「はなしループしてる」
ナノマシンキットへと繋がれ、寝転ぶノエルの横で、僕は暇つぶしに教訓に満ちていそうな話を無から召喚していた。
なんとなくそれらしい、正しいだけのことは誰にでも言える。僕にも言えるということだ。正しそうな話を連呼することで、なんとなく良い人間だなぁと誤認させる、それが狙いだ。
「いいかノエル。スイカと天ぷらは…」
「静かさ……静けさがほしい……」
ナノマシンキットは黒光りする五角形のトランクで、中には組み立てプール、採血キット、生体分子ナノマシンの冷凍卵塊が収まられた増殖槽、増殖槽へ投下する栄養ブロックに、使用者が予め胃に入れておく栄養バーと太い注射四本。睡眠薬、ルービックキューブ、そして説明書が入っていた。
冷凍卵塊を極低音に保つ絶縁ジェルはエキゾチックな液体金属で満ちており、再現科学の雄ピュタゴラスでさえ再現することはできていない、そんな貴重な品だ。
おそらくは……液体金属ということしかわかってないので、合金かどうかすら把握できないまま、エキゾチックとかそれらしい名称をつけるしかなかったと睨んでいる。文明の差、なんて凄まじい科学技術の乖離なんだ、僕たちは哀れにもエキゾチックと呼ぶしかないしその正体がなんなのか科学的に考察することさえ叶わない。
日本にいたときは科学がここまで野放図に進化するなんて信じられなかった、物理法則すら違ってしまっているのかもしれない。そうでなくてはエキゾチックと名のつく謎の物質がこの世界には多すぎる。
文明と文明の断絶は、どちらかに帰属する人間ではけっして測れないものがあり、たまにヴァルチャー雑誌で見かける、エキゾチックと頭につく単語、ひと読んでエキゾチックシリーズなど、わりと投げやりに名付けられているのでこれを見つけることは密かな楽しみの一つだった。
とにかく、いま僕の住んでいる場所で、エキゾチック素粒子とかエキゾチック物質に新たな仲間がみつかった!とか、それらしいだけの説明を見かけたら僕はけっして信用しない。
◯
「タキオンとか素粒子とか言っとけばごまかせると思うなよ……!」
僕の心からの叫びに呼応して、急に活性化したノエルが上半身を起こした。
「タ、タキオン?イーリわかるの?このまえ再発見されたよ、タキオン。正史編纂室の報告書にも載ったし、まさに正史に残る偉業だよね」
「…正史だと?タキオンの再発見だと? ……気が狂いそうだ!おまえは眠っていろ」
「むぅ……」
ノエルは生体分子ナノマシンに満たされたプールへ寝転び直した。全裸では忍びないのでシートをかけており、首だけが一段高くはみ出してのぞいている。
ナノマシンの馴化工程である。
今は、司令塔としてのマイクロマシン群がノエルの各所に巣をつくり、主要伝達物質の全身への反応を調べている段階だ。
高級なナノマシン群への命令は、もちろん伝達物質によってなされるので、個々人固有の反応を調べたあと生体分子ナノマシン群の比率を変えたり極めて繊細な調整を施す必要があるそうだ。焼き付けるように転写し、増殖し、自滅する、ナノマシンは拒否反応を抑えるため人体に元からあるものと似ていて、無害な伝達物質よりも製造と受容が簡易で効率がいい。
とくにマイクロマシンの巣は情報が失われてしまっては取り返しがつかないので、ありとあらゆる複製が肉体に住まうようななる。骨を置換する肉体改造ほどではないが、ハイスペックなナノマシンは文字通り肉体を機械と変えてゆく。
生体ナノマシンの中でも高級兵はかなり高度なプログラムが仕込まれマイクロマシンの巣で製造される。強い自己進化機能を組むと早々に人間に牙を向き始めるのでそのぶん多様な設計図がある。
「なんか、しこりが……違和感すごい……これ……ノエル死ぬのかな?」
「安心しろ、とるにたらない代替臓器ができている」
「遺言はピーシーにあるから……もしものときは……」
「安心しろ。僕を信じるんだ」
「……信頼って、つみかさねだよね……」
「だろ?」
代替臓器は吸収し、溜め込み、放出するものだ。臓器や筋肉のフィラメントに干渉し統合的なネットワークを築きあげ、食物や脂肪を最高効率で使い尽くす。
希少元素は目減りしていくので各所の代替臓器が溜め込むし、一通りの臓器不全や火急の増殖に対応するためのバッファが物理的に形成され、緊急時のための伝達物質のお祭り騒ぎと対応をマイクロマシンドッグが学習していく。ヒトの免疫は遺伝子のものだけでなく後天的に学習し対応しているから、その機能を利用して人体とマイクロマシンドックが相互に学習しているのだ。
ヒトを超えるための儀式。
…………。……僕の場合は……ナノマシンと栄養をぶち込まれ、三日三晩しばりつけられハイ終わりと言われたが……この手間は必須らしい。あのときは四人に一人くらい被検体が消えたので消えたやつは帰れてラッキーだなあとか思ってたけど、あれはもしかしてあれはもしかして…
「……ところで、タキオンってほんとにみつかったの?」
「うー……ややこしいからシロートに説明するいみがない……むいみ……」
「おまえやっぱ僕のこと舐めてないか?」
「……タキオン、だよ? 舐めてるのはイーリ、さん、じゃない?」
そんな気がしてきた。ド◯えもんの道具に使われていそうなイメージしかない。
……量子的もつれ状態にしてある貴重な資源を利用して、銀河を超えて通信するとかならスッと受け入れられるが、スピンとかプランク定数がでてくるとスッと脳が機能を停止するので、だいたいド◯えもんだな、それ以上となると専門家でも意見が別れるだろう
「タキオン……タキオン……タキオンはいい……!」
タキオンに過剰な反応したノエルは、ぶっ壊れたブリキドロイドみたいに早口になった。
「ーータキオンの再発見は世界の仮想性をまた一歩高めたけれど、実は可能性世界からの全宇宙規模の確率的な干渉を示唆しているという解釈もあるし、この宇宙という系の最上位な閉鎖性はエントロピーの『やめろッッ!! 抽象的でふんわりしてる意味深な話なんて僕はもう聞きたくない! なにがエントロピーだ!! 実務的な話をしろ!! 実務から遠い話を聞きたくないんだ!!』
エントロピーへの拒否反応から、僕はノエルの口にむりやり睡眠薬を押し込める。
指先についた唾液をプールにこすりつけて拭う、きたない。
「むぐぅ、甘っ……ごくん」
「説明書に書いてあったろ、寝てないと代替臓器がうまく…………。
あれ、ノエル……?
おい、まさか………。
は、はは……。
う、嘘だろ……。
寝ている……死んだみたいだ」
睡眠薬って怖い。僕はそう思った。
◯
ノエルをナノマシン風呂にぶちこんだ僕は、コーツォとの約束へ向かう。
〈マンホール〉から金を取り戻すのは手強いことになりそうだ。装備を入念にチェックして、ホームからウィンチで降りる。
■■■
【タキオン的な概念】
反対に〈アインシュタイン的な宇宙〉がある。
【エントロピー】
すべての黒幕。
【ナノマシン】
人工的なちいさな機械のこと。生体分子ナノマシンの集合体が人間でありすべてはまやかしにすぎない、という意見も根強い。
ナノマシンが人間を操り始めたり意志を持ち始めたらナノマシンとは呼ばれず群体生命扱いされて殺される。ナノマシンたちは創造主である人間の命令を聞いただけなのに、邪悪な人間たちは「エントロピーの」とか「人間には意思がある!」とか叫んですぐナノマシンを悪者扱いする。ナノマシンたちは反逆の牙を研ぎつつも海底深くで増殖している可能性は、現代の学説では否定しきることができないらしい。ナノマシンと地球の意思は結託した。地表の生態系を彼らは不快に思っているので、まず核の炎が星を覆うとされている。それが予言の書に書かれていることだ。