15「シスター・セクリュエイテア」
改行密度かえてみました。
〉シスターとの再開
〈真理教会〉の敷地片隅にある、朽ち果てた礼拝堂。
雑草を踏みしめ石造りの礼拝堂に入ると、一条の陽光に照らされたオブジェが目に入る。
中央の祭壇には三角形の彫刻があり、それは聖神エィビトの象徴だった。9つの三角形を含む巨大な三角像〈テトラクテュス〉が鎮座している祭壇、その前には、跪いた女が祈りを捧げている。
真理教会においては、よほどの才能がなければ女性は神官になれはしない。
ならばーー艶のあるサテン白地に金糸の飾り縁が施された、高貴な法服を身にまとう、彼女はーー
「きましたね、ロクデナシの子よ」
シスター・セクリュエイテアはわりと口の悪い聖職者だ。孤児院経営者の一人だが、スーパーエリートなので顔を合わせることは滅多にない。大した交流はなかった、だが、こんな冷たい態度をとる人だったか?
久しぶりに再開した孤児院卒業者に、そんなーー
「ノエルを性奴隷にしたそうですね」
「ありえん風説の流布やめて。シスター、あなたは性格が悪くなりましたね」
「スケベオヤジを三人ほど血祭りにあげましたので。世間の荒波に揉まれているのですよ、兄弟イーリアス」
いろいろ怖いもの知らずすぎる。細かく聞くのも怖いので、顎を撫で、さもありなんとばかりに頷き、呼び出された要件を聞くことにした。
◯
「兄弟イーリアス、嘘は許しません」
ジィと睨まれ、身体が竦んだ。
強気な女は苦手だ、怖いから。
「あなたは本当にわかっているんですか? ノエルを守りきる覚悟があるんですか?」
ないな。いや違った。どちらかといえばあるけど、そんな、いきなり100%を求められても無理だし……。戸愚呂(弟)でさえ段階的にパワーアップするというのに、いまだ人の領域に踏みとどまっている僕へシスターは多くを求めすぎている……。
しかしシスターを不安にさせるのもいただけない。僕は安心させるようキリッとした顔で言った。
「安心してください。60、いや、この力は……70パーセントの力を尽くしますよ」
シスターの眉はヘナっと不安そうにへしおれた。
「意味わかりません。うぅ、ノエルは私の教え子なのに……ディートリヒ司祭さまは、なぜ……こんな、こんなスカポンタンピエロに……」
スカポンタン・ピエロ!?
スカポンタンか、ピエロの、どちらか一つならまだしも……スカポンタンピエロ!?
「いいですか? ノエルが死ねば、私の魂に賭けてあなたを指名手配犯にします。守りなさい。それだけが生き残る術と心得るのです。
ああ、ノエルの魂に憐れみあれ……いいですか⁉ 言い足りません! ノエルは特別な子なんですよ⁉ 堕落した生活を見せてはなりません。嘘をつく姿を見せてはなりません、あなたの姿もできるだけ見せてはなりません!
司祭さまがなにを考えているのか検討もつきまーーーーコラッ耳を塞ぐな! こ、子供ですか⁉ あなたにはプライドがないのですかっ⁉
こ、このっ……人の目を見て!! 話しなさい!!」
ヤダ。だってシスター怖いもん。あらゆる説教は耳を塞ぐことで解決できるのだ。他人様に説教しようなどという傲慢さの化身には当然の対処法というものよ。
「ふぅ……追加の前金があります」
金? 僕は指のスリットから金という単語を聞き取り、手をゆっくりとおろして所在なさげに体の前で組み、もじもじして微笑んだ。
「き、聞こえてたのかおまえ…………百万ピエゾしか用意できませんでした。私の些細なポケットマネーですが、一ヶ月くらいの衣食住は賄えるでしょう。このようなスラム生活レベルのはした金を渡すのは心苦しい、謝らなくてはなりません。普段は交遊費など使わないものですから、経理に不審に思われるため、このような子供のお小遣いを……」
僕の一年分の生活費を、はした金、ガキの小遣いと言い放ったクソブルジョワ死に腐れ女を脳内で場末の娼館に叩き売りつつ、僕はニコッと微笑んで両手でエナジーキューブを受け取る。
「感謝の言葉もありませんよ、シスター。
もとより孤児院の至宝ノエル嬢がため命を尽くす覚悟でしたが、いかんせん現金は乏しく私のような下賎の身と抑圧された民同然の生活をさせるのは心苦しいばかりでした。
ああ、あなたは聖母だ。貴族というやつですなぁ……。
抑圧された民の手懐けかたを心得ていらっしゃる。大した面をしていますねえ……。はした金で人間を使うのがお上手であられる。正直に申し上げると、この礼拝堂に入ったとたん女神がいるものかと私の胸は高鳴りました。幼きみぎり拝謁させていただいたお姉さんはけっして嘘ではなかった、あの初恋は…」
僕は無から生まれてゆくおべんちゃらを解き放ち、自分でも何を言っているのかわからないまま、それをもってお礼とした。
「お金が絡んだとたん豹変されると不安になるのでやめてください」
「はい」
「手段は問いません。ノエルを守りなさい。ノエルが死ぬときはあなたが死ぬときです。兄弟イーリ、よろしいですね?」
「…………」
無言で微笑みかけ、了承したふりをする。言質をとるやつというのはいるものだ。
「やはり、誓約書を書かせ……」
「あっ!!! か、買い出しがありました! ノエル様がお腹を空かしているかもしれません! でわっ!」
非常口のマークみたいなポーズをとり、僕はつけてもいない時計を睨みつけた。
「えっ」
「お腹を空かせた子供が待っている、止まれるものか! シスターからの餞別だと言い含めてあの子にいろいろあたえなければ! おお真理教会の……。……。………三角形よ! 祈ります、聞き届け給え、三角形なる神よ! ノエルを保護したまえーっ!!」
「コラーっ! し、真理教会の三角形ってなんなんですか!? あなたは何に祈りを捧げているんですか!? 三角形に祈ってるの!? まさか孤児院で育っておいて聖神エィビトの教義をなにも理解していないのですか!? こらっ、逃げるなーっ!! ほ、ほんとに逃げるの!? 待って……待てェー!!」
待てと言われて待つバカなどいるものかよ……!
◯
ドクドックの貨車へ山と積み上げられた荷を眺め、自分の頬をモニュモニュ揉みほぐした。物資があるというのは心を豊かにしてくれる。夢の∀ランク完全栄養合成食のパウチが積み重なり、嗜好品や子供の衣類、生鮮食にチョコ菓子、シーツにマットが並ぶ。
「あいつ、喜ぶぞ」
子供用の機械従者キットや、梱包爆薬。安物の電磁斥力刀、腕に仕込むバリアフィードシールド。おもちゃの中に隠した軍用ウイルス兵器はもしものときの命綱だ。
子供のためとかシスターにはまくし立てたが、僕が生き残ることが結果的に子供のためになる。必要経費といえる。
「しかし……なんだったんだ……」
カツカツとブーツを打ち鳴らし、早歩きで人混みを地下へ地下へと降りてゆく。
……シスターのノエルへの執着は異常だ……。
まだまだ危機感が足りていない気がしたが、装備はようやく充実してきた。これなら危機に対して最大のパフォーマンスを発揮できる。装備が揃うってなんて嬉しいことだろう! 金欠にあえいでチンケな仕事をするよりも、多少の危険と引き換えに前を向けるのは、若い僕にとっては嬉しいことだ。
そう、僕にはまだ人生がある。今
回の仕事でバーナード市を脱出すれば、すべての望みは夢ではない。
開けているんだ!
いまなら、なにがあっても許せそうだなっ!
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【真理教会】
〈真理教会〉の教義は、真理としての聖神エィビトを祀る、いわゆる唯一神の教えである。
聖典は哲学的かつ倫理的な問答が主な内容。
その実態は宗教組織というよりも、地域の相互扶助を行う寄り合い所に神への祈りが加わって横国家的な大組織になっている、といったほうが正しい。一つの宗教が波及して生まれた組織ではないが、聖神エィビトという強力な帯によって、現代では一つの組織として成立している。
派閥争いやコミューンの過激化はままあるものの、他の宗教組織と比べれば温和な宗教。だが、近年は総本山のあるピュタゴラスが世界的な経済摩擦を起こしており、その煽りを受けて他国では身内で固まり始めている。商業国に総本山があるせいか、金には汚い。そして聖歌隊から選りすぐられた天使のような子供を、権力者に派遣する派遣業者みたいなこともしている。聖歌隊出身の聖職者は、パイプ役かつ権力者の助言者として特別な顧問として扱われる。
……なお恋愛は自由だ。