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10‐外伝1「〈バーナード市上層部〉〈ユリアの免税嘆願〉」

・この話は外伝です。合わなかったら飛ばしていただいても本編を読むのに支障はありません。

・二本立てでお送りしております。



■■■


〉バーナード市上層部の会話



〈それでは定例会議をはじめます。

 議長はわたくしサゾ族の砂魚ナブーゾーが務めさせていただきます。異論のある方はご起立して発言をどうぞ。

 ……では、一つ目の議題。都市の歳入がますます落ち込んでいますね。

 商連のセルトール氏、詳細説明をお願いいたします。〉


〈…兼ねてよりピュタゴラス商人とは冷戦状態でしたが、今回のそれは世界的な規模の締め上げです、その煽りを受けていますね。


 言うまでもなく、ピュタゴラス商人の介在なくして貿易は成り立ちませんが、彼らの搾取は目に余るとすべての人々が団結してはや四十年、冷戦は新たな局面を迎えました。 


 商連の結論から言えば、ピュタゴラス商の本国は優位性を保つためになんらかの決断をしたようなのです。もしかすると交渉ですむかもしれませんが、今回の経済網破壊活動は沈彗帝国でも行われておりますし、星光共和機構に至ってはピュタゴラス商の財産を没収し、経済戦争をこえて国交断絶に近い状態であります。


 つまりですな、世界全体の経済を滞らせて力を削ぎ、相対的な優位性を確保するといったような、そんなーー〉


〈ありがとう、セルトール氏。目下の問題は都市の歳入が落ち込んだだけでなく、特異個体の増殖龍を仕留めきれていない現状、大規模作戦のための資金すらおぼつかない現状につきます。

 このままではジリ貧です、異論はありませんね?


 ……こたびの増殖龍を迎え撃つこと六度、死人は増えつつあり、剥がれ落ちた分体を一体倒すだけで十人のヴァルチャーが命を落とす。

 機械狩り協会はそろそろバーナード市へのペナルティすら匂わせております。プルトニュー大佐、いつまで持ちますか?〉


〈二ヶ月だな。それ以上は部隊の統制を保証できない。すでに人員の二割を失っている。再編すらままならぬ状態で出撃するしかなく、現状ですら二番廃都への侵攻作戦は、補給なくして不可能だ〉


〈大佐よー。言いたかないが、高い飯食ってるくせして、いざとなったら無能じゃねーか?おい、睨むな、言いたくて言ってるんじゃねーよ……。ーー司祭、なんだ?〉


〈その件については私からご説明いたしましょう。

 星光共和機構の本部が援軍を出し渋っている、その一言につきます。


 本来の防衛計画にしたがい増援が派兵されていましたら、とっくに解決しております。星光の軍人を侮るべきではありません。推察しますが、大佐も本国では難しい立場にいるのではありませんか?

 ……あまり責めるようなことを言うのはおよしなさい。いまは争っている余裕はない、でしょう?〉


〈……ダアカラ、オレァ言いたくて言ってるんじゃねーよ。バカどもから回答をせっつかれてんの。

 ディートリヒ、テメーわかって言ってんだろ…ムカつくんだよテメーの胡散臭い笑顔はよ……大佐、別に他意があるわけじゃねえんだ。気を悪くしないでくれよな、ヒヒッ〉


〈ええ、わかっております。それに、不甲斐ないのは事実ですからな〉


〈プルトニュー大佐。一つ質問を。わたくしは本国の情勢に疎いのですが、市長の嘆願は今度こそうまくいきますかな?〉


〈……本国の上層部は、議会と委員会の並立政治は、複雑極まる。長らく本国から離れている身にはわかりかねるが、増援を渋る者たちには明確な意図がある。そしてそれが優勢となればーームント市長が有力セクトの庇護を受けられるかどうかでしょう。〉


〈大佐、腹を割って話していただきたい。

 本国に働きかけることはできませんか?このままではあなたの部隊も全滅すらありえます。資金は無制限に用意します、有力セクトとやらにーー〉

 

〈お待ちください議長。

 あなたは優秀な政治家だが、星光共和機構の政治を知らない。


 有力者のなかでも、マザーの十指に数えられるような方々は怪物なのですよ。恐ろしい、怪物です。知っていたら、自ら近づこうなどと言わないはずだ。

 聞いたことはおありでしょう。

 いま本国にいるだけでも、


 〈鉄血〉サディーアン。

 〈心臓食〉のアバブゥ。

 〈虫食い樹〉に〈塩〉の双子。

 〈空舟〉の主バルネッコ。

 〈呪骸取引〉のゾロゾーンにいたっては神話に出てくるあれそのものです。


 ……触らぬ神に祟りなしという。有力セクトの長は、星光共和機構の人間にとってみれば多神教の神々と同じだ。実在する神などに関わって、ろくなことはなかろう……〉


〈……いやはや、率直にお尋ねします。大佐、チャンネルはありますかな?〉


〈ーーいいでしょう。市長の交渉がまた失敗に終われば、本国の友人に頼んでアドレスを用意してもらいます。あなたがたで交渉なさい。そこまではお約束いたしましょう。


 私は軍人です、任務を果たしたい。この6年を暮らし、妻を得たこの都市を守れるものなら守りたいのですよ。〉


〈……感謝いたします。では、次の議題。〉




〉次の議題


バーナード市長を務めるユリアは、生真面目な女だ。

ポラトリク経済圏のなかでも最難関の五芒星ペンタグラム大学へ飛び級で入学し、熾烈な競争を常に勝ち抜き、次席で卒業した。


そのユリアでさえ、政治の場では無能に過ぎない。

父のあとを継いだユリアはまだ若く、準備ができておらず、無力な女だ。

幸福な半生のあとには重圧のみが残った。星光共和機構の議会は、いつも複雑怪奇な政治闘争が繰り広げられている。


「市長ユリア・ムント氏の嘆願に賛成のかたは手を」

ポツポツと六人ばかりが挙手をする。あとの80人はあらゆる理由で手を上げていない。


「反対大多数にて、ユリア・ムント氏の嘆願は却下されました」


ユリアは能面をかぶり手をあげる。そうせざるをえない。


「発言をどうぞ」


「考え直していただけませんか?

皆さんも無関係ではありません。何度も申し上げたとおり、現在、バーナード市は特異個体の増殖龍を抑えており、官民の犠牲はすでに三百人を超えました。


戦費は補助金だけではまったく足りず、やむなく私財で支払いました。税を払わないと言っているのではないのです。払えばバーナード市を守れないと言っているのです。


まだ市民に対しては箝口令がしかれていますが、人的被害に怒り狂った機械狩りギルドは反乱すら示唆していますし、出向軍部は被害を嫌って矢面に経とうとしません。


免税どころか特別予算を組んでいただきたい。軍への指揮権を持った、討伐に意欲的な軍人も派遣してください。これは私欲うんぬんの話ではないのです」


みな、無言だ。

議会で臆面もなく私欲はないと主張する女を軽蔑する向きもあれば、眩しいものをみる目もある。だいたいは好意的。

だが、無言だ。


「議長としてあらためて宣言しておきますが──嘆願はいくらでもして構いません。ですが、議会がその決定を覆すことはありえません。市長ユリア・ムント氏にはできうるかぎりの努力が求められます。では、次の議題はピュタゴラス貿易戦争へのーー」




「ハァーー」


陰鬱な気を吐きつつユリアは部屋に戻る。


護衛は主人の職務を思うが、なにも口出しはしない。ただ控えの間へ下がった。

与えられた部屋は広く、サロンには色とりどりの花が並べられ、配置された家具は上品かつ最上のものだ。高層の部屋、強化ガラスから広がる光景は外の世界とは隔世の感がある。


星光共和機構においては金銀財宝で着飾ることなど下の爛美とされるが、それでも富裕層の中でも一握りしか所有することのできない家具はわかりやすく質が違う。


そう、わかりやすい富と権力に、ユリアは絡め取られている。

両親の死とともに、垂れ下がる蜘蛛の糸に絡め取られたユリアは飛べなくなってしまった。



ーー子どものころ、ユリアはハレルヤをみたことがある。



だれも信じてはくれなかった。光が遮られ、首を廻して太陽を探した。見つかったものは太陽よりも大きい龍、衛星を撃墜する災厄。地上のだれよりも自由、天帝領域のリプラポーン。


ありとあらゆる飛行物は龍の怒りを買う。しつこく衛星を打ち上げた大国はある日に更地になった。天災はそうしていまも飛び続けているという。ただ人類の宇宙進出を憎んで。


幼いユリアは伝説を目撃したのだと理解した。


ーーそんなものは飛んでいなかった、幼子が夢と現実を混同することはままあることだーー皆がそう言った。


己の記憶に自信がなくなってゆく。すべての思い出は時間とともに曖昧になる。過去が風化していく感覚は、ユリアに死を感じさせる。



ーーコンコン。


ドアが打ち鳴らされた。護衛に返事をすると、客が来たと告げられる。ユリアは立ち上がり出迎える。そこにいたのは、白い髪の子供、特別に誂えた軍服を着た子供だ。



「市長、すんません。偉い人の子供みたいで止められなかっんでさあ」

ユリアは思わず護衛を怒鳴りつけそうになるが、思い直して頭を下げる。


「バルネッコ様、ご無礼をーー」

「いい、慣れている。さて、兵隊さんは控え間に戻りたまえ」

戸惑う護衛に烈火の視線をやって、ユリアは護衛を下がらせる。

 

「知っているようだが、一応自己紹介をしておこう。わたしはビィズィ・バルネッコという。こんなナリだが成人しているよ」


「存じております。バーナードの市長を勤めておりますユリア・ムントと申します。子供の頃より耳にしていた、あの、バルネッコさまにお目見えできて光栄です。本日はーー」


「まあ、話は。茶でも飲みながらにしよう。近くの部屋に用意させてある。わたしは緑茶には目がなくてねーー」



ユリアを先導して歩く子供、〈ビィズィ・バルネッコ〉は強力な軍人政治家だ。星光共和機構の子供軍人、そのなかでもシリウスのような等級の星。


伝説は目を焼く。憂いは心のセキュリティホールとなる。ユリアは無理難題に挫けかけている。

ビィズィ・バルネッコは、子供のような体躯と数々のエピソードが合わさって他国にも広く知られている人物であり、星光共和機構の上位十人に数えられる有力者でもある。


ユリアは、彼女が現れたことに、縋ってしまった。


伝説は常に誇張される。目の前の薄い厚みをしている幼児が、ユニアにはとても軍人に見えなかった。


だが、ユリアとて。食料の一大生産地バーナード市の最高権力者であろうと、比べ物にはならない。ポラトリク経済圏に飛び地で参与しているバーナードと、百年も前からマザーの星光共和機構に貢献してきた怪物、持っている力の質が違いすぎた。


ユリアの千倍の財産を持っている小国の王であろうと、気分ひとつで吹き飛ばせる軍人政治家は、フフッと楽しそうに微笑んで、ユリアへ席をすすめる。


ユリアの思考は麻痺しているが、間違いなくなんらかの提案があることを理解していた。



「飲んだことのないお茶ですね、砂糖をいれなくても甘くて美味しい」

「今日のは水出しにしてある。緑茶に砂糖をいれる人々は味覚がないのだろう。前世で嘘を吐いて舌を切り取られたものと睨んでいる。君は魂の味覚がない奴らとは違うようだね、喜んでもらえて嬉しいよ。土産に持たせよう」


慣れた風に少し雑談したあと、やがて黙りこくったビィズィに、じっと見つめられる。

手を顎の下で組みなおし、見透かすような藍色の瞳をした子供軍人に、ユリアは腹をくくった。


白い毛の仔猫のようだが、目の前の子供は想像のおよばぬ怪物なのだから。

幼子のような顔立ち、しかし、表情をみればそんな生易しいことは言えなくなる。

肩に届かない白い髪を揺らし、深緑とも濃紺ともとれぬ深い瞳で、ただ愉快げに目を細めて見つめてくる怪物のような子供。


「会議では残念だったね。なぜだと思う?」

幼気な顔立ちと無機質な瞳に、上目遣いで催促される。

ユリアはふいに己が恥ずかしくなった。意地を張っている場合ではないのだ。


「……わかっていたことではありましたが、私には影響力がありません。父の知己以外と交友関係もなく、バーナード市の食料供給とエネルギー資源を守ることすら……星光共和機構にとっても大切な資源だと考えていましたが、私の認識は甘かったようです。なぜか、だれも守る気がないようでした」


「そうだよ、君の努力が足りなかった。


ようやく現実を知れたというわけだね。ネタバラシをすると、あの会議にいた人間のだいたいは軍でバーナードを占領して利益を上げるチャンスと考えている。


どうせ前線には軍を駐屯させるんだから現状は二度手間だ。余計な中間をはさまず、軍の訓練に使ってエネルギー資源を取り出し、莫大な食料を生産できるプラント付の都市。


そんな、美味しい獲物が弱ったから、みなが狙っているというわけだ。功績をあげたいやつらに睨まれてまで、バーナード市を助けるものなどいない。助けて利益があるものも少ないんだよ」


「……なにか提案があるものと、お見受けしますが……」

ユリアは選択肢がないことを自覚している。逃げる場所がなく、挫けても救いはない。


「明日、パーティーがあるんだ」

突然わざとらしく声を弾ませたビィズィは、魔法のようにチケットを取り出してユリアの前に置く。


立ち上がり、ビスケットを一つくわえ、白い猫のような軍人は邪気のない脅迫をはじめた。


「なあ……。明日、我がセクトの交流会があるんだ。君も、来るかどうか、じっくり考えるといい。じっくりと……。人には、いつだって選択肢はいくらでもあるものだが、実際に選べる数は少ないものだろう。なあ……我慢なんて如何なる時にも必要ないんだ。タイミングがよかったらまた会おう。タイミングがよかったら……コラ、兵隊! 意味深なこと言ってるときに頭を撫でるな! 死にたいのか!?」


ユリアの護衛に頭を撫でられつつ、ビィズィ・バルネッコは退室してゆく。






ユリアは生理が来たときのことを、よく覚えている。


子供の頃の両親は、性的なものとみなしたすべてをユリアから取り外そうとしたが、それは股から血が出るその瞬間までのことでしかなかった。


両親の語る『子供の作り方』なるものをユリアは三年は信じなかったし、ボーイフレンドが求めるものを自分で理解するまでは断固として裸で抱き合うことを拒絶した。

本の中の恋愛劇に夢中になって、ようやくユリアは理解した。この世界は、思っていたよりも広いのかもしれない。


ユリアは、頑固な女だ。


その頑迷さがユリアを育て、いまは彼女を苦しめている。


ーーまるで魔法のようだった。


「では市長ユリア・ムント氏の嘆願に賛成の方はご起立ください」


長い議員席にて、ざぁっと多くの者が立ち上がり、事情を知らぬ少数の者は唖然としている。


「では賛成多数で可決、ということで」



「考えてみれば当たり前のことでしたな、増殖龍と戦うことは人類の責務でした。これはしたり」

「いやはや、目からウロコというやつですかな。軍の増援があればなんとかなるでしょうな」

「星光共和機構の名誉がまた守られるというわけですな」


「だれだ軍を派遣しないなどと言った馬鹿は。そのような卑怯者、もう、この場にはおるまい」

「昨日反対していたではありませんか」

「反対派を燻り出すための演技にすぎん。そのワシが断言する。もう卑怯者はいない」

「そも美しい若き市長ユリア氏を助けぬとは何事か。何事か!?」


いきすぎて190度近く態度を変えた議員たちは、なにかしらの相互理解があるようだった。



ーー昨夜のパーティーでは、暖かく迎えられた。


ビィズィ・バルネッコ生誕祭はホテルの最上階で行われ、次々と黒い高級車(機械種でない車!)が止まり、スーツや軍服の男女が宿り木の種を鉢に投げてパーティー会場へ向かう。


質実剛健を旨とする星光の軍人たちとて、セクトの集会だけにはこれ以上ない見栄を張る。見栄すら張れないならば人間もセクトも力を失い死ぬだけの世界だ、身内のパーティーだからこそ、《あるべき姿》と《実際の姿》をごちゃまぜに撹拌して前に出なければ死ぬと軍人政治家たちは理解している。


ユリアは贈られてきたナイトドレスを着こなして、自己紹介に次ぐ自己紹介、従者は名前と顔を一致させるためのメモ書きを手先のパッドで行い(写真は危険だ)、握手は五十人を超えたあたりで人の手に嫌悪感さえ覚えてきた。


外交官でもないユリアにとって、このような重い人間たちとの折衝は気苦労のみを感じさせる。星光共和機構の政治構造に疎いユリアでさえ、並々ならぬ有力者の集まりだとは理解できた。


市長は雑魚そのものだったが、言い含められているのか当たり前なのか皆が表向きは暖かく出迎えてくれることに縋りかねないほどの重圧。どこか心の隅に楽しめるところを残せない、なにか縋り付くものがなければ心が折れそうになって、ユリアは美味しい肉料理をおかわりして心を励ました。むしろ途中からは肉がメインだ、野となれ山となれと考え始めた頃、照明がじゃじょに絞られ、ざわめきが収まる。光量は月明かりほどのものとなった。




ジャーン!!


バツン!!


ウィーーーン


せり出す舞台に、Yの時になった子供が立っていた。八つのスポットライトに照らし出されている。だが光り輝きすぎて逆によくみえない。


「「「バルネッコ!バルネッコ!バルネッコ!」」」


群衆は熱狂する。それが義務とばかりに。


「「「バルネッコ!!バルネッコ!!バルネッコ!!」


ピアニストはトッカータを演奏し、いきなり靴を脱いだ壮年の男はダンスのバートナーを大声で募集し始めた。ブラを外したスーツの女は、ブラを旗のように振り回しながらビィズィの名を叫んでいる。眼鏡の青年士官は、面倒そうに壁によりかかってクラッカーをつまみはじめた。


「今日のごっこ遊びは終わりだ!!楽しみ給え!!以上!!」


数人が足早に立ち去ったが、残りの人々はハメを外して遊び始めた。

ユリアはこの時ほど両親のはやすぎる死を恨んだことはない。わけがわからないまま、端によって木石になりきる。





「子どもみたいでしょう?我らが母は」


士官服を纏った女が、グラスを大仰に傾けてみせながら、ユリアへと近づいてきた。


「イチイ・ジーヌガと申します。市長どのにはーーいやはや、申し訳ありませんねえ。説明もろくにされなかったでしょう?」


「いえ」


ユリアは肉の皿を起き、手を楚々と構えて対峙した。


片目を前髪で隠した、動脈血のようなルージュを引いた不気味な女。

冷たく整った顔と笑顔は作り込まれているが、どこか陰惨とした陰がこびりついているようにユリアは感じる。


一筋縄ではいかない人間とみたのだった。


「我らが母上はあれで稚気にあふれていましてねぇ。いや、見たままというべきか、背伸びをした子どもみたいでしょう?」


「私には、なんとも、見慣れぬものばかりで……あなたは、バルネッコ様の実子であられるの?」


「いやですねぇ。そんなわけないじゃありませんか。シャンデリアの光をみてくださいよぉ」


怜悧な相貌を震わせ、左手をシャンデリアの光に翳し、女は吐息をはく。


「母上はあれで優秀な孤児を集めた慈善みたいなこともやっていましてねえ。ほとんどは軍になど関わらないが、上澄みは士官になり、母のセクトに入る。水を与えて剪定し、出荷する。よくできているでしょう?」


なんともいえない話だった。曖昧な笑みを浮かべたユリアは、本題に早く入れと催促の意味を込めて無言を送る。ユリアは外交官ではないのだ。


「といっても、孤児たちには優しい母上ですから、幼い頃は母の悪い噂をさえずる同級生を敵に回して、兄弟たちで戦ったりもした。まあ噂は全部ほんとだったし陰謀論より実際はもっと悪かったんですが……。血によらぬ血族が神経となって魂を媒介し、我がセクトはいまだ巨大だ。ユリア市長、私、何歳だと思います?」


二十歳そこそこの若造とみていたが、ユリアは賭けにでて「24歳半、かなぁ……」と答えた。


「60を超えています」


ユリアは眉をあげ、気合を漲らせて話を聞くことにした。


「母の不老の血を受けるとね、そうなってしまいます。母の置換骨は特別性ですが、その血の秘法はいまだ一つも再現できていない〈遺物〉でね、ナノマシンを継げば不老の性を受け継いでしまう。


むろん、戦争はあります。人は死にます。私が幼かった頃の同僚はほとんど死にましたし、あなたが身内になったとしても母ほどの生存力がない限り、いつか戦争で死ぬでしょう。


理解できているでしょう?選択をせねばならないことを、あなたはわかっているはずです。


父君から受け継いだ市長職、政治は滑稽で、純粋なあなたにはつらすぎる。戦争がなければお若い貴方にも満足にこなせたでしょうが、残念ながら戦争がない世界というものは去勢された犬しか暮らせません。だから家畜ではない人間様は、戦争なるものを愛して、名を替え品を替え、永遠に続けるのです。己がかならず死ぬことを忘れたふりをしている。


金貨をたくさん持てば奴隷という名ではない奴隷を持てる。従業員に一時間の無償奉仕を叩き込めば、毎日たらふく贅沢ができる。人と戦争は切り離し難い価値観なのです。


あなたは、どうですか?

真の身内になるか、利害関係の身内になるかの、他人になるか。どうです? 


あの光を見てご覧なさい。我らが〈空舟のトロメロオ〉において、母はシャンデリアのようなものです。あなたは灯火になるかどうかを問われたというわけだ」



ユリアはもっとわかりやすく言ってほしい気持ちでいっぱいだった。

あと不老不死を餌にされると悪魔の契約みたいでとても不安になっていた。


士官服を着た怜悧な女は、ニパッと、表面的にはとても魅力的な笑顔を浮かべ、みるものがみれば裏に何があるのかわからない、そんな不気味な表情をしてユリアの肩を優しく叩いた。まるで、身内のように。



「母もたまには役に立つ。バーナード市の市長……いいですねえ。とてもセクトに貢献できそうだ。


父の代からの政敵やら、力を持ったプラントオーナー、邪魔でしょう? 助け合えます。母はゴーストが囁いたとかわけのわからないことを言っていましたが、幸い、母上の誘いを受けたという箔までついている。


それは滅多にないことで、おそらく裏はありますが互いにとって得です。若い美貌をそのままにしておきたくはありませんか?


みじめなものですよ、老人は。身体に裏切られていくことを実感して、泣き笑いを浮かべて耐えるしかない。

納得しているふりをしても、実際には納得なんてしようがないんですから、すべて嘘か本当かよくわからなくってしまう、それが身体に裏切られていく悲しみです。


若い頃はみなチヤホヤしてくれた異性は、いつか、あなたをとるに足らないものもして扱うようになるんです。さあ、一言宣誓していただければ、私たちはとてもあなたを暖かく迎えますよ……。


この身内だけのパーティー会場でも、邪険にされなかったでしょう?たかが市長ごときに、優しくしてくれるセクトが他にあるでしょうか?足元をみられるだけです、危機を迎えたあなたから搾り取ったあげく、後任を送り込まれる。


しかし私たちは違います」



ユリアは、目の前の女をほぼ悪魔と認めた。



「保証は……」


「シャンデリアは落下して人を轢き殺したりもする」


女の声は、黒い液体を絡ませるような声だった。

粘液質に濡れたいくつかのオクターブが合わさり、魂の凍るような震えを奏でている。


「ああ、思い出話をしていいですか?二十年ほど昔、雪の日のパーティーでした。


トロイカを踊る貴顕の令嬢三人が、ここ、まさにこの部屋で、シャンデリアに押し潰されました。世の春を、恋を、嫉妬を知るはずだった麗しい少女たちは肉と血のオブジェになり、高貴な方々ときたら、ああっ、彼らの末路は傑作でしたよ!我が母の暗殺と決めつけて、自滅して、彼らの一派は毒を煽ることになりました。


私が細工を担当したんですよ、いいですか?


この世に真の安全などありません。


人はみな死ぬ。例外などない。


それは母の血を与えられた私とて同じことです。永遠のものなどないのに、我々は日常生活を永遠のものとして錯覚する。


錯覚、それが平和です。実際には戦力と戦力の拮抗、利益と不利益のはざま、破壊兵器と破壊兵器で揺れ動くバランス棒みたいなものを我々は平和と呼んでいる。殺し合いよりも残酷なことをしておいて、いざ暴力に訴えかければ暴力で寄ってたかって訴えられる。表向きには自由がある、実際はどうです?祖父の墓から文化、子孫さえも貶められ、惨めに名誉も何もない真綿で首を絞め、資産と知識を奪い取る、そんな戦争はむしろ推奨されさえする。平和という幻想と戦争という幻想、なにもかもが幻想であり真実をいつも人は選び取らなければなりません……おわかりか?実際にはいつ死ぬか不確定な肉の塊。確実に失われる、たった一つの生命を抱えた哀れな魂には、ほんとうは価値も意味も保証もない。


混乱しきった魂は、なにもかもさっぱりわからないまま〈人間は人間〉という演技を送る。なんせ演目も役もあるのだから役者になるしかないというわけです。

これぞ我が人生、なんて名前をつけて思い返してみたりもする。


都合よく歪められた記憶にすぎないものを我が人生と呼んでみる、嘘も本当も価値を失ってしまう。


保証、いいですね、あげましょう。ナノマシンによる契約は裏切ることができない。人は真の信頼をナノマシンによって得られる。いい話だ」



ユリアは悪魔の手をみつめ、決断をくだした。

選択肢があるなんてすべて嘘っぱちだった。努力で何とかなるなんて、恵まれた人間の妄想でしかない。ユリアはまだ死にたくなかったのだから。


生命線を握られた人間に、選択肢なんて、本当はなかったのだから。



■■■

「悪意の塊みたいな女」とか噂されている

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