五十一話
莉奈が、建物の上をスムーズに移動していく。
それは、重力無視で、地を駆けていくるくらい軽やかで、墜落の恐怖とは無縁で、むしろ『風と楽しくダンスでもしてるの?』と錯覚する位妖精じみていた。
対して俺は、まるで産まれたての子鹿のように足をプルプルさせながらも、根性だけでなんとか莉奈に追い縋ろうと頑張っていたのだけど。
その差は歴然としていて莉奈との距離はドンドン広がってしまう。リアルウサギと亀か?
まぁこのウサギ、全然休まないし、むしろ亀が休みたくなってんだけどな。ほら、有給取得は会社員の義務だし。
そんな事を考えている間にもドンドン差が付いていき、ついには莉奈が豆粒くらいに見えるようになってしまう。
もちろん、そこで終わる俺じゃない。
俺は怖気付く心にアクセルをかけて、それが心から体に伝わり一気に加速する。
まわりの景色が一気に流れて、風を切り裂く感覚が無敵感を感じさせる。
まぁ、そういう調子に乗った時っていうのは、大抵の場合落とし穴があるんだけどな。
案の定、俺は足を踏み外し、真っ逆さまに地面に墜落し、、、宙に投げ出される。
そして、重力の理からは逃れられず、引っ張られるように地面に引き寄せられ‥‥
ビクッ‥‥として目が覚めた。
んだよ。
夢オチか?
額にじっとりと汗が浮かんでいる。
やけに現実的な夢で、混乱してしまって、頭が働かない。
「はぁ〜っ」
思わずため息をつくと、視線を感じた。
不機嫌そうな顔で、弥生が腕をくんで、こちらをみている。
なんだか態度だけ見ていると、今から説教でもはじめそうな態度で俺は身構える。
「どうしたの?朝っぱらから大きなため息。」
しかし、声色は思いやりに満ち溢れていて、
『態度と言動、どっちかに統一してくれよ』と思ったが、怖いので言うのはヤメタ。
「いや、気にするな。」
「だからどうしたの?」
曖昧にごまかそうとしたが、被せ気味に機先を制されてしまった。まぁ、バレるよな。
弥生とは付き合いが長いし、、、、、、、、、まぁ、兄弟だから当たり前だけど。
俺は諦めて神父様に懺悔する罪人のように正直に心の内を暴露する。
「ちょっと、嫌な夢見てな。きっと、昨日の仕事のせいなんだよ。」
「なんだっ。夢なの‥えっ?仕事?昨日、友達の家に遊びに行ってたんじゃないの?」
弥生は責めるように口を尖らせた。
しまった。
弥生には心配をかけないように昨日は友達の家に行くと嘘をついていた。なのに、寝ぼけてあっさりバラしてしまった。俺ってバカ‥‥
「ごめん」
「なにがごめんなの?仕事にいくと嘘をついていたこと?それとも、友達が居ないのに居るって嘘ついていたこと?」
いや、友達は居るぞ。
トモヤだけだけど。
次点で委員長とか‥‥は無理があるか。
休みの日に一緒に出かけたら、制服姿で登場しそうだよな、委員長ってば。
「ごめん、心配かけたくなかったんだよ。」
「違うよ。そうやって隠れて無理するから‥家族なんだから私だってやれる事はしたいし、『自分が無理したら全て解決する。』みたいな頭の悪い発想はやめてほしいの。」
「いや、仕事は無理してやってるわけじゃないぞ。」
「ほんと‥ならいいけど、、、あっ、これ?なに?どうしたの?」
‥?
あれ?
し、しまった。
戸棚を開けっぱなしにしていたのだが、そこには俺の私物と共に、例のブツが入っていたのだ。
そう、女子校に潜入した際にお嬢様に拾ってもらった口紅だ。しかし、不思議なことにこれは俺のものではなかったのだ。
そいつ誰だよ?って思うヤツは、二十四話を読み返してみるとわかるかもしれない‥なんて声が天から聞こえるが、気にしたら負けなんだろう。
まぁ、とにかくキングオブお嬢様に会って、、、会って持ち主がわかるのだろうか?
今度の配達の最中に、、彼女を探している暇はないよな。だからといって女子校の校門前に立って冷たい視線を向けられるのは耐えられる気がしない。
まぁ、トモヤのようにイケメンなら女子生徒達の視線も全然意味合いが変わってくるんだろうけどな。少なくとも、校庭に迷い込んだ犬よりも扱いがいいだろう。
まぁ、こういった繊細な話は世の中でどう対処されているか俺は知っている。そう、取り敢えず保留だ。まぁ、長いこと寝かせてても口紅はワインのように豊穣な香りが漂ったりはしないんだけどね。
というか女の子の口紅の匂いを嗅ぐとか、相当レベルの高い変態なのではないだろうか?
「なんで、、口紅なんか??」
弥生は顔面蒼白だ。
見たくもない兄の性癖を見せられてしまったのに、まるで目を閉じられない魔法にでもかけられたかのように目を見開いて驚いていた。
ちょっと、これ‥‥詰んでないか?
どうしたらいいんだ?
まぁ、動転してしまったのだろう。
俺は考えうる限り最悪の選択を選んでしまう。
つまりは、これ以上弥生に追及されないようにそのまま逃げるように家を出てしまうのだった。




