五十話
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。」
俺は全身汗だくで、呼吸はひどく乱れていた。
「ふふっ、先輩、久しぶりの本番は楽しいですか?」
言っておくが、俺は別にいやらしいことをしているわけではない。
小動物のように軽快に前を走っていた莉奈が、急に立ち止まってこちらを振り返る。
初めて会った時と違い、少女のようなあどけない笑顔すら向けてくれる彼女はまるで、生意気で気高く、自由な猫が懐いてくれたみたいでかなり嬉しい。
しかし、俺の感情の大部分を占めていたのはそんな良い感情ではなく、劣等感だった。
俺は身体中が肺になったかように、それこそ全身で息をしていて、もう限界に限りなく近いのに、莉奈はまるでクーラーの効いた部屋で寛いでいるような爽やかな笑顔を浮かべていたのだ。
ちなみに今は配達中だ。
ただ、屋根の上をひたすらに走って移動しているだけな上に、デリバリー品は全て莉奈が持っているのに、なぜこんなに差がつくんだ。
もしかして、そういう訓練でもやってるのか?
いや、俺だって何となく体幹を鍛えたりしているが、本職からみたら素人に毛が生えたようなものなのだろう。
「先輩?どうしたんですか?」
今初めて俺の異変に気付いた莉奈は俺に近寄ってきて、前屈みの体勢で俺の顔を覗き込む。
その距離はスマホ一台分くらいしかなくてやけに近いんだが。
「あぁっ、ちょっとな‥‥」
全くついていけないとは言えず、まごまごしていると、莉奈の全てを見すかすような水晶めいた瞳が更に近づいてきて、思わず顔を下げる。
「あっ、、、もしかして、、イタミマス?」
まるで、白衣の天使が患者に浮かべるような慈愛に満ちた表情で、彼女にこんな天使性があるなんて完全に予想外だ。懺悔でもしたくなる。
‥‥??
あっ、痛みます?‥‥なのか?
苦しいけど、別に肺は痛くはない。
どちらかというと年下の女の子にあっさり負けてしまっていて、劣等感で心が痛い。
「まだ、完治してなかったんですか?なら、無理せずにここに居てください。ちゃんと後でピックアップしますから」
莉奈は視線を落とすと長い睫毛の奥に、慈しみのこもった瞳がチラリと見えた。
年下に明らかに気を遣われているんだよな。
どんだけ空気の読めない先輩なんだよ、俺は。
「あぁっ、まっ、まだ、大丈夫だ。」
俺は精一杯口角を上げて余裕な笑みを浮かべた。見かけだけ取り繕う、まるで金メッキみたいで、妙に人工的な俺の笑顔を見て、今度は彼女がホンモノの笑みを浮かべる。
「さすが、先輩ですね。」
両手を前に出して、まるでダチョウクラブのようなポーズでも、なんだか様になっているのは彼女の整った容姿故か?それとも、出るとこ出てて、引っ込むところ引っ込んでいる、彼女のプロポーションの良さ故か?
思わず見ほれてしまい、2人の間に静寂が流れる。
どれくらい見つめ合っていただろうか?
莉奈はビクッとしたと思ったらスマホを取り出す。
「あっ、もうこんな時間ですね。さっ、行きましょうか。」
そして、何もなかったかのように俺の前を軽快に走っていくのだった。
で、結局のところ、莉奈についていくのがやっとで、ロクに接客もせずにその日の配達はおわった。
うーん、思ったより何十倍もの差を感じてしまい、おれは途方に暮れてしまう。
実際、同じファイブスターなのだから、本来なら実力は亀甲し‥‥拮抗しているばずなり。
それにも関わらず、ここまで実力差があるなんて予想もしていなかった。
「今日のお仕事は簡単でしたよね。それじゃあ、これ、先輩の分です。」
そして、莉奈に差し出されたスマホを見て俺は頭の中が?マークで埋め尽くされた。
えっと‥‥スマホをくれるわけではないんだよな?
「先輩?」
莉奈は首をかしげる。
驚いたようなまん丸の目はいつもの理知的なものというより、少女のような、無邪気な光が宿っていた。
「いや、莉奈。なにそれ?」
「あの‥‥スマホですけど。」
「これってスマホなんだ?」
「はい。」
‥まるで『これはペンです』のような英語の例文調の会話になってしまった。
はっきり言って、ああいう例文って実際の日常会話に絶対に出てこないよなぁ。
「いや、そうじゃなくって、俺にスマホをくれるってこと?」
「フフッ、先輩ってば何言ってるんですか?違いますよ。スマホ決済で今回の報酬を折半できるんですよ。」
莉奈はスマホをブンブン振る。
もちろんうちでの小槌じゃないから降っても小判がでてくることはないのだが、、本当に俺に半額くれるの?
正直、金欠なので、数百円でも十分ありがたかった。まぁ、戦力になってなかった負い目もあるけど、プライドでお腹は膨れないしな。
そして言われるがままにスマホを操作して、、
「ありが‥えっ?」
半額が入金された。その画面を見て俺は思考停止してしまう。
‥‥‥‥‥?
‥‥‥‥‥?
‥‥‥‥‥‥?
入金額‥‥5000円ってなによ?
これで半額だって?
‥‥ということは、一回10000円の仕事なの?
そんなの配達であり得ないだろうが?
もし仮にそんなデリバリーな仕事があったら俺がやりたいわ。
いや‥‥デリバリー???
そういえば、今回、俺は建物の前で待っていて、建物内へは莉奈だけが行ったんだった。
そして、帰ってくるのが遅かったのだ。
そこから導き出される結論に俺は愕然としてしまった。
まさか、、莉奈が、春を売っていたなんて!!
ウソだろ?
「あの、ちなみに今日のお客さんは誰だったの?」
思わず、相手を聞いてみた俺は随分と無神経だったと反省するところだったが、彼女が口にした言葉のせいで俺の思考は完全にそっちに持っていかれてしまった。
「あぁっ、お客様はFOF【ファイブスターオブファイブスター】現時点のNo.1配達人です。」
‥英語の文法的にはどうなんだろう‥と思わなくはないけど、No.1に興味がないかと言えば嘘になる。
それは莉奈も同じだったようで、口の端を器用に上げて不敵に笑っている。
その笑顔は彼女のベストスマイルと呼べるくらい彼女に似合っていた。もしかして、結構負けず嫌いなのかもしれない。
彼女のその貪欲な姿勢を見ていると、その背中に追いつける気がしない‥‥
そんな事を思いながら家路につくのだった。




