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三十六話

ギリギリ掴んでいたワイヤーを離してしまい、地面が凄い勢いで眼前に迫ってくる。走馬灯を見る時間すら与えてくれない、正に刹那、思い浮かべたのは家族の顔だった。



そして、そのまま‥‥



「とぶぁ〜っ、って夢かよ、、」


目を開いても、あまりの状況の変化に心が戻ってこない。それでも、少しすると腕と手の痛みで強制的に現実に引き戻される羽目になった。


外界ではぼんやりと視界が揺れていた。

あれ?何が起こっているんだ?


徐々に焦点が合ってくると、やっと状況が掴めてきたが、本当に信じられない状況だった。


俺は莉奈の幼い背中におぶさっていたのだ。

そして、莉奈の顔からは時々鼻をすする音が聞こえる。


なんなんだ?この状況は?

少女の小さい身体にすごいパワーが秘められているのか?


「おはよう。」

なんて声をかけていいかわからずに俺は間抜けな挨拶をかましてしまう。



今回も役立たずだった俺に莉奈の罵声が飛ぶんじゃないか?



そう考えて身を硬くするが、飛んできたのは罵声ではなかった。


「ごめんなさい。今、病院に向かってるの。我慢できる?」


いつもとは違う優しい涙声で、思わず鳥肌が立ってしまう。


一瞬、相手が何を企んでいるのか勘ぐってしまったが、すぐに思い直した。



そういえば彼女を助けて、怪我を負ってしまったんだったな。さすがに優しくされても不思議じゃない。



その後、病院で手当を受けたが、手は擦過傷なんて言える状態を越えていた。お陰で消毒だけでは済まず、縫う羽目になった。


そして、右腕の尺骨はものの見事に折れていた。

しかし、ここで忘れてはならないことがある。


俺たち配達人は個人事業主のような扱いだ。


だから労災は降りないのだ。

さすがに俺は頭を抱えることとなった。

だって、お金がない。


気を遣ったのか、治療費は莉奈が快く払ってくれた。

小学生みたいなナリでなんていい奴なんだ。

俺は莉奈のことを、誤解していたのかもしれない。


『いけ好かないヤツ。』なんて思っていたが、こればっかりは本当に助かった。



しかし、いい事ばかりではない。

さすがにこのキズではしばらくは仕事ができなくなってしまったんだから。


俺たちは個人事業主なんて言うやつもいるけれど、その実は薄給でなんの保障もない、特権階級に労働力を搾取されるだけのか弱い存在なのかもしれない。



俺は憂鬱な気持ちで、帰っても全然眠れず、そのまま朝を迎えるのだった。




「ふぁ〜っ」

欠伸がでるのはしかたがないか?

本当に眠れなかったんだからな。



仕事が出来なくなったのは本当にヤバイけど、だからと言って女の子を見捨てる選択肢はなかっただろ?


そう考えると本当に運が悪かっただけだ。


クルーズ船の時も別に女の子を助けた事自体じゃなく、その後の詰めの甘さを後悔してたんだからな。


だから今回の事は、ひと時でも自分だけが助かろうとした事以外は落ち込む所ではない。


しかし、現実問題として、一か月も仕事を休むとウチの家庭はやっていけそうにないのだ。


ただ、露骨に人にわかるように落ち込むのは俺の悪い癖なのかもしれない。


実際、俺が布団で目をつぶっていると、また妹が俺の頭をナデナデしてくれていたのだ。きっと寝ているのだと思ったんだろうがバッチリ起きていた。


俺、構ってちゃんみたいだ。

なんだか恥ずかしい。



朝になり、妹は今日は部活の朝練とかでもう家を出ているので、パンを口に詰め込んでそのまま家を出‥‥ると、莉奈が居た。


彼女は見たことのある制服に身を包んでいる。


これはウチの学校の制服‥ではなく、みなさまが通っているお嬢様学校の制服‥いや、微妙に違うか?

附属小学校の制服か?


「おはよう。昨日は命を救ってくれてありがとう。怪我は痛みますか?カバン持ちます。」


莉奈は山賊よろしく俺からカバンを分捕る。


「おいっ、ちょっと待て。色々聞きたい事があるんだけど。」


まず、なんで家に来た?

その前になんで、家を知ってるんだ?



「スリーサイズ?下着の色?エッチの話なら経験がないからこたえられないです。」


「イヤイヤイヤ、ちょっと待て。なんでイヤらしい質問一択なんだよ?」

しかも、小学生相手に?

お巡りさ〜ん、ここにロリコンが‥‥いないぞぉ〜。


「あの‥‥。先輩って初めてあったときから視線が足ばっかり。えっと、、、変態さん?」


莉奈は弾けるような笑顔を浮かべるけど、セリフと表情が合ってねぇ。


というか、初対面、しかも、仕事仲間の小学生女子の足をガン見してたのか?


「えっ?うそだろ?俺ってば無意識に見てたのか?

それは不快な思いをさせてすまなかった」


「いえ、嫌じゃない。命の恩人、、それに尊敬。」


莉奈は頰をほんのりと桜色に染める。その態度は昨日までと違いすぎて鳥肌モノだ。まぁ、小学生に尊敬されてもな。。


「いや、初対面と昨日の始めの方は明らかに馬鹿にしてたろ?いつの間に尊敬なんてしてたんだよ?」


「私を助けてくれた後。腕が折れてるのに最後まで配達を諦めませんでした。」


「それは当然だろう?」


「それって『プロ意識』。いくらスクール生の技術が優れていても敵わない。」


言いながらキス出来そうなくらい更に近づいてきた。あっ、この娘まつ毛長いな。



「あの、前から気になってたんだが、スクールって」

話している途中で何故か声が全く出なくなる。

一瞬戸惑い、そして気付いた。


目の前に凛花がたっていたのだ。


「シンシン、その女の子誰なのかな?」


一見、可愛い笑顔なのに、目は全く笑っていない。威圧感は既に魔王クラスと言っても過言ではないんだがどうしたらいい?



本能が『どっげっざっ、どっげっざっ、どっげっざっ♪』っと土下座コールを鳴らしている。どうやら今日は土下座祭りらしい。


しかし、土下座はただすればいいというものでもない。然るべきタイミング、角度、そして熟練度が無ければ失敗してしまうだろう。


「あぁっ、仕事仲間の莉奈だ。」

「はじめまして。いつも先輩にお世話になってます。」

俺の紹介に合わせて莉奈が凛花に頭を下げた。



「シンシン、仕事仲間とやけに親しそうだね。こういうのって、、う、、浮気って言うんだよね?ねっ?」


や、ヤバイ。

具体的に言うと俺の人生が。


そう錯覚してもおかしくないくらい、凛花は闇い瞳でコチラを見つめているのだ。


寒くもないのに身体がガタガタと震えだす。



cryしたい。

つまりは泣きたい気分だけど、とにかく言い訳しないとマズイ。



「この娘は違うんだ。ただの仕事仲間なんだよ」


「浮気男はみんなそう言うのよ。」


ダメだ。

凛花は全く信じてくれない。


いや、俺も諦めるの早いが‥‥魔王に立ち向かう村人とか心情的にはこんな感覚なのだろうか?


正直、絶望以外の感情が浮かばなかった。



「待ってください。先輩が浮気なんてする筈ない」


そこに莉奈が助け舟を出す。

うわぁ、コイツって本当にいい奴。


『キャー、抱いて〜っ。』なんて言って惚れてしまいそうだ。



「そうなの?うん、そうだよね?シンシンが浮気なんてする筈「先輩は莉奈一筋。」


‥‥なんて思った俺がバカだった。





「へぇ〜っ、シンシンって私じゃなくてその娘と付き合ってるんだぁ?ロリコンなんて死ねば良いのに。」

生まれて初めて壁ドンされた俺の目の前には凛花がいる。しかし初めて知ったんだが、壁ドンってのは壁にヒビが入るものなんだな。


それに、ハイライトの消えた目で虚ろな笑みを浮かべる彼女は控えめに言っても怖すぎる。



思わず漏らしそうになった。

いや、ちょっとチビってしまったかもしれん。



「いや、付き合ってないし。なぁ?付き合ってないよな?」

俺は莉奈に助けを求める。



「ええっ、まだ。昨夜ははギュッ、、と抱きしめてくれました。寝顔は無邪気で可愛かったです。」



おいおいおいっ、、、、

なんで『まだ』をつける?


それって抱きしめたというか、助けた時の話だろ?

それに寝てたんじゃなくて気絶してたんだよ。


正直、莉奈の発言に悪意しか感じないのだが、それは俺の心が汚れているからそう感じるのだろうか?

だって小学生なんだから、ただ思いついた事を喋っているだけなのかもしれない。




「へえっ、、そうなんだぁ?シンシンと私は、もう、付き合ってるんだよ。死んだら?」


‥‥思わず凛花の顔を見てしまい、安堵した。

凛花は莉奈の方を向いていたのだ。


いやいやいやっ、俺に向けた言葉じゃないからって安堵している場合か?


幼馴染が後輩を殺してしまいそうな血走った目で見ている。よく考えたら、、いや、よく考えなくても修羅場だ。


しかし何が悲しいって、俺は誰とも付き合ってないし、その予定もないことだ。


「先輩。何なんですかこの妄想ストーカー女?」

「ストーカーはあなたでしょ?なんで、私のシンシンにそんなにくっついてるのよ?」


言われて莉奈は首を傾げた。


「あの。お二人はお付き合いされているんですか?」



「付き合ってないよ」

「付き合ってるよ。」

俺と凛花が同時に答える。

しかし、内容は真逆だった。


もちろん、凛花に睨まれたが、べつに莉奈は別の学校なんだから嘘をつく必要は無いんじゃ?


いや、交友関係が広ければ、やっぱりマズイのかもしれない。ただ、莉奈なら口づけ‥‥じゃなかった、口止めすれば黙ってくれそうなんだけど。


「悪い。凛花、こいつはたぶん大丈夫だ。正直に話そう。」

「ぜったい、、ダメ。」

凛花の押し殺したドスの効いた声が響く。


「ふぅん、、だいたいわかりました。別れたんですね?それなのにまだストーカー女が付きまとってくるんですか。最低ですね」


や、ヤメろ。

不用意に煽るんじゃない。

ちょっと、シャレにならない。


『ゴゴゴゴッ』なんて、人間からは到底出ることがない音が凛花から聞こえてくる。



「いや、凛花は彼女だからな。ス、ストーカーじゃないぞ。なっ、凛花。」

言いながら凛花と無理やり手を繋いで、学校に向かった。もちろん、怖くて凛花の方を見る事は出来なかった。



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