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三話

春の柔らかな日差しは俺を優しく照らしてくれて、絶好のサイクリング日和だった。


風を切って自転車を進めると、まるで風の妖精と戯れているような気分になってワクワクするのは春のせいなのかもしれない。


まぁ、浮かれている場合でもないんだけどな。


実は時間が足りない!


届け物の制限時間は1時間で、あと40分でリミットオーバーしてしまうのだ。


だから、力の限りペダルを漕ぎ続けるしかない。


そして、トップスピードに乗った自転車はプロのそれを越えて40キロに達する。


その速さは、アフリカゾウと同じくらい‥‥というと遅く感じると思うが、あのウサインボルトですら、時速38キロなのだから相当速いというのがわかってもらえるだろう。



しかし、そんなに順調に物事は運ばない。目の前の信号が赤となり、俺は慌てて急ブレーキを踏む羽目になってしまった。


マズイ、90秒のロスだ。


焦る気持ちを抑えて前を向くと、クラスメイトの野原君が目に入る。隣にいるのは‥‥見かけぬ、小柄で清純そうな、、女の子だ。



あれ?

頭の中で何かが引っかかっていた。



それが喉に刺さった魚の小骨のようで、なんだかもどかしい気持ちに支配される。


しかし、感情に支配されるなんて愚かな人間のすることだ。俺は常に理性的に生きるんだ。


俺は深く息を吸い込み、呼吸のみに全神経を集中すると、頭が快晴のようにスッキリとした。



次の瞬間、確かに点と線が繋がった。

別に電気がピキーンとか走らなかったけど、確かに繋がったんだ。嘘じゃない。



野原君、俺の記憶に間違いなければギャルっぽい彼女いたよな?確か隣のB組の。



なぜ違う娘と仲よさそうに手を繋いでいる?

俺は彼女の1人もいないっていうのに、なぜ野原君だけ恋人が2人も居るのか?



ウワキオトコ‥‥ユルサナイ‥‥

セイバイシテヤル‥‥


憎しみの炎で自らを焼き尽くしても構わない。

怒りにこの身を捧げる覚悟で口を開いた。



「あれ?野原君、毎日違う女の子連れてるね。それに、今日みたいなタイプの女の子は珍しい。もしかして、女の子の趣味変わった?」


俺はニヤニヤ笑いを抑えて真顔で浮気野郎に話しかけた。もちろん、聞かせたいのは横にいる女の子にだが。




「えっ?お兄ちゃん、この人何言ってるの?もしかして綾ちゃんを裏切ってるんじゃない?」



お、お兄ちゃん?

あれ?彼女じゃなかったの?



綾ちゃん‥‥確か、野原の彼女の名前だ。

や、やっちまった。


一瞬で頭が冷えた。



「いや、誤解だ。ほら、橋本も何か言ってくれ。」

案の定、野原がすがるような目で俺を見つめる。男子にこんな目をされても全然嬉しくはないが、今回は明らかに俺に責任がある。


ここは全力でフォローすべきだろう。



しかし、そこで胸ポケットに忍ばせたスマホがブルブルと震えた。


そう言えば、念の為、アラームを設定していたっけ?



しまった、、、あと30分だ。急がないと。

焦る俺の気持ちを察したかのように、このタイミングで信号が青に変わる。



「悪い。あっ、、、時間がないからそろそろ行くな。また、学校で」

悪いが、遅れるわけにはいかない。

野原君には週明けにでも謝っておこう。


野原くんの悲痛な叫びが背後から聞こえたが、俺はこう見えて後ろは振り返らない男だ。



俺は脇目も振らず自転車をこぎ続けた。






しばらくすると武道館周辺にたどり着く。

そして、ゲンナリした。



人、人、人、人、人だらけで正直息苦しさすら感じてしまう。どうやら、誰かのライブがあるらしいな。


とりあえず地図を広げようとして、大声に妨害されることになった。



「おいっ、、ガガーリン。ミサミサの近くに居られるって聞いたから警備のバイト引き受けたけど、、、、よく考えたら警備員は観客側を向いてないといけないじゃないか?」


茶髪の警備員が黒髪の刈り上げの警備員に文句を言っている。2人ともどう見ても外国人ではないのでガガーリンは単なるあだ名だろう。


どうやら、仲間同士で揉めているようだ。




「確かにそうだけどな。握手会のコミュ症モードと違ってパフォーマンスモードのミサミサの1番近くに居られるんだぞ?1番前の観客よりも近いんだぞ。最高じゃないか?」

黒髪が説得しているが、多分無理だろうな。

だって、茶髪の目は既に死んでいた。



「いや、見れねえと意味ねぇだろ?もういいっ、俺は家に帰ってミサミサのDVDを見るわ。」

茶髪は警備の制服を脱ぎ捨ててそのまま道路側に歩いていく。

本当に帰るつもりかもしれない。



「待て待て待て、嘘だろ?戻ってこいよ。」

黒髪が声をかけるが、、茶髪はもう彼の話を聞いてはいない。



本当に帰ったようだ。



「はぁ〜〜〜っ」

黒髪は深いため息をついた。



俺はこういう仕事に責任感のない奴は大嫌いだが、今回ばかりはチャンスだ。



「あの、、、お兄さん。良かったら制服を返しておきましょうか?」

俺は精一杯の作り笑いを浮かべた。



「ほ、本当か?ありがとうな。こっちに200メートル位行った所にある関係者入り口に仙人みたいな爺さんが立っているから、山田の代理で更衣室に制服を返しにきたと言ってくれ。本当にありがとうな。」


疑うことを知らない純真な瞳を向けられて、罪悪感で心が痛むが、俺には迷っている時間など残されてはいなかった‥‥





仙人のいる関係者入り口をなんなく抜けることは出来たが、問題はここからだ。


俺は早速地図を広げてルート確認を行うことにする。


俺たち配達の人間には戦略レベルの思考は必要とされていない。ただひたすらに最短かつ安全なルートを探して突き進むだけだ。


もちろん、その中でもイレギュラーは存在するものだ。だから、最短でゴールにたどり着いたことなんて一度もないのだけど。



最初はY字路を左折。その後、T字路を左折してすぐの部屋から通風口を抜ければ、今回依頼の部屋に着くみたいだな。


しかし、最初のY字路の左折側通路に立ち止まっている男が目に入った。

俺は咄嗟に隠れたが、これでは左折すると彼と鉢合わせしてしまう。



やはり、いつも通りイレギュラーが顔を覗かせた。まぁ、ここからが本当の配達だ。



ここからは戦術レベルの思考が試される。



俺は先程透明になったラブレター風の紙を取り出した。



そして、次は紙を内折り、内折り、更に内折りしてから、内に手を入れて開き直す。最後に二つ折りにすれば完成だ。

あっ、これは紙鉄砲なんだけどな。



俺はY字路の右側通路に入る。

そして透明の紙を持って振りかぶり、思いっきり振り下ろした。


パパンッという軽い音が鳴ったが、これで上手くおびき出せるか?



「ん、何の音だ?」

男がこちらに来そうなので俺は右通路側の天井に張り付いた。


俺の下を男性が走ってそのまま先に進んでいく。音源を探し出そうとしているのだろう。



なんとか、おびき出せたようだ。


俺はそっと床に降り、当初の予定通りY字路の左側を進んで行った。



もう、ここまで来ると後はチョロイな。


いつになく簡単な依頼に思わず口笛を吹きそうになったが、思い留まった。


今度はT字路の左手側。つまり俺が行こうとしていた方向から声が聞こえるのだ。




「ねぇ〜っ、葵、そのピンクのブラ可愛いなぁ。」

元気いっぱいといった感じの女の子の声が聞こえた。

ほんの少しだが、昔の知り合いに似ているが、まぁ、気のせいだろうな。


「そうかしら〜?また太ったから少しキツくなったのだけど。」

今度は落ち着いた感じの女の子の声。



「太ったのは胸だけとか、、、葵ってば嫌味な体型だなぁ」

また元気いっぱいな女の子の声。


ピンクのブラをつけた落ち着いた感じの娘は葵というらしい。



「大丈夫。苺だってAカップ→Bカップにアップした‥‥‥から」

今度は少しテンションが低い感じの女の子だ。


元気な娘が苺と言うのか?



「えーっ、朱音。な、なんで、、、じゃなくて、、知らないよ。何のことかなぁ?」

苺さんのあまりにも白々しい惚け方で、俺ですら嘘だとわかるのだが‥‥


嘘のつけない性格なのかもしれない。

俺はこういう女の子は結構タイプだ。


だって、俺は女の子特有の『本音の使い分け』というものが全然わからないからだ。



「苺さんの裏切り者〜っ。」

今度は幼い感じの女の子の声だ。

小学生くらいか?


既に4人も登場している。



「年下の結衣と同じAカップ仲間ってのがそもそも悲しくなるからっ。」

苺がヒートアップしている。



「苺さん。あなたはBカップになって結衣ちゃんとの永遠のAカップ同盟を裏切ったこと誓いますか?」

テンションが低い女の子、朱音が何故だか結婚式の神父口調で悪ノリを始めた。



「ううっ、朱音がイジメる。美咲さ〜ん、助けて‥‥って、まだ例の精神統一中なのかぁ〜。」

苺が涙声だ。


「こらっ、みんなぁ。アイドルなのに、胸の話ばっかりしないの。それより、私のブラ知らない?無くしちゃったみたいなんだけど。」

また、違う女の子‥ではなく女の人の声だ。


「ユッキー、葵じゃないんだから天然ボケな行動はやめてよ。」



そこまで聞いたところで我に返った。


あまりに会話のテンポが良くて聞き入ってしまったが、本当にマズイ。ゆっくりしている場合じゃない。



時間の関係上、待っている時間はないので大勢の女の子がいる左折は諦めて、右折することにした。


そこで俺はある物をみつけてしまい、戸惑いを隠せなかった。



だって、、、、床にブラが落ちているのだ。

人生で初めての経験だ。

今日はとてもめでたい日なのかもしれない。



いや‥‥冷静に考えてみると、普通‥‥ブラなんて床に落ちていないだろう。罠か?


しかし結構大きいな。

CかDカップはありそうだ。



純白でありながら水浅葱色のレースが縁取られたそれは、上品で落ち着いた雰囲気を漂わせていた。



ヤバイ。

ブラに引力でも働いているのか、自然とブラに引き寄せられていく。


それはまるで花に吸い寄せられるミツバチのようで、なんとなく罪悪感が薄れてブラを手にしてしまう。



そして、衝動的に手近にあった扉を開けて部屋に飛び込んだ。





‥‥ヒゲ面の親父とバッチリ目があった。





マズイ‥‥不用意に扉を開けてしまった。

あかん、死んだ、、社会的に。




「おいっ、お前、何してる?」

言われて気づいたが、まだ右手にブラを掴んだままだった。

これで道に迷ったフリは使えない。



普通の人間なら、とっさの事態に頭が働かず、このまま本当に詰んでいたことだろう。



しかし、俺の灰色の脳細胞はそんな無様な行動を許してくれない。


咄嗟にブラをヒゲ面親父の顔に投げつけ、大声を出した。



「ここにブラ泥棒があらわれたぞ。誰かぁ〜っ、来てくれ。」



言いながら、俺は部屋を出て向かいの部屋に飛び込む。

そのまま、通風口に飛び込んだ。


この間たったの数秒だ。


ふぅ〜っ、なんとか逃げ切ったか。


まさかヒゲ面親父も俺が人を呼ぶような行動を起こすとはおもっていなかったのだろう。


人間、誰しも予想外の出来事への対処は遅れるものだからな。咄嗟に機転が利いてしまう自分の頭脳が恐ろしい。



後はそのまま通風口の中を進めば目的地の部屋の真上にたどり着ける。



「ちょっと〜っ、秋山プロデューサー。あなたが下着泥棒だったんですか?いくらプロデューサーでも許しませんからね。えーと、警察は110‥‥だよね。」


なんて声が聞こえてきて、重大な事に気がついた。このままではヒゲ面オヤジが下着泥棒として捕まってしまうのか?



「ちょっと〜っ、雪菜ちゃん。オジさん無実だからね。いきなり若い男が現れて、オジさんの顔に雪菜ちゃんのブラを投げつけて部屋を出て行ったんだよ。」

ヒゲ面オヤジが必死に弁明している。


しかし、ここだけ切り取って聞くと、ものすごく下手な言い訳だな。まぁ、事実なんだが。



「何馬鹿なこと言ってるんですか?言い訳は法廷で聞きますから」

女の人は訴える気満々だった。


あれ?

この声は‥‥ブラを探してたユッキーさん?

まさかユッキーさんのブラだったのか?


「いや、オジさんは雪菜ちゃんのカラダは好みだけど、見た目は美咲ちゃんの方が好みだからね。」



「そんなに私の機嫌を損ねて、本当に警察に捕まりたいんですか?」

ユッキーさんの声はまるで心まで凍結しそうだ。もしかしたら、凍結した心でクギが打てるかもしれない。



「いや、、待て、無実だ」なんて声が続いていたが、俺は時間がないので先を進む。



すまない、ヒゲ面オヤジ。

あなたの犠牲は一生忘れない。


俺は心の中で十字を切り、先を急いだ。

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