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選考条件

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私が 欲しい は 超一流 ペースメーカー です。

超一流 ペースメーカー は 18 kg 食べる 人 ありません。

いつでも コンスタント 8 kg 食べる 人です。

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そして一瞬表示されたのは、誰かの食前と食後のスクリーンショットだった。アラブ系の華奢な少女が笑顔で体重計に乗っている写真が2枚。タイムスタンプはどちらも2055年の10月8日、一方が13時32分で、もう一方が15時49分だ。


下は部屋着らしいスウェットだが、上は身体にフィットするタイプの白いポロシャツ。ひょっとすると、お腹の大きさを強調して見せているのかもしれない。軽く背筋をそらせ、妊婦が胎児を慈しむように、脚の付け根へ軽く両手をあてている。そこから始まっているのは、前に突き出したゆるやかな曲線。遠くからでも胃の形がはっきり分かる絵に描いたような洋梨型で、彼女が既に長いことOhguiの練習を積み、自らの胃をかなり開発していることが分かる。


傍には空になった1ガロンの牛乳容器と何十枚ものハンバーガーの包みが散らかっていて、足下の体重計は53.3 kgを指しているらしい(ソフィアが動画のスクリーンショットをとり、補足の字幕を入れたようだ)。食前の数値が 45.2 kgとなっているから、確かに少女はこの 2 時間ほどで 8 kg質量を増やしたようである。


再び画面が、こなれぬ日本語のメッセージに切り替わる。


--

去年 ルジャイン これ 送り 合格 した。

既読 ついたの 分かる から

この メッセージ 見て あと 6 h 以内 動画 送りて ください。

返事 なくんば 次 候補 メッセージ します。

挑戦 なら 取り急ぎ 返事 請う。

--


先程のスクリーンショットは、1年前のルジャインのものだったのか! 確かに、言われてみれば、どことなく面影が似ている気がする。しかし1年で、だいぶ体型が変わったものだ。最初に見た動画の、ぽっちゃり目な印象が強かったので、1年前の写真を見ても全然気付かなかった。美人であることに変わりはないが、去年はモデル体型の美人、今年は豊満で絶妙な均衡の上にあるぽっちゃり目の美人、と言えるだろう。たるみかけた肉が淡黄色のネグリジェに包まれ、女性的色香を醸し出していたのを思い出す。


おっと、今はルジャインのことを考えている場合ではなかった。下手な日本語のせいで今ひとつ意味に自信はないが(英語で書いてもらった方がまだ分かるくらいかもしれない)要するに今から6時間以内に、8 kg以上の大食い経過を記した動画を撮影し、送り返せば合格、送り返せなければこの話はなし、ということなのだろう。


お腹の調子は大丈夫だろうか? そっと手をあてて確かめる。幸い昨日が大会で今日は一日オフにしていたから、もうあらかた食物は出し切った。2センチほどの脂肪層の裏に、昨日あれほど膨らんでいた胃袋の感触はない。選手として限界に挑んだわけではなく、ペースメーカーとして 10 kg食べただけだったから、回復が早いのだ。ラッキー! これならおそらく、これから 8 kg くらいはなんとかなるだろう。


問題は、どこで何を食べるか、ということだ。時計は日本時間23時56分を指している。寝る前にメッセージをチェックしていただけだったので、いつもの大食い練習場は使えない。このところ道場でばかり大食いしているので、家の炊飯器はオフに使うだけの貧弱な3合用だ。こんなことなら、本格的に自主トレしていた頃の5升釜が去年壊れたとき、新しいのをちゃんと買っておけばよかった。ここ数年、もう自宅での自主トレ(自主詰め込み)は久しくやめてしまっていたから、売り場で躊躇したまま帰ってきてしまったのだ。


大学入学時「いつかは一度に平らげてやる」と決意して自己投資したガス炊きの5升釜だったが、結局一度も空にすることができないまま壊れてしまった。道場のシフトがない休日の朝から部屋で一人、孤独に米粒を詰め込み続け、千春の胴の皮膚が張り詰めて悲鳴を上げても、まだ米の塊が残ってしまう釜だった。残してしまう自分が情けなくて、いつからか炊く米は3升、2升、と減っていき、そして休日の自主トレ自体がなくなった。所詮自分はOhgui競技に対して中途半端だったのだと思い知らされ、改めて胸がチクリと痛い。


いけない! 過去のことに悲観的になるのは悪いクセだ。過去のことを後悔していてもはじまらない。問題は今からどうするか、だ。3合のご飯は水を多めにすれば重さにして1キロ。35分の急速炊飯を8回繰り返せば6時間以内に8キロ、という条件はギリギリなんとかなるかもしれないが、動画の編集・送受信にかかる時間まで考えるとやや不安である。「このメッセージ」というのがリンク先動画の該当箇所を意味しているなら猶予はあと1時間だが、最初のメッセージだとすると、仮想マシンのインストール等含め、既に1時間は経過してしまっている。そしてSNSの仕様からして、おそらくソフィアに通知されるのは最初のメッセージを開封したタイミングだろう。実質あと5時間しかないことになる。


こんな深夜に大食いのできる店などあるのだろうか? 深夜の大食いが肥満に直結することはみな知っているから、普通のOhgui選手は夜8時以降食べることなどほとんどない。遅くても9時。だから10時を過ぎれば、多くの大食い練習場、大食い対応メニュー販売店は仕舞ってしまう。こんな依頼を受けたことがないので、どうしたらいいのかよく分からない。師匠に連絡して、道場を開けてもらおうか? いや、ロシアに行くことになれば、師匠の元を離れることになる。今の師匠は、あまりいい顔をしないだろう。悩んでいる間にも、どんどん時間は経っていく。とりあえず街に出てから考えよう。アドレナリンが出ているのか、いつもなら寝る時間なのに、あまり眠気は感じていなかった。


部屋着のジャージを脱いで、クローゼットの前で一瞬、何を着ようか悩む。単純にOhguiのラクさでいえば、競技用のTシャツやマタニティーウエアなどが最適だが、今回はルジャインがしたように、膨らみを多少目立たせた方が説得力があっていいかもしれない。逡巡した末、ウエストをリボンで縛るタイプのワンピースを選択した。ブラックに細いグレーのストライプ。地味目だがしっかりとした生地で、かなり気に入っているものだ。リボンを緩めれば大食いもできるだろう。


トイレに行って、軽く化粧をしてから、そっと体重計に乗る。体重計の数値は48.52。標準的な大会後の数値だ。あ、その前に、着替えて自撮りを開始しないとだな。動画は連続しているものでないと、変に勘ぐられてもつまらない。携帯には36時間ほどの動画容量があったので、そのまま携帯で撮影を開始する。


「ソフィアさま、はじめまして、佐野千春です。大会翌日の深夜だったのですが、今からご依頼に応じ、Ohguiを開始しようと思います」


あの日本語力では聞き取りされない気もするが、無言や下手な英語より日本語の方がまだいいだろうと考え、勝手にアナウンスを入れる。ズームにして、48.52という数字を確実に写してから、千春は撮影中の携帯を手に深夜の街へと飛び出した。

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