依頼
イリーナのシリーズはこれで書ききったつもりでいたのですが、
先日、小桜クマネコ先生がブログに描かれた絵が素晴らしかったので、
また少し続きを書いてみたくなりました。ご笑覧いただければ幸いです。
さの ちはる さま、
拝啓、
とつぜん メッセージ すみません。
私 名前 は ソフィア イヴァーノヴナ カルサヴィナ 言います。
このまえ オリンピック で ぎん メダル した イリーナ の 母 です。
12 kg/h の 48 kg 級 日本人 検索 で さの さま の プロフィール 見つけました。
もし よろしければ イリーナ の 拡張期 ペースメーカ を どうして できません?
ルジャインの 次 ペースメーカ さがしてます。
次の 3月 まで 5000万円 いかが でしょう?
詳細:https://________
パスワード:__________
敬具、
ソフィア イヴァーノヴナ カルサヴィナ
София Ива́новна Карса́вина
--
奇妙な通知が入ってきたのは、オリンピックの興奮冷めやらぬ9月のはじめだった。
Ohgui選手だけが加入するSNSのメッセージボックスに、たどたどしい日本語で送られてきたメッセージ。
たちの悪い迷惑メールだと思ったけれど、いい条件に指がつい止まってしまう。
もし――もし本当だったら――どうしよう。
佐野千春、31歳。自分の限界くらい、この年になれば痛いほど自覚しているつもりだ。
自己ベスト 14.98 kg。国内リーグ最軽量、アトム級(体重46.26 kg以下の部)でも、もはやランク外になる。
しかも自己ベストを記録したのは6年前――引退のタイミングをずるずると逃してしまっている。
道場の仲間も師匠も野暮なことは言わないが、どこかで選手としての活動に終止符を打たねばならない。
そんなことはすでに何度も言い聞かせていて、今度こそ、次の大会で引退しよう、と何度も思うのだけど、
夢は諦めるタイミングが一番難しいのである。
15 kgの世界を体験したいと思いながら、結局記録は下降する一方だ。
なんだかんだそんな生活を続けることができてしまっているのは、
千春が典型的なスピードイーター(早食い型選手)だからだ。
決して記録にはならないが、千春のトップスピードは 15 kg/h を超える。
1時間もせずに容量の方が限界を迎えてしまうが、スピードだけなら今でもトップクラスなのである。
去年大会でひとつも(選手としては)入賞できなかった千春の収入はすべて、
ペースメーカーとして得たものだ。
大食い選手の傍で、大食い選手より少し早めに、一定のペースで食べる仕事。
千春の場合、10 kg/h を 1時間、というのが一番多い。
それでも、表舞台に出る大食い選手と、裏方のペースメーカーとでは待遇に天と地ほどの差があり、
ペースメーカーに5000万円、というのは、破格の依頼だった。
カーソルが「詳細」と書かれたURLに吸い寄せられていく――おっと、万一に備えて、仮想マシンからアクセスしよう。
パスワードを入力した千春は、これが本物の依頼だと確信した。
映し出されたのは、ホームビデオで撮影された、イリーナの練習風景だったからだ。