ソフィア・イヴァーノヴナ・カルサヴィナ
イリーナの母、ソフィア・イヴァーノヴナ・カルサヴィナは、ロシアでは比較的名の知れた大食いタレントだった。
14歳の時、友人に誘われ遊び半分でエントリーした地方の大食い予選が、彼女の人生を変えたと言ってよい。周囲から大食いと評されていたとはいえ、正式なトレーニングを積んだ者たちに敵うはずもなく、そのときは一時予選で敗退したのだが、その美貌がプロデューサーの目に止まり、ヴィジュアル要員としてスカウトされたというわけだ。
艶のある金色の髪に、ドキドキするような緑色の目、透き通るような肌に、すらりと伸びた手足。当時の写真を見れば、なるほどプロデューサーが声をかけたのも理解できる。
2032年といえば、ロシアで大食い人気に火がつきはじめた頃。才能のありそうな(一般人以上には食べることのできる)美人をスカウトして数ヶ月間基礎をたたき込み、専属契約下でデビューさせる、というビジネスモデルをいくつかの事務所が取っていて、ソフィアもその一つと契約をしたわけだった。
母は昔のことについて語りたがらないため、イリーナも母の14歳以前については多くを知らない。ただ当時、母の出身チェルマシニャーで開催されたボルシチ飲み比べ競争の予選結果pdfに「18. София Ива́новна Карса́вина: 2.93 L」と1行記載があったので、母の初大会がボルシチ飲み比べ競争だったであろうことは確かである。
今同じ名前で検索をすると、大量に出てくるのは母の15歳以降、母がモスクワの大食い大会で華々しくテレビデビューを果たしてからの記事たちだ。
いくらヴィジュアル要員とはいえ、3リットルに満たない容量では話にならないと思ったのだろう。母はモスクワの大食い団に入団して1年半を過ごし、16歳のとき華々しくテレビデビューを果たした。
文句なしの美少女が、端正な顔を真っ赤に染めながら8キロのビーフストロガノフに挑むという構図は十二分にセンセーショナルで、彼女は一瞬にしてロシアの芸能界トップスターに仲間入りを果たした。(同時期に何名かが同様の手法でデビューしているが、母が一番大衆に人気があったといえるのではないだろうか。)
大食い大会のゲストや食べ歩き番組はもちろん、クイズなどのバラエティーやニュースキャスター、アイドルやモデルとしても引っ張りだこで、わずかな期間ではあったが、相当に稼いだと聞いている。(余談だが、マタニティーウエアの撮影前には大食いをしていたらしい)
そうして2年ほど若手のホープとして大食い人気を牽引した後、折しもロシア国内でようやくスポーツとして認識されつつあった競技ohguiへの転向を19歳で表明。本格的な選手としてのトレーニングに入ったかと思いきや、一度も大会に出ることなく突然引退を宣言し、20歳でイリーナを出産している。 前置胎盤のため、帝王切開。腹部に残る傷跡のため、ohgui選手としての道は永久に閉ざされてしまった。(大食いが金になると分かってから、胃拡張手術を受ける人間が後を絶たず、腹部に手術痕のある者は大会参加資格がない。)
「大食いの女神、涙の決断!」「婚前交渉、相手は事故死か?」などなど、突然のスキャンダルにメディアはこぞって騒ぎ立てたが、本人はそのまま芸能界から引退し、女手一つでイリーナを育ててきた。