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およばれ

初めて先輩の家に誘われたのは、たしか仮入部期間最終日の放課後だった。入部届を提出した千春に、大喜びの伊東先輩が声をかけたのだ。


「ねえ、もしよかったら――なんだけどさ、日曜日空いてたら、家に来ない?」


これといって用もなかった千春が了承すると、伊東先輩は嬉々として集合時刻と場所を決めた。自宅からバスで15分ほどの商店街。朝9時に集合だから、8時半に家を出れば十分だろう。


「千春ちゃんちって、朝みんなで食べる系?」


「いえ・・・母は朝弱いんで、日曜は昼まで寝てます。だからいつも適当に各自で・・・って感じです」


唐突な質問に、そういえば若干驚いたのを思い出す。


「よかったー! そしたらさ、あんまり朝ご飯食べてこなくて大丈夫かも! てか、食べて来ない方がいいかも! うん、明後日は、朝食べて来ないで! あ、水は大丈夫。 そうそう、あと、体操着も持ってきた方がいいかも! きっと汗かくから!」


遊びに行くのかと思ったのに、練習になりそうな雰囲気で正直ひいた。もしあのとき断っていれば、私の人生は全然違ったものになっていただろう。


割り込むタイミングを見いだせないまま、速いテンポでまくし立てる先輩に流される形で、千春は日曜日の朝9時、指定された商店街に、体操着と空きっ腹を抱えて立っていた。


「ごめんごめん! 待たせちゃったね!! ちょっと準備に手間取ってさー」


そう言いつつも先輩は、全く悪びれもせず豪快に笑った。ボーイッシュな黒髪の短髪に、スポーツブランドのロゴがプリントされた飾り気のないグレーのTシャツとジーンズ。足には革紐のサンダルをつっかけている160 cmほどの華奢な体躯。


長髪で小柄な千春と並んで歩く後ろ姿は、きっとカップルに見えただろう。本人も「伊東秋菜」なのに、往時はよく男に間違われたと言っていた。


「すぐそこだから。あ、体操着持つよー。てか、体操着ってそんなにでかかったっけ?」


千春の鞄が予想より大きいのを見て伊東先輩が手を伸ばしたが、千春は丁寧に断った。


「あ、大丈夫です。これ・・・先輩の家にお呼ばれする、って言ったら、母が持って行けって・・・」


「あちゃー、いいのにいいのに! 来週からは、持ってこないでね! とりあえず、ありがとう……わあ! バームクーヘン、私大好き!!」


「来週からは」という言葉に千春は少し顔をしかめたはずだが、先輩はバームクーヘンに歓喜していて気付かなかったらしい。先輩の家は確かにすぐ、商店街から通り一つ隔てた通りの小洒落た一軒家で、門のところに可愛い犬の形をした「伊東」という表札が掛かっていた。


「お邪魔しまーす」


「あ、うち、二人とも夜まで仕事でいないんだ。上がって上がってー」


履いてきたローファーを揃え、2階の伊東先輩の部屋へ、とりあえず荷物を持っていく。おそらくは子供の頃から使っているものなのだろう。薄いピンクのベッドカバーや部屋の隅に置かれた大きなクマのぬいぐるみなど、ところどころに感じる女子らしさが逆にちぐはぐに見える。


「よーし、そしたら、体操着に着替えて!」


そう言って先輩が躊躇なくTシャツを脱いだ。黒のスポーツブラ姿でクローゼットを覗いている先輩の締まった身体に、千春はなんだかどきどきしてしまって窓の方を向く。


「ほら、着替えて着替えて!」


窓の方を向いたまま、こそこそと急かされるように体操着姿となって振り返ると、伊東先輩がしげしげと千春を見つめていた。


「千春ちゃんってさ、すごく美しい肌してるよね」


突然なんなんだ。しかも、可愛いとか綺麗だ、とかじゃなくて、美しい、なんて。頼むから真顔で言わないでくれ。幸いニキビなどにはまだ悩まされていないけれど、色が白いのはたぶん物理的にも比喩的にも、今まで日の光を浴びてこなかったからだと思う。


「……そんなことないです……日の光を浴びてこなかっただけです……」


「いや、そういうんじゃなくてさ。『キメが細かい』って言われたことない?」


とっさの否定はさらなる褒め言葉を誘発してしまったらしく、真顔で見つめる伊東先輩から千春は目を逸らす。隅に置かれたぬいぐるみのクマは、昔のものだが時おり手入れされているらしく、ほこり一つない、綺麗に整った毛並みをしていた。


「こっからでもよく分かるよ。よく伸びるもち肌でしょ? まあいいや、下いこか。見せたいものがあるし、見たいものもあるから……あ、鞄はそこ、置きっぱでいいよー」


案内された1階の部屋は白を基調に、3人家族のものらしい小綺麗なオープンキッチンになっていて、趣味のよい天然木のテーブルと椅子があった。壁際には薄型テレビとエアロバイク、ぶら下がり健康器が並んでいる。


「じゃーん! これこれ! すごいでしょー?」


どれ? 先輩はキッチンの中を指差し、得意げだ。慌ててキッチンの中を見に行くと、ごく標準的なコンロとオーブンレンジ、冷蔵庫とミキサー、コーヒーミルなんかが置かれていたが、どれも大げさに驚くことではないと思う。


「違うよ、ゆか! ゆか!」


千春の反応を見て、伊東先輩が声をあげる。なるほどそこには、ばかデカい炊飯器が置かれていた。確かに、これは業務用だ。無骨なステンレスのシルエットで、横幅 45 cm はあろうかという代物だ。


「三升炊き! 師匠からもらったの、私だけなんだー」


そう得意げに言って、伊東先輩は釜の蓋を開けた。もうもうと立ちのぼる湯気の奥に、粒の揃った白米が見える。上限線いっぱいまで、先輩は米を炊いたらしい。


「そういうわけで、今日はかわいい千春ちゃんに、好きなだけ食べてもらおうと思います!」


千春の表情が若干曇ったことに、伊東先輩は今度こそ気付いたらしい。


「あ、もちろん足りなくなりそうだったら、すぐ炊き直すから大丈夫!」


そういう問題じゃない。


「いや……さすがに、三升とか無理だと思います……というか、どうして入部したばかりの私に?」


「いやー、だってさ、この前の見て、私『凄い』って思ったの。私、これでも小4から道場に通ってるのよ。大食いの記録ってね、普通は本当に少しずつしか伸びないものなの。なのに、いきなり一升なんて……私思ったわ。『千春ちゃんには、天賦の才がある!』ってね」


そうか、やはり木曜日のお試し測定会で私は食べ過ぎたのだ。小学生時代からの習慣のことが喉まで出かかったが、マシンガンのように喋り続ける伊東先輩を遮ることはまたしてもできなかった。


「私ね、大食い部の仲間は嫌いじゃないけど、でもライバルとして一緒に練習できる人はいなかったの。でも、千春ちゃんとなら切磋琢磨できると思うし……あ、そうだ、来週からは勉強道具も持ってきなよ。いろいろ食べながら教えたげる」


一つ上の先輩に勉強を教えてもらえるのはありがたい申し出だったが、来週もここに来るなんて約束した覚えはない。


「だいたいさ、顧問も顧問だよね。普段なんもしないくせに、1年生の仮入部期間だけ出しゃばってさ。『とりあえず、自分の胃の大きさを測ってみよう!』って企画なのに、なんで1升のとこでストップかけるんだよ、って感じじゃない? 他人がストップかけちゃったら、胃の大きさなんて測れっこないだろ? ユニフォームのサイズだってそれに合わせて決まるんだし……」


なるほど、そういうことか。ようやく話が飲み込めてきた。要するに、今日は私に、本当の限界まで食べてみて、胃の大きさを測ってほしい、ということのようだ。


「いまいくつ?」


「は?」


「あ、ごめんねー、いまいくつ? って聞いたらね、 ohgui 業界ではたいてい重さなの」


女の子に聞かれたとしても、自分の体重を言うのは恥ずかしいと千春は思う。


「……35キロくらい……だと思います……」


「そっかー、そうだよね。まだ ohgui 未経験者だもんね。大食い大会ってさ、10 グラム単位の勝負なわけ。だから、普段から自分の重さについては意識しておかなきゃだめよ。ボクシングの選手も、自分のそのときの体重を100グラムとずれることなく、ぴったり言い当てられるっていうし。まずはこまめに、体重計に乗る習慣をつけること! いま体重計持ってくるから!」


そう言って先輩は、脱衣所から体重計を持ってきた。これまた ohgui 協会公認のもので、10 グラム単位までしっかり計測できるのだそうだ。


「はい、乗ってー。ほんとはベースを量りたいけど、まだ慣れないと恥ずかしいだろうし、今日は体操着のままでいいわ」


千春を乗せた体重計の針は、ゆっくりと 34.49 という数字を指した。


「軽いねー。千春ちゃん、小柄だもんねー。将来的にも減量しないで済むかもしれない! いいなあ!」


伊東先輩はいちいち勝手に騒ぐ。


「そしたら、今日は何も言わないつもりだから、自分のペースで食べてみてよ!」


そう言って、ご飯茶碗としゃもじを手渡される。食べる……って、ふりかけもおかずもなにもないのだろうか。まあ、趣味ではなく競技スポーツなのだから、バラツキの出るようなおかず類は排除されているのかもしれない。


「喉にだけは詰まらせないように、ここにお茶、開けとくね」


そう言って先輩が取り出したのは、これまた2リットルのペットボトルだった。なんだか自分の性癖を見透かされているようで少しだけ薄気味悪い。


「では、どうぞ、めしあがれ!」


戸惑いつつも、茶碗へ普通盛りにご飯をよそい、テーブルに座して「いただきます」をする。何も味がついていないごはんも、よく噛めば甘みがあって、意外に美味しい。1杯、2杯……先輩の他愛ない話を聞きながら黙々と箸は進み、次第に釜との往復が面倒になってきて、一杯が大盛り、山盛りになっていく。4往復ほどしたところで、全身にじっとりと汗がにじんできた。代謝が活発になっているのだ。手の甲で汗を拭う仕草をした千春に、先輩が窓を開けてくれた。心地よい午前の春風が吹き込んでくる。


「春だね」


先輩は当たり前のことを、何か特別なことのように呟く。


「千春ちゃんって、春の生まれ?」


「はい、4月7日の生まれなので……」


「わ! じゃあもう、同い年じゃん! 嬉しい! あー、でも、誕生日はあと1年しないと一緒には祝えないのかー。残念! とりあえず、おめでとう!! あ、この『おめでとう!』は今年の分ね! 来年はなんかプレゼント考えとくから……あ、続き、食べて食べて! 3合くらいじゃ全然、足りないでしょ?」


答えて箸を止めた千春を見て、先輩が声をかける。


「いえ、正直もう結構食べましたし……」


そう言って体操服の上から、お腹をさする。視覚的には目立たないが、触ればはっきり膨らんでいるのが分かる。

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