楽園
「ズオオオオオーッ」
ひと月ほど前、けたたましい音が聞こえた。
「あれは、何の音だい?」
「初めて聞く音だ、あっ地震だっ」
次郎が手に持ったビスケットを落としかけた。
慌てて、台所のテーブルの下に身を隠した。それがすべての始まりだった。
楽園には食べ物が豊富にあった。カップラーメン、おにぎり、サンドウィッチ、ポテトチップス、俺の大好きなチーズクラッカー……。
生きていくのに、食べ物と水があれば、他に何がいるのだろう。俺たち兄弟におじさんたちの家族分も加えてもこの楽園には十分食べ物があった。俺たち兄弟とおじさんの家族、そして『同居人』の彼、それがこの楽園の最初の住人だ。
まだ薄暗いうちから、彼は出かける。何をしているのか、名前はなんというのか、お互い知らないし、興味はない。それぞれの境界を守っていれば害はない。
「プルルルル、プルルルル」
心地よい音が響いた、最初はびっくりしたが、
今は平気だ。それは『スマホ』というのだそうだ。彼が戻ってくるとそれを手に取り何やら話しながら、笑ったり頷いたりしている。
その後、持ち帰った食べ物を食べる。もちろん俺たちの分も、ちゃんとある。
「さあ、はいった、はいった」
ある日彼がメスを連れて帰ってきた。
どうやらこの楽園に住むつもりらしい。翌朝丸い二本足をもつ、へんてこな生き物を従えて、その新しいメスはこう言った。
「あのひとが出かけているうちに、少しは片付けなくちゃね」
その生き物の尻からあの大声が聞こえる、やがて飢餓が始まった。楽園に溢れていた食べ物が次第に無くなってきた。彼は大食いだが一日かけて食べ物を持って帰ってくる。働き者だから相応に食べてもいいが、メスは楽園の中で彼を待つだけの気楽なものだ。それに日ごと腹が膨れてくる、食べる事、食べる事。
「きっと、子を産むんだぞ、あいつ」
次郎が知った風な事を言った。
「そんなことあるか、だんだん動きが鈍くなっている、病気だ。次第に動けなくなって死んじまうのさ…。俺は見たのさ、母さんも次第に身体の動きが鈍くなって、とうとう死んじまった」
だがそのメスはしぶとく、そのまま生きていた。そんなことより楽園の食べ物が日増しに減っていく、ビスケットのかけらさえ見つけられなくなった。毎晩集まるおじさんたちも次第に痩せていった。
「太郎、今日からお前たちも食べ物を探してこい、それを持ち寄ってみんなで分けなければ生きていけない。働く事のできないものは生き残れん」
それから何日経っただろう。一人、また一人と弟たち、妹たちがいなくなった。おじさんのところも同じだ。毎晩遅く、集めてきた食べ物をみんなで分ける。食べ物は次第に少なくなったが、俺たちも一人、また一人といなくなるものだから、分け前はほとんど変わらない。俺はミチコと婚約しているが、この分だと食わしてなんかいけない。情けない事だ。
「ズオオオオー」
大声で変な生き物が歩き回る。それを聞くたびに死が近づいてくるようだ。
「そろそろお腹もすいたかしらね?」
メスがそう言うのを俺は聞き逃さなかった。
「やっぱり、あのメスが俺たちの分まで食べ物を食っていたんだ……」
もう俺たち兄弟は、次郎しか生き残っていない。おじさんもおばさんもいない。ミチコとその弟の四人だけだ。メスは厚紙で器用に家を作った。そしてもう一度こう言った。
「そろそろいいわね」
小さな袋からぷーんと美味そうな匂いがした。
「これで家族が増えても安心ね」
その包みを、メスは作った家の中にそっと置くと何処かへ行ってしまった。
「あのメス、結構いいヤツかもしれない」
この匂いは、食べ物だ。メスが言ったとおり、これなら家族が増えても安心だ。そっそく、ミチコも匂いに誘われてやってきた。
(ミチコ、あのメス、家族が増えてもいいよう、食べ物を用意してくれたぞ)
俺は立ち上がり、手を大きく振ろうとした、……しかしそれは叶わなかった。
「ただいま、ミチコ」
「おかえりなさい、あなた」
「あのゴミ屋敷がこんなに広かったとはね」
「少しずつ片付けたから、時間がかかったわ。それより順調ですって、赤ちゃん」
「そうかよかった、毎晩退治したからこれで家族が増えても安心だ」
彼は両手をばたつかせ、俺たちの真似をしている……。




