6.獅子王の悲嘆! メイドの膝枕! 王女の戦果喧伝!
太陽が中天高く、魔族攻囲軍と人類軍を平等に照らす。
早朝以降、魔族攻囲軍は全ての攻勢を中止していた。
たった一撃で一個連隊(兵員定数2000名)の戦闘力を奪い去る未知の攻撃を前に、魔王軍参謀本部では「現時点で有効な対策がない以上、無謀な攻勢は停止し、刺激を避けるべきだ」とする意見が、大多数を占めたからである。
大破壊をもたらす空中爆発に対し、被害を最小限に抑えられるような方策も採られた。
かの熱爆風は、地表面に存在する部隊に対して破滅的な打撃となるが、地下室や塹壕に対しては、ほとんど被害をもたらさないことが、早朝の攻撃によって判明している。魔族攻囲軍は速やかに最前線の将兵を、人類軍から奪取した地下施設に収容、次波攻撃に備えつつ、包囲網を維持する構えをみせた。
前線から離れた丘陵地に、獅子の咆哮が響き渡る。
「魔王軍、参謀本部――臆病!」
魔王軍参謀本部の戦線後退の決定に、自身の部下――知性ある獣や獣人達を引き連れ、魔族陣営に参加している獅子王の無念の叫び。
知性と慈愛を兼ね揃えた偉大な獅子は、自身の勇気が発揮出来ないことよりも、不意打ちで惨死を遂げた将兵の復讐のため、すぐさま動けないことに強い不満を覚えたのだ。
癇癪。
彼は並の獅子よりも一回りも二回りも巨大な前脚を振るい、虚空に浮かぶ人類軍将兵を八つ裂きにする。
だがどうしようもない。
魔王軍や他族の諸部隊は、既に撤退を開始しており、これを無視すれば獅子王軍諸部隊だけが最前線で孤立することになる。
「閣下」
「命令遵守。後退!」
獅子王とて分かっている。
獅子王軍本営と定めた丘に集う獣人達に諌められた彼は、大人しく後退の指揮を執り始めた。
命令が撤回されない以上、どうしようもない。
獅子王は先程まで、魔王軍参謀本部の一部参謀らと連絡を取り合い、連名で――
「後退よりむしろ敵中へ急進撃し、敵味方混濁の状態を生み出せば、敵方も同士討ちを恐れ、空中爆発を回避出来る」
――と主張し、攻撃策を採るよう運動していたが、結果はうまくいかなかった。
例の攻撃は、凄まじい。
だからこそ敵は誤爆を恐れる、敵中に味方が浸透すればあの攻撃は回避出来るはず――獅子王は自身の戦術眼に自信があったが、それだけに悔しい。
思いは、誰もが同じだ。
獅子王の側近の中でも、いちばん歳が若い獣人がたまらず進言する。
「……閣下。我々のみ一手でも敵中に齧りついては如何でしょうか」
突破力に優れる獅子王の軍勢は、やろうと思えば独力で敵防衛線を粉砕し、市街内部へ侵入することが出来る。
攻勢がうまくいけば人類唯一の王族を殺す、あるいは人類軍の最高司令部を陥落せしめることが出来るかもしれない。
歳若の側近はその可能性に賭けるべきだ、と暗に主張したのだ。
だが他の側近達は、即座に声を上げた。
「馬鹿ものッ、閣下の苦悩分からぬか! これ以上閣下を惑わせるな!」
希望的観測の下に、狩猟は行ってはいけない。戦争も同じだ。
年老いた獣人達は歳若の獣人同様に、獅子王軍が人類軍の喉元に喰らいつく想像をしたが、危険性を鑑みてその構想を完全に放棄した。
敵防衛線を突破成功後、頑健な抵抗に遭い、敵中で足を止めたが最後、四方八方から銃弾と魔弾を浴びることになる。仮に人類軍の中枢を食い破れたとしても、獅子王陣営は多大な損害を被り、戦後体制の中で没落してゆくことになろう。
ならばここは他族と同調し、退いた方が得策である。
「共感。……命令遵守」
獅子王は後ろ脚で立ち、進言をした歳若の獣人の肩を前脚で掴み、彼を慰めた。
それは四足の獅子が取り得る、最大にちかい愛情表現。お前の気持ちはよく分かる、と彼は言いたかったのだろう。
だが、命令は撤回しなかった。
……こうしたやりとりは、何も獅子王軍だけで行われたわけではない。
他族でも進退を巡っては論争が起こったし、魔王軍参謀本部直接の指揮下にあるはずの魔王軍各軍団本部、師団本部でも「混乱にかこつけて参謀本部の命令を黙殺し、独力をもって敵中枢を制圧すべし」と主張する者も現れるほどだった。
結局は誰もが「自隊だけが泥沼の戦いに引き摺り込まれるのではないか」、という不安に駆られ、決定的な成功の公算を見出せないままに、参謀本部からの後退命令を受け入れた。
だが、やはり多少のわだかまりは残った。
◇◇◇
「連中、静かだ」
「そらそうよ。よく分からねえが、酷い目に遭ったみたいだからな。ざまあみろ」
「に、してもこれは誤爆でこうなったのか?」
「それはないな。誤爆にしちゃ規模がデカすぎる。さっき来た配食担当のやつに聞いたんだけどよ、近隣の敵は全部この有様らしい。噂じゃ別方面の敵連隊もボロボロにやられて、一部は撤兵したって話だ」
銃眼を備えた煉瓦造りの建物や、市街地に張り巡らされた地下通路といった人類軍の拠点は、こうした噂話で持ちきりとなった。
僅かな視界から覗ける範囲で見た外界には、たしかにもう魔族はいなかった。雷鳴を思わせる砲撃音も、急降下爆撃の風を切る音もしない。外に出た勇気ある兵士は、そこで瓦礫の山と、全身に熱傷を負った無様な魔族の死骸を見た。その数は到底、数え切れるものではない。
だが彼らは降って湧いた勝利に喜ぶよりも、まず戸惑った。もはや味方に砲戦力も、空襲を可能とする魔導戦力も残されてはいない。にも関わらず、何故これだけの魔族が死んでいる?
疑問は、すぐに氷解する。
城塞都市アナクロニムズ各所に設置された144ある音声中継器の内、苛烈な空襲と砲撃を生き残った物が、突如として音声を流し始めた。
驚いた将兵達はみな、耳を澄ませた。一斉に音声が鳴っていることに気がついた魔族陣営も、これを分析すべく人語を解する偵察員を前線に出した。
音声中継器から流れ出した声は、正統ユーティリティ王国第一王女ヴィルガイナのそれである。
『……る殺戮者どもは、きょう自身の血肉を以て贖罪の一歩を踏み出した!』
街中の音声中継器ががなり立てる王女の憤怒と自信に満ちた美声は、海野が休む地下室にまで響き渡り、眠っていた彼を叩き起こした。
そして、驚愕する。
「……なぜ」
「起こしてしまいましたか。殿下にはあとで謝って頂きましょう」
「いや」
状況を単純に説明すれば、海野は情報幕僚アーネの膝を枕にして眠っていた。
海野の記憶では、自分は払暁攻撃の成功後、魔族攻囲軍の後退を確認し、この地下室で羽毛が詰まったクッションを抱いて眠りに落ちたはずなのだ。なのに、何故おれは彼女の膝の上で寝ている?
後頭部に彼女の温もりを感じ、近すぎる位置にある彼女の胸と顔を見て、脳内を疑問符で埋め尽くした海野は、咄嗟に彼女の膝から転がり落ちようとした。
……だが、動けない。
疲労困憊とは、このことか。海野は微塵も、気だるい身体を動かせない。力を振り絞り、顔を背けるのが精一杯だった。慈愛そのものの微笑みを浮かべるアーネと、目を合わせるのが気恥ずかしかったのだ。
だが肝心の身体の方は、てんで駄目である。動けない以上は仕方がないので、ただただ彼はアーネの温もりを享受し、士気高揚を狙った王女の演説を聞き続けた。
『正義の夜明け! 人類再興の曙光! 醜悪人外どもは、いよいよ地平線の彼方へ追いやられる』
これがプロパガンダ、ってやつか。海野は苦笑いを浮かべるしかなかった。
元の世界で高等教育を受けている海野は、知っている。だいたいの戦争とは正義と悪の激突ではない、どちらも多少なりとも言い分や正当な理由を持っているものだ。
相手を一方的に否定し、自陣営を正義の側に置く。人類が滅亡の瀬戸際にあるとはいえそうした宣伝は、海野からすればやはり過剰なものに感じられてならなかった。
『長きに渡る試練の夜は終わった。もはや我々人類は、連中の無差別な殺しを恐れなくともよい!』
「海野様のお働きに、殿下はたいへんお喜びあそばされました。勇者の力は本物であった、あの忌々しい下等生物を殺し尽くしてくれることは間違いない、あの屍山を見て確信した、とも仰っておりました」
「……そうですか」
「もう少し誇っても構わないと思います」
「努力して得たわけでもない勇者の力を使って、ほとんど一方的にやっただけで……」
殺しをやって褒められることに、当然ながら海野は強い抵抗を覚えた。
スポーツの試合で勝利した後に得られるような、達成感や充実感はほとんど皆無だ。まだ生きていることに対する安堵感が、ただただ心中を占めている。それと彼らが殺しに来ているからといって、知性ある魔族を大勢殺したことへの嫌悪感。
抗う術のない人々を殺戮から守る――昨夜抱いた使命感は、どこかへ消え失せていた。
『昨夜から、全てが一変した。我々が勝利者に、魔族は敗北者に――あるべき形に修正が為された。それは何故か!』
過熱する王女の叫び。
だがアーネはそれに掻き消されまいと、はっきりとした口調で言った。
「海野様のおかげで、この街の人々が救われたのは事実なのです。……魔族は羽虫みたいなもの、殺したことを苦にする必要はありません」
だが海野は、そう思うことが出来れば、どんなに良いだろうかとだけ思う。
【誘導魔弾】や【地空熱壊】を用い、遠隔的に殺しをやっている最中はまだ良かった。だがその後、敵騎兵と話をしたのがまずかったのだ。魔族も知性ある存在で、人間とそう変わらない存在だということを、経験を通して知ってしまった。
……日本国に生まれ育った海野には、アーネの言葉が酷く恐ろしく聞こえる。
魔族とは言語による意思疎通が可能で、しかも彼らは文明も持っているのだ。海野が自身の目で見た耳長族は、ただ耳が長いだけの人間に見えた。人種差別を嫌い、平等を是とする一般的な日本国民であり、また創作の世界で亜人や知性ある怪物と触れ合ってきた若者の海野に、彼らを「虫けら」と断じることは出来ない。
海野は、再び口を開いた。だが、歯切れは悪い。
「無理です……いまは魔族が、この街に襲い掛かっている状況だから、火の粉を振り払うつもりで戦えます。でも今後限定的な反撃から、本格的な攻勢に乗り出す時が訪れたら、やはり戦うことに抵抗を覚えるかもしれません」
「この危機的状況を脱することさえ出来れば、私たち人類軍統合幕僚会議は、海野様に戦いを強要したりはしません。破滅的被害をひとたび与えた勇者の存在は、永久に人類軍を励まし、魔族の脳裏に残り、彼らを恐怖させ続けることでしょう」
アーネの言葉に、安堵することは出来ない。
やはり信用しては駄目だ、とだけ海野は思った。おそらくこうして彼女が俺の身辺に張り付いている理由は、物理的な監視や心理的な状態を把握するためなのではないか? 王女からすれば折角手に入った「兵器」なのだから、それが使い物にならなくなる事態を避けたいのは当たり前のことだ。
それと、まだ考えなければならないことがある。
元の世界に「狡兎死して走狗煮らる(兎を狩るのに使われた猟犬も、兎を狩り尽した後は用なしになるので煮て食べられてしまう)」という諺もあるが、仮に魔族を殺し尽くしたら俺はどういう扱いになるのだろうか。
王女は俺を「強大な軍事力・戦略兵器」として保持し続けてくれるか、それとも戦後は不要の長物として始末するのか。
『かつてこの大地に覇を唱えた大帝国さえ滅ぼした勇者が、この城塞都市に現れたからである! 彼は我々の困窮具合に同情し、魔族駆逐のために協力を申し出てくれた。もはやこの戦争は、戦争ではなくなった。これより我々は、一方的な駆除作業をはじめる』
考えていることを、アーネに感づかれるかもしれない。
海野は猜疑心を押し殺しながら、ただ王女の演説を聞いた。
『いくら魔族とて、たしかに知性ある存在だ。
彼らを皆殺しにするのは心が痛む、という心優しき将兵、市民もいることだろう!
それは理性ある人間として普通のこと、何も恥ずべきことではない!
……だがよく考えてみて欲しい。
奴等が我々に、何をしたのかを。
もし彼ら魔族をひとりでも残せば、将来われわれの子供たちが、また殺されることになるかもしれない。
いま我々は未来のために、魔族をこの大地から根絶させなければならないのだ!
この大事業をこのヴィルガイナはやり遂げねばならぬ……どうかみな、力を貸して欲しい!』
ただ沈黙が続く地下室を他所に、城塞都市市民の興奮はこの瞬間、最高潮に達していた。