31.勇者(かれ)はもう、喚べない。
音速の20倍で再突入する弾道弾を光弾の群れが迎撃し、乱射される中性子線を魔力により形成された防御スクリーンが防護する。
すると手を替え品を替え次々と繰り出される人類抹殺の手管は、いよいよ核兵器や放射線といった既知の手段ではなく、空間を弄繰り回す時限にまで到達した。
城塞都市を高高度まで打ち上げようと運動をはじめた魔力が四散し、宇宙空間と城塞都市近郊を繋げるべく捻じ曲げられつつあった空間が瞬く間に修繕される。城塞都市をマリアナ海溝に沈めるべく浮き上がった召喚陣は、一刹那の間に霧散した。
静かな死闘であった。
猛攻を繰り出す魔王と、鋼鉄の意志を以てその全てを防御する勇者。
……一昼夜に渡る勇者と魔王の熾烈な闘争は、魔王により城塞都市上空へ召喚された日本国新潟県佐渡島の落下を、勇者が張り巡らせた33468645枚の魔力障壁が空中で防ぎ止め、無事送還させたところで一時的な終結をみた。
両者が全力を傾けて戦えば、決着などつかない。
これでは千日手だ――と魔王が諦めた格好であった。
「終わった……のか?」
地に伏せったまま、頭上で勃発した超戦争の終焉をただただ待っていた正統王国軍将兵と魔族攻囲軍将兵は、恐る恐る天を仰いだ。
夜空に七色の帯が懸かり、そして流星めいて燐光を纏った魔力塊が流れてゆく。
きょうという一日を生き延びた将兵達に対する祝福か、それとも世界の終焉を示唆する凶兆か。
「……」
暫くそれを眺めていた魔族攻囲軍の生き残り達は、やがてとぼとぼと歩き出した。
一路、東へ。撤収の命令は出ていなかったが、攻撃の主軸となる魔王軍歩兵第2旅団、魔王軍歩兵第8師団、また後詰の諸部隊が全滅した以上、もはや東部戦線における作戦計画など雲散霧消したであろう。
撤退を開始した魔族攻囲軍将兵を、正統王国軍将兵はただ見送った。安堵と虚脱に襲われていた彼らに追撃する、という発想はなかった。また追撃するだけの余剰戦力など残ってはいなかったのである。
安堵感と虚脱感に包まれたのは、正統王国軍将兵と魔族攻囲軍将兵だけではなく、もうひとつの世界の各国軍将兵と数十億の地球人も同様であった。
「つまり私は、北朝鮮や中国に対する報復核攻撃を決断しなくていいってことかい?」
「ええ。ゴビ砂漠に展開した中国人民解放軍第2砲兵が放った全弾道弾は、高高度あるいは終末落下を開始したあたりで軒並み消滅。確認している限りでは、朝鮮人民軍・パキスタン陸軍といった軍事組織が発射した弾道弾も同様です」
「技術的なトラブルかな?」
「いえ。現時点で国籍を問わず、あらゆる種別の誘導弾が撃ち出された瞬間に消滅する怪現象が、世界中で確認されています。朝鮮半島における我が空軍の航空支援は、空対地ミサイルおよび航空爆弾が消滅したことで失敗しました。太平洋第7艦隊のトマホーク巡航ミサイルによる洋上支援も空振りです」
朝鮮民主主義人民共和国、パキスタン、インド、イスラエル、中華人民共和国が解き放った核弾頭は全て消失。核戦争は勃発と同時に、終了した。それどころか敵意を以て射出されたあらゆる砲弾が、誘導弾が、噴進弾が、航空爆弾が、銃弾が、国籍を問わず、虚空で忽然と消滅する現象が頻発していた。
これでは、現代戦は成立しない。
一部、諦めの悪い軍事組織は白兵戦のみによる戦争を継続したが、ともかく世界に蔓延しつつあった全面戦争の機運は衰え、核戦争は回避された。
「奇跡だ。……悪夢でもあるが」
いつ始まり、いつ終わるのか明らかでない軍事兵器の無力化現象に、暴力に拠らない秩序回復の手段を模索しなければならなくなった各国政府高官は当面、頭を抱えることになるだろう。一旦熾った戦火が、そう収まるとは限らない。だがしかし、確実に人類滅亡の可能性は消滅していた。
◇◇◇
「人類軍統合幕僚会議のみなさんへ。
私からの要求は、ふたつです。
【勇者召喚】をはじめとする世界間移動技術にかかる全ての研究成果と機材を破棄し、再研究・再実用化しようと試みることを未来永劫しないでください。
また旧人類国家領を人類の生存領域として、復興を頑張ってください。
この約束が履行される限り、私は魔王との戦いを続けます。
城塞都市のみなさんには、お世話になりました。さようなら。
日本国国民・正統ユーティリティ王国勇者 海野陸」
城塞都市アナクロニムズと、残る僅かな人類を守りきった勇者からの手紙は、簡潔で、短かった。個人的な欲求を満たすための要求や、新たな人類国家に対する政体の指定もなかった。
勇者からの手紙を受け取った人類軍統合幕僚会議を前身とする人類国家指導委員会は「世界間移動技術の破棄、および世界間移動技術にかかるいっさいの研究禁止」「新生人類国家の領域を、旧人類国家領に限定すること」を即時承認。これを国家最高法規、また新生人類軍軍刑法、新生国家魔導技術研究所の倫理規定に盛り込み、何事にも優先する規則とすることに決定した。
この一件について、特に激しい議論が戦わされることはなかった。
悪化する食糧事情、居住区の整備、人類軍の再建。解決すべき課題は、山積していた。
「人類軍第1歩兵連隊本部補給部長のユールリ・バカワです。現在、我が全人類が1日に必要とする雑穀の量は、重量にして10000杯(=約6トン)。一方で城塞都市地下より発掘された備蓄穀物は、300000杯(=約180トン)にもなりません」
「30日も保たない計算か!」
「少なくとも現時点では。現在、第1歩兵連隊補給中隊は全力を挙げて、城塞都市地下に埋没した物資集積所の発掘を実施しておりますが……。早急な食糧生産体制を整備しなければなりません。第1歩兵連隊将兵をはじめとする全労働人口を、耕作地の整備に従事させる。短期的には根菜類の生産で急場を凌ぎ、同時に穀物生産を軌道に乗せる、我々は食糧生産に全力を挙げなければなりません」
「耕作地に適した土地に関しては、我が国家魔導技術研究所でも既に調査済みです。しかしながら幾つかの候補地においては、不発弾や瓦斯弾が散見されます。本日中に処理部隊を編成し、明日以降これらの障害を処理すべきと考えます」
粗末な掘っ立て小屋に集う人類国家指導委員会の委員達は、人類全体の生存と再繁栄の可能性を賭けて知恵を絞る。
一連の城塞都市攻防戦の後、生き延びた僅か1万弱の人類に残されていたものは、崩壊した旧市街、餓死への恐怖、汚染された土壌、腐敗をはじめた死体、繁殖する害虫・害獣、疫病の影――ろくなものではなかった。この酸鼻極まる、凄惨な状況から復興を成し遂げることは、相当な努力が必要であることは間違いない。
旧正統王国軍出身の委員達も、また戦前より技術研究や行政に携わってきた文官らも、人類文明再興を成し遂げるだけの自信がなかった。だがしかし人類全体の、何より自身の生存が懸かっている。やるしかなかった。
「疫病に対する無秩序な恐怖が、新興宗教や民間信仰とそれに伴う奇妙な習俗を生んでいます。大抵は無害ですが、中には殺人さえ厭わない儀式を執り行う連中がのさばり始めており、早急な対策を採る必要があるかと」
「厳しく弾圧するとかえって危険ではないかな。治安警察連隊には殺人罪や傷害罪、拉致監禁罪といった犯罪を明確に犯した者のみを逮捕するよう徹底させた方がいい」
「疫病自体はどうなのか、流行しそうか? 公衆衛生を破壊された我々は疫病に対して脆弱であり、また疫病に対抗し得る手段を何ももっていない」
「気休め程度ですが、治安警察連隊に害虫・害獣の掃討をさせましょう」
「人手が幾らあっても足りない……!」
元・正統王国軍近衛連隊連隊長――現・治安警察連隊連隊長は一言だけ泣き言を言って、それから深呼吸し、決して多くない部下をどの任務にどれだけ割り当てるかを考え始めた。
その一方で、会議は進行する。
新たな戸籍の完成にどの程度の作業日数を要するか。それ以前に紙の備蓄量は十分か、紙生産再開の可能性についてはどうか。人口増加を抑制すべきか否か。細々とした手作業で日産数丁という緩慢な調子ではあるが、小銃の再生産が開始された旨の報告――。
延々と続く討議の中、人類軍第1歩兵連隊連隊本部の幕僚が、ぽつりと漏らした。
「勇者様の手助けさえあれば、ほとんどの問題は解決するんだがなあ」
その瞬間、委員達の血走った眼が、幕僚のやつれ果てた顔面に向けられた。
怯む幕僚を横目に、塵灰と垢で汚れた白衣を纏った老人は、「私が言うのも恥ずかしい話だが」と前置きした上で言った。
「我々はもう彼と、彼の世界に頼ってはいけない……と思う」
それは人類国家指導委員会に参加する委員の大多数が持つ、共通の意見であった。
魔族攻囲軍100万の脅威を前にして、正統王女と王立中央魔導院が異世界に活路を見出したことはやむを得なかった。彼らがその決断を下さなければ、人類文明は地上から跡形もなく消滅していたであろう。だがしかし同時に、世界間移動技術を用いた防衛戦の最中で、異世界の資産や多くの人命が失われた。
「生存闘争のためとはいえ、我々は異世界の人民を殺戮する大罪を犯した。だが贖罪や賠償をすることはかなわない。ならばせめてもの反省として、我々は勇者の力を頼ることなく、再び異世界の力を必要とすることのない、強い人類国家を建設しなければならない」
元・王立中央魔導院文献班長――現・国家魔導技術研究所所長の老人は、説いた。
勇者や異世界の力を必要としたのは、偏に人類軍が魔王軍に対して劣弱であったからであり、仮に人類軍が終始魔王軍を圧倒していれば、正統王女が【勇者召喚】を発動するには至らなかったであろう。
つまり人類国家指導委員会はこの点を反省し、再び【勇者召喚】を執り行い、異世界を戦渦に巻き込まないためにも、人外勢力をあらゆる分野で超越する人類国家の建設に努力しなければならない。しかも従来のように複数の国家が並ぶのではなく、非常時に全人類の総力を動員出来る、唯一無二の統一人類国家が維持運営されなければならない。
もしこの使命達成に失敗すれば、遠い将来に生起しうる人魔再戦の際、再び人類は【勇者召喚】を起死回生の手段として発動するであろう。
「人外勢力を圧倒する統一人類国家……」
老人の言葉を聞いた委員達は、肩の重量が増す錯覚に襲われた。
この惨状から人外勢力を圧倒し、彼らの侵略を抑止するだけの軍事力を整えるのに、どれだけの時間が必要になるだろうか?
「無駄話が長くなりました、失礼。本題に戻りましょう。えー……」
元・王立中央魔導院文献班長の老人は、呆然とする委員達に呼びかけながら、心中で覇道半ばで逝った教え子のヴィルガイナに「これで満足しろ」とつぶやいた。
最高権力者不在・複数組織の代表者による合議制という形ではあるが、お前が掲げた大帝国構想は私が実現してやる。
それがせめてもの手向けだ、と彼は思っていた。
◇◇◇
このとき海野陸は、北東の方角――魔族の領域へ歩いていた。
次回で最終回とします。




