3.直轄砲兵師団、勇者の逆鱗に触れる。
「失礼します!」
メイドが海野を抱きかかえ、後方へ飛び退った一瞬後。
配給の順番を待つ人々の列のすぐ傍に、榴弾は着弾した。
反応する間もなく、彼らは弾体の破片を乗せた爆風に薙ぎ倒され、呑み込まれる。
そして衝撃と爆風が過ぎ去った後には、倒れ伏して苦痛に呻く肉塊だけが残された。
頭部から爪先まで、全身に黒々とした破片が突き刺さった老人。
爆風に吹き飛ばされたか、建物の壁に叩きつけられた形で絶命している子供。
着弾時に粉砕された石畳の破片が直撃したか、頭部が熟れきった柘榴のように割れた女性。
即死には至らなかった人々は、血溜まりの中で呻き、苦悶の声を上げながらしばらく身動ぎしていたが、海野が見ている内に、一人、また一人とその動きを止めてゆく。彼らの遺体が沈む血の池には、白い塊――脳味噌が点々と零れ落ちており、桃色や黒っぽい臓物が至るところにぶち撒けられていた。
たった一発の砲弾が、この世界の現実を、人類が直面している艱難辛苦を、海野にまざまざと見せ付けた。
「これは、どうなって! ――夜は戦わないんじゃなかったんですか!」
濃厚な血の臭いに鼻をくすぐられた海野は、たまらず絶叫していた。
彼は【受動技能・危険予知】(※)を備えるメイドによって、赤ん坊の如く抱かれて難を逃れたが、恥ずかしさもなにも感じる暇がなかった。
(※ 空中を高速で飛翔する砲弾は、大気中に存在する魔力を掻き分けながら推進する。この際、押し退けられた魔力はさざ波のように遠方まで移動するので、これを感知することで危険を感じ取ることが可能となる)
なぜ連中は撃ってきた? 単なる気まぐれか?
だが、単なる気まぐれで人が殺されるのか――そんな思考だけが、海野の脳内をぐるぐると回っている。
「連中はこちらの士気を削ぐことを目的に、夜間砲撃をよく行います」
遠雷の如く鳴り渡る砲撃音の最中、メイドはやはり平静を保った口調で海野の疑問に答えた。
「……心配なさらないでください。砲撃は無作為です。彼らが勇者様を狙ったわけでも、攻勢前の準備砲撃でもありませんから」
「心配なく、って。いま降り注ぐこれをなんとかしなきゃ、もっと人が死ぬ!」
「人は確かに死ぬでしょうが、大勢に影響はありません。我々もこの脅かしにはだいぶ慣れました。もはやこの砲撃、戦術的に何の効果もない。連中が砲弾を無駄にしているだけ、小気味いいと思いませんか」
魔王軍参謀本部直轄砲兵師団が放つ榴弾の着弾範囲は、市街の広範に渡った。
だがしかしその多くは、戦略的にも戦術的にも無意味な場所に着弾している。
崩れかけた空家の屋根を突き破り、炸裂する砲弾もあれば、誰もいない通り道のど真ん中に着弾し、周囲に破片を飛ばしただけに終わる砲弾もある。
戦術的に重要となる防御施設や、地下に設けられた物資集積所には直撃弾は出ず、それどころか破片のひとつさえ当たらない。
だが、人は死ぬ。
子供を安全な地下室に置いたまま、単身配給の列に並んでいた母親が、破片を受けて死んだ。
市内各所の避難所から糞尿を集めて回る男は、近くで炸裂した榴弾のために、汚物に塗れて死んだ。
負傷者を運んでいる途中、路上で小休止をとっていた兵士の頭上に榴弾が落ち、彼らは鉄と肉がないまぜになった存在となって死んだ。
「くそッ!」
メイドの腕の中から逃れ、自分の足で立った海野は、何の抵抗もなく血の池の内側へ分け入り、先程まで生きていた人々に駆け寄った。
だいじょうぶですか、返事をしてください、と怒鳴りながらただの肉塊に話しかける。大丈夫なはずがない。……みんな苦悶の表情を浮かべたまま、死んでいた。
彼はその最中に、何かを踏んで転倒した。
踏みつけたのは、色鮮やかなピンク色をした大腸。
それに気づいた海野は、そこで初めて自身の吐き気を知覚して、盛大に嘔吐した。
汚物が血に混じり合い、あるいは死体に降りかかる。
「勇者様、汚れます。それに彼らはもう助かりません。すぐに自警団員らが、彼らを収容します」
メイドは血の池の淵に立ち、海野に呼びかけた。
彼は、顔を上げて、振り向いた。血と汚物、そして涙にまみれた顔は、酷く醜い。
だが眼だけは、力強く見開かれていた。
「こっちの反撃は!」
「この砲撃を阻止するだけの火力はありません。仮に反撃すれば、現在は休んでいる他の敵火砲が全力で応戦し、こちらの火砲を全て破壊し尽くすでしょう。こちらの砲戦力は出来得る限り隠匿し、局面まで温存しなくてはなりません」
メイドの言葉には、一片の嘘も含まれていない。
市内で絶望的な防衛戦に臨む歩兵連隊は、熾烈な砲撃戦の最中に手持ちの火砲の殆どを喪失していたし、なけなしの砲弾を撃ち込んだところで、彼我の火力差は歴然としている(近衛連隊と第1歩兵連隊の連隊砲は僅か数門、対する魔族攻囲軍は魔王軍直轄砲兵師団「だけで」、前述の通り重砲216門)。
ひとたび連隊砲で砲撃を加えれば、砲弾の弾道から連隊砲の所在は瞬く間に察知され(※)、激しい反撃を受けることは間違いなかった。
(※ 空中へ投射した魔力波の反射を分析し、空中の異物を検出する【対砲探知】・【空中走査】という【技能】がある)
人類軍の通常火力では、どうあがいてもこれを阻止することが出来ない。
ならば、と海野は、決然として言い放つ。
「わかりました。じゃあ、俺が止めます!」
海野は、思う。あまりにも理不尽すぎやしないか。
人類と魔族の戦争が何が原因で始まったのか、どう推移してきたのか、どんな非道を人類は、魔族は相手に行ってきたのか、決着の形がどうあるべきなのかも知らない、分からない。
だがいま行われているのは、一方的な殺戮だ。
「王女殿下は、俺に力があると言った! あなたは俺に、戦争を止めるように言った! つまり俺には、“その力”があるんですよね――?」
この非道を止められる力があって、それを黙って見ていられるほど海野は臆病ではなかったし、拳を握り締めて後の復讐を誓うほど、海野は普通でもなかった。
彼は正義感が強すぎた。勇気もあった。
人一倍、義憤に燃えた。
海野陸は、異常な人間だった。
そして、土壇場とはいえ恐怖や逡巡を忘れてしまうような、異常な人間を「引き当てた」情報幕僚は口の端を歪め、海野に分からない形の微笑をつくった。
◇◇◇
魔王軍参謀本部直轄砲兵師団は、緩慢な砲撃を続けていた。
弾薬箱から取り出した榴弾を巨人族が砲尾に設置し、耳長族が鉄棒でその砲弾を押し込み、小人族が砲尾の蓋を閉じて装填を完了する。
特に連射する必要に迫られていないので、こうした作業の動きは余裕をもって行われている。
「おおいこれいつまでやらせんだァ。ウチは昼間も火力支援待機だったんだぞ。寝させてくれよ」
「だまってろよ。おまえ昼寝してたじゃないか。でもなあ……順番見ると、明日もウチは火力支援待機なんだよなあ。お休みなし」
愚痴も口をついて出る。
特に大重量の砲弾を人力装填する巨人族は、不平を言わなければやっていられなかったし、口が軽い小人族はずっと喋り通していた。
他の砲に取り付く将兵も、ただただ装填作業を続ける。
前述の通り、これは単純な「作業」だった。砲兵達は自分の目で直接、戦果を確認することは出来ないし、敵を相対することもない。最前線に行きたいとは思わないが、彼らは暇で仕方なかった。
「どうですか。連中に反撃の兆しは」
「聞くまでもないでしょう。奴らはこちらの報復攻撃を恐れて、反撃をしてきません」
重砲から少し離れた場所に張られた天幕内では、参謀階級の魔族が無駄話をしていた。
彼らは人類軍が砲撃に反応し、魔王軍参謀本部直轄砲兵師団に対して反撃を掛けるのでは、と懸念を口にしていたが、本心ではそんなことは微塵にも思っていない。
もしも彼らがこちらに反撃を仕掛けてくれば、【能動技能・対砲探知】に優れた魔術師や哨戒中の翼竜騎兵からすぐに通報が来て、敵弾の弾道から彼らの火砲の居場所を即座に把握出来るし、そうなればあとは圧倒的な火力で、人類軍の火砲をひとつ残らず叩き潰せる。
それを連中も知っているから、絶対に反撃はしてこない。
そういう自信があった。
これが彼らの日常だった。
師団本部の人間はありもしない懸念や想定を口にして、無駄な議論を楽しみ、支援要請が来れば計算を全て下へ丸投げし、将兵達は求められるまま計算と単純作業に従事する。
だが、彼らは今宵、ようやくここが戦場だということを思い出す。
天に砲口を掲げていた重砲の一門が突如爆発し、部品を撒き散らしながら崩れた。
弾けた砲尾の直撃を受け、装填手の小人族が即死し、逃げ遅れた巨人族が砲身の下敷きとなる。
最初は、誰もが事故だと思った。
後込め式の重砲は時折、内部の密閉が不完全になり、様々な問題を起こすことがままある。
だが、実際には事故でもなんでもなかった。
「警戒線の魔術師より通報――敵方、砲戦開始とのこと!」
【能動技能・拡声】を使う伝令が砲兵師団本部から駆け出すのと、重砲が激しい攻撃に見舞われるのはほとんど同時だった。
城塞都市のどこかから放たれる何かは、【技能】を操る技能兵が把握出来る速度を遥かに超えて、魔王軍参謀本部直轄砲兵師団に襲い掛かった。
この砲兵師団は、最前線にはいない。
最前線と砲兵師団の合間には、本来ならば壁になるべき歩兵師団が多く詰めていたが、城塞都市から放たれたそれは、居並ぶ歩兵の頭上を通り過ぎ、正確に重砲を直撃した。
「馬鹿、砲の傍を離れてどうする!」
「馬鹿はどっちだ馬鹿――向こうの所在も分からないのに反撃が出来るか!」
次々と高速飛翔体が重砲を粉砕してゆくのを見て、多くの将兵達は砲側を離れた。
魔術師達が連中の火砲の居場所を特定してくれているならともかく、反撃の相手が見つからない状態ではどうしようもない。一方でこちらは先程まで調子づいて撃ちまくっていたのだから、所在が知れている。
このままでは、全滅する、と誰かが呟いた。
「魔術参謀――どうなっている!? もうこの僅かな時間で、一、二個中隊は壊滅したぞ!」
突然の攻撃にいちばん平静を失ったのは、あろうことか砲兵師団師団長だった。
指揮官の恐慌は部下を萎縮させるだけだが、これも巨人族の性だろうか。
彼に問い詰められるのは、敵の居場所を探知する役割の砲兵師団本部付魔術師を率いる魔術参謀だが、彼も師団長の剣幕と事態の不可解さに焦燥感を隠せない。
「現在、探知中です。敵弾が低空を飛翔するため、敵火砲の位置を特定することが困難と報告が上がっています」
「低空を飛翔だと! では曲射砲で撃ち出された実体弾ではなく、魔弾ではないのか」
「既知の【能動技能】に低空を高速飛翔、しかもここまで射程を延伸出来るものはありません。魔力で練られた魔弾は距離を移動するごとに減衰する――城塞都市内からここまで、距離にして6万歩(=約30km)はあるんですよ!」
「……よくわからんが、妙な反撃を食らっていることはわかった! 中継器を持って来てくれ、参謀本部の参謀に直接物を言う!」
「どうするおつもりで……」
「他砲兵部隊から翼竜騎兵まで。総動員で、連中の新兵器を潰して貰うのよ!」
魔王軍参謀本部直轄砲兵師団の師団本部が、応援要請を決定した時分には、未知の攻撃のよって既に50門(一個大隊半)を超える重砲が粉砕されていた。
この異世界において、戦争の勝敗は【技能】に長けた技能兵と、優良兵器を持った一般兵の有無によって決定付けられる。
【技能】とは、肉体を駆け巡る魔力を用いた技術全般のことを指し、海野が元居た世界でも(創作の世界でだが)馴染み深い存在だ。異能力、超能力、魔法と言い換えてもいい。
人魔闘争において、この【技能】はかなり重要な役割を果たしている。
戦い方を何一つ知らない海野陸に対してメイドは、「勇者海野陸は、主にこの【技能】で勝負しなければならない」と言い切り、その上で様々なことを彼に伝えた。
異世界からこちらの世界に召喚した際に、戦闘に最適化された勇者は、大気中に存在する魔力を体内に効率よく取り入れ、あるいは体内から放出し、また遠隔地の魔力を知覚し操る能力をもつ。既知の【技能】は勿論、発想次第では、海野の世界に存在した兵器全てを再現することが出来る。
そして魔王軍参謀本部直轄砲兵師団を叩き潰す上で、戦術的に求められる【技能】についても彼女は口にした。
「直轄砲兵師団の砲撃を阻止する。具体的にどうすればいいか、という話をします。……単純に『魔力で編んだ魔弾を撃ち放ち、砲兵師団の全火砲を粉砕すればいい』。ですがその過程で、こちらの居場所を絶対に突き止められてはなりません」
魔弾を曲射砲と同じく山なりに撃ち出せば、敵方の【空中走査】や【対砲探知】によって、その弾道からこちらの所在が露見する。そうなれば、圧倒的な火力で蹂躙されるだけだ。
「海野様は【受動技能・絶対防御】――至近弾はおろか、直撃弾さえ防ぎきる不可視の障壁をお持ちですが、【絶対防御】の範囲は周囲には及びません。海野様の所在が露見し、敵が集中砲撃を実施すれば――そうなれば、結局多くの人々が巻き添えになります」
メイドの忠告に、海野はうなずいた。
自身の存在の為に、更なる被害を呼び込むのは御免だ。
海野は、腹を決めた。
敵防空網に引っ掛からず、相手の火砲を全て殲滅する――海野は、それを成し遂げる兵器を知っている。
先程の公園まで戻った海野は、魔力波を発する左掌を頭上に掲げながら目蓋を閉じる。
【空中走査】――魔力波の反射により、空中の異物を感知する【技能】。
目蓋の裏側に、敵砲弾を表す光点が見える――【技能】を初めて使う海野だが、彼はまったく臆することなく、呼吸でもするような気安さでそれを使ってみせた。
「米海軍のトマホーク! 真似させてもらう!」
【空中走査】により敵砲弾の弾道を見定めながら――東の方角、距離30km――、敵の所在にあたりをつけつつ、海野は右掌に魔弾を――否、長大な魔槍を編む。
煌々と輝く一筋の豪槍は、夜闇を掃う。
「食らえ――!」
魔力を燃焼させながら加速するその魔弾は、白光を曳きながら翔けた。
人々は、閃光を見た。
廃墟を、街路樹を、路地でうなだれる城塞都市市民の合間をすり抜けてゆく光輝は、城塞都市を出ると魔族の歩兵師団の頭上を通り過ぎ、魔王軍参謀本部直轄砲兵師団の火砲を直撃する。
それは、ひとつやふたつではない。
先端から魔力波を発しながら、障害物を避ける魔槍は、魔族の【空中走査】に掛からないように低空を――市街地の最中を翔る!
その数は数十どころか、百、二百。
「空襲警報ッ! 後方より【誘導魔弾】――通過するぞッ!」
「前線方向、魔族の方に行きます!」
前線で翌日の戦闘に備えて休む人類軍の将兵達は、すぐさま上級司令部に確認をとった――「此れは味方の反撃なりや?」と。
……確認しておきながら、彼らはこれが味方の反撃だと確信していたし、また誰の業でもない奇跡だとも思った。
闇夜に支配された街を魔槍が引き裂いたのは、ほんの僅かな時間だった。
突然の砲撃に身動きがとれなくなり、ただ祈る親に抱きかかえられていた子供が、「あれなあに」と聞いた時には、もう全てが終わっていた。
砲撃は、止んだ。
魔王軍参謀本部直轄砲兵師団は、一夜にして全火砲を失った。
海野が用いた【技能】は、空中の砲弾を捕捉し敵砲兵の位置を割り出す【空中走査】と、魔導兵や翼竜騎兵が空戦時に運用する一般的な【技能】――【能動技能・誘導魔弾】であった。
ただこの【誘導魔弾】、魔力を燃焼させて加速し、障害物を避けたり、目標を捕捉し続けるため、常時周囲へ魔力波を発射し続ける性質があり、射程距離が短い(海野の世界で云うところの、短距離空対空ミサイルだ)。
そこで彼はただただ膨大な魔力を込める力技で、全てを改善した。
地を這うように低空飛行し、遠距離の敵を叩く――能力は、巡航ミサイルに近い。
何の芸もないただの力技だったが、敵の本営となる魔王軍参謀本部に与えた衝撃は大きかった。
彼らは魔弾の射手を殺すべく当初こそ反撃を考えたものの、あまりにも強力な火力を見て、考えを改めた。
これを阻止すべく更に砲兵へ探り撃ちを命令すれば、またこちらの砲戦力の所在が露見する。
射手の所在を探知し、殺すまでには一個砲兵師団を追加で潰すのを覚悟しなくてはならないだろう。
ならば魔王軍参謀本部直轄砲兵師団を放棄し、様子を見た方が得策だ。
少なくともこれ以上砲撃を重ねて、射手を刺激したり、被害を拡大させる必要はない。魔王軍参謀本部の魔族達は、そう考えたのだった。
久方ぶりの凶報に、魔王軍参謀本部で参謀を務める耳長族は、思わず爪を噛んだ。