25.SLGを遊ぶ魔王、コンティニューする勇者。
軍事境界線上空、韓国空軍第19戦闘航空団のKF-16ファイティングファルコン戦闘機2機と、朝鮮人民軍空軍第1飛行師団のMiG-29ラーストチュカ(燕)戦闘機4機が競り合った。
互いに意図しない小戦闘だった。
示威行動のため北緯38度線に飛来した人民軍空軍機に対し、緊急発進した韓国空軍KF-16のペアは急速接近――浅薄にも接近し過ぎた。
情勢は、開戦前夜。
ただでさえ錬度が低いにも関わらず、緊張から判断力が落ちている人民軍パイロットのひとりは、重圧、恐怖――あるいは甘い誘惑に堪えられなかった。
当然、発砲許可は出ていない。だが、彼の脳内では「撃たれる前に、撃て」と誰かが叫んでいた。実際、撃てる。自機の赤外線捜索追尾システムは、既に韓国機を捕捉している。
(撃つまいか――撃――!)
高速思考。
迷う。迷っている――間に、鈍色の猛禽が抱える凶器はその後尾から火焔を吐いていた。
『馬鹿者――ッ!』
『あっ――ああっ』
部下が駆る機体の異変に気付いた編隊長が怒鳴った瞬間に、件のパイロットは正気を取り戻したが、時既に遅し。
人民軍空軍機の主翼下から解放されたR-60空対空誘導弾は、鋼鉄製の隼――韓国空軍のKF-16ファイティングファルコンが撒き散らす熱線を嗅ぎつけるや否や、超音速まで加速する。
『畜生ォ――ブレエク――!』
対するファルコンの御者は、自身が標的にされたことを察知し、素早く操縦竿を引き倒した。
後部から欺瞞用の火球を撒き散らしながら、急旋回するKF-16――このファイティングファルコンの回避機動に、一筋白煙を曳きながら翔るR-60は追随出来ない。
もともと発射位置も考えないまま、衝動のままに発射したミサイルだ。R-60自体も、高性能な空対空ミサイルだとは言えない。当たらないのは当然だった。
南の空へ消えた誘導弾。この空に居合わせた南北の操縦士達は、みな胸を撫で下ろした。
『暴風1号より暴風各機、全機撤収する。いいな。私に追随せよ。飛行司令部から交戦の許可は下りていないぞ』
自分達の手で戦端を開くつもりはさらさらない。
誘導弾が外れたことに心底安堵しながら、北朝鮮側の編隊長は自機の機首を北へと巡らせる。それに倣い、他のMiG-29も最小限の旋回で北へ転進する。
だがしかし、韓国空軍側は収まらない。
攻撃を受けたパイロットも、その同僚も、彼らを管制していた士官も、当然ながらこれは人民軍空軍の奇襲攻撃だ、と考えた。そして最悪なことに、現在の韓国軍の交戦規則は――最高指揮官である白大統領の鶴の一声もあって――自衛戦闘を認めている。
『チャーリー2。フォックス・ツー――!』
KF-16戦闘機の翼端が、火を噴いた。
威勢良く空中へ飛び出す空対空誘導弾、AIM-9サイドワインダー。
これは先程人民軍空軍機が放ったミサイルと、ほとんど同種のもの。敵機が放出する赤外線を捕捉して、追跡する。違いがあるとするならば、北側のR-60よりも賢いことか。
火遊びが過ぎたことを反省しながら、ケツをまくって逃げ出す人民軍空軍機の4機編隊の背後へ迫る2発のサイドワインダー。
1発は的外れな方向へ――そして、もう1発は最後尾を飛翔するMiG-29に襲い掛かった。
『ああ゛っ!? ――』
哀れな獲物が吐き出す高熱を追う超音速の鉄塊は、機体後尾の排気口へ突っ込み、筒状のターボファンエンジン内部で炸裂する。爆風と高熱の破片は鋼鉄の筒内を蹂躙し、それだけに留まらず、燃料タンクを粉砕。誘爆させる。
当然の帰結か、大爆発。
火焔の塊となったMiG-29は、蒼空に消えた。
『暴風4、応答しろ――暴風4ッ! 張中尉――!』
こうなれば後の展開は、実にシンプルだ。
撤収中の人民軍空軍機は一挙反転し、韓国空軍機へ襲い掛かる。
一般的に人民軍空軍戦闘機は、西側諸国の戦闘機に敵わないとされるが――それは視界外戦闘での話。少なくとも近接格闘能力では、MiG-29ラーストチュカはKF-16ファイティングファルコンに優るとも劣らない!
『暴風1、交戦!』
『チャーリー1、フォックス・ツー!』
復讐に燃える人民軍将兵を、戦隼を駆る韓国空軍の仕手が迎撃する。
陽光にその銀翼を輝かせるKF-16ファイティングファルコンは、西側諸国のベストセラー戦闘機。その良好な運動性は、同世代制空戦闘機では最優の部類!
つまり両機ともに、格闘戦における性能は互角。あとは両機を駆るパイロットの錬度と勇気が勝敗を決める――。
交錯する機影。天翔る誘導弾。38度線の北側へ侵入する韓国機と、彼らの進路上に30mm機関砲弾をばら撒く北朝鮮機。
同一民族二国軍将兵の頭上で、時代錯誤も甚だしい馬上槍試合めいた決闘が、――朝鮮半島8000万、東アジア15億の人々を破滅へ導く決闘が始まった。
その頃、態勢を立て直した魔族攻囲軍が防衛線を敷く旧王都近郊に、異世界から湧いて現れた数十万の狂人が殺到していた。
圧倒的物量、死を厭わない突撃――だがしかし所詮は無戦術、ただ平地を疾走して来るだけの大群衆。弾薬量に糸目をつけない砲兵連隊の乱打により、殆どの異世界人は斃れ、僅かに生き残った狂人も、古風な白兵戦に対応した密集陣形に圧殺される。
それは断崖から谷底へ飛び込むのとほぼ同義、万単位で行われる大規模集団自殺。
城塞都市を離れたこの戦場では、大質量物体の召喚や、空間歪曲による防御等の援護はない。遠方で水蒸気爆発を起こした原子力空母が撒き散らす放射性降下物の最中、ただ屠殺されるためだけに驀進する、哀れな家畜の群れ。
長槍と防盾を掲げる前時代的な戦列歩兵の集団にとりついた彼らは、無慈悲にも鏖殺される。
遠視系の【技能】により、この凄惨な前線を視察していた魔王軍参謀本部の将官達は、なにひとつ動じない。
勿論この新手の出所は追及しなければならないが、やるべきことは従来と変わらない。武装した人族も、無抵抗の人族もみな等しく殺す。自身の命令により数千万の生命を奪い去った彼らが、今更動揺するはずもなかった。
『城塞都市攻略失敗ってマジ? うっわうっぜえ……最後の最後、土壇場でチートかよ! 死ね!』
王城の一室に、響き渡る罵声。
ただその語気に、苛立ちや怒りといった感情は篭っていない。むしろ人魔間の戦争が想像外の方向へ転んだことを、心底楽しんでいるような感を受ける。
壁に掲げられた遠隔通信用の大鏡に映る声の主は、黒髪黒眼の若い男だった。
顔面には醜悪な――あらゆる事象を小馬鹿にし、嘲笑う――笑みを湛えている。
『はぁ~じゃあどうっすっかな俺もなあ。ちょっと本気出してやるかな』
「陛下の御手を煩わせるほどではありません」
『安心しろよぉ~俺だって一度リアルSLGの縛りプレイ始めたんだから、そう簡単にこの挑戦を放棄したりはしないって。まあ少しは待つよ』
鏡の前で跪き、頭を垂れる参謀総長は、「必ずや魔族攻囲軍の奮励努力により、城塞都市を攻め滅ぼしてご覧にいれます」と答えた。……安堵、憎悪、義憤、そういった諸々の感情を押し殺した平静な口調で。
最古参の亜人である参謀総長は、必死であった。
もし一欠片でも負の感情を曝け出せば、おそらく魔王陛下は――否、かつての勇者は「何か」をするだろう。もしかすると異世界から手頃な島嶼を召喚し、城塞都市と元王都に防衛線を敷いた魔族攻囲軍を粉砕するかもしれない。あるいは面白半分に戦場へ出陣し、魔族攻囲軍と人類軍を相手に、「無双ごっこ」なる遊びに興じるかもしれない。
その心中を見透かしているのか、鏡の男は参謀総長の後頭部を見下しながら笑う。
『何があっても俺に出てきて貰いたくない、って感じだな』
「滅相もございません。しかしながらこの一戦――」
『安心しろよ。俺はいま多忙でね』
「……」
『この前見せただろ。あの幼女をよ。最高だろ? あれの教育に忙しいの』
大帝国が異世界から召喚した彼は、この世界の人々を玩具(彼の言葉で云うところのエヌ・ピー・シー)にしか思っていない。
大陸一円を支配する大帝国の統治機構を粉砕し、高慢な王族を陵辱し――それに飽きた彼は、あらゆる「遊戯」を始めた。ある時は勇者を自称して活躍し、力なき者達からの尊崇を集め、ある時は小さな王国を作り、内政に興じる。
そして現在は、彼曰く“シミュレーションゲーム 魔王の野望”の真っ最中――。
(悪鬼王は“勇者の復讐はまだ終わっていないではないか”と言っていたが。元々彼に、復讐などという高尚な思考はない)
彼はただ自身の遊戯のために、この世界を使い潰す。
『ま、精々頑張れ』
「はっ」
それでも参謀総長は、彼の茶番に協力するしかない。
旧帝国臣民の末裔たる亜人が、少しでも生き長らえるために。もしいまこの瞬間彼が自ら出陣すれば、人魔両軍が消滅するであろうことは、想像するに難くない……。
(いまは耐え忍ぶことだ――)
だが此度の一戦を通して、参謀総長は一縷の希望を見出している。
この世界の理から逸脱した怪物も、決して無敵ではない。不死性を誇る勇者も、不意を突けば無力化出来るということを知った。報復を恐れるばかり、暗殺を微塵も考えてこなかったことが馬鹿馬鹿しくて仕方がない
(この戦役中に悪鬼王らと計画を練り、大帝国崩壊以来続くふざけた遊戯を終わらせる……!)
◇◇◇
生い茂った雑草。
城塞都市郊外における決戦から暫く経ち、人類勝利の為に身命を捧げた英雄達が葬られている集団墓所は、植物と昆虫の楽園になりつつある。
正統王国の人々は死者を弔い、祀るような習俗をもたない。大規模な戦闘が終焉し、人の出入りが減った集団墓所は、徐々に緑で覆われていく。近い将来には埋葬された戦死者の遺体も腐敗し、完全に土へと還り――後にこの土地は、畑として転用されるであろう。
一迅の風が吹き抜け、背の高い草花が揺れた。
「汝、凶刃に抗し、凶歯に堪え、凶弾の最中を駆けた」
風と草が鳴る音に紛れて、戦死者の霊を慰める文言が聞こえてくる。
継ぎ接ぎだらけの粗服を纏った老人、手を引かれて歩く小児。十数名から成る小さな行列は、小難しい弔歌を口ずさみながら、この草むらに分け入って行く。
「考え得る全ての試練と対決した。われらが考え付かぬ、艱難辛苦と対決した」
彼らは生粋の正統王国の国民ではなく、どうやら戦死者に対して慰霊を欠かさない民俗をもつ他国出身の避難民らしい。先頭を歩む古老は、奇妙な幾何学的文様が描かれた旗を持ち、殿の老婆は手桶に収めた醸造酒を、周囲へ少しずつ撒いていく。
「奇妙な慣習だ。人間は腐敗して消滅する、ただそれだけ。感情や思考が空中に残り、土に宿るはずがあるまい」
「声が大きいってば。確かに変だとは思うさ、でもこう――厳かな気持ちになるよな」
その後方、少し離れて正統王国軍の兵士ふたり組が付いていく。
彼らは行列の警護・監視役であった。万が一この行列が無法者に襲撃される、あるいは慰霊と銘打って、参加者達が反体制的な集会を開くことを警戒しての処置だ。
生粋の正統王国の人間である兵士らは、小首を傾げながらも、この不思議な祭祀を体験した。
「厳かな気持ち? 退屈になる、の間違いじゃないか」
「敬意を持てよ、敬意を」
彼らが無駄話をして時間を潰す合間にも、粛然と儀礼は進行する――が。
「われらは林野に斃れ、虚空へ消えた御霊に……うん?」
ただ滔々と続く詠唱が、ふいに途切れた。
先頭を往く古老や、そのすぐ背後に続く参加者達が足を止めたため、列全体の進行が滞る。参加者の間で広がる、ざわめき。動揺。泣き出す児童。すわ急病人か、と後ろを追随していた兵士が駆け出し、列の先頭へ急いだ。
「へ、兵隊さん。あれは」
古老の前方に、腕が生えていた。親指の付き方からして、右腕だ。虚空を掻き回し――何かを求めるように、土と血に塗れた手指の開閉を繰り返している。更にその動作は速度を増し――そこから肩幅分離れた土が盛り上がり、今度は左腕が現れた。
それを見た兵士ふたりは、一瞬だけ顔を見合わせてから、今回出番はなしと思い込んでいた自身の槍を構える。墓所、墓穴から這い上がる存在。そんなもの、動屍しかあり得ない。
「退いてください。皆さん墓所の外へ退避を願います!」
「警報等は発令されておりませんが、動屍やも。誰か、自警団の詰め所へ報せて!」
暴れ回る両腕に穂先を突きつけつつ、両名は思考する。動屍は一体二体という少数で発生するものではない。敵攻撃によって生み出される際には――それこそ、この墓地全体が死地と化す。
……高齢者と児童から成る彼らの避難は、はたして間に合うか?
ふたりが思った瞬間。振り回される両腕、その合間の土が盛り上がった。
「――っはあッ! ぶえっべっ! え゛ッ、やった」
上方に堆積していた土塊を跳ね飛ばし、外界へ突き出た頭部は激しく左右に動き回り、そして人語を喋った。土砂塗れの髪、肌。だが見開かれた瞳、その黒い瞳は確かに生気を宿している!
兵士ふたりは再び顔を見合わせ――槍を捨てて、彼に駆け寄った。慌てて彼の首回りの土砂を掻き出し、両腕と両襟を掴みとり、墓穴から引っ張り出そうとする。後ろに控えていた古老が、おおっと驚きとも歓声ともつかない声を上げ、ふたりの兵士も軽口を叩いた。
「やったなお前! 運がいいぞっ!」
「いや生き埋めにされてたとは、運が良いのか悪いのかこれもうわかんねえな」
「すいませっ゛……べっえ゛っ」
墓穴から這い出た男――異世界人海野陸は、自分でも生きているのが不思議だった。
頭脳を潰され、内臓を破壊され――にもかかわらず、彼はいま深呼吸して、夏草の臭いに満ちた空気を胸いっぱいに吸い込めている。
(地中で再生したとでも言うのか、俺は)
まさかそんな、と思う彼だが、実際のところそうであった。
彼は異世界とこの世界の理から逸脱した怪物だ。土中の魔力を吸収し、破壊された部位をゆっくりと修復した。思考を剥ぎ取られ、魔族を殺害することを刷り込まれた狂人と同じく、彼も【勇者召喚】により喚び出された時に、ひとつの役割をその身に受けている。
「おっ大丈夫か、立てるか?」
「ぺっべえっ――大丈夫ですけど、その。戦いはどうなってますか?」
身を案じる兵士に、戦況を聞き返す海野陸。
彼の血肉は、人類救済のためにある。




