24.5 異世界戦争の皺寄せ。
手入れが放棄され、雑草の浸食によって荒廃した田園風景。
その最中を貫徹する一筋の幹線道路を、軍用車輌の車列が往く。
国内全域の農村から強制的に徴兵された兵士――ではなく、南傀儡政権撃滅に立ち上がった革命戦士――を満載したトラック、重厚な装甲板を纏った鋼鉄の猛獣。長大な戦車砲を備えた地上兵器の王者。
彼らは一路、南を目指す。
「いいか。南傀儡政権の自作自演に端を発する侵略行動、我々はこれを阻止、撃砕しなければならない」
「はっ」
「彼らはソウル近郊における爆発事故を、愚かにも我々の謀略と断じ、米帝および南傀儡政権が一方的に決定した祖国分断線周囲に、劣弱だが冷酷極まりない軍団を集中し、また分断線を見張る同志に対して挑発を繰り返している!」
「はっ」
「どうだ、同志。これを看過することが出来るだろうか?」
「はい、出来ません! 同志!」
「そうだ。いま彼らの企みを粉砕し、それが如何に愚かな行いかを気付かせなければ――この半島は米帝資本主義に席巻される! そうなれば、同志諸君、同志諸君の家族は、半島南部を牛耳る地主に虐げられ……」
兵士を満載した車輌内では、情熱的な将校が彼らの敢闘精神を醸成すべく演説をぶつ。
仮に南傀儡政権軍が挑発行動と侵略準備を止めなければ、我々は暴風が如き攻勢でこれを粉砕し、南傀儡政権を打倒。不当に占拠されている首都を、そして財閥と地主、米資本家によって虐げられている同胞を解放しなければならない!
民主主義と、労農楽園の防衛!
……兵士達は大義のために、郷里に残してきた家族への心配、未練を押し殺した。彼らの感情など斟酌せずに、鋼鉄の車列はただただ前進する。
その上空に、飛行機雲が伸びる。
澄み渡る蒼空に現れた白線は4本。機影は、スマートな流線形。人民の献身的努力により維持・運用される第1飛行師団のMiG-29だ。一路、南の空へ消える。米軍偵察機による高空偵察の妨害か、あるいは示威行動か――いずれにしても、穏やかではない。
「最悪だ。白大統領は何をしている――ソウル空軍基地の一件は、“不可解な事故”だった。36発の大口径弾の着弾、それは誰の手による攻撃でもない。……いまやありふれた“不可解な事故”のひとつでしかないというのに」
「現在、在日米軍・第7艦隊は、消失した航空母艦ジョージ・ワシントンを初めとする艦艇、および横須賀将兵・市民の捜索、また横須賀市内の調査に全力を挙げております。仮に東アジアの軍事衝突に対応するのであれば――」
「打ち切りはあり得ない。……いまのところは。白大統領が『ドクター・ストレンジラブ』の登場人物でないことを祈るよ」
「『ドクター・ストレンジラブ』? 大統領、なんですかそれは」
「不運と一部の狂人が原因で、全面核戦争が起こる――そういうコメディ映画さ」
米大統領危機管理センター。
壁に備え付けられたモニターには、無人市街と化した横須賀市の全景が映る。ニス仕上げの長机を囲んだ関係閣僚の顔色は悪い。毅然とした表情を崩さない高級参謀と、米大統領も、内心では不安と焦燥を抱えている。
世界中で頻発した“不可解な事故”はようやく収まりつつあるが、発生原因の特定や消失した構造物、行方不明者の発見には、未だ至っていない。
現在は再発防止の為に総力を挙げるべき――だというのに、世界各地では地域紛争が始まろうとしている。
「北朝鮮の暴発に関しては、羽国家主席が牽制してくれるのでは。中国共産党と人民の利益にならない軍事衝突など、彼らも望んではいないと思いますが」
「どうだろう……被害の過多は公表されていないが、中国も“不可解な事故”とは無縁でないはずだ。半島に気を回してくれているかな……?」
「軍事衛星による偵察の結果、中華人民解放軍海軍『遼寧』の消失を確認しております」
中東某国に落着したガス弾36発は、彼らの間で激烈な反応を引き起こした。
人々は移民や特定の自国民を弾圧し、国軍は周辺諸国内に潜伏中の敵対武装集団を攻撃。更に中東某国の対外攻撃は、平和維持任務中の国連暫定駐留軍をも巻き込み、多くの死傷者を出した。慌てて割って入った米国の仲裁も実らず、中東某国軍は未だ武装集団と諸外国への攻撃を止めない。
……惨憺たる過去の記憶がそうさせたのかもしれないが、中東某国は四六時中、武装集団の攻撃に晒されている。ガス弾の落着に対して、「遂に彼らテロリストがBC(生物・化学)兵器による攻撃を開始したのだ」、と早合点したのも一概に責められることではない。
問題はかつて中東戦争で対戦した各国軍がどう出るか、だった。
中東某国の先制攻撃を恐れて先の先に出るか、それとも理性的に情勢を見守るか。米国とエジプトは概ね親密な関係を築いているし、他の中東諸国は対外戦争どころではないが――物事に絶対はない。
最悪、第5次中東戦争となれば、中東某国は核兵器を使用するかもしれない。
「ロシアはどうだろう。南に対して我々が鞭で、北はロシアが飴を使って抑える」
「どうでしょう……彼らは北を、良くも悪くも“対等なビジネスの相手”と見ている節があります。もはや“同志”ではない。戦車や戦闘機を巡る商談も、現金払いでなければ許さない。既に政治的な関係は切れている……この一件、わざわざ仲裁してくれるでしょうか」
以前からロシアが熱を入れる東欧は、良くも悪くもそのままだ。
むしろ紛争の火種は、西欧で燻り始めている。“不可解な事故”によるインフラの断絶と、ランドマークの消失は、各国首脳を混乱に陥れ、人心を惑わせた。
特に難民問題が深刻化しつつある。車両と軌道の消失に伴う鉄道網の壊滅により、中東方面から流入する難民が足止めを食い始めている。
……こうした混乱を背景に、極めて攻撃的な政治グループが頭角を現し、またアイルランド共和軍(連合王国からの北アイルランド独立を目指す組織)のような武装集団が蜂起しないとも限らない。
「まあ中露とは直接話してみよう。東アジアにおける軍事衝突など、誰も欲しちゃいない」
「ん、少し失礼致します。統合参謀本部からの着信で。……はい、私だ」
事態が最も急迫しているのは、朝鮮半島だ。
ソウル空軍基地が“不可解な事故”により壊滅すると、韓国軍は即時に軍事境界線へ戦力を移送し始め、また一斉に「朝鮮人民軍による先制攻撃により空軍基地が壊滅した」と国内・国外へ発表。
この時、最も驚いたのは韓国国民でも米軍関係者でもなく、朝鮮人民軍の高級参謀であっただろう。戴く最高指導者も自分達も、ソウル攻撃の命令など下していない。重砲を装備する部隊の暴走も疑われたが、そんなことはあり得ない。人民軍諸部隊の監視体制は完璧だ。
……にも関わらず、南傀儡政権は一方的に報復措置を表明し、実際に兵力移動を開始している。
自然、これに対抗する形で、朝鮮人民軍も境界線を固めざるを得ない。
このまま何も策を講じないまま静観していれば、両国首脳は疑心暗鬼に陥り、前線部隊で発生した小競り合いはエスカレート、数十年ぶりの再戦へ繋がる可能性も出てくる。
「大統領、その、最悪のニュースです。いま統合参謀本部から」
「最悪? 将軍が核兵器でも持ち出したかい?」
「緩慢ではありますが、中華人民解放軍福建省軍区に――金門島の対岸に動きがあります」
「つまり?」
「中華人民共和国は、中華民国を台湾省として名実共に支配したいようです。あわよくば、でしょうが」
現在、“不可解な事故”により在日米軍、および米第7艦隊は無視出来ない損害を被り、十全な機能を発揮出来ない状態。更に朝鮮半島で軍事衝突が生起すれば、東アジアの米軍は半島に釘付けになる――当然、中華民国の支援は困難となる。
まだ彼らが動くと決まったわけではないが、この状況は中華人民共和国にとって好機以外の何物でもない。
「新たに空母打撃群を増派しよう、台湾関係法だ。我々は彼らを防衛しなければならない」
仮に中華人民解放軍の侵略が始まれば、中華民国軍は独力で自国を防衛することは困難だろう。政治的配慮から米国政府は、台湾に対して最新兵器を売り渋ってきた。そのツケだ。向こうが強襲揚陸を試みるならば、米第7艦隊は台湾海峡に出張らなくてはならない。
……中華民国を放棄するのならば別だが。
「大統領。新しい方の映画『オン・ザ・ビーチ』をご存知ですか」
「……知らないね」
「台湾を巡る米中の対立が全面核戦争を引き起こし、第三次世界大戦が勃発。北半球は全滅し、放射性降下物が降り注ぐ南半球は、滅びの時を待つ――という話です」
「……」




