23.大崩壊(前)――私達の世界の終わり、そのはじまり。
※この物語はフィクションであり、劇中に登場する事物は、実在する国家・組織・地名・商品とは関係がありません。
払暁。
未だ城塞都市周辺には夜闇が居残り、ようやく空と大地の間際が白く輝き始めた頃。
魔族攻囲軍の戦鼓が、鳴り始める。原始的な楽器による、「突撃備え」の合図。
北部戦線では獅子王軍挺身第5連隊(獣兵2000名)が、東部戦線では小人族や長耳族から成る、魔王軍歩兵第10連隊(定数2000名)が、廃墟の最中に身を隠したまま白刃を抜く。
「中隊本部へ【遠隔伝言】――敵攻撃発起点に集結完」
すかさず魔力波で後方へ急報を報せる、正統王国軍側の斥候。だが彼は言い切る前に、激しい砲撃音に身を竦め、蛸壺(一人用の塹壕)へ転がり込むことになった。
空気と地面の大振動。
撒き上がった土砂が、塹壕に隠れた斥候に降り注ぐ。
「始まった! 撤収ーッ!」
「ここで伏せるなァ! 行け行け行け行け!」
人工の雷鳴が轟くと同時に、陣地外に居た兵士達は、すぐに防御陣地へ駆け込んだ。
魔王軍が擁する複数個の砲兵連隊による、攻勢準備の制圧砲撃。
陣地の所在を探りながら、ちまちまと狙撃するのではない。特定の地域に満足するまで砲弾を撃ち込み、それが終わったら次の地域へ――といった具合の、面制圧。
火砲の保有数、備蓄弾数ともに、魔王軍は人類軍を優越している。
北部戦線のみを見れば、魔族側の火力は、魔王軍歩兵第1師団隷下砲兵第1連隊の持つ、5指間級(=155mmクラス)火砲が36門。対する正統王国軍第1歩兵連隊第2大隊の持つ火砲は、3指間級(=90mmクラス)が、たった1門あるのみ。
これでは反撃など、望めない。
人類軍の前線将兵達は、ただ自分が隠れる塹壕へ、砲弾が直撃しないことだけを祈り、顔を伏せていることしか出来ない。
「こけおどしか、それとも払暁攻撃か?」
「示威行動ではなく、払暁攻撃の可能性が高いです。偵察班の報告では、我が前面には、獣兵が一個連隊規模(=2000名)展開している模様。暗闇の中、彼らを最前線に投入し、我々の偵察を妨害し、本命の戦力投入を容易にする腹積もりでは。あるいは防衛陣地内への浸透が目的か」
「成る程……まあ敵の意図が分かったところで、何が出来るわけでもないが」
第1歩兵連隊第2大隊本部では、魔族攻囲軍の戦術を完全に読んでいた。
だがしかし、それを阻止出来る予備戦力があるわけでも、暗闇に覆われた戦場を制圧する重火器があるわけでもない。
たっぷり攻勢前の準備砲撃は、たっぷり30唱(=30分)続いた。
この30唱間に降り注いだ砲弾は、約2000発。最前線はあらゆる生物が死に絶えたか、完全なる静寂に包まれる。
「ヴォ、ヴォ――ン!」
その静寂を破ったのは、獣兵の咆哮。
未だ濃厚に戦場を包む闇を縫い、二足で駆ける獣兵達が、廃墟の合間を駆ける。
獅子王軍挺身第5連隊2000名による吶喊。下士官級の獣兵達は、幾度も遠吠えを上げ、一兵卒達を叱咤する。一筋の槍と、最低限の防具だけに身を包んだ彼らは、歩兵とは思えない速度で、人類軍の防御陣地へ迫る。
対する正統王国軍側は、何ら反応を示さなかった。
息遣いのひとつも、恐怖の叫びも聞こえない。
先程の制圧砲撃で、連中は全滅したか。獣兵達は一瞬だけ淡い期待を覚えた。魔王軍砲兵連隊の砲撃は、猛烈だ。あの弾雨の最中を、生きていられるはずが――。
「撃て――!」
途端に、獣兵達の遥か前方が爆発した。
廃墟の最中に、炎光が瞬く。鳴り響く銃声。闇の最中に撃ち出された小銃弾は、疾駆する獣兵らを正確に撃ち抜き、挺身第5連隊の進撃を阻止する。
咄嗟に瓦礫の合間や、地面を抉った着弾痕に隠れる獣兵達。
士官級の獣兵は、周囲を叱咤しつつ、槍を振り翳しながら勇猛な突進を見せたが、後が中々続かない。結局、彼も飛来する弾丸に斃れた。
獅子王軍挺身第5連隊は、この猛射にやむなく迂回して、敵弾幕の薄い地点を探し始める。
東の地平線から、太陽が顔を出す。
大地を包んでいた夜闇は追い払われ、大陸の片隅で死闘を繰り広げる人魔将兵を、平等に照らした。
早朝。戦況は五分五分であった。
北部戦線。獅子王軍挺身第5連隊は、攻撃を挫折した。人類側の防御施設と、後詰の魔王軍歩兵第1師団の中間地点にて、遊兵を掻き集めて再攻勢を準備中。
東部戦線に殺到した魔王軍歩兵第10連隊は、一時人類側の防御陣地に取り付いたものの、猛烈な阻止射撃と、白兵武器を手にした義勇兵の伏撃により敗走。
軽歩兵による浸透戦術は、失敗に終わった。
(とはいえ、だ)
正統王国軍の中隊本部、大隊本部に詰める士官らの表情は、なかなか明るくならない。
敵の駒は、無尽蔵だ。
幾ら攻め寄せる敵部隊を撃退したところで、また次の敵部隊が交替して前線に現れる。
一方の人類軍は、どうか。北部戦線、東部戦線に、歩兵大隊(定数1000名)が一個ずつ、要となる北東戦線に、近衛連隊(定数2000名)が配されているだけに過ぎない。予備戦力はないから、彼らが力尽きれば、もうその戦線を防御する部隊は居なくなる。
誰一人口外しようとはしないが、常識で考えれば、勝てるはずがないのだ。
だがしかし誰一人、諦めない。
(明言されないが、勇者はおそらく戦闘不能に陥っているのだろう。……だが元よりこの戦争、この世界に住まう我々と人外が決着するべき闘争だ)
苦境の最中で、不退転の覚悟を決めた人類軍将兵。
一方で魔族攻囲軍の指揮官達の苛立ちは、いよいよ頂点に達したらしい。
魔王軍歩兵第1師団司令部では、師団長が居合わせた参謀に、こう尋ねた――「風向きは」、と。
対する参謀の答えは、「微風、僅かに北から南です」、であった。
魔族側の攻勢が停滞した戦場に、再び砲声が鳴り響く。
慣れっこになった人類軍将兵は、すぐに塹壕や地下施設に隠れた。砲兵連隊が放つ榴弾は、大抵防御陣地から外れた位置に着弾し、爆風と破片を撒き散らす。地上に頭を出してさえ居なければ、そして防御陣地に直撃さえしなければ、無事にやり過ごせる。
だがこの朝は、全く違う弾種の砲弾が撃ちこまれた。
魔王軍歩兵第1師団隷下、砲兵第1連隊36門が発射した砲弾は、人類軍防御施設の周囲に落着し――転がった。
次の斉射も、その次の斉射も。砲弾はただ落下するだけ。
ある砲弾は地面に突き刺さり、ある砲弾はただ転がってゆく。
「おい、炸裂しないぞ」
「不発弾――」
遠雷が如き砲声のみが聞こえてくるだけで、間近で炸裂する爆音が聞こえないことを、塹壕や地下室に隠れた人類軍将兵は、不自然に思った。
だが投射された108発の砲弾は、炸裂しないままに破滅をもたらした。
魔力発火式の内部機構が稼動し、弾頭と弾尾に設けられた穿孔部から、濃霧が如き気体を吐き出す。その勢いは凄まじい。砲弾が落着した周囲は、瞬く間に乳白色の世界と化した。不透明なそれは徐々に広がって、兵士達が隠れる塹壕にまで流入する。
砲弾の着弾点、その傍に居合わせた下士官は、「煙幕か」と呟いた。
誰もが、そう思った。攻撃に失敗した獣兵が撤退するために、煙幕を張り巡らせたのだと。
……だがしかし気楽に構えていた兵士達は、その白煙に撒かれて、その認識が誤まりだと理解した。くしゃみ、激しい咳、嘔吐。
「煙幕じゃない! 後退しろ! 後ォお゛お゛っ――」
「中隊本部へ【遠隔伝言】――“状況、瓦斯! 状況、毒性瓦斯! 後退する”」
「上がれッ! 駄目だ、これ塹壕の中に溜まるぞ! 目を覆え!」
毒性瓦斯を詰めた、砲弾の使用。
前線の一兵卒から、人類軍統合幕僚会議の高官までが、驚愕した。毒性瓦斯による攻撃は、人類側では北東の大国ソヤス共和国が先鞭をつけていたくらいで、まさか人外陣営が戦力化を成し遂げているとは、想像だにしなかったのである。
当然、正統王国軍に瓦斯対策の装備など、存在するはずがない。
「小隊長、中隊本部は500歩間(=250m)だけ後退を許可する、と」
「え゛っう゛ぇえ――んッ! 駄目だ、この瓦斯を抜けるには、2000歩間は下がらにゃ」
「小隊長ッ――じう兵がつっ゛けき!」
「何?」
「獣兵がッ! 追撃してきます!」
毒性瓦斯の散布範囲は、2000歩間四方にも及んだ。
この範囲から脱出するため、前線部隊は無計画な後退を余儀なくされた。周囲に立ち込める毒性瓦斯の最中で、そして前進を再開した獣兵の群れを前に、整然とした後退など出来るはずがなかった。
魔族攻囲軍の切り札の威力は、抜群だった。
瓦斯攻撃による戦闘不能者は、約300名。そして北部戦線の第1歩兵連隊第2大隊は、2100歩間後退。
彼らが後退した分だけ、獅子王軍挺身第5連隊は前進した。
「で。だ」
正統王女ヴィルガイナは、薄ら笑いを浮かべた。
瓦斯攻撃の一報を受け、沈鬱な雰囲気に呑まれる人類軍統合幕僚会議の面々は、ちらと彼女を見る。
防御不能の攻撃を前に、いよいよ発狂したか、と彼らは思った。防御不可能となる瓦斯攻撃は、おそらくこの一回では終わらないだろう――その度に、正統王国軍は後退を余儀なくされることになる。
……そんなことは、ヴィルガイナも理解していた。
「これが人外どもの切り札かな? エドヴァート元帥」
「は……おそらくは」
「じゃあ今度は、私が札を切る番だ」
正統王女は、ひとしきり哄笑してから命令する。
「――始めろ」
◇◇◇
魔王軍歩兵第1師団が、遂に北部戦線に投入された。
先鋒は魔王軍歩兵第1師団隷下、歩兵第1連隊(連隊の定数は2000名)。その脇を、同師団隷下の歩兵第3連隊が固める。更に即時投入可能な予備戦力として、背後に歩兵第4連隊。
対するは、毒性瓦斯攻撃により弱体化した、正統王国軍第1歩兵連隊第2大隊(定数1000)。
先に投入されている獅子王軍挺身第5連隊と合わせれば、魔族陣営の兵員数は8000名。
これで北部戦線の戦力比は、人:魔=1:8。……この最前線の戦力比較にも、ほとんど意味はないか。この8倍の敵を撥ね退けたところで、第2大隊1000名は、その背後に控える万単位の予備戦力を、撃破し続けなければならないのだから。
軍歌を口ずさみながら、ひたひたと前進を開始する魔王軍歩兵第1師団。
毒性瓦斯の被害に苦しみながら、これを迎え撃たんとする正統王国軍第1歩兵連隊。
……。
結果の分かりきった決闘に望もうとする両者の頭上を、強力な魔力波が飛んだ。
まるで白波。戦線後方の各所から放たれた白光は、青い空を洗いながら突き進み――最後には、魔王軍歩兵第1師団が展開するその遥か高空、20000歩間の高度で激突した。
「通信妨害か? にしては、高空過ぎる」
「――あれは、円陣?」
前進半ばの魔王軍将兵も、前線を固める人類軍将兵も、その幻想的な光景に見とれた。
激突した魔力波は、波紋を描きながら反発し、同時に上空に巨大な円陣を描く。幾何学的な文様。
白光で構築されたそれは、まるで恒星めいて輝き――その中心から巨影を吐き出した!
「なッ――!」
「なんだあれは。落ちて? ……落ちてきてます!」
「退避、退避しろ! 後退!」
慌てふためく、魔王軍将兵。
彼らは頭上遥か上空に、巨大な鋼鉄の塊が出現するところを目撃した。
形容するならばそれは、黒鉄の城。あまりにも巨大過ぎて、距離感が掴めないが……それは見上げる彼らの視界の中で、徐々にその大きさを増す。今にも頭上にのし掛かってきそうな恐怖感に囚われ、魔王軍歩兵第1師団の将兵は、我先にと逃走を開始した。
が、遅すぎる。
彼らが無秩序な避難を開始してから、僅か十数秒後。
未曾有の衝撃と、轟音が城塞都市内外を揺るがした。
それは鉄塊の衝突に泣く大地の悲鳴であり、落下した巨体に潰された魔族達の断末魔でもあった。発生した衝撃波は、魔王軍歩兵第1連隊の将兵を薙ぎ倒し、巻き上げられた砂煙は、離れている防御陣地の人類軍将兵までをも呑み込んだ。
……この瞬間、先鋒を務める魔王軍歩兵第1連隊は、跡形も無く消滅した。
高空から落着した鋼鉄の怪物の名は、ニミッツ級航空母艦「ジョージ・ワシントン」。
横須賀への入港半ばで、異界の高空へ召喚された彼女は、その10万トンの大質量を以て、魔王軍歩兵第1連隊の大部分を圧殺。
更に着地時の衝撃波で、その巨体から逃れた将兵を無力化した。
横須賀入港直前、広報目的で艦上に並べられていた40機余りのF/A-18E/F戦闘攻撃機は、召喚時に滑落し、「ジョージ・ワシントン」から外れた広範囲に撒き散らされる。超音速で自然落下した20トンの艦載機は、魔王軍歩兵第1連隊の周囲に居合わせた魔王軍歩兵第3連隊、第4連隊をずたずたに引き裂いた。
ほとんど完形のまま地面に激突したF/A-18E/F戦闘機は、その衝撃波で周囲を薙ぎ倒し、空中分解した機体の残骸は、細かい鋼鉄の雨となって、広範囲の将兵を殺傷する。
「馬鹿な――なんなのだ、こんな! こんなことがあってたまるかあああああああ!」
この一部始終を、遠視系の【技能】で目撃していた魔王軍第1師団司令部の参謀は、発狂したかのように絶叫した。
……だがまだこれは、大破壊の序章に過ぎない。
再び魔力波が高空にて衝突し、空間を捻じ曲げる。
次に【勇者召喚】により喚び出されたのは、中華人民解放軍海軍の航空母艦「遼寧」。
彼女は魔王軍砲兵第1連隊の中心部に落着、その後横転し、砲兵第1連隊の大部分を無慈悲に轢殺した。
3番手は高さ1300歩間を誇る、「東京スカイツリー」。これは東部戦線の敵勢の中央を、横断するように落着し、攻勢中の敵を分断する。
続いて異世界の空路途上から、強引に召喚された超大型旅客機が垂直落下。後方に控える魔族攻囲軍の予備戦力に激突。航空機用燃料を撒き散らしてから爆発炎上し、数百名を焼死せしめた。
クレーン車が、高層マンションが、氷山が、凱旋門が、T-72主力戦車が、フェリーが、トヨタ製プリウス車が、90式戦車が、魔族攻囲軍将兵に襲い掛かる。
……時空と因果を超越して、異世界の存在を召喚する【勇者召喚】。
世界の理を超越する秘術に、召喚する物体や、召喚場所の制限など掛かるはずがない。
在日米軍から中華人民解放軍まで召喚しましたが、魔族攻囲軍は未だ健在です。
次回、大崩壊(後)「人類軍72億7791万対魔族攻囲軍88万」に続きます。




