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21.海野陸は如何にして彼らに討伐されたか。

 エイテリナはまるで玩具のように蹴り出され、石積みの塀へ突っ込んだ。

 吹き飛ばされた彼女の質量に堪えられなかった塀は、いとも容易く崩壊する。

 瓦礫の上に倒れこんだエイテリナは、立ち上る粉塵を吸い込んで激しく咳き込んだ。

 少量の血も吐く。それが単なる鼻血や口内からの血なのか、それとも傷ついた内臓からせり上がって来た血液なのかは分からない。後者ならば、限界が近づいていることの証左だ。


 エイテリナは、のたうち回りながらも、辛うじて立ち上がった。

 暗灰色の長衣は既に破け、その下の鎖帷子も千切れている。血が滲む白い素肌と、砂塵に塗れた黒い長髪が痛々しい。


 それを共和議官ラファーレンは、離れた場所で見つめることしか出来なかった。

 妖精族の妨害によるものか、彼女の周囲の魔力量は急激に希薄となり、【技能】の行使が封じられているせいだ。また首には、魔力で編まれた光環が生成されている。


 呼吸を整えるよう努めながら、長剣を構え直すエイテリナ。その姿勢は、未だ彼女が勝負を捨てていないことを示している。

 一方で、彼女を手酷く痛めつけた張本人となる悪鬼王は、目の前で立ち上がり未だ闘志を燃やす女剣士を前にして、冷笑を浮かべて嘆息した。


「あいつは生け好かねえ野郎だが、それでも実力者だ。そいつを退けたんだから、相当やるんだろうと思ったが……そうでもねえな」


 エイテリナの剣技は、間違いなく人類最強の域にある。

 だが悪鬼王からしてみれば、所詮「見慣れた」戦技だ。

 両者の間には、天と地ほどの実戦経験の差がある。

 片や王立軍官学校を卒業したばかりの女性士官。

 片や大帝国の士官学校を主席で卒業し、実力で陸将にまで伸し上がり、召喚された勇者(現・魔王)と刃を交え、不死と異形化の呪いをその身に受けた後は、野蛮な闘争の最中に身を置いてきた怪物だ。


 剣を大きく振り上げ、大上段に構えるエイテリナ。この構えからは、剣は斬り下ろすことしか出来ない。防御を度外視した、攻撃的な姿勢。

 だがそれも、悪鬼王には見覚えがある。


「それは、正統撃剣“空の構え”だったか? まあ大昔の『帝国修練剣術・壱』だが――人類・魔族に残る撃剣の構えは、帝国陸軍の修練剣術が元になってんだ。こんな異形に堕ちても、忘れるもんかよ」


 磨耗しきった記憶の残滓が、“空の構え”への対抗策を教える。

 最も注意を払うべきなのは、振り上げられた長剣ではない。寧ろ上方に構えた刀剣に注意を惹かせての、脚技による下段攻撃を警戒しなければならない。

 赤い表皮に覆われた筋肉が膨張し、一瞬で最高速まで加速する悪鬼王。

 これにエイテリナも応じたが、必殺の斬撃はいとも容易く回避され、そして――。


「あッ――あああ゛あ゛……」


 深紅の右腕が、彼女の胸に減り込んだ。異世界で言うところの近接技、「ラリアット」。更に悪鬼王は空いている左手で彼女の黒髪を引っ掴むと、その豪腕に任せて彼女をぶん投げた。


「ボルドレエルさんッ!」


 ラファーレンが上げた沈痛な悲鳴をBGMに、エイテリナが虚空を飛ぶ。

 砲弾めいて瓦礫の山に突っ込んだ彼女は、……もう立てない。

 うつ伏せの姿勢。割れた額からは血がほとばしり、前髪を濡らし、その端整な顔を汚す。無意識か、それともまだ戦意があるのかは分からないが、両腕を突っ張って上体を起こそうとするが――次の瞬間、酷く嘔吐する。吐瀉物には、血も混じっている。


 継戦不可。

 エイテリナは薄れていく意識の中で、冷静に状況判断を下していた。

 酷い耳鳴り。内臓を鷲掴みにされているような激痛。刺すような痛み――骨が折れている。深手のせいか、魔力が体内から漏れ出しているのだろう、痛覚無効の【技能】が機能を停止している。

 最後まで足掻くつもりでいたが、どうもここで報国人生も終わりらしい。


「じゃ。止めだ」


 背後。その遥か上で、空を切る音。

 赤鬼が拳を振り上げる音を聞きながら、彼女はただ共和議官を、市民を守れないことだけを悔い――。



 次の瞬間、膨大な魔力の塊が落ちてくるのを、彼女は感じた。



◇◇◇



 海野陸は、生粋の日本国民だ。

 性格は、一般的な安定志向。野心や我欲は、ほとんどない。だが一般的に定義されている正義や、道徳、倫理には敏感だ。そしてそれが踏み躙られていれば、当然反感を覚える。彼は更に一歩踏み込んで、義憤と共に立ち上がる性質の人間であった。

 だから利用されていると分かっていても、彼は目前で虐げられている者が居れば、それを助けずには居られない。


「おおおおおおおおお――ッ!」


 高空からの急降下強襲。

 【魔力噴射】で亜音速まで加速した彼は、生ける弾丸と化して、鈍色の戦場へと介入する。魔力の残光――白閃を曳きながら、完成する流星が如き蹴り。その先には、悪鬼王!


 だが膨大な魔力を纏う一撃に、奇襲効果など期待出来るはずがない。実際、妖精族の『花蜜の護り手』は、接近する魔力の塊に感づき、素早く防御措置を取る。


「うぬにいいようにさせぬわァ――【速成障壁】!」


 海野陸と悪鬼王の合間に、不可視の障壁が割り込むように張り巡らされる。

 妖精族の戦士、『花蜜の護り手』の防御系技能。魔力で障壁を編む初歩的だが、有効な【技能】。しかも海野陸の蹴りを阻まんと生成される障壁の数は、一枚や二枚ではない。


 護り手が大気中の魔力を掻き集めて、凝固させた防壁は――33枚!

 彼女は脳内で、既に計算をし尽くしていた。

 勇者の蹴りは、14枚目を破ったところで止まる!


 だが海野陸の降下速度は、一切落ちなかった。


「おッおかしい! あやまりじゃあ!」


 護り手の狼狽しきった絶叫も、何の役にも立たない。

 砲弾のように落着する勇者は、4秒と掛からず、33枚の障壁を貫徹し、悪鬼王に達する。

 咄嗟に防御姿勢を取った悪鬼王だが、秒速600歩間(=秒速300m)という超高速かつ大威力の一撃に耐えられるはずがない。

 斜め下方向への凄まじい衝撃。

 悪鬼王は転倒し、転倒しながら石畳を抉り、石畳を抉りながら吹き飛んでゆき、石造りの建物に突っ込む。崩壊する建物。その巨大な悪鬼王の影は、朦朦と撒き上がる砂煙の最中に消えて見えなくなる。


(これが……勇者の……)


 ラファーレン共和議官の鳶色の瞳は、一連の超常的事象を目撃していた。

 だが、理解が追いつかない。圧倒的暴虐の権化を、彼は一撃で吹き飛ばした。まさに規格外、伝説の力。


 蹴りを食らわせた海野陸は、空中で魔力を噴射しながら体勢を整えると、半死半生の女性士官の傍に降り立った。

 黒髪、黒眼。暗灰色の長衣と膨大な魔力を纏った勇者は、大喝する。


「子供や赤子に――何の罪が有るッ! 何故、街の人々を殺す――!?」


 だが魔族らは、彼から発せられる殺意と魔力を前にしても、全く動じることはない。


 ガチガチガチガチ。ジジジジジ……。

 大顎と羽を打ち鳴らし、蟻兵は端的に妖精族に聞く。彼が勇者か、と。

 問われた『花蜜の護り手』もまた、ただ頷く――と、同時に『大慈母が子らの頭脳』が動いた。

 堅牢な外骨格に覆われた前肢を振り翳し、高度に発達した後肢で、彼我の距離を詰める。彼の複眼、その数百個ひとつひとつが憎むべき勇者の姿を映す――。

 迎え撃つ海野は、ただ掌を翳す。


「待たれいッ『黒鉄の民』――!」


 妖精族『花蜜の護り手』の防御措置が、間に合わない。

 海野陸の掌、その表面から何かが撃ち出される。

 不可視の死神は、『大慈母が子らの頭脳』の装甲を透過し、内部組織を無慈悲に破壊した。あまりにも呆気ない。外骨格には何ら変化はない。だが漆黒の甲冑を支える筋肉や、活動に必要な内臓は既に壊死していた。


 『花蜜の護り手』は照射から1発音間(=1秒)遅れて、不可視の攻撃を偏向させる防御壁を完成させたが、その時にはもう『大慈母が子らの頭脳』は、文字通り崩壊していた。


「脆すぎる」

「な……そ、そのへんにしておけい。客人まれびとよ。彼女がどうなってもよいのか?」


 妖精族『花蜜の護り手』は、その美しい顔立ちを歪ませながら、右腕を振るう。

 彼女の腕の先には、濃紺の制服を着た女性――ボーツキャ・ラファーレン共和議官が、跪いている。その首には、光環が嵌っていた。

 ラファーレンは何とか黒髪黒眼の勇者に、「私に構うな」と伝えようと努力する。

 ……だが頭を振ることも、発話することも出来ない。


「も、もし微塵でも動いてみよ。彼女をくびり殺すぞ」

「……」


 妖精族の脅迫。

 対する海野陸は、彼女の言葉に何一つ返事を返さない。

 これを『花蜜の護り手』は、無言の降伏とみた。


「ぬしゃァ『この世ならざる者』達は、決して同族殺しはせんと聞く。そうなの――」


 だろう? と、念を押すように再び尋ねようとした『花蜜の護り手』。

 ……だが彼女は、最後まで喋ることが出来なかった。


「ろお゛っ゛」


 勇者の拳が、その3指間(=9cm)もない胴に減り込んだからだ。

 1発音(=1秒)の半分――いや、もっと短い時間で間合いの詰めた海野の一撃は、彼女に防御の暇さえ与えない。彼の鉄拳は、妖精族の戦士階級が身につける樹皮や小枝で出来た鎧を一撃で粉砕し、それだけに止まらず、彼女の全身の骨と内臓を、強い衝撃で打ちのめす。


 だが彼女は墜落したり、吹き飛んだりはしない。

 むしろ『花蜜の護り手』は海野の右拳、その甲にしがみつき、そして怒鳴った。



「いまだッ者共!」



 勇者が動いた瞬間に光環が消え、身体の自由を取り戻したラファーレン共和議官は、事の成り行きを見守る他なかった。

 妖精族が何事か怒鳴ると同時に現れたのは、先程吹っ飛ばされた赤鬼と、四足の獣。高速で移動するふたつの影は、勇者を挟撃する。

 対する勇者は、何故か【技能】を使わず、彼らの繰り出す打撃を辛うじて回避する。


 無論、彼女もただ高速戦闘を眺めているだけではない。魔力を編み、虚空に魔弾を構築する――が、そうしている間にも戦闘は凄まじい勢いで進展する。

 勇者は獅子の鼻を蹴り、更に鼻面を足場にして後方へ跳躍。迫っていた赤鬼の打撃を、これで回避する。勇者海野は、赤鬼の拳を、彼の頭を飛び越え――その背後へ着地すると、無防備な背中に、妖精族をしがみつかせたままの右裏拳を叩き込む。


「ぐぇっ」


 赤鬼の背に叩きつけられる妖精族。

 沈痛な悲鳴。比喩でもなんでもなく圧死寸前、全身から血を噴出している妖精族、だがしかし彼女は、絶対に勇者の右拳を放そうとしない。

 焦燥に表情を歪ませた勇者は、右拳に引っ張りついた妖精族を、左掌で払い除けようとする。

 ここでラファーレンにも、見えてきた。

 おそらく妖精族は、勇者に接触することで魔力操作の妨害をしているのではないか。


「【誘導魔弾】!」


 ラファーレンは、魔弾を連射した。

 狙いは赤鬼と獅子。右手の甲の妖精族を狙撃する技量はないが、赤鬼と獅子の足を止めることくらいは出来るはずだ。


「じゃかしいッ!」


 だが鬼族も獅子も、これを無視した。

 右拳の妖精族を引き剥がす為か、一瞬注意が散漫となった勇者。そこへ魔力を纏った鬼族が突っ込んでいく――当然、勇者は回避出来ない!

 防御系技能は、いっさい発現しない。暴力的衝突。

 石畳に突き飛ばされた勇者へ、鬼族はその動きを封じるように覆い被さる。

 そして鬼族が腰に括りつけた水筒から、何か黒い物体が這い出し――勇者の顔面にしがみついた。


「勇者様ッ」


 勇者海野は渾身の蹴りで覆い被さる悪鬼王を蹴り上げ、自身の顔面を覆い尽くし、鼻腔に侵入せんとする漆黒の塊を掴む――だがそれは、いとも容易く彼の指を逃れ、その身を広範に広げようとする。


「逃げろ!」


 海野は、絶叫した。

 口腔内に物体が侵入するのも構わず、他でもない立ち尽くすラファーレンへ。

 彼の本能は、警鐘を鳴らしている。頭脳でも理解していた。【技能】を封じられた以上、もう勝算はない。あとは彼女を逃がせるか、逃がせないかだ。


「えッ――」


 逡巡する共和議官。

 だがもう海野は、彼女に何かを言うことは出来ない。口腔、鼻腔、耳道、あらゆる穴を黒い物体『勇者より与えられし名、不定の者“スライム”』が埋め尽くし、そして体内へ侵入を始めていた。


「ざまあみろ!」


 再び石畳に勇者の身体を押し付けた悪鬼王は、暗黒に顔面を覆い尽くされた海野を嘲笑う。


「あとは脳味噌をぶっ壊されるか、内臓全部を溶かさ……がっ!」


 海野の突き出した掌底が、悪鬼王の顎を捉える。

 更にブリッジの要領で身体を跳ね上げ、圧し掛かる悪鬼王を吹き飛ばした。勇者として召喚された際に造り替えられた身体は、魔力操作のみならず、筋力でも魔族を超越する。

 悪鬼王の荷重から脱した海野は、五感の大半を封じられたままにも関わらず、勇者と共和議官、どちらを狙うか迷っていた獅子王へ掴みかかる。


「諦め。しろ。死ね」


 獅子王の爪が、一閃する。鋼鉄さえも裂く凶器は、海野が纏う暗灰色の長衣を、その下の表皮を、皮肉を、内臓を、血液を、体内に充満し始めていた“スライム”の一部を、抉り取った。

 だが海野は、止まらない。

 左手で獅子王のたてがみを引っ掴み、そして立て続けに顔面へ右拳を叩き込む。

 既に彼からは、正常な思考力は失われている。鼻腔から侵入し、そのまま駆け上がった“スライム”は、皮膚や骨を溶解し、大脳にまで到達していたし、口腔を埋め尽くした“スライム”は、肺を埋め尽くして肺胞を破壊し始めていた。

 それでも彼が身体を動かす理由は、ひとつしかない。


「このッ――死に損ないがああああああ!」


 組み合わさった悪鬼王の両拳が、海野の後頭部を襲った。

 陥没する頭蓋。弾ける血肉。……だがそれでも、海野の打撃は止まらない。

 右肘を獅子王の鼻梁に入れ、彼を地べたに沈めた後、彼は振り向きざま、右裏拳を悪鬼王の脇腹に叩き込む。物言わぬ骸と化した妖精が、その手の甲からはらりと落ちた。

 だがもう魔力を操作するだけの、明確な意識は海野にはなかった。脳が破壊されたためか、無意識の内に発動するはずの【絶対防御】さえ発動しない。

 

 血みどろの肉弾戦。

 ……だが打撃の応酬は、そう長くは続かなかった。

 とうの昔に、海野の肉体は限界を迎えていたのだ。ただ義憤と使命感で動いていた身体も、頭脳を失い、信号を伝える神経が断絶し、身体を巡る体液を失えば、もうそれまで。


「終わりだ」


 悪鬼王が、その右腕を振り下ろす。

 ただ立っているだけが精一杯の勇者海野へ、魔力を纏った渾身の一撃が減り込んだ。頭蓋骨が砕け、血肉と脳漿が弾ける。その拳は、彼の頭部を圧壊した。

 そして続けざま。頭部を失った海野陸が倒れこむ前に、横殴りの一撃が振るわれる。残光を曳く右拳は、海野の左脇腹へ。肋骨を粉砕し、体内へ入り込んだ拳は心臓を破壊した。

 勇者海野は、この一撃で完全に無力化された。

 単なる肉塊となった彼は宙を飛び、廃墟の最中へと消える。


「はーっ」


 悪鬼王は顔面にこびりついた勇者海野の脳漿を拭うと、一息ついた。敵の居なくなった戦場を見回す。

 絶命したか、血の池の最中に伏したままの竜人カセル。

 崩壊した蟻人『大慈母が子らの頭脳』。

 踏み潰された昆虫めいて無残な死に様を晒す妖精、『花蜜の護り手』。

 顔面が潰されながらも、未だその威容を保つ獅子王。

 勇者海野が吹き飛んでいった廃墟の方向を見やれば、這い出してくる“スライム”が見える。


「覚悟していたとはいえ、酷い有様だ」


 気付けば、先程まで居たはずの共和議官は消えていた。

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