20.人魔決闘!
「前空けてくれ、前! ……よーし、じゃあ押すぞ!」
「ちゃんと押さえててくれよ。じゃ、今から落とすからな」
「俺達は荷車が戻ってくるまで休憩で!」
市街の復興は徐々だが、確実に進みつつある。
市道を塞ぐ瓦礫は、極力退けられた。
木に吊るされていた卑怯な敗北主義者は、市民達の手によって引き摺り下ろされ、路地のあちこちに散乱する肉片、荷車に載せられて集団墓地へと運ばれてゆく。
作業に従事する人々の声は、活気に満ちている。
艱難辛苦を乗り越えた彼らは、ここが底辺だと確信していた。ここからは、全てがうまくいくはずだ、とも。
市街復興の視察。そういう名目で街角に立つボーツキャ・ラファーレン共和議官は、これをただ呆然と眺めている。
城塞都市が戦前の姿を取り戻すのも、そう遠い将来の話ではない。喜ばしいことだ。
だが一方で、祖国再生の目途は全く立っていない。また今後情勢を見ながら、仮に祖国復興運動を始めるのであれば、自分が先頭に立って動かなくてはならない。……が、まだその覚悟は、ラファーレンにはなかった。
作業中の市民達は、時折ラファーレンを見たが、会釈ひとつせずにすぐに手を動かし始める。
ただ彼女が纏う濃紺の上着――共和議官の上着が珍しかっただけだ。
「軍人さん、お疲れ様です」
むしろ通り過ぎる市民は、ラファーレンの傍らに立つ護衛の女性士官へと挨拶してゆく。
市街戦に特化した暗灰色の戦闘服、魔力による補助が無ければ抜けない長大な剣。
銃後の人々の尊信を集める王国軍将兵の装備を隣にすれば、ソヤス共和国共和議官の制服など大した存在感はない。
この城塞都市の人々は、他国高官の存在など忘却してしまっている。
それを、ラファーレンは身を以て知る。
「申し訳ありません。市民は日々の生活に忙殺されており――彼らに代わり、非礼をお詫び致します」
共和議官の警護役を務める女性士官、エイテリナ・ボルドレイルは、謝罪の言葉を口にする。
その偉容潰えたとはいえ、他国の議員を無視し、自国軍の士官にのみ挨拶するなど、非常識も甚だしい。
だがしかしラファーレンは、群青色の丸帽を被り直しただけで、何も言わなかった。
いまは戦時。しかも自分は滅びた共和国の議員だ。礼節や形式をとやかく言っても、仕方がない。
思わず空を仰いだ共和議官は、天気のことを口にした。
「雲行きがあやしい。雨にならなければ、いいのですが」
能天気とも取れる彼女の発言に、一瞬返答に困ったエイテリナ。
本当に悪天候を心配しているのか、それとも何かの皮肉か。
とりあえず「ご案じ頂きありがとうございます」、と言いかけた直後、彼女達は異形による暴虐を見る。
◇◇◇
人の身は、あまりにも脆い。脆すぎる。
濃緑の竜鱗にその身を包んだ竜人は、通りを駆け抜け、駆け抜けざま路傍へと死骸を投げ捨ててゆく。
逃げ惑う人間に背後から斬りかかり、立ち塞がる義勇兵を突き殺す。
彼が握り締める短槍と、保持する左腕は、既に血肉に塗れている。
ほとんど無抵抗の敵を殺すことに、彼は何の躊躇も覚えない。ただ脆弱な肉体と、不揃いな小賢しさを兼ね揃えてしまった人類に対して、悲哀を感じるのみ。
四本指の付いた両足で石畳をしっかと捉え、粉砕しながら疾走する竜人は、市民を殺戮しながらも、歩調を落とすことなく、一定の速度で走り続けた。
武装した者も、非武装の者も、竜人からすれば、血の詰まった肉袋に過ぎない。障害には、成り得なかった。
(彼らはここに――石ころを伐り出して造った、細小で粗末な住居に住んでいるのか!)
竜人の脳内に、彼の主の声が響き渡る。
その巨体のために外の世界へ頭を出すことが出来ない竜王は、自身の部下の五感を通して外界の情報を手に入れる。
(矮小で脆弱な人族は、自身らの身体に合わせて住まいを造る文化を保有する。それは知っていたが……)
だが竜王の目・耳・口に過ぎない彼が、主人の言葉に反応することは許されない。
竜人――代弁者カセルは、勇者を誘い出すために、ただ行く先に居合わせた人族を屠り続ける。
またひとり。脇から走り出た女を、一撃で殺した。
人類の女性は闘争に向いていない、子供を生み、育てることを得手としている、ということを、彼も知っている。
だが、遅疑はない。
短槍の先端に付いた重厚かつ長大な刃は、頭蓋骨を叩き割り、その中身をまるで果物か何かのように、容易く分断した。そして短槍を引き抜き、右腕で払いのけるように脇へ吹っ飛ばしてしまう。
と。死体が退くと同時に、カセルは視界一杯に魔弾を見た。
そこで初めて、彼は立ち止まった。金色の瞳を細め、殺到する白光の塊、そのひとつひとつを見極める。
そして、その短槍、異様に幅広の穂先で以てその全てを偏向させる。
(勇者か? ……否。ただの女のようだぞ、カセル。ふたりいる)
魔弾の襲来に2秒遅れて、市街の色彩と同じ暗灰色の長衣を纏った剣士が斬りこんで来る。人間にしては、速い――その肩越しには、濃紺の色彩を纏う女が見えた。魔力を編んでいる。
「撃ェーッ!」
喊声と共に繰り出される斬撃。
刃の軌道は、どこまでも真っ直ぐだ。当然、筋は読み易い。額を狙った一撃。
……だが、速過ぎる。
単純に過ぎる剣筋だが、高速の為に反撃の手を――応じ技や返し技を考える間もない。
カセルは反射的に短槍を跳ね上げて、真っ向から斬撃を防ぐ。
次手も、速い。刃と刃が激突し、金属音が響き渡――っている最中に、もう女剣士は自身の剣を引き戻し、カセルの左胴体を狙う横薙ぎの動きに入っている。
一方のカセルは、一度跳ね上げた短槍を戻すことが出来ない。上段防御から中段防御へ切り替えが、間に合わない。
「獲った――」
「愚かな」
だがしかしカセルの左胴を狙った横薙ぎの一撃は、想像よりも手前で停止する。
王立軍官学校時代から現役の頑健な長剣は、カセルの左肘に減り込んでいた。拉げた竜鱗。だが肉までは達していない。カセルは跳ね上げた短槍を戻すよりも、左肘を下げて防御することを選んだ。
竜人が両足を開きながら、腰を捻る。
女剣士が反応する間もない。受け止めた刃を弾き飛ばしながら、左回転する竜人。加速した竜尾が、彼女の右脇を捉えて吹き飛ばす。
見えない糸に引き摺られるかのように、虚空を飛んだ女性士官は、瓦礫の山に突っ込――まない!
(魔力噴射か。人族だからこその軽業よな)
彼女の長い黒髪が、ふわりと浮き上がる。
後頭部から首筋にかけての毛穴という毛穴から魔力を噴射し、上体どころか身体全体を引き起こした女剣士は、軽やかに着地して一歩二歩と、決断的に駆け出す。
竜尾の一撃を堪えるとは。他族からは読み取れない笑みを作ったカセルは、これを迎え撃つべく短槍を構え直そうとする。
「む!」
だが両腕は、一指間(=3cm)程も動かない。
見れば、拘束を目的とする【技能】によるものか?
……魔力により編まれた光環が、纏わり付いている。
(浅短な。先程、女剣士の向こうに共和議官が居ただろうに。あれが術者だ)
魔力操作により、これを消散させる間もない。
一秒ないし二秒で間合いを詰めた剣士は、これが好機とばかりに、竜人の無防備な腹膜へ連撃を叩き込んだ。
刺突。刺突。刺突。一撃目は気管・食道の通る首の付け根へ、吸い込まれるように突き刺さり、内臓を狙った二撃、三撃目は、肺動脈と肺、肝臓、胃腸を貫いた。
更に鋭敏な彼女は、容赦なく打撃と斬撃を食らわせる。
金色の瞳の片方を柄頭で潰し、振り上げた長剣を彼の額に叩きつける。無論、一撃で刃は通らない。竜鱗を拉げさせて、変形させて、そうして生まれた鱗と鱗の合間、その間隙に長剣を突き込んで、薄い頭蓋骨をぶち破り、その刃で脳をかき回した。
これで彼の戦闘力は、奪い尽くした。
そう判断した女性士官――エイテリナは、長剣を引き抜くと、一振りして纏わりつく血液と脳漿を振り払う。
返り血塗れとなった彼女は、舌打ちしながら瀕死の竜人を蹴り飛ばした。
「大丈夫ですか」
魔力操作により勝機を生んだラファーレン共和議官は、決着がついたと見るや、自身の警護役に駆け寄り、その身を案じる。
竜尾の一撃は、確かに彼女の脇腹を捉えていた。
肋骨は勿論、内臓が傷ついていてもおかしくはない。
「大丈夫です」
だがエイテリナは、露も苦痛を表情に表したりはしなかった。
彼女は、思う。たしかに先の一撃は、かなりの痛打だ。神経系を【技能】で誤魔化しているため実感はないが、骨や内臓に被害が及んでいる可能性は高い。治療は必要だろう。だが、戦闘継続に支障はない。
汗ひとつ浮かんでいない顔面には、無表情が張り付いている。
「それよりも、まだ戦いは終わっていません」
「は?」
共和議官が聞き返した瞬間、彼女らに巨大な影が被さった。
上方からの奇襲攻撃――エイテリナは、素早く共和議官を抱きかかえて飛び退く。
その1秒後。彼女らが立っていた石畳を、外骨格に覆われた腕が砕いていた。
ガチガチガチ。漆黒の外骨格を纏う怪物は、二足でその黒甲冑を支え、天を仰ぎながら大顎を打ち鳴らす。まるで足下に横たわる竜人を庇うように。
共和議官を地に下ろした女性士官は、素早く勝利の公算を立てる。
長剣は蟻兵の装甲を破ることこそ出来ないが、複眼を傷つけ、触角を叩き折ることは出来る。
高速戦闘だ。一気に間合いを詰め、これに反応して繰り出されるであろう前肢による敵攻撃を、跳躍で回避。魔力噴射による空中機動で体勢を立て直し、敵の複眼に斬撃を食らわせ、更に触角をへし折る。
――とまで考えたところで、新たな敵の存在を知覚する。
「蜥蜴野郎――勝手に走って勝手に死にかけてんじゃねえ! で。お前が勇者か?」
「『角の民』の頭領よ。魔族語は、彼女には通ぜん。あとふたりは、この世ならざる者ではないぞ。この世界の『石火の怪物』じゃ!」
「じゃあ通訳頼むわ。“勇者を呼べ。さもなきゃ殺す”」
立ちはだかる蟻兵の反対側。
ちょうど竜人が疾走して来た方向から、見上げるほどの体躯を誇る赤鬼が駆けて来た。しかも厄介なことに、彼の角には、小枝や樹皮を繋ぎ合わせて作った戦装束を纏う妖精族がしがみついているのが見える。
エイテリナは、すぐに計算を改めた。
蟻兵に前述の戦術を喰らわせて無力化。妖精族の【技能】を警戒しつつ、最高速で鬼族の脚を狙いに行く。図体がでかいだけに、反応は遅れるはず。斬りつけながら脇を駆け抜けるか、あるいは股の間を――。
「女!」
妖精族が大声を張り上げる。とはいえ元々の肺活量が小さいだけに、辛うじてエイテリナとラファーレンが聞き取れる程度の声だったが、とにかく妖精族の言葉は、彼女らふたりに届いた。
「おぬしは戦士であろう? 勇者をここに呼べい!」
「断る」
魔族が人類の言葉を喋ることに驚愕するラファーレンの隣で、エイテリナは無感動に言った。
実を言えば勇者が来る可能性は、無ではない。竜人による殺戮の現場を目撃し、共和議官とこれを撃退することを決断した直後に、何度か魔力波による要人用の救援信号を送っている。
「おい頭領、“断る”だと」
「じゃあとりあえずそっちの剣士の方、殺しとくか。なんかもう一方は貴族っぽいし」
妖精族が囁いた瞬間、赤鬼の纏う全身の筋肉が膨張した。
次回「21.海野陸は如何にして彼らに討伐されたか。」に続く。




