15.諸族軍議。
禁忌【動屍製造】発動、鬼族独断攻勢の日から数えて5日目の朝。
金糸に縁取られた赤絨毯。銀細工によって飾られた天井。
円卓の中心には、王都内で摘まれた白、桃、赤の花が収まる白陶の花瓶。
……円卓各席に座った魔族各陣営の権力者や参謀らは、誰一人発言するどころか、視線を床や天井の絢爛豪華な装飾と、花瓶の花々に注いだまま動かさそうともしない。彼らは視線を持ち上げて、他族の代表者や憔悴しきった魔王軍参謀本部の関係者の顔を、見ることが出来ない。
死傷者数、約9万3000。
鬼族攻勢開始から勇者の反撃が止むまでの3日間。その僅かな時間で93000の将兵――野戦師団4個強が、跡形もなくこの地上から消滅した。
想像を絶する損害に、魔王軍参謀本部関係者の中からは、茫然自失となる者が続出。老練な参謀総長さえ、あまりの衝撃に喜怒哀楽の反応を忘れ、ただ「これが禁忌破りの最終戦争か」とだけ呟いて、あとはもう暫く喋ることも出来なかった。
とはいえ魔族攻囲軍は、総兵力100万を誇る軍集団だ。
少なくとも単純な数字の上では、93000名という死傷者数も、全体の1割にも満たない。攻勢を継続するだけの余力は、まだある。……整然と後退するだけの余力も。
「我々の決定如何で――骸さえ残さず蒸発させられた将兵が、『勝利の為の犠牲』となるか、『無駄死に』となるかが決まる。彼らの死を無駄にしない為に、忌憚のない意見を述べて頂きたい」
口を開いたのは、議場最古参の参謀総長だ。
「現状、我々は後退しつつも包囲環を維持している。今後も攻囲を継続すべきか、それとも一時退却し、再編制と対勇者戦術の研究を実施した後、再攻略に臨むか! 我々は決断しなければならない」
藍色の長衣を纏い、背の丈程はある指揮杖を握り締めた彼は、爛々に輝く瞳で他族代表者達を見回す。一時は精神的に疲労し、勤務はおろか食事さえ摂ることさえ出来なかった耳長族の老人は、むしろいまは試練を前にして精力を取り戻したか、若返ってさえ見えた。
進むか、退くか。魔族諸陣営の未来を左右する決断を、下さねばならない。
「参謀総長閣下」
竜王の言葉を代弁する竜人が、自身の尾を以て卓を叩き周囲を気を惹いた。その金色の瞳と、濃緑色の竜鱗に覆われている爬虫類めいた顔からは、感情をまったく読み取ることが出来ない。
周囲からすれば無表情にしか見えない竜人は、幾度かチロチロと口先へ舌を出し入れした後、竜王からの伝言を述べた。
「竜族7万を統べる陛下は、“魔族大敗の責任者を追及し、断罪すべき”と仰られています」
今回の大敗、その原因は言わずもがな、鬼族の単独攻勢と、それを救援すべく出動した獅子王軍、蟻族装甲兵団にある。
彼らの先走った独断攻勢は、人類軍をいたずらに刺激。そこからは、泥沼だ。更に鬼族・獅子王軍・装甲兵団の後退を援護すべく動いた、魔王軍第6師団を初めとする諸隊や、陽動作戦を仕掛けるべく、城塞都市南西を流れる大河に展開した水棲陣営が、甚大な損害を被った。
竜人の発言に、獅子王軍や装甲兵団を援護すべく動いた魔王軍参謀本部の幾名かは、バツの悪そうな顔をする。
竜人の隣、座席を使わずに卓上の一角に横たわる獅子王は、特に反応を示さない。大敗を呼び込んだ彼は、既に処分を受ける覚悟を決めていた。敵の射程内で身動きが取れなくなった鬼族部隊を救援するためとはいえ、自身も独断で兵を動かしたことは事実であり、この場では到底許されるものではない。
装甲兵団を出動させた蟻族参謀も、獅子王と同じく責任を取るつもりでこの場に居る。
……だが誰もが、従容としているわけではなかった。
「おい糞蜥蜴――いい加減にしろよ!」
新顔。赤い表皮と逞しい筋肉だけを纏った全裸の亜人が、罵声を張り上げる。
額の二角――片角は半ばから、もう片角は根本から折れている――は、亜人の間では知らない者はいない。百戦錬磨の古強者、悪鬼王だ。
彼は、言葉を続ける。
「責任問題だと? 超越者を気取り、ろくに前線を支援しようとしない臆病者どもが! てめえの王様は洞穴に篭ったままかあ!」
「非礼だぞ、下種が」
悪鬼王の挑発に、竜人が怒気を発する。
口調こそ冷静だが、彼の左掌4本指は普段から携行している槍を握り締めている。柄に比べて穂先が異様に巨大な短槍。刺突にしても、斬撃にしても、相当な威力を発揮するであろう凶器の存在に、否が応でも周囲の緊張は高まる。
だが、以前の二の舞を演じるわけにもいかない。
「やめろ! いまは過失について論じている暇はない。……今後の戦略、方針についてのみ語って頂きたい」
参謀総長が指揮杖で床を打ち鳴らし、両者を牽制する。
何かを言いかけてやめる竜人、一方で悪鬼王は黙らなかった。
「おうおう、そのとおりよな! して。俺の案を聞いてくれ――」
その「案」とは、一言で言えば、「短期決戦」であった。
悪鬼王は語る。昨日の鬼族・獅子王軍・装甲兵団の攻勢は失敗し、魔族攻囲軍全体に甚大な被害を出したが、そもそも当初の攻勢が挫折した原因は、「航空支援と砲兵の援護がなかった」ことに尽きる。
「これは別に、あんたらを批判してるわけじゃねえ。だが翼竜騎兵と砲兵の援護がありゃ、俺の子分どもは間違いなく敵戦線を一部突破し、内外に浸透してた。勇者の火力ってのはとんでもねえが、広範囲を吹き飛ばすあれは、敵味方が混濁した状態では使えない――たぶんな。勇者が味方殺しを厭わないならまた別だけどよ」
「……もう一度、攻勢をやろうということか。魔族攻囲軍の総力を挙げて」
「そうだよ、参謀総長閣下。最初から翼竜騎兵も砲兵も出し惜しみしないでやるんだ!」
悪鬼王は拳を振り上げて――円卓に振り下ろすことなく、首筋を掻いた。
「もう選択肢はねえ。いままで防御、反撃に徹していた勇者さんが、仮に積極的攻勢に転じたらどうなる? 日和見で中途半端に包囲網に敷く俺達は、一方的に虐殺されちまうぞ。ならもう最初から突っ込んでくしかねえだろ」
……ほんとは数日前の時点で、これを決断出来ていれば良かったけどな。
最後にそう付け加えてから、悪鬼王はいったん口をつぐんだ。
一理ある、と参謀総長は思う。
だが当然ながら、危険性も付き纏う。魔族攻囲軍100万が、一夜にして文字通り消滅する可能性が、ないとは言えない――実際、他族代表者達の反応は、芳しくなかった。
「われらはもう、このいくさに堪えられません」
明確に消極的姿勢を表したのは、銀翼をはためかせて議場を翔けまわる妖精族であった。草花を繋ぎ合わせて作った衣服に包まれたその身体は、3指間(=9cm)程度しかない。その外見に反することなく、彼女達は身体的にも精神的にも、闘争に向いていなかった。
彼女は円卓の中心に降り立つと、言った。
「此度のいくさで、たくさんの精が空下(=空中)の魔力へ還りました――そして『石火の怪物(=人間)』も、たくさん地上の土へ還った。もう彼らも、いくさに疲れ果てたはず。われらがふるさとへ退けば、いくさは終わり、花の蜜を集めるひびが始まるのでは」
この人魔闘争において、魔族陣営は人類陣営に対して手酷い打撃を与えている。
数多くの人類国家を滅亡に追いやり、大陸5000万の人間を殺戮せしめた。これだけこっぴどく痛めつけてやったのだ。いま魔族攻囲軍を解散したとしても、人類軍は失地や魔領への反撃を計画する余力などないだろう――もはや人類は、魔族を脅かす存在ではなくなった、戦争をする理由はない。
撤兵すべし。
これが妖精族の意見だった。
「おいおいおいおい!」激しく頭を掻き、おどけてみせる悪鬼王。「あんたらが云う『石火の怪物』は、そんな利口な連中か? いまここで決着をつけなきゃ、いつか石刃どころか鋼鉄の機械が、妖精族の花園を潰すことになるぜ」
「『角の民』、おどすのはやめてほしい」
「脅迫じゃねえ、ほんとのことだ!」
両者の論争が続く中、参謀総長やその傍に控える魔王軍参謀本部の作戦参謀達は、議場を注意深く観察していた。諸族の代表者達は、表向き継戦の姿勢を貫いている。
だが内心では、どうであろう。同族の勇敢な戦士を、これ以上失いたくない。人類と云う共通の敵を失った後の戦後を考えれば、他族より大きい損害は被りたくない、というのが本音だろう。
各陣営とも、まだ被害の度合いは許容範囲であり故に黙っているが、もしもこれ以上損害が嵩むようならば、妖精族同様の撤兵案を主張するようになるかもしれない。
「いいか。連中はいま刀剣や銃、火砲どころか、勇者を持ってる! 奴等がその気になれば、勇者ひとりを遣って、俺達全員を皆殺しにすることだって出来るんだぜ」
「悪鬼王を初めとする諸侯、よろしいか」
きりのない論争に一旦終止符を打つべく、参謀総長がまた指揮杖を動かそうとした時、ちょうど白猿が挙手をして、意見することを求めた。
悪鬼王はちょうど自身が話したいところまで話し終えたので黙って頷き、妖精族も特に素振りを示さなかったので、猿族の長者はゆっくりと喋り始める。
「これは――勇者の存在は、人外諸族に対する試練よ。我々はこれに何としても、打ち勝たなければならない。人類の軍隊と勇者を放置したままの撤兵は、あり得ないと私は思う。妖精美姫には申し訳ないが」
しかし試練を乗り越える為に、際限なく犠牲を払うことも避けるべきだ、と彼は続ける。
「この円卓に参加する諸族の内、一族でもこの戦争が原因で没落することがあってはならない」
理想論だった。死者を最小限に抑えて、勝利を捥ぎ取りたい。
誰もがそう思っている。……だがそれが到底叶いそうにないから、いまこうして軍議が難航しているのだ。
「そりゃあ通らないぜ、白猿! 連中を叩き潰すためには、どれだけ血を流しても構わない、ってその覚悟がなきゃ駄目なんだ!」
悪鬼王が、半ば笑いながら反論する。白猿とは本来、生存領域を巡っての宿敵関係にある彼だが、口調に嫌味は何もない。彼は徹頭徹尾、短期決戦で決着をつけようと考えているようだった。
だが白猿は、わかっている、とばかりに左掌を翳して彼を制した。
「最後まで聞け、鬼族の長――かつての同志よ。私達が追い詰められている原因は、ひとえに勇者の存在にある。逆に言えば、勇者さえ排除すれば容易く城塞都市を陥とすことが出来よう――」
白猿は言う。
「選抜した優秀な戦士を城塞都市内へ遣わし――勇者を討たせる」




