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14.歪んでゆく世界。あるいは崩壊するテンプレート。

 王立中央魔導院は、歴史考古から生物、科学全般までを研究し、正統王国に利益をもたらすことを目的とした研究機関である。

 元は王都に設置されていたが、戦禍を回避して城塞都市に疎開。

 その際、多くの設備を破却せざるを得ず、自然規模は縮小されたが、それでもこの機関に属する322名の研究員は、極めて有能だった。

 ただ、幅広い知識と手法を備えていただけではない。彼らひとりひとりには、「数日後には城塞都市陥落必至」の状況下で、研究に打ち込み続けるだけの鋼鉄の意志が宿っていた。


 文献史料を整理し、『勇者伝説』に関する情報を掻き集めていた文献班。

 異世界への避難を模索していた疎開班。

「魔力波と魔力波の衝突による空間の歪みの生成」の軍事転用を研究していた戦装班。


――様々な研究班の研究成果と、人類滅亡のその瞬間までに【勇者召喚】完成を間に合わせようとする意志が、人類の未来を切り拓いたのである。



 彼らに対する王女ヴィルガイナの信頼は、厚い。



「王女殿下。術式は既に完成しております。但し、魔力の集積にいま暫く時間が――」


「何も万単位の人類を一度に連れて来いとは言っていません。100人、いや10人程度でもいい。速やかに取り掛かりなさい」


「はい。いえ、王女殿下……。10人を召ぶだけでも、魔力量が絶対的に足りないのが現状なのです。先の防衛戦からむこう、あの異世界人はこの辺り一帯の魔力を操作し続けていますから、我々王立中央魔導院が自由に出来る魔力が、その分獲られてしまっていてですね――」



 人骨や亜人の骨格標本や、硝子製の小瓶や蔵書が収められた棚が、壁沿いのみならず部屋中に並び立つ研究者の巣窟。

 そこで行われた魔導院院長と王女ヴィルガイナの密談は、極めて短い時間で終わりそうであった。

 計画の進捗は悪い。順調ではないことを、院長は正直に告げた。



「城塞都市郊外での戦闘がもう一段落した後、市内における魔力の密度が回復してからでなければ、新計画の発動は困難です。……仮に魔力量が十分でない状況で実施すれば、不必要な感情・知性を剥奪する作業が不完全になる可能性があります」


「では発動に足る状態になったら、報告を。人類の浮沈を決定づけるこの計画――成功に導いてください。王立中央魔導院には期待しています」



 弾けるような笑顔と、跳ねる銀髪――王女は聞きたいことを全部聞いたのだろう、くるりと踵を返すと、警護の女性騎士を引き連れ、地下研究室を速やかに退散する。

 その後ろ姿を見送った院長は、はあ、と安堵の溜息をついた。

 と、同時に、正統王国の未来を賭けて戦う王立中央魔導院の長は、疲れ果てた中年男に戻ってしまう。


「身分違いの恋、ですか?」


「文じい、冗談はよしてくれ」


 彼に声を掛けたのは、長身の老人だ。彼の纏うよれよれの白長衣には、旨の位置に「文献」と書かれた札が付けられている。……彼は、正統王国が代々受け継いできた文献史料を整理・分析する、文献班の班長であった。

 渾名は文じい、あるいは万年班長。

 この名は生半可な冗談ではなく、この男は院長が研究職に就いた時から、文献班の班長を務めている。

 出世街道を往く院長からすれば、この老人は部下だが、同時に先達の研究者であり、人生の先輩であった。


「いや失礼。……彼女と関係を持ったら身が持たないでしょうなあ」


「そうだよ、文じい。王女殿下は覇道を往くお人だよ、正統王国隆盛に繋がるのであれば、どんな悪業だって為す。理由なく切ることはない、って分かってても、いつか罷免されるんじゃないか、粛清されるんじゃないかって考えさせられる」


「計画が進行している限りは、安泰でしょうな」


「最低な計画だよ。減りすぎた労働人口を一挙に再生させ、国土を復興するにはこうするしかないって分かっていても。確かに計画遂行後は、どうなるか……いまは精一杯、俺たちが役に立つってところを見せとくだけだ」


「現行の計画が成功したとしても、魔族を滅ぼすまで、正統王国が復興するまで――次の、また次の指示が与えられて、新しい計画に取り組むことになる。我々が切られる、なんてことはないと思いますけどね」


 我々は人類の叡智、その体現者ですから。


 不敵に笑う万年班長に釣られて、院長も笑った。

 白衣の裾で額の汗を拭い、嫌な想像を頭の外へ引っ張り出す。その通りだ、俺たちが居なくなれば、正統王国の科学技術、その進歩はそこで頭打ちになる。


 ただ、と老人は唐突に表情を曇らせる。



「我々が心血注いだ【勇者召喚】。【異人喚起】、【思性剥奪】。対術班は封印されていた【動屍製造】を再戦力化。勇者の攻撃を再現すべく、戦装班も動き出しているんですよね」


「ああ。向こうさんもそうなんだろうが、こっちも形振り構ってられないからな。あらゆる遮蔽物をも貫通し、動植物の細胞を破壊する【異形変容】の再戦力化もはじまってる。……いつまで経っても、異世界人ひとりに頼りっぱなし、って状況もまずいからな。正統元帥エドヴァート閣下にも、大威力の【技能】普及をせっつかれちゃったよ」


「この調子で行けば、我々が大帝国を滅ぼした勇者に並ぶ時代も、そう遠くないのかもしれませんね」


「ん、まあそうかもな」


 院長は特別それに、恐怖は覚えない。

 非道を極めた技術は、人類にではなくもっぱら忌々しい魔族を駆逐するために用いられるのだから。『勇者伝説』にみえる勇者に、比肩し得る武器を手に入れることに、躊躇する必要などない。


「まあ運用は俺たちの領分じゃない。殿下や正統元帥閣下は、適切に使ってくれるよ」




◇◇◇




 鬼族、蟻族、獅子王軍による攻勢から、4日後。


 城塞都市市内、無数にある地下室のひとつにて、海野は情報幕僚アーネから戦果の報告を受けていた。

 密室だが、ふたりきりではない。

 室内戦用に柄を短く切り詰めた槍を抱え、甲冑に身を包んだ警備兵達も一緒だ。



「海野様の攻撃に関する評価です。初日。装甲蟻人から成る一兵団、獅子王軍挺身第3連隊、鬼兵3ないし4個部隊、魔王軍歩兵第6師団、一個砲兵連隊が消滅判定。推定死傷数は3万5000」



 声が鈍色の壁に跳ね返り、反響する。

 彼女は何の感傷もなく、遠視系の【技能】と偵察班によってもたらされた情報を、ただただ読み上げてゆく。


 一方で海野も、無反応でそれを聞く。



 無関心なのではない。


 最近、海野の頭は回らなくなっていた。

 【技能】を使った後の、身体的なだるさとはまた違う。

 思考を続ける気力がもたず、原因を突き止めなくては、と思っても、その先を考えてゆくことが出来ない状態。

 呆ける頭脳は、「このままでは、王女の言いなりだぞ」と警鐘を鳴らすが、何か現状を打開するための行動案を練られるほどには動かない……。


 いま海野は椅子の背にもたれかかり、アーネの言葉が終わるのをただただ待っている。


 しかしながら魔族攻囲軍が撤退の兆しを示すまで続けられた3日間に渡る、海野の攻撃による戦果は膨大だ。

 鬼族が攻勢を仕掛けた初日と、その翌日だけで6万は下らない数の魔族が「消滅」しており、アーネの戦果報告は時間が掛かった。



(王女殿下が召喚された勇者、とんでもねえ野郎だ。『勇者伝説』も、あながちただの伝説じゃねえな……野戦師団3個を消し飛ばすのに2日しか掛かってねえ)


(剣士や銃兵の熟練者は一目で分かるが、魔導兵の実力は外見では分からないものだな)


(どやらこれで俺たちも田舎に帰って――いや、畑はもう荒れ放題か。もうみんなもいないし、どうすりゃいいんだ)



 扉の左右や壁際に立つ警備兵達も、自然これを聞いている。

 直立不動こそ取っているものの、彼らの心は、揺れに揺れていた。


 情報幕僚の口から発せられるこの戦果は、中継器を通して聞く過剰宣伝とは違う、本物の情報だ。

 2日で、6万を殺した。この調子なら、戦争終結の日はそう遠くないはずだ。


 ……だが戦争が終わったところで、この正統王国には鈍色の城塞都市と、荒れ果てた国土しか残ってはいない。


 この城塞都市でさえ、外縁部は瓦礫の山なのだ。城塞都市や王都のような都市部へ、食糧を供給していた地方農村は、魔族達の宿営地になり収奪され尽したか、敵味方どちらかの焦土作戦によって灰燼と化しているだろう。

 地方出身の正統王国軍兵卒や義勇兵は多い。みんな戦争が終われば、自然と帰農するだろう。


 だが荒廃した故郷を再興することなど出来るだろうか?


 まず第一に、人手が足りない。昔馴染みの同郷の人々、そのほとんどは、みな魔族に殺されてしまった。

 また城塞都市近郊の戦闘や、後に発生し得る会戦で大敗を喫した魔族が、小軍勢に分かれて地方に潜伏し、生活を脅かすかもしれない。


 城塞都市を守り抜き、人類滅亡を回避する――1日1日を生き抜き、戦い抜くことに必死で、勝った後のことなどまったく考えていなかった。

 とりあえず勝てばどうとでもなる、そう漠然と今まで考えてきたが、戦後のことを実際に深く考えると、将来は暗澹としているように思えてならない。



 ……思いながらも、だがしかし警備兵達は顔には出さないでいる。


 海野も、黙ったままだ。

 こちらは身体も、頭脳も、ほとんど動いていない。



「3日目。獅子王軍挺身第4連隊、蟲族一群、魔王軍歩兵第8師団、消滅判定。推定死傷数数は2万5000。また西南大河への攻撃については、正確な数こそ分かりませんが、相当数の水棲魔族を撃破したと――」


「うっ……うそをつくな!」


 そのとき、アーネの言葉を遮る者が現れた。

 それは心神喪失状態の海野でもなく、部屋に複数人詰める警護の兵士でもない。


 海野の後ろに立つ女だ。


 粗末な貫頭衣と首輪を身につけ、憔悴しきった若い女性。

 美しい金髪と、碧眼はその輝きを失ってはいなかったが、彼女が一族の誇りとなる長耳は妙な方向へ捻じ曲がり、変形してしまっている。

 だが彼女、元・翼竜騎兵――現・愛玩動物の(勇者のペットとして、彼の後を追うことを強要されている)シュティーナは、まだ魔族としての矜持を忘れてはいなかった。



 執拗に魔族を攻撃する人類を駆逐し、この大陸に多種族が共存する社会を築く。

 陛下の夢が、種族間に横たわる溝を無視して大連合を成し遂げた魔族攻囲軍が、たったひとりの魔導兵によって滅ぼされるはずがない。

 シュティーナは正統王国語を喋ることは出来ないが、魔王軍・連隊・師団・消滅・全滅・万、といった簡単な軍事用語くらいは知っていた。



「1日、2日で万単位の兵員を殺傷だと? で、出来るはずがない! われわれ魔族の誇り高き戦士に対するぼう――」


 魔族の言葉で反論するシュティーナだが、情報幕僚は最後まで彼女の言葉を聞こうとはしなかった。


「ここでは、人類の言葉で喋りなさい」


 早口で喋るアーネの言葉は、当然正統王国語。生粋の魔族、耳長族のシュティーナが聞き取れるはずがなかった。

 え、なにを言って――と思わず魔族語で言いかけた彼女だが、言葉を続けることが出来なかった。



「ここではなあ! 正統王国語で喋るんだよ!」



 罵声と暴力の嵐。



 直近に居た警護の兵士が、シュティーナの横っ面を張り飛ばした。

 捕縛直後の拷問と粗食のせいで、元翼竜騎兵の体力は、もうほとんど残されていない。彼女はほとんど無抵抗に、床に倒れ伏した。

 それでもなお溜飲は下がらないのか、兵士は横たわる彼女の腹に蹴りを入れ、短槍の柄で突き転がす。


 鉄板の入った軍靴、躊躇いなく振り下ろされる短槍。

 彼は弱者を甚振るための、手加減された暴力を振るっているのではなかった。


「ヴァーザゴッ――止めろ!」


 短槍を捨てた同僚達が組み付いて、ようやく暴行は止んだ。


「騒々しい。その兵卒を、外へ出しなさい」


「はッ、申し訳ありません! ……あの、ヴァーザゴは戦場生活から戻ったばかりでして」


 魔族の言葉は、人々の嫌悪感を駆り立てる。

 何を喋っているか分からない、そういう恐怖感もあるし、また魔族語の発音は、人間の耳には、鉄板を針金で引っ掻いたような、不快な高音にしか聞こえない。

 また戦場生活が長い兵士達の中には、昼夜を問わず聞いたその音声に、激烈な反応をみせる者もいる。


「処罰については追って報せます……申し訳ありません、海野様」


「いや、いい」


 シュティーナの飼い主、海野陸は首を振った。

 拾った彼女のことなど、もうほとんど気にかけていない。情報幕僚アーネや王女ヴィルガイナに彼女の待遇改善を要求することも、とうの昔に忘れてしまっていた。

 それよりも、もう彼は限界を迎えつつあった。


「アーネ……もういいよ、その、戦果は。それは、俺がいちばんよくわかってる。わかってるんだ」


「海野様、どうかされましたか」


「休ませてくれ」


「わかりました。……でもその前に、食事だけは摂って頂きます」


 先程までの冷徹な表情は、どこかへ消えた。

 破顔一笑するアーネ。


 だが海野は心中、苦々しくその笑顔を見つめていた。



(……薬物か)

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