12.城塞都市決戦! (中)
【正統王国軍 標準大隊】
大隊本部――本部要員・警備/偵察小隊
――大隊砲4門(※)
――第1中隊(200名程度)
――第2中隊
――第3中隊
――第4中隊
(※)大隊砲は海野の世界で言うところの70-105mm砲クラスに相当
勇者との空戦により、大損害を蒙った第2翼竜騎兵団の地上指揮本部を、慰労をかねて視察中に、魔王軍参謀本部の参謀総長は、その凶報に接した。
鬼族が、独断で攻勢を開始する可能性がある。
それを巨大な水晶板――中継器を通じて、参謀本部に残してきた作戦参謀エイリスから聞いた時、参謀総長はまず大嘘だろう、とその報告を信用しなかった。
「馬鹿も休み休み言え。曲がりなりにも彼らは、我々魔王軍の指揮下にある。この参謀総長である私の許可もなく――」
『順当に言えば、その通りですけど! ――でも爺いッ、現実なんだ! 前線の諸部隊からは、鬼族の行動について逐一報告が上がってきてるんです! 少なくとも悪鬼王勢『破砕』、『劫火』、『略奪』……3個隊が、最前線に展開中らしい』
彼ら鬼族の一部隊は、魔王軍の一個連隊とほぼ同等、兵員2000名から成る。
悪鬼王勢『破砕』、『劫火』、『略奪』で、計6000名。
「エイリス、落ち着け。3個隊で兵6000。仮にそれに止まらず、悪鬼王の手勢が全部動いたとしても、精々数万――魔族攻囲軍全体からすれば、僅かな人数だ」
参謀総長は、一瞬で鬼族の軍勢を見捨てる覚悟を決めた。
「彼らが勝手に動いて、勝手に全滅したとしても、魔族攻囲軍は――魔族の大連合は揺るぎはしない」
仮に彼らが敵中孤立し、魔王軍参謀本部に救援を求めてきたとしても応じない。
独断専行を決めた彼らに付き合って、不利な市街戦に突入し、また部隊を「勇者を名乗る何か」の大火力に晒す必要はなかろう。
だがしかし事態は、参謀総長の想像を超えて進行していた。
『実を言うと、独断攻勢に打って出ようとしているのは、鬼族だけじゃあない! 獅子王軍、蟻族の連中も動き始めてるんです!』
「獅子王、蟻族――馬鹿な、彼らに限って……」
そんなことがあるはずがない、と言いかけて、参謀総長は唸った。
獅子王も蟻族参謀も、政治家というよりは武人、といった性質をもっている。
武人然とした彼らは、単独攻勢に打って出る鬼族を「自業自得だ」と嘲笑って、見殺しにしたりは決してしない。
むしろ「止むを得ない、我々は“竜の鼻先に立っている(=賽は投げられた)”」と、鬼族を援護すべく、自身らも攻勢に出るであろう。
「状況はわかった! そっちの参謀はみんな、制止に動いてるんだろうな?」
『当たり前! でも駄目なんです! まず鬼族参謀は前線に展開する鬼族を指揮する為に、悪鬼王の下に帰ったし、獅子王や蟻族参謀は、“格で言えば、貴殿ら参謀職と、我々とは同等のはずであり、申し訳ないが一軍の進退に関して、貴殿らの指図を受ける必要はない”の一点ばり!』
まずい。まずすぎる。
参謀総長の首筋を、一筋の汗が流れた。
鬼族はともかく、獅子王軍や蟻族を失うのは、今後の対人類戦と、戦後構想――魔王陣営中心の魔族連合体制――を考えると、あまりにも手痛い損失だ。
「とりあえず、すぐ戻る! 戻り次第、私が直接制止するつもりでいるから、せめて獅子王と蟻族参謀の居所だけは、常に把握しておいてくれ!」
……だがしかし参謀総長が、第2翼竜騎兵団地上本部を離れようとした頃には、鬼族どころか、獅子王軍や蟻族達の攻撃が、既に始まろうとしていた。
曇天の下。襤褸きれを纏った小鬼達は、錆びた槍を掲げながら南進を開始した。
だが、その歩みは緩慢だ。
隊列を組む知能がないため、それぞれが適当な歩調で歩いているが、彼らはみな恐る恐る、といった体で歩いてゆく。
城塞都市北部外縁に姿を現した鬼族の軍勢は、悪鬼王勢『蹂躙』、『破砕』、『劫火』、『略奪』、『鉄槌』(【地空熱壊】で一度は壊滅したが、再編成済)と、兵力にして約1万。
対して城塞都市北部外縁、十数万歩間(=数km~10km前後)を防御する人類軍戦力は、第1歩兵連隊第2大隊642名と市民義勇兵891名――合わせて1533名でしかない。
圧倒的戦力差。
だがしかし前線を歩む小鬼達に、数的優位など関係ない。
人類殲滅の日は近い、そして誰もが魔族勝利の日を「生きて」迎えたいと思っている。
彼らの士気は、低い。なんだって俺達が攻撃をしなきゃいけない、魔王軍がケリをつければいいじゃないか、と誰もが考えている節がある。
小鬼達よりも体格も、装備も優れている下士官や士官級の鬼達もまた、頭では「ここで一押しすれば勝てる」と分かっていたが、やはり納得しきれていない。
「ガイヘキ、コえろー」
度重なる砲撃と爆撃によって所々を破壊され、攻め手によって複数の梯子が掛けられたままの街壁を越えた鬼族の戦士達は、建造物がちらほらと残る瓦礫の海へ、足を踏み入れる。
その途端に、銃声が轟いた。
「フせろー!」
小鬼達はすぐさまその場に伏せ、あるいは瓦礫の小山の影に隠れるが、不運な者は銃弾に身を貫かれ、鈍色の世界に赤や緑の色彩を撒き散らす。
「フせ――」
飛来する銃弾は、一発や二発ではない。
遠雷の如き銃声は、連続して鳴り響き、どこからともなく鬼族を殺害してゆく。
貧弱な槍と棍棒を手に、襤褸を身に纏って吶喊する彼らには、反撃はおろか防御する手立てすらない。
見渡す限り、鈍色の色彩。そのどこに狙撃手が潜んでいるかの検討もつかないままに、ただ前へ前へ駆ける彼らは、先頭から順繰りに射殺されてゆく。
これは、だめだ。
飛来する銃弾に恐れをなし、瓦礫の山の裏側に隠れた鬼族は、知能が低いながらに思う。
(にんげんは「じゅう」をつかう。いつもは、おににも「りゅう」や「ほう」がある――だからころせる! だけどいまは「りゅう」も「ほう」もない……なんで)
これまで彼が見てきた戦場と、目の前の光景は、何もかもが違っていた。
敵銃兵による防御施設からの射撃があれば、すぐさま上空に待機する翼竜騎兵が反撃し、あるいは通報を受けた後方の砲兵が、銃兵が潜むであろう一帯を、猛烈な火力で制圧する――鬼族が経験してきた「戦争」とは、こうして大火力が投射された後の廃墟へ前進して、ひとえに残敵を殺す行為であった。
もし抵抗する拠点が生きていれば、それを魔王軍に通報して、また潰してもらう――銃兵が立て篭もる防御施設を制圧するため、悪戦苦闘した経験など有りはしない。
だがいまは、航空支援も支援砲撃もない。
「ナゼだ――“りゅう”は? “りゅう”はドコにイる!」
「こんのお馬鹿! いまてめえら鬼族は、勝手なことしてんの! わかる? 俺らの翼竜騎兵や砲兵が、この攻勢を援護出来るはずがないだろ! お前らの」
飛来する小銃弾から身を守るべく、以前の攻勢の際に空いたらしい砲弾痕の窪みに隠れたふたり組は、熱心に議論をはじめた。
ひとりは下士官級の鬼。
もうひとりは、魔王軍第65砲兵連隊本部から派遣されている小人族だ(彼の任務は前進観測、後方の砲兵連隊へ標的の位置を報せることである)。
「おマエがイってることは、よくワからない。――おい、キサマら! オレのそばにこい! カクれてろ! いまイっても殺されるだけだ。――とりあえず“りゅう”は、クるのか。コないのか? “ほうげき”は?」
「いまさっき連隊本部に、“鬼族『蹂躙』、人類側前面陣地へ攻撃を開始。我6512番も、規定の観測任務に就く。事後の指示を請う。”とだけ【遠隔伝言】で報告しといたよ。でもよお……たぶん、砲撃も竜もなしだ。魔王軍は、この攻撃を援護出来ない!」
「なんで?」
「何度も言ってるだろ? 魔王軍参謀本部への相談もなしに、いま鬼族は勝手に攻撃してるの! わかる? 鬼族は悪いことをして、魔王軍は怒ってるの。俺んところの第65砲兵連隊だって、急に支援砲撃を要請されたって準備が出来てないし、師団司令部・軍団司令部――魔王軍参謀本部の許可がなけりゃ、支援なんて出来ないの!」
「そんなことをイわれても、“勝手な攻撃”なんてオレたちはシらない。オレたちは、命令されただけだ……魔王はオレたちをタスけてくれないのか!」
攻勢は、早々に頓挫した。
理由はふたつ。
魔王軍砲兵連隊と同翼竜騎兵団、竜王軍による支援が得られないままに(鬼族は砲兵や航空戦力を有していない)、ただ闇雲な突撃を命令したため。
またふたつ目の理由としては、人類軍将兵の抵抗線に接した際に、それを排除して前進しようとする士気が、鬼族にはなかったことが挙げられる。
こうしてみると鬼族参謀は、無謀な攻勢を企画したものだ、と思われるかもしれないが、彼にも彼なりの公算があり、「ただ肉薄を試みる稚拙な戦術となっても、攻勢は絶対に成功する」と考えていたのだ。
なにせ鬼族1万が攻め寄せる、都市北側外周縁の十数万歩間(=数km)を防御する人類軍将兵は、1000名から多く居ても2000名程度。
魔族を悩ませる銃兵や魔導兵は、その1割程度しかいないはずだから、物量任せでひたすらに力押しすれば押し切れる、と考えるのは不自然ではない。
だが現実は、違った。
矢弾から身を守る胸甲も、防弾盾も与えられないまま、戦場へ放り出された鬼族兵卒は、瓦礫の海中に隠れて動かない。
彼らを前進させようと叱咤し、時には見せしめに友軍を殺しさえする鬼族士官は、目立ち過ぎて早々に射殺された。
「第124中隊本部から報告です。“敵士気僅少。前進は停滞。未だ支援砲撃及び騎影なし”。以上です」
「うちが出した偵察の連中も、同様の報告をしています。敵の指揮官を粗方射殺してやったので、どうやらもう組織的な攻撃は無理なんでしょう。鬼族はあまり頭が良くないし、勇敢でもないから」
地下室内に、楽観的な意見が飛び交う。
城塞都市北側の防衛を担当する、第1歩兵連隊第2大隊本部の雰囲気は、一時期に比べればかなり和らいでいた。
はじめ「鬼族部隊が攻勢準備を整えつつある」旨が報告された際、第2大隊本部の士官の誰もが悲観的な考えに囚われたが、いざ戦闘が始まると、危惧された激しい空襲も砲撃もなく、防戦も順調そのもの。
現在のところ、死傷者はひとりも出ていない。
「勇者に頼らない久しぶりの大勝利、ってところか……だが、まだ油断するな」
それでも第2大隊大隊長は、まだ気を揉んでいる。
“まだ糞が尻についている(=油断大敵/勝って兜の緒を締めよ)”、という警句もあるように、今後敵の攻勢がどうなるかも分からない。
仮に翼竜騎兵団と砲兵連隊による支援攻撃が開始されれば、防戦はすぐに厳しいものになろう。
戦線への鬼族の浸透も、許すことになるかもしれない。
「大隊偵察と中隊各本部には、空爆・砲撃の兆候があれば、すぐ報せるように引き締めておけ」
「了解です。……連中が砲爆撃もなく、のこのこ出てくる理由も分かりませんからね」
第2大隊本部では、自隊が担当する管区に攻め寄せた鬼族の頭数を、3個連隊規模(兵数6000)と見積もっていた。
対する第1歩兵連隊第2大隊の兵員数は、僅か700名程度。
これに数日の訓練を受けただけの元市民――防衛志願兵を含めても、1600名に届かない。
幾ら無策で突っ込んでくるとはいえ、彼我戦力差は1:4(正確には、人類:鬼族=1:6である)。
砲爆撃が始まれば、装備劣悪、まともな戦術を採ることが出来ない鬼族部隊でも、この貧弱な防衛線をぶち破ることは、不可能ではない。
しかも仮に鬼族部隊が敗走したとしても、魔族攻囲軍には予備戦力が幾らでもあり、その気になれば、矢継ぎ早に部隊を交代させながら、連続して攻撃し続けることが可能だ。
なにせこの第1歩兵連隊第2大隊の前面だけでも、魔王軍歩兵師団が2個、加えて他族軍の複数個連隊が存在すると考えられている(総兵力6万?)。
彼らを念頭をおいて考えれば、彼我戦力差は1:40――戦死するまでに、人間1人が魔族40体を殺してようやく、相打ちになる計算だ。
出かけた溜息を押し殺し、大隊長は机上の図を眺める。
彼我相殺では、いけない。
魔族どもに泥沼の市街戦を味合わせてやり、撤退に追い込んだ後は失地を回復し、すぐにでも産業を復活させなければならないからだ。市民兵も解散させて、あるいは正規軍の兵卒も農具を手に、鎚を手にしなくてはならないだろう……。
あまりにも遠く感じられる未来を考えて、呆然としていた大隊長の背後が、伝令の出入りと士官達の囁き声で騒がしくなった。
「どうした?」
「大隊長、第124中隊本部から報告です――“前面に装甲蟻兵の密集陣出現! 規模算定不能。大隊砲による支援砲撃を要請する”とのこと!」
「装甲蟻兵だと!?」
こちらが戦力に乏しい以上、何が来てもまずいのだが、その中でも装甲蟻兵は特別厄介だ。
外骨格に覆われた彼らの身体は、生半可な武器では到底傷つけることが出来ず、小銃や短弓による射撃も、相当な至近距離でなければ弾かれてしまう。
それが蟻族特有の一糸乱れぬ戦列を組んで、ひたひたと押し寄せる――結果、小手先の散兵戦術で対抗する人類兵士は、無慈悲にも轢殺されることになる。
この集団戦を得手とする蟻族に対しては、2と1/2指間(=75mm)級前後の曲射砲による阻止砲撃が有効であるが、大隊手持ちの火砲は僅か1門しかない(元は4門あったが、激しい攻防戦の最中に3門は失われた)。
砲弾も僅か44弾――これでは、碌な支援も出来ない。
「……“大隊砲による支援砲撃は、許可出来ない! 中隊配備の噴進砲で対処せよ”」
「第122中隊本部から報告! ――“本122中隊は現在、鬼兵に代わり新手の獣兵と交戦中。また隣区123中隊に、騎獣連隊が突入した模様。本中隊はこれを援護出来ず”」
「蟻族のみならず獅子王軍までもが……123中隊本部は? 何か言ってきているか?」
「いえ、特には。至急、問い合わせます」
「一応頼む。これで連絡がつかなければ、第123中隊は本部まで食いつかれたということだ。第123中隊の防衛担当区へ、大隊の偵察班を回してくれ。最悪、その偵察兵で急場を凌がせる。後は連隊本部に泣きつくしかない!」
防御力と集団戦に特化した装甲蟻兵、速度と突破力に優れた騎獣。
これは、防衛線を抜かれるかもしれない、と大隊長は内心で覚悟を決めた。
◇◇◇
時間を、少し戻す。
人類軍統合幕僚会議。
「勇者海野の攻撃による、集団墓所と近隣区画の可及的速やかな制圧」
王女の提案は、単なる力押しでの解決であった。
海野が放つ【技能】の破壊力は、既に先日の戦闘で実証済みだ。
迅速に事を済ませることが出来れば、正統王国軍の戦力を後方へ振り分ける必要もなく、制圧後は勇者海野の火力を前線へ投射することが可能になる。
これが現実的かつ最も効果的な策であることは、論じるまでもなかった。
「では、各地区の自警団に市民の避難を急がせましょう」
先程のように茶々を入れられては、たまらない。
王国軍の最古参、エドヴァート・ウィール正統元帥はすぐさま賛意を示し、他の正統王国軍の将官達も頷き合い、いよいよ出番が来たとばかりに士官達が、市民達の避難経路を設定しはじめる。
だが、王女は首を傾げた。
「……? エドヴァート正統元帥。私は“可及的速やかな制圧”を望みます」
「はッ、申し訳ありません。では自警団のみならず、廃兵院の兵員も動員致しまして――」
「ふぅ……」
ため息をつき、機嫌を損ねた仕草をあからさまにとった王女を見て、ようやくエドヴァート正統元帥をはじめとする正統王国軍将官達は、それを理解した。
彼女は「避難完了にかかる時間が惜しい、すぐ吹き飛ばせ」と言いたいのであろう。
「殿下、それは……」
私はまだ、殿下の悪辣さを少しも理解していなかった――正統王国軍最古参として謀略を張り巡らす王女に手さえ貸し、その実体をこの場でもっとも知悉しているはずのエドヴァート正統元帥は、狼狽した。
殿下はたしかに、「莫大な肉を食らい、その手を血で汚して」この場に居る。
だが無辜の民草を切り捨てるような直接的な決断を下したことは、いままではなかった。
だからこそ正統王国軍は、人類存続の為に必要となる殿下の選択――王族抹殺、他国高官殺害――を常に支持してきたのだ。
「正統王女ヴィルガイナ殿下ッ――それだけは! それだけは!」
沈黙した正統王国軍将官に代わり、声を張り上げたのは亡命政府関係者のひとり――ソヤス共和国共和議官、ボーツキャ・ラファーレンであった。
「集団墓所隣区には、旧共和民が多数居住しているのです!」
普段、議場では無口な彼女も、ヴィルガイナが示した解決策には口を挟まざるをえなかった。
集団墓所周辺には、旧共和国民達の居住区がある。
ラファーレンは、大は対魔族戦線から、小は自身の身嗜みまで、ずぼらでいい加減なことで有名であったが、旧共和国民の生命に関しては酷く敏感であった。
「共和議官殿。決断しなければ、我々人類は全てを失います」
素早く論陣を張ったアーネ・ニルソン情報幕僚や、王女ヴィルガイナの脳内では冷徹な計算が完了している。
集団墓所周辺に住む旧共和国民など、300名程度であろう。
その為に、城塞都市に拠る人類数万の存亡を賭けるわけにはいかない。
だがしかし、ラファーレンも退くことが出来ない。共和国最後の選挙で初当選を果たした共和議官は、そうした計算式を受け容れられるほど冷酷でも、老いてもいなかった。
幕僚会議は、こじれた。
この後ラファーレン側についた他国の亡命政府高官達と、アーネ・ニルソン情報幕僚の間で論戦が始まり、戸惑いを隠しきれない正統王国軍将兵達は、暫く沈黙したまま事の成り行きを見守る。
エドヴァート正統元帥は「勇者殿にはまず、魔族攻囲軍の攻勢を阻止してもらいましょう――我々はその間に市民の避難を完了させてみせます」と提案してみたが、王女ヴィルガイナはかぶりを振った。
集団墓所から溢れ出る死人を阻止しきれず、現在も事態拡大を許している自警団に、避難誘導など出来る余裕があるはずがないではないか。
海野はと言えば、もはや諦めの境地であった。
王女・情報部と亡命政府高官が対立し、軍部は後者に同情的という状況。
海野としては、下手に発言して敵を作りたくはなかったが、王女閥の庇護下を脱してやっていく自信もない。
ただただ混迷極まる幕僚会議を、眺めていることしか出来なかった。
……他に打つ手がない以上、「市民と市街地ごと死人を処理する」方向で纏まるであろうことは、海野もわかっている。
【ソヤス共和国】
開戦前は総人口300万、独自の公用語を持つ人類国家であったが、現在では城塞都市に亡命したボーツキャ・ラファーレン共和議官と、僅か二千数百名の避難民が、将来の共和国復興を誓って「生きている」だけである。
平時から徴兵制を敷き、強力な常備軍と潜在的な予備戦力を維持していたソヤス共和国の不幸は、その国土が東方辺境――元来の魔族勢力圏に近すぎたことだ。
突如として「暗黙の境界線」を踏み躙った魔王軍の攻撃、その西侵速度はソヤス共和国合議会と国民軍軍議会の想定を遥かに超えており、総動員を発令することも出来なかった(仮に動員命令が下り、10日間の猶予があれば、王国軍は総兵力60万に達したであろう)。
緒戦3日で国民軍は敗退を重ね、組織的抗戦が不可能となり、誇り高き共和国共和議官達と共和国民達は、死か周辺国への亡命、どちらかを選ぶしかなかった(とはいえ幾つかの周辺国は国境で避難民を追い返し、魔族に殺させるに任せたため、生き長らえた者は少数であった)。




