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10.死者なき都市へ

 海野が王女に迫られたその翌日の天気は、曇天だった。

 ねずみ色の雲が低く垂れ込め、陽光を遮るせいで少し肌寒いように感じられる。

 あらゆる手を使って飲料水を確保しなければ、と考える城塞都市の市民は、もしかすると一雨来るかもしれない、と期待していたし、王国軍の将兵達は曇天により【能動技能・空中走査】(防空レーダー)の性能が落ちるのでは、と危惧した。

 翼竜騎兵達が雲海に紛れて城塞都市上空まで飛来し、奇襲攻撃を仕掛けてくるのではないか。当然ながらそうとも考える彼らは、索敵役の人員を増やし、魔力波をより強い出力で高空まで飛ばすよう手配しつつ、この曇り空を不安げに見つめている。


 魔族の所有物になって久しい旧王都上空も、同じく曇天であった。


 参謀総長や主だった魔王軍参謀本部の参謀達は、「かみなりこわいこわい」と言って、部屋に引き篭もったエリーザベト姫の相手をしている。戦況は拮抗状態、持久戦ではこちらが有利。いったん解散された軍議は、姫が魔王領に帰った後に、再開されることになっていた。


「くそッ――魔王軍の連中は、何とも思わないのか」


 それが鬼族の参謀には、面白くない。

 宛がわれた自室に引き篭もった彼は、床に寝転がって愚痴をこぼす。


「彼らとて我々鬼族と同じ、呪縛に囚われた民ではないか」


 彼の言う呪縛に囚われた民とは、『勇者伝説』において勇者が創り出したとされる、鬼族・耳長族・小人族・巨人族のような亜人のことである。『勇者伝説』によれば、大地を人類の大帝国が統べていた時代、大帝国の王族によって面白半分で喚び出された勇者は、激怒した後に王族や帝国軍高官を嬲り遊び、一部を異形へと変貌せしめたのだとか。

 伝説の上ではその異形が、鬼族を初めとする亜人の祖先ということになっている。

 鬼族の彼は、その伝説を半ば信じており、故に先程の軍議では、その出自を愚弄した竜族を許せなかったのだ。また『勇者伝説』によれば、蟻族や蟲族もそうだが、魔王軍参謀総長の耳長族もこの勇者によって創り出された種族であるらしい。


 ……だからこそ、鬼族である彼の憤懣は収まらない。


 公称「勇者」の人類軍新兵器が戦線投入されたばかりの現在こそ、魔族攻囲軍は徹底的に攻撃を仕掛けるべきなのだ。仮に人類軍の切り札が、正真正銘の勇者であったとしても、『勇者伝説』と比較する限りでは、その戦闘力はまだまだ小さい。おそらく何らかの制約があって実力を発揮出来ていないか、まだ戦闘に慣れていないのだろう。

 多少の損害は覚悟の上で、いまここで勇者と人類を滅ぼさなければ、逆に魔族は手痛い打撃を被ることになる。

 そして鬼族をはじめとする亜人達は、また文明や理性を失い、暗黒の時代に逆戻りすることになるのではないか、と彼は恐れていた。

 勇者に理性や知性、帝国公用語を奪われた大帝国の子孫達(つまり鬼族や蟲族)が、意思疎通も出来ないままに、互いを怪物と断じて殺し合う時代が、ごく最近まで続いていたのだ。

 もしこの機会に勇者を殺すことが出来なければ、再び魔族の文明は破壊され、暗黒の時代に突き戻されるのではないか……彼は本気でそう考えていた。


 危機は、いまそこにある。


 それを大帝国の時代から、ただ安穏と過ごしてきた竜族はともかく、同じ亜人の魔王軍の参謀総長も分かっているはずだというのに。


 鬼族参謀がまた愚痴を吐こうとした時、廊下から声が聞こえてきた。


「参謀どの、我々は参謀本部有志の者である! 失礼する!」




 参謀総長を初めとする大多数の魔王軍の参謀は、「現状維持」の方針に納得していたが、しかし少数ではあるが、鬼族参謀と同じく攻撃の手を緩めるべきではないと考えている連中も、また居たのである。


 魔王軍参謀本部一部将校と鬼族参謀の結託は、この絶滅戦争を思いもよらない方向へ導くこととなる。




◇◇◇




 正統ユーティリティ王国の国民は、体系化された宗教をもたず、また慰霊や祭祀の為に墓を築く習俗すらない。

 彼らの多くは死後の世界を最初から信じず、「人間は死ねばただの肉塊となるだけであり、存在するかも分からない霊魂の為に労力や時間を使うのは無駄だ」と考えている。

 死者に関する掟があるとすれば、その遺骸を他に再利用してはならない――食料や燃料、(物理的な)道具として利用してはならない、というところか。


 それ以外には特別、禁忌はない。


 故に正統王国の人々は、城塞都市に立て篭もる以前まで、遺体を適当に処理してきた。

 森に棄てる者も居れば、薪や油といった燃料と共に灰にしてしまう者も居る。

 王族も例に漏れない。墳墓や特別な塚を造ることはおろか、特別な式典もなく、大体は大河に流してしまう。特に謀略が横行する上流階級の世界では、周囲が検死を試みる前に、死体を棄てるやり口が好まれていた関係があるらしい。


 ただ城塞都市アナクロニムズ防衛戦の戦死者は、そういう訳にもいかない。


 遺体を処理する労力を惜しみ、都市内に放置することは衛生の悪化を招く。

 城塞都市市民の多くは、公衆衛生に対する知識をほとんど持っていないが、実体験として放置された遺体は腐敗して悪臭を放ち、また羽虫の発生源になることを知っている。

 敵の死骸と味方の遺体問わず、防衛戦はじまって以来、人類軍将兵と城塞都市市民達は協力して、これを処理し続けてきた。



「よし! 133中隊の戦死者は、この区画に埋める」


「紙上で見る限りでは、規定より範囲が狭いですね。第1歩兵連隊第3大隊第3中隊は、ほぼ全滅――遺体数181体ですが」


「問題ない。市民の協力もあって、当区画は深くまで掘り下げてある――133中隊は23番区画へ!」



 処理場に指定された都市中心部から少し外れた緑地帯では、図面を手にした士官の指示の下で戦死者の埋葬が行われていた。

 遺体を載せた担架を抱える市民達。その先には、深く深く掘られた急ごしらえの墓穴がある。そこへ彼らは、何の感傷もなく遺体を棄ててゆく。既に腐敗の進行により、激しく損壊し腐臭を漂わせている遺体も多い。


「1、2、3ッ!」


 担架から落とされた遺体は、急斜面を転がって穴底に捩れた姿勢で到達する。この遺体に卵を産み付けていた羽虫達は、突然の衝撃に驚いて一斉に飛び立ち、穴底に羽音を響かせた。

 その捩れた遺体の上に、また一体、また一体と転がり落とされた新たな遺体が積み重なる。

 五体満足の者、四肢が欠損している者、胴体がない者――人類勝利の日を信じて、あるいは人類未来の前途に絶望しながらも、戦友との連帯感により戦い抜いた英雄達は、物言わぬ肉塊となり、穴底へ消えてゆく。


「貴官らの勇戦は、人類の明日を切り拓いたぞ!」


 市民達の作業を見守っていたひとりの士官が、突然穴の淵から身を乗り出して、底の積み重なる遺体へ怒鳴った。

 彼は言う。もし貴官らが戦線で踏み止まることがなければ、勇者召喚も成らず、今頃は全人類が虐殺の憂き目にあっていたであろう、と。

 この不衛生な作業に従事する市民達や、彼と面識のない兵隊達は、「その独白、気持ちの整理には必要なのかもしれないが――作業の邪魔だ」、と冷たい視線を送る。だが彼らはすぐさま何かに気付き、気まずげにその視線を逸らした。


 士官の王国軍士官制服の襟は、涙で濡れていた。


 ……もしかすると、この戦死者達が所属していた部隊の生き残りなのかもしれない。


 泣き崩れる士官を見た監督役の下士官は、無言のまま作業をしていた市民や、兵隊達に「離れろ」と指示を出した。士官を無視して作業を続けるような、無神経なことは出来ない。少々予定が遅れるかもしれないが、後から取り戻せないほどでもないだろう。

 時間の余裕は、たっぷりある。

 我が物顔の翼竜騎兵が、城塞都市上空を飛びまわっていた先日まで、遺体処理は夜間の限られた時間でやるしかなかった。

 だがいまは、勇者がいる。

 連中はもはや勇者を恐れて攻撃をしてこない――実際、王女殿下の演説以降、翼竜騎兵が飛来することはない。



 下士官から報告を受けた現場責任者も、話を聞くと、まあしかたない、頷いた。

 王立軍官学校で部下も自身も、単なる戦力、単純な数字として計算することを学んだ士官とて、その種族は市井の人々と同じ人間だ。職業軍人としては好ましくないが、感情を御することが難しい時もあろう。緊急事態ならともかく、こうして余裕がある時は、些細な衝突さえ回避しておくことだ。

 足元に広げた図面を見つめ、無精ひげを弄りながら暫し考えた責任者は、133中隊の遺体処理を後回しにして、他の仕事を片付けることに決めた。



「先に人類軍統合幕僚会議情報部から回ってきた、身元不明の遺体の方を片付けるぞ。こちらは21番区画」


 責任者の指示を聞いた部下は、手許の木片に書き留めた雑記を手早く確認し、遺体数と区画の規模を読み上げる。


「身元不明遺体――23体ですね。21番区画の広さなら、十分収容可能です」


「よし、早速取り掛かれ」


 下士官と数人の兵士が、市民達に指示を出すべく散ってゆく。

 それを見届けてから、部下は雑記から視線を持ち上げると、一瞬逡巡した後に、現場責任者に声をかけた。


「この……統幕情報部から回ってきた、身元不明遺体についてなのですが」


 現場責任者は、重苦しい口調で喋り始めた部下の顔を二度見した。顔色は、少し悪い。普段から生真面目を守る表情が、更に強張って見えた。事なかれ主義を貫く彼はただ、「面倒なことは言ってくれるなよ」とだけ思う。統合幕僚会議情報部から回ってきた死体が、どんな性格をもっている物体かなど、決まっているではないか……。


 現場責任者は声量を落としながらも、明るい調子を保ちながら言った。




「さあな。大方、連中に片付けられた不穏分子、ってところだろう」


「それが、おかしいのです」


「なにがだ」


「情報部が持って来た身元不明遺体23体は、少年少女が6体、青年や若い女性が6体、高齢者が11体――しかも政府高官のように、見知った顔の者は居ませんでした。明らかに彼らは兵隊ですらない、単なる市井の人間です。……しかし、統幕の情報部が市井の人間を粛清しますか」


「考えるな。大方、空爆か砲撃にやられた人々の死体を、情報部がたまたま回収した、そう思え……!」


「全員、五体満足なんです。……これは人体実験に供された可能性が、あるのではないでしょうか」




 情報部の女性(彼女はアーネと名乗った)から、彼が引き請けた身元不明遺体23体は、不自然な点が多かった。

 砲爆撃で死んだのならば、当然あるべき外傷もなく、ただ絶命している老若男女――しかもよくまあ現在まで生き延びていた、と嘆息するほどの高齢者が11体も渡されたのだから、驚くなという方が無理な話だ。

 各部隊や軍組織から戦死者を預かる仕事に携り、多くの遺体を見ている彼が、これを【技能】等の人体実験に供されたものではないか、と疑問を抱くのは、当然だと言えた。


 だが彼の上司にあたる現場責任者からすれば、そんな疑問や悩みを打ち明けられたところでどうしようもない。

 これが平時ならば、軍上層部の闇を追及するのも悪い話ではないが、現在は戦時だ。自分の身の安全を度外視し、騒ぎを起こすことは容易いが、魔族の連中を前にそんな内輪揉めをやっている場合だろうか?


「……この件については、見過ごせ」


「これを見ても、そう言えますか?」


 だが部下は、引き下がらない。

 代わりに彼は懐の隠しから、戸惑いを隠せない上司に何かを手渡した。

 勘弁してくれ、と言いかけながら一応それを受け取った現場責任者は、その言葉を飲み込んで、ただただ驚きの言葉を口にし始める。




「なんだこれは! 何やら色々と書いてあるが……読めん。正統王国語ではないな! 精巧な絵もついているが、えらく写実的な肖像画だ。だいたい材質さえも分からん! 木でも、鉄でもない! 馬鹿な、これをどこで!」




 未知の素材で製造されたと思しき、掌に収まるくらいの板切れ。


 片面右隅には精巧な肖像画が載っており、両面には正統王国語ではない文字が印字されている。ただ王立軍官学校で幾つかの外国語を習得した現場責任者でさえ、それを解読することは不可能であった。その文字の形状を、一目さえ見たことがないのだ。


「入手経路についてお教えすることは出来ませんが、ただこれは、この身元不明遺体のひとりが所持していた物です」


 不可解な物体。


 よくまあ情報部を出し抜いてこれを手に入れたもんだ、と現場責任者はまず苦笑いしたが、すぐに真顔になって思考を巡らせる。これを所持し続けるのは、端的に言って危険だ。早々に処分してしまった方がいい。……遺体と一緒に土中へ埋めてしまうのが、一番いいかもしれない。

 最後まで諦めず説得してやろう、そう覚悟を決めてから、口を開く現場責任者だったがその口から出た言葉は、酷く間が抜けていた。


「ん、雨か?」


 反射的に掌を頭上へ掲げる、現場責任者。

 気のせいではなく、確かに雨が降り始めていた。

 無色透明、外見だけは何の変哲もない雨水は、この場に居合わせた生者と死者、両者に等しく降り注ぐ。


「作業中止だ。雨の中やったって能率も上がらんだろうよ」


 現場責任者は不思議な板切れを、胸の隠しに仕舞い込みながら、埋葬作業の中止を周囲に命令する。




 この時、既に城塞都市上空の雨雲は、悪意によって汚染されていた。


 禁忌【動屍製造】。


 ……木に吊り下げられた逃亡兵達がその白濁した瞳を開き、路地裏に放置されていた難民の死体が動き出し、肉の大半を失った翼竜達が目覚めるのに、そう時間はかからない。








次回、「11.城塞都市決戦!(前)」に続きます。


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