女の子には優しくするものだと教わりました -4-
愛姫は思った。
(…なんで、こんな悪魔を可愛いとか思っちゃったんだろう…っていうかなんで、出会っちゃったんだろう…!!)
愛姫の斜め向かいには、どす黒いオーラを放ちながら不気味に微笑む悪魔の姿があった。
「――――――っ!!…信じらんない…!!」
テルはくらくらする頭を押さえてよろける。
「は…はは…。」
フジはもう笑うしかなかった。
愛姫は意識が一瞬ぶっ飛びそうになったが、なんとか保とうと堪えていた。
「…とにかく、この方にはお帰りいただきます。こんなにもご迷惑をおかけしたんです、謝ってくださいアイ君。」
マスターは眼鏡のズレを直しながら、アイに向かって言った。その声はさっきよりも重く冷たく感じた。
「………わかったよ、悪かった。すんませんでした。」
ふてくされたようにアイは言ったが、絶対気持ちはこもっていない。
「…すみません、あとでよく言って聞かせます。今日は本当にすみませんでした。」
マスターは深々と頭を下げて愛姫に謝った。
「いっ、いえっ!そんな…こちらこそっ。」
あまりのアイとの正反対の優しさに、愛姫はジーンと感動していた。本当にいい人たちだ、アイ以外。
「あ、えとじゃあ…着替えてもいいですか?」
早く着替えて帰ってアイのことを忘れようと思い、照れながらカップを置いて椅子から立ち上がった。
「はい、ではこちらへ。」
マスターがカウンターの奥に愛姫を案内しようとした。そのとき、愛姫は見てしまった。アイが、不敵に微笑む姿を。
「…あーあ、どこに逃げるつもりだよ。その格好で。」
愛姫は少したじろいだが、頑張って強気な口調で言った。
「ど、どこって家に帰るんです。それにちゃんと着替えて…。」
すると愛姫がしゃべってる途中で、アイは愛姫を指差した。愛姫は不審に思うもののアイの指の先を追った。指したのは顔ではなく…。
「それ、どうするつもり?」
アイは黒い笑いを含んで言った。
「…―――――――っ!!」
そして愛姫はアイの言っている意味を理解した。アイの指の先、それは愛姫の太ももを指していて、薄いベージュのパンツに茶色いシミができていたのだ。
「えっ、うそいつ!?」
そして愛姫はハッとした。アイが"他人の嫌がる顔を見るのが楽しい"発言をしたとき、意識が飛びかけた。そのときに無意識にカップを斜めにしてしまって、溢したことにも気づかなかったのだ。
「っあ―――――――――!!」
愛姫が回想していると、シミに気づいたテルが叫び声をあげた。
「す、すみません!弁償します!!」
愛姫がすぐさま謝ると、テルは一瞬戸惑って苦笑いした。
「―――い、いいわよ弁償なんて。あなたは悪くないわ、びっくりしちゃったのよね…。」
「で、でも溢したのは私です!お願いします、払わせてください!!」
テルの隠しきれない落ち込みように愛姫は悪いことをしたようで申し訳なかった。例え騙されていたとはいえ、テルは一生懸命愛姫をカッコ良くしようとしてくれたのだ。愛姫は必死に弁償したいと頼んだ。
「んー…気持ちは嬉しいのよ?でもねぇ…。」
渋るテルには何か訳があるのだろうか、なかなか受け入れてくれない。するとアイがニヤニヤしながら口を挟んできた。
「十二万。そのパンツ、結構有名なブランドのなんだよねぇ?」
「――――っじゅ、十二…!!」
愛姫は思わず自分の足を凝視した。テルはアイを睨み付けたあと、愛姫の方に視線を戻す。
「え、ええとね!?違うのよっ、いや、値段はそうなんだけどもう買ってからずいぶん日にちが経ってるし、何回も使ってるから今さらねぇ――――!!」
必死で弁解するテル。しかし愛姫の頭は十二万という数字がぐるぐる回っていた。
(ま、まさかそんなにするなんて…――――でも汚したのは正真正銘私だし、弁償…したいけど私の今のお小遣いじゃ…。)
「働いて返せばいいんじゃない?」
その言葉に皆は一斉にアイを見た。
「だから、あんたは弁償したいんでしょ?でも金がない。ならここで働いて、バイト代をそのお金にすればいいじゃない。うちはちょうど接客のバイトが欲しかったんだし、テルは弁償代を受け取れるし…ね?願ったり叶ったりじゃない♪」
後光が射すくらいまぶしい笑顔は、とても不吉で恐ろしい。
「アイ!?あんたは何を―――――!?」
「…わ、わかりました。私、ここで働きます。働かせてください!」
「なっ、あなた!?」
予想外な答えにテルたちは驚いている。愛姫は唇をキュッと結んで固く決心した。
(悪魔の思い通りになると思うとすっごく悔しいし恐い――――…でも、十二万なんて大金、今の私じゃ返せない。でもでも私だって迷惑かけたままじゃ嫌だ!うん、働いて弁償できたらスッパリ辞めればいいんだよ!悪魔…以外は皆いい人たちだもの!負けるもんか!!)
意外に負けず嫌いな愛姫はキッとアイに強い眼差しを送った。
「っこれで文句ないでしょ、アイちゃん!?」
さっきまで泣いたり怯えたりしていた愛姫の強気な発言に、アイは一瞬ニヤリと微笑んだ。と思うと、椅子から立ち上がり低い声で愛姫に向かって言った。
「文句なんてない…というと思ったか?それが先輩に向かって言う言葉?口の聞き方がなってないんじゃないか?宝城星高校二年C組、木村愛姫…さん?」
「――――――っ!?」
よく見るとアイの手には愛姫の生徒手帳があった。アイはニヤニヤしながら手帳を見せびらかしている。
「えっ!?いつの間に…ってか個人情報でしょ―――――!!」
手帳を取り返そうと手を伸ばしたとき、アイは椅子の上に上り、手帳を持っていた手を後ろに隠した。そして反対の手で愛姫の伸ばした手の手首を掴んで上に持ち上げる。
「っちょ、痛っ――――!?」
愛姫が顔を上げるとすぐそこにアイの顔があった。瞬間愛姫の息が止まり、真っ黒な瞳から愛姫は目が離せなくなった。
「――――――っちか…。」
「先輩。」
「…は?」
「俺は遠野藍、高凌高校三年だ。俺の方が先輩なんだよバーカ。」
愛姫は目を丸くした。まさかアイが自分より年上だったとは思っていなかったからだ。
「なっ、高凌…―――――高凌!?」
そしてさらに愛姫の目が大きく開く。その高校は愛姫の学校とは結構近い。そのため名前はよく耳にしていた。問題は―――――…。
「…こ、高凌…って…あれ…男子校…――――俺!?」
「気づくのおっせぇんだよバカ。男なんだよ、男。」
そう言ってアイは髪をグイッと引っ張った。すると現れたのは艶やかな黒い短めの髪の毛。ふわふわなカツラを愛姫の目の前で左右に揺らしたあと、ぽんっと彼女の髪の上に無造作に置く。カツラで顔が隠れたが、その隙間から愛姫はアイをガン見した。
「…………?っんな――――――――――――――――――!!!?」
これがこの日一番の驚きだった。
するとアイはニッコリと不気味すぎる笑顔を向けて言った。
「約束は守れよ?きっちり十二万、返し終わるまで馬車馬のように働いてもらうからな。いいな、アキ?」
その言葉に愛姫は自分の言ったことを後悔した。そして、これから始まるであろうこの店でのバイト生活の先は真っ黒であろうと覚悟するのであった。
(―――――…ぜ、絶対…先輩だなんて思わないし、呼んでやるもんか―――――!!)
それは愛姫の精一杯の抵抗だった。
その後、着替え終わった愛姫はフジたちに挨拶したあと、とぼとぼと家路に着く。夢に悪魔の羽がついたアイが出てきたことは、言うまでもない。
第1話*おわり