7月25日 Day.1
……ミーンミーン。
………ミーンミーンミーン。
…………ミーンミーンミーンミーン。
ウザい。
これ以上ないほどにウザい。
ただでさえ今朝の事で機嫌が悪いのに、このクソッタレなオーケストラの所為で尚更イライラする。
あのド阿呆が食器を割る音の方がよっぽどマシだ、溜まった分のストレスをいくらか発散できるからな。
馬鹿の骨が奏でるリズムはたまらねぇ、管楽器にも負けない音色だ。
それに悲鳴のコーラスと血の飛び散る拍手まで加われば最高なんだ、皿一枚くらいの損失なら安い。
………ぶるる。
ヤバいな、思い出したらゾクッと来た。
さ、今はそれよりも早急の用を片付けるとするかな。
この忌々しい暑さから抜け出すには、とっとと仕事を済ませて涼しい我が家に帰るのが一番だ。
………一応帰りに店を確認してから寛ごう、下手をすれば店が半壊してても不思議はねぇ。
蝉の非生産的な雑音を必死に無視しながら、俺は目的の店へと向かう。
隣町の珈琲豆専門店。
いつも俺が豆の注文をしている中々の優良店だ、店長さんとも仲良しだし。
別にわざわざ歩かず素直に電車を使えば良いのだが、無駄な金は使いたくない。
住宅密集地帯の並木道を気だるげに歩きながら、滴る汗を拭う。
そろそろ車の免許でも取るかな。
学生時代から取ろうと思いつつ暇がなかったからなぁ、時間は掛かるけど休みの度に教習所行くか。
意外に早歩きだったんだろう、気が付けば駅前の繁華街に着いていた。
てか通り過ぎてるし、かったりぃ。
少し戻って目的の店に入る、あぁ涼しいって幸せ。
カウンターに立つ店員が俺に気付いて笑顔を向けて会釈する、相変わらず店員の質は良いな、ウチの馬鹿共も見習ってほしい。
適当に手を振って奥の事務所に入っていく、ちゃんと許可は取ってあるぞ、不法侵入じゃないから。
戸を開けると中で店長の板橋さんが珈琲の味見をしていた。
「こんちは板橋さん、また新しい銘柄仕入れたのか?」
「お、また直接来たのかい?電話くれたら配達に行くのに、暑いのに真面目だねぇ。」
「格安で仕入れてもらっておいてそこまでさせられないッスよ、それに毎回のお礼も兼てるんだから。」
「気にせんで良いのに。まぁ座りなよ、折角だし飲み比べしていくかい?」
「面白そうだな、是非とも。」
俺はパイプ椅子を引き寄せて座ると、板橋さんが幾つかの珈琲を出してくれる。
「ちょっとマイナーな制作者だから味は判らないが、香りは悪くないよ。」
「エメラルドマウンテンに似てるな、んじゃいただきます。」
俺は全部の珈琲を少しずつ味見する、合間に水を挟んで僅かな違いを楽しむ。
「うーん、こいつはイマイチパンチに欠けるな、これはアイス向けの味だ、こっちはエスプレッソかな。」
「結構感覚が良くなってきたね、頑張ってるじゃないか。」
「サンキュー。とりあえずウチでもちょっと試してみるから、これとこれを追加で少し貰えるかな?ここに今日の発注分が書いてある。」
「了解、ちょっと待ってな。」
板橋さんが発注書を見ながら奥の倉庫にいなくなる。
しかし、相変わらず気楽な店長だ、だからこそ取引先をここに決めたんだが。
暫くすると板橋さんが注文品の入った紙袋を持って倉庫から出てきた。
「てか君は今日非番かい?私服なんて珍しいじゃないか。」
「今更だね店長。あぁ、久し振りの休みだよ。あの馬鹿共に店を預けるのは不安すぎるからな。」
「休みの日まで仕入れとは働き者だな。もし時間があるなら車で送ってあげよう、在庫確認の途中でね、終わるまで珈琲でも飲んで待ってなさい、30分くらいで終わるから。」
「良いんですか?助かるッス、暑い中帰るのは億劫で。」
笑いながら板橋さんが珈琲を淹れてくれる、この匂いはエメランの最高級だ、毎回ありがたいね。
さて、待っている間に店へ電話でもいれとくか。
俺は携帯を取り出すと、店の番号を呼び出して通話ボタンを押す。
数回のコール音のあとで、向こうと繋がった。
「はい、フラトレス珈琲店でございます。」
「カオリか、俺だ。」
「あぁ、どしたの?用事?」
「いや、店は……と言うより馬鹿共はちゃんと働いてるか?」
「うん、珍しく食器も割らないし真面目に働いてるよ。」
「なら良かった、引き続きしっかり頼むわ。何か買ってきて欲しい物はあるか?」
「あたしはないけど……ねぇ、何か欲しいものあるかだって。」
するとドタバタ音がして、蝉にも負けない声量で声が聞こえる。
「俺はアイスが食べたいよお兄さん!安いのをできるだけ!」
「「煙草!!」」
「判った、特になさそうだな。板橋さんに送ってもらうから帰りはもう少し遅くなる、それじゃな。」
「気をつけてね。」
最後に背後で騒ぐ声がしたが、とりあえず放っておこう。
それからは美味い珈琲を飲みながら板橋さんを待っていた、たまには静かな場所も良いな。
ゆっくりした時間が流れる場所は、自然と心を落ち着かせてくれる。
ウチの店もそうしたいのだが、最近じゃあの騒がしさを楽しみにして来る常連さんが増えちまった、まぁ売り上げが安定するのは良いことなのだが。
すると、在庫確認を終えた板橋さんが戻ってきた。
「待たせて済まないね、それじゃ行こうか。」
「わざわざすみません、ありがとうございます。」
「気にしなくて良いよ。先に幾つか寄るとこがあるから少し時間は掛かるけどね。」
「大丈夫ッスよ、お願いします。」
板橋さんの車の乗り込むと、幾つかの取引先に立ち寄ってからフラトレスへと走っていく。
フラトレスがある木野塚商店街に着くと、車は静かに停止した。
「ありがとうございます、助かりました。」
「またいつでも来なよ、新しい豆を用意しておくからさ。」
会釈すると車が走り去っていく。
俺はまた暑い夏の商店街を歩きだす。
途中駄菓子屋に立ち寄ってアイスを買い、煙草屋でセッターを二箱買っていく。
さらにパン屋でケーキを買うと、両手に大荷物を抱えて店に向かう。
にしても暑いな、店なら涼しいだろう。
だが、何か聴きたくはない音が聞こえてきた。
皿の割れる音と、笑い声。
嗚呼、折角わざわざ買ってきてやったというのに。
俺は先に自宅へとケーキ等を運び込み、倉庫へ豆をしまってから自室へと向かう。
壁にかけてある刀を掴むと、俺は騒がしい店内へと歩いていった。
暫く悲鳴が途絶えなかったのは言うまでもない。




