ロベイル王国の闇
恵美はなぜかずっとあの黒い鳥のことが気になっていた。朝食の後、椅子を窓の前に持っていってぼんやりしていたが、突然部屋にノックの音が響いた。
「失礼しますよ」
ドアが開けられると、そこには長髪の顔に薄ら笑いを貼り付けたような、ローブを着た男が立っていた。
「ご機嫌いかがです? エミ様」
恵美はこの男とはほとんど会ったことがなかったが、自分が召喚された時に女王の横に立っていたのは覚えていた。それ以降、こうしてたまに突然訪ねてくる。
「なんの用ですか」
「そう硬くならないでもらえるとありがたいですね」
男はそう言うと全く遠慮せずに部屋の中をぐるぐると歩き回った。
「少しほこりっぽくはありませんか? きちんと侍女に掃除させるべきでしょう」
「別にいいんです」
「よくはないと思いますけどね。ところで、魔法の訓練はやってみないんですか? この国の魔法は大したことないものですがね」
「そんなこと、やりたくありません」
男は立ち止まって、恵美の顔をじっと見た。
「あなたが元の世界に帰る方法など、この部屋にいたところで見つかりはしませんよ。まあ、出たところでそんなものはありませんけど」
「何をしている!」
そこにキアンが勢いよく部屋に入ってくると、男を睨みつけ、恵美との間に立ち塞がった。
「私はこの部屋にお前が来ることを許可してはいないぞ、ファスマイド」
ファスマイドと呼ばれた男はキアンの剣幕をいなすような笑顔で軽く頭を下げた。
「これは失礼しました、女王陛下。それでは僕はこのあたりで下がらせてもらいましょう」
そして、部屋にはキアンと恵美の二人だけが残された。キアンは振り返ると、すでにその表情からさっきまでの激しい感情は消えていた。
「すまなかったな」
「いえ」
「あの男が簡単に入れないように対策は講じておこう」
それだけ言うとキアンは足早に部屋を出て行った。ドアが閉まる音を聞いた恵美は椅子から立ち上がった。
部屋に閉じこもっていたところで安心なんてできない。それは最初からわかっているべきことだったが、さっきのことで嫌でも思い知らされた。
だからといって、ここから外に出ることはできそうにないし、出たところでたった一人でこんな見知らぬ世界でやっていけるとは到底思えなかった。
さっきのファスマイドという男が言っていたように、魔法というのを覚えれば、ひょっとしたら何かが開けてくるのかもしれない。
その日はそうして部屋の中をうろうろしながら、ずっと考え事をしてすごした。
翌朝、早く起きて着替えておいて、侍女が来るのをベッドに座って待った。
「おはようございます」
「頼みがあるんだけど」
侍女がトレーをテーブルに置く前に恵美は思い切って口を開いた。
「どういった御用でしょうか?」
「女王様に会わせてもらいたいの」
「わかりました」
侍女はトレーをテーブルに置いてから頭を下げて部屋を出て行った。恵美はとりあえず朝食を食べてから、外を眺めて自分の行動の結果が出るのを待った。
しばらくして、部屋のドアが開き、心なしか明るい表情のキアンが部屋に入ってきた。
「どうした? 何か欲しいものでもあるのか?」
「魔法でも武器の使い方でもいいから、教えて欲しいんです」
一瞬だけ複雑な表情を浮かべたキアンだったが、すぐにそれは笑顔に上塗りされた。
「とにかく何かをしようという気になってくれて嬉しい。早速手配させよう」
「ありがとうございます」
「他に欲しいものか、やりたいことはないか?」
「いいえ、今はそれだけで十分です」
「そうか。これからは遠慮せずに何でも言ってくれ」
キアンは部屋を出て行き、恵美はとにかくこの世界での一歩を踏み出したことに、何か新しいような気分になっていた。
恵美の部屋を出て廊下を歩くキアンだったが、その前方にファスマイドが立っているのを見ると、顔を歪めた。
「何を笑っている」
「いえ、エミ様がやる気を出されたようで何よりでした。これで女王様の気も少しは軽くなりますかね?」
「黙れ」
それだけ言ってキアンは歩き出したが、ファスマイドはそれを見てにやりと笑った。
「そろそろ観念してはいかがです?」
だが、キアンは振り返らずにすれ違いざまに一言ぶんだけ唇を動かした。
「貴様の思うようにはいかんぞ」