『陰の気…』
彼女は、自分を根暗だと思ったことがなかった。
むしろ、自分は普通だと思っていた。
明るすぎもしない。
暗すぎもしない。
人付き合いも、それなりにする。
「私、別にネガティブじゃないから」
彼女はよくそう言った。
ただ、彼女の口から出てくる話には、いつも少しだけ影があった。
友人が昇進すれば、
「でも、仕事ばっかりで大変そう」
誰かが家を買えば、
「ローン、大丈夫なのかな」
娘が楽しそうに出かけたと聞けば、
「最近の子って、親への感謝がないんだよね」
夫が休日にゴルフへ行けば、
「家族より自分の楽しみが大事なんじゃない?」
何か嬉しいことが起きても、彼女は必ずその裏側を探した。
幸せそうな人を見れば、その幸せがいつか壊れる理由を考えた。
そして自分に嫌なことが起きれば、それは誰かのせいだった。
「私だって、好きでこうなったわけじゃない」
「私ばっかり我慢してきた」
「誰も私の気持ちを分かってくれない」
彼女は、自分のことを繊細な人間だと思っていた。
だから、人の言葉によく傷ついた。
夫が疲れていて口数が少なければ、
「怒ってる?」
と聞いた。
「別に」
そう答えられると、
「じゃあ、なんでそんな態度なの?」
と不機嫌になった。
夫が説明すればするほど、彼女は傷ついた。
そして傷ついた自分を見て、
「ほら、やっぱり私は大切にされてない」
と思った。
彼女は知らなかった。
自分が人の心を少しずつ疲れさせていることを。
彼女と話したあと、なぜか気分が沈む。
彼女と食事をしたあと、なぜか自分の人生までつまらなく思える。
彼女に相談をすると、励ましてもらうどころか、新しい心配事を一つ増やされる。
けれど彼女には、それが分からなかった。
「私はちゃんと話を聞いてあげてるだけ」
そう思っていた。
ある日、久しぶりに会った友人から、
「なんか、昔より明るくなったね」
と言われた。
彼女は笑った。
「そう? 私、昔から明るいよ」
友人は少し黙って、
「うん……そうだね」
と答えた。
それ以上は何も言わなかった。
やがて、彼女の周りから人が減っていった。
友人からの誘いは減った。
家族も必要なことしか話さなくなった。
夫との会話もなくなった。
それでも彼女は、自分に原因があるとは思わない。
「みんな冷たくなった」
そう言って、また一人で傷ついた。
そして、静かになった部屋で思った。
――誰も何も分かってくれない。
誰も私を大切にしてくれない。
また一つ、陰の気が生まれた。
彼女は知らない。
彼女のいる場所には、陰の気を生産し続けている何かが、必ずある、ということを。
それには、彼女と同じ名前がついている。
けれど、
彼女は今日も、
「私は普通」
と思いながら、
せっせと陰の気を生み出し続けていくのだろう。




